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2007年09月24日 イイね!

▽これも零式 三菱零式水上観測機

▽これも零式 三菱零式水上観測機 ついに完成キットが50機目に到達致しましたっ(汗)
なのにこの罪悪感に満ちた達成感はいったいどうしたことでしょう(笑)

 記念すべき50機目は何にしようかとしばし悩んだあげく、特に深い意味もなく、ただ作りたくなった機体にしてしまいました(あれ?笑)

 「三菱 零式水上観測機」というマイナーな機体・・・「零式」といえばもちろん「零戦」が真っ先に思い浮かぶのですが、他にも沢山の「零式」があります。皇歴2600年=昭和15年に制定された海軍機にはみんな「零式」が付きます。なので、零式水上偵察機零式小型水上偵察機零式輸送機等々日陰の(笑)零式機の代表としてご紹介いたします。(ギャラリーもどうぞ)

 この機体は戦艦や巡洋艦の艦載機として、昭和9年頃から三菱の他に、水上機に経験の深い愛知、川西の2社が試作コンペに参加し開発が進められた機体です。「零式水上観測機」という聞き慣れない名前ですが、大型艦の主砲の大型化=射撃距離の増大に伴って、着弾の観測を主な任務とした機体です(もちろん、艦隊の前方に進出して敵艦を索敵することも大きな任務ですが)。これよりも一回り大きな「零式水上偵察機」と共に開戦時から多くの艦艇に積まれ、開戦を迎えることとなりました。

 一見して分かるようにこの機体は複葉機・・・形式としては古い形なのですが、複葉機の最終形と言っても良い洗練された機体です。胴体は全金属製セミモノコック、各翼も可動翼以外は金属製です。 フロート支柱の大きな一本足は金属製、流線型に整形され、主翼上下を結ぶ張り線もそれまでの海軍の仕様だったダブルからシングルにされ、無駄な抵抗を省く工夫によって、それまでの機体より最高速度は70km/hも速くなったそうです。

 格闘性も水上機としては抜群だったそうで、当時配備されていた96式艦戦との模擬空戦でも、ドッグファイトに持ち込めば優位にたてたほどだったとか。実際最前線の基地に配備された零式水観は敵機の迎撃にも実績を残しています。

 しかし、残念なことに、この機体の本来の任務である「着弾観測」という任務はほとんど発生しませんでした。巨砲大艦主義は(はからずも)日本の航空兵力による真珠湾攻撃で開戦と同時に葬り去られ、水平線の彼方の敵艦を戦艦の主砲で砲撃するといった戦闘は発生しなかったのです。

 日本海軍最後の複葉水上機として、また、日の当たらない「零式」機として、本来の任務以外で善戦した隠れた名機です。
Posted at 2007/09/24 17:18:25 | コメント(3) | トラックバック(1) | ◇プラモ-日本 | 旅行/地域
2007年08月28日 イイね!

▽N1K1 川西 水上戦闘機「強風」

▽N1K1 川西 水上戦闘機「強風」 今回はちょっと変わったキットを作ってみました。(実は8/19には完成していたのですがUPが遅れてしまいましたw)ハセガワの1997年の限定キットですが、水上機に透明レジンの水面(とフロート)をセットに、一部レジン製のパーツを追加したものです。水のジオラマということで「アクアラマ」と称していますが、これがなかなか良く出来ていて大変楽しめました。(ギャラリーもどうぞ)

 さて、キットの話は置いて、肝心の機体の話しです・・・この機体は後の陸上機「紫電」「紫電21型(紫電改)」の大元になった川西の水上戦闘機「強風(N1K1)」です。そもそも、「水上戦闘機(N)」というカテゴリーは当時日本海軍だけにしかなかったのですが、15試水上戦闘機として開発が始まったこの機体、大きなフロートをぶら下げるハンデを(当時手に入った)最も大出力のエンジンを積むことで何とか戦闘機としての性能を持たせようとしたものです。
 水上機(や飛行艇)に造詣の深かった川西ですし、先行していた高速水上偵察機の「紫雲」の経験の活かしながらの開発でしたが、同時期に開発された局地戦の「雷電」と同様、直径の大きなエンジンの抵抗を少なくするため、海軍技術廠での研究結果に基づいて胴体全体を紡錘型にまとめているのが一番大きな特徴です。また技術に対するチャレンジ精神旺盛なメーカーらしく、当初は二重反転プロペラを備え、主翼断面も層流翼という新しい技術を導入していました。(二重反転プロペラは不具合が多く量産機では普通の3枚プロペラに改められましたが)
 さらに後の「紫電・紫電改」で威力を発揮した「自動空戦フラップ」もこの機体で試行錯誤が行われ、水銀柱による旋回中のGの検出とフラップの自動調整という画期的な機構の完成を見ました。これは「強風」の試作機と二式水上戦闘機(「強風」の実戦配備が開戦に間に合わないため、急遽零戦11型を中島で水上機化した機体)との模擬空戦の結果、どうしても格闘戦(主に回転半径の小ささ)性能が劣っていたために講じられた対応策です。
 制定と実戦配備は日本が守勢にまわった後のため、常に戦線の先端に配備された二式水戦に比べると「強風」の実戦でのエピソードは少なく、むしろ紫電、紫電改の母体となったという点で記憶される機体となりました。
 大きなフロートを付けた水上機に陸上(艦上)戦闘機と同様の性能(実際の要求性能では速度は零戦以上)を求めたのは物理的に無理だったのですが、それに挑んだ川西の設計陣の挑戦には感服されます。

ライバルとでもいうべき二式水戦の同様な(いや、むしろより凝った)「アクアラマ」キットも手に入れてありますので、それもまたいつか作りたいと思っています。 

2012/8/16 追記---------
この記事は、三和模型、1/100、水上戦闘機 強風、にTBさせて頂きました。
Posted at 2007/08/28 23:16:45 | コメント(4) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2007年07月29日 イイね!

▽間に合わなかった戦闘機その2 一七試艦戦「烈風」

▽間に合わなかった戦闘機その2 一七試艦戦「烈風」 前回に引き続き、終戦の夏特集(笑)として「間に合わなかった戦闘機」の日本編、一七試艦上戦闘機 三菱「烈風」をご紹介します。これもF8Fの翌々日、先週頭にはすでに完成していました。(ギャラリーもどうぞ)

 この機体は日中戦争と太平洋戦争の緒戦で圧倒的な強さを見せた、同じ三菱の零戦の後継となる艦上戦闘機として開発されました。その間局地戦(地上基地から運用される迎撃戦闘機)として「雷電」や「紫電」も開発されていましたが、昭和12年の試作命令で開発された零戦から5年ものインターバルを経て昭和17年から開発が始まり、結局終戦時には数機の試作機が完成したにとどまる、まさに「間に合わなかった戦闘機」の代表格です。
 航空機の発達が著しかった当時、次期主力戦闘機の開発が5年もの間ストップしていたことが最も問題ではありますが、零戦の圧倒的な強さに慢心が(軍側に)あったのかも知れません。本来は昭和15年に一五試艦戦として試作命令は出たのですが、前線からの要求による零戦の改修作業や、「雷電」の開発(難航)のために、三菱側として人手が足りずに取りかかることが出来なかったという事情もあります。
 そういった遅れだけでなく、この一七試艦戦の要求スペックがあまりにも(世界の趨勢と、航空力学から見ると)常軌を逸したものであったことも開発を難航させ、間に合わなくなった原因でもあります。

軍からの要求は 
1.速度640km/h
2.上昇力 6000mまで6分以内
3.格闘性は零戦21型なみ(翼面荷重130~140kg/㎡)
というものでした。1、2については時代的に妥当な数字です。いずれも大馬力エンジンで小型軽量の機体を引っ張るということで実現出来ます。しかし問題は最後の3の項目で1.2を実現しつつ格闘性を求めるのには無理があります(時代の趨勢も単機同士の巴格闘戦から、速度上昇力を活かした一撃集団戦闘に変わっています)・・・特に翼面荷重130kg/㎡という具体的な数値は戦前に開発された零戦21型や陸軍のと同じような数値です。

←ご参考までに前に当時の戦闘機について翼面荷重と速度の関係をプロットしたグラフをご覧下さい。どの機体もきれいに右上がりのラインに並んでいます・・つまり、速度が上がると、翼面荷重は高くなる(あるいは翼面荷重が重くならないと速度は上がらない)という法則があるのですが、烈風の640km/hで130kg/㎡というセッティングは明らかにラインから外れています。・・・つまり非常識な要求性能だといわざろう得ません。

 結果的にその数字(呪縛とも言える翼面荷重)に従って設計された機体は、重たい大型エンジンを支える広大な主翼を備えた巨大戦闘機となりました。太平洋戦争時代の大型単発戦闘機といえば、米国のF6F「ヘルキャット」やP-47「サンダーボルト」が有名ですが、それらと同じようなサイズの機体がこの日本で開発されたのです。しかも米国ではそれぞれ後継機種としてはサイズダウンしたF8F「ベアキャット」とP-51「ムスタング」が用意されています。(もちろん烈風の開発では96戦以来実績のある三菱設計陣の軽量化は施され、サイズの割には軽い機体なのですが・・・)

そういった経緯で試作が進む中、搭載エンジンについては自社製エンジン搭載をするという三菱側の計画が通らず、中島製の「誉」エンジン搭載を海軍側より強要され、さらに試作機に搭載されたそのエンジンの不調(規格の馬力が出ていない)により、最高速度も500km/h台(零戦52型より遅い)、上昇力も6000mまで10分(計画値の1.5倍)という惨憺たる結果。ライバルである川西の紫電改の生産命令が出たりもしました。最後には烈風のためのデータを取るためという名目で三菱製のエンジンを搭載したところ、所定の性能を記録し、(またまた手のひらを返すように)大生産命令が出ました。

 戦争末期の混乱の中では致し方なかったとは思いますが、つくづく、烈風という飛行機の不運さが感じられる様々なエピソードが残っています・・・また烈風という機体の開発で浮き彫りになった問題は、そのまま当時の日本海軍が抱えていた問題の表出に思えます・・・。
Posted at 2007/07/29 16:57:40 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2007年03月20日 イイね!

▽川西 紫電21型(紫電改)

▽川西 紫電21型(紫電改) 寄り道ばかりで遅れてしまいましたが、やっと、日本海軍戦闘機シリーズの最後(実戦に参加した機体としては最後)の川西「紫電21型(紫電改)」がロールアウトしました。(よろしければギャラリーもどうぞ)

 「紫電改」という機体は結構人気があるのではないかと思うのですが、この呼び名は戦後に付けられたものとか。当時は「紫電21型」と呼ばれていたそうですが、その名前の通り、紫電の欠点を改良した発展型として開発されました。
一番はっきりと分かる改良点は、紫電で問題の多発した長い主脚を、低翼化することで短く一般的な機構に改めたことです。水上機から発展した紫電の持つ宿命を断ち切ることで、真の陸上戦闘機となった、とも言えます。
またエンジンカウリングを搭載エンジン直径に合わせ小さくし、それに続く胴体も幅を狭めより縦長の楕円断面に改められました。それによって紫電で問題になった視界の悪さも解決を見ました。紫電と呼ばれますが、決して簡単な改造ではなく、特に胴体部分については全く別物になっています。これを約1年という短い期間で開発した川西のスマッシュヒット、と言える名機です。

 紫電の紹介では、本命の局地戦「雷電」の開発難航を横目に採用された、と書きましたが、この紫電改に至っては同様に開発が難航していた零戦(艦上戦闘機)の後継機種「烈風」を横目に、艦上戦闘機として運用出来るかの試験を行い、問題なくパスしたという話しも残っています。
 大戦末期、多くの期待を背負って登場した紫電改ですが、その活躍の場はすでに本土上空となっていました。空母(完成間近の「信濃」)での運用試験にパスしたといっても、その信濃はすぐ日本の沿岸で沈められてしまい、本土に来襲する米英艦載機の迎撃が唯一の実績となりました。特に有名なのが松山を本拠に、数少なくなった歴戦のパイロットと、最良の機材・・・すなわちこの紫電改をかき集めて編成された343空の終戦間際の戦闘があります。昭和20年3月19日、広島の呉に来襲した米艦載機群に対して、戦闘機(F6FヘルキャットF4Uコルセア)を48機、爆撃機を4機撃墜したという記録です。海軍の航空隊の最後を飾る記録です。

 大戦中も新型機種に更新を重ねた陸軍に比べ、海軍機は結局零戦の後継機種は間に合わなかったのですが、終戦間際に現れた紫電改は、それをかろうじて救った機種となしました。

これで日本海軍戦闘機シリーズはやっと(笑)完了です。(とはいえ、試作までいった「烈風」もキットは手に入れてありますので、そのうち・・・たぶんw)


※2010/1/28この記事は、同じ343空15番機の金属モデルを紹介された覆面えるさんの「日本陸海軍機大百科、紫電改 、 」にTBさせて頂きました。
Posted at 2007/03/20 11:41:38 | コメント(5) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味
2007年02月22日 イイね!

▽愛知 98式水上偵察機

▽愛知 98式水上偵察機 またもや寄り道をしてしまいました(笑)今回は、知る人ぞ知るマイナーな機体(私も知りませんでしたがw)98式水上偵察機がロールアウトしました。先日UPした「紫電」のブログにも書きましたが、日本(海軍)は世界に類を見ないほどの水上機王国。しかも運用方法に沿って、多種の機体を開発(しようと)しましたが、この機体もそのうちの一機です。(ギャラリーもどうぞ)

 で、この機体の役割ですが、水雷戦隊(軽巡洋艦を旗艦とし、数隻の駆逐艦によって構成される艦隊。主に魚雷によって攻撃する)に随行(所属)し、夜間雷撃の際に、索敵、接触、誘導、照明弾の投下、着弾観測、戦果確認をする機体として開発が行われたものです。夜間の離着水を容易にするため、フロート付きの機体ではなく、胴体自体で浮かぶ飛行艇の形をしています。機体は低速での飛行安定性を重視した単発複葉で、比較的コンパクトですが、プロペラが後ろにある推進式が特徴的です。昭和11年に11試特殊水上偵察機として試作が開始され、翌12年に初飛行し一定の評価を得て制定されました。

 と、こう書くとスムーズな開発に見えますが、実はこの前に2回も試作が行われています。まずは「6試夜間水上偵察機」として6機が愛知で作られ、次に「9試水上偵察機」として川西と愛知が競作し、愛知機が「96式水上偵察機」として制定され(たった)15機が製作されました。
 そして、その後「11試特殊水上偵察機」として、また川西と愛知の競作となり、結果愛知機が採用されました。98式水上偵察機として制定されたと言っても生産数はたったの17機・・・飛行艇としては優秀で、速度、操縦性、離着水の性能など性能要求はクリアしたようですが、演習などで実際に運用してみると、低速にすぎて敵艦隊の運動に対して優位な位置を占められないとか、一度探照灯(サーチライト)に照らされると鈍重すぎて全く逃げられない、といった問題を露呈することとなりました。

 これだけの労力と時間を費やして開発された機体ですが、結局のところ実用性が低く、より汎用性の高いフロート付きの水上偵察機の優位性を証明しただけ終わってしまいました。そもそも、夜間偵察飛行艇という軍側のコンセプト自体が間違っていたということで、実に不運な機体です・・・・そのせいか、一見ユーモラスな形の機体ですが、じっと見ていると、そこはかとなく哀しみを漂わせているように見えてくるのは、私だけでしょうか(笑)

さてと、次回は紫電改を作らないと・・・(笑)
Posted at 2007/02/22 22:30:44 | コメント(3) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味

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