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naka3051のブログ一覧

2007年11月03日 イイね!

▽高空のアバンギャルド Mig-3

▽高空のアバンギャルド Mig-3 「ミグ」という名前をお聞きになれば、ほとんど方は「ソ連の戦闘機」を思い浮かべるかと思いますが、今回はそんなミグ戦闘機の元祖にあたる「Mig-3」がロールアウトしました(実際は先週末に出来上がっていましたが)ギャラリーもどうぞ。

 戦後はソ連と共産主義陣営の戦闘機を一手に開発した観のあるミグ設計室ですが、実は第二次大戦中はあまり大きな実績がありません。そんな中で唯一(短期間ながら)量産され、実戦配備されたのがこの「ミグ3」です。
 独軍が怒濤のようにソ連領内になだれ込んだ時、ソ連の戦闘機はすでに旧式化したイ16や複葉機のイ15が主力でした。また空軍内の指揮系統の問題、パイロットの習熟度の低さといった問題から(陸軍ともども)惨敗を続けました。首都モスクワを目前にした独軍の足を止めたのは、ロシアの冬将軍・・・つまり早い寒波の到来だったと言われます。
 イ16などを第一世代の戦闘機だとすると、このミグ3は第二世代・・・独空軍のBf109に何とか対応出来る高速機、と言えます。そしてこの後に同じ第二世代のYak-1やLa-3等の大量投入によってソ連の巻き返しが始まり、独機の性能を凌駕する第三世代(Yak-3やLa-5)によって独軍を駆逐していきます。

 このミグ3は他の第二世代機より半年ほど早く実戦に登場し、モスクワの攻防戦に(数は少ないながら)間に合った機体です(今回の塗装はそのモスクワ防空軍のものです)。もともとは高々度での高速性を目指した迎撃機として開発された機体で、空気抵抗軽減のため視界の確保を度外視し、異様にコックピットが後退した・・・一見すると戦闘機と言うよりも、レーサーのようなアバンギャルドな機体になりました。
 高翼面荷重(=高速性重視)の機体は、視界だけではなく離着陸時の飛行特性に大きな問題を抱えていましたが、他に速度的にBf109に対抗出来る機体のなかったソ連空軍としては量産を急がざろう得なかったようです。しかしながら、戦術空軍的な性格(陸軍の支援が主眼)の独空軍との戦闘では、ミグ3の本来の活躍の場である高空での戦闘はほとんど発生しませんでした。

 結果的にはモスクワは守られ、その後形勢は逆転に転じるのですが、このミグ3は搭載エンジン(高々度用の過給器を付けたエンジン)の生産終了と共に量産が打ち切られます。ドイツとの戦いはまだ数年続きましたが結局ミグ3の後継機種は制式されることなく終戦を迎えます。

 再びミグの名を冠した戦闘機が現れるのは朝鮮戦争です。ミグ15として登場したジェット機はその後も小型、高翼面荷重、高速性(加速、上昇力重視)という要素を一貫して貫き171921とモデルチェンジを続けながらベトナム戦争、中東での戦争に登場し共産主義陣営を象徴する戦闘機となりました。
Posted at 2007/11/03 16:55:57 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-その他国 | 趣味
2007年08月14日 イイね!

▽コモンウエルス CA-13「ブーメラン」

▽コモンウエルス CA-13「ブーメラン」 私の虎の巻である「忘れられた軍用機 大内 建二(光人社文庫)」という本で「おそらく第二次大戦に参加した戦闘機で最も知られていない」と紹介されていたオーストラリア空軍のCA-13「ブーメラン」がロールアウトしました。(ホントは先週完成していましたが、暑くてブログUPが遅れました。)ギャラリーもどうぞ。

 この機体はオーストラリアで開発された唯一の戦闘機です(もっと広くオセアニアで開発された唯一の戦闘機とも言えます。)。オーストラリアと太平洋戦争に違和感を覚える方もいらっしゃるかも知れませんが、豪州は歴然とした連合国、連合軍艦隊に参加した豪海軍の艦船が日本軍と交戦しましたし、ポートダーウィンなど豪州本土は日本軍の爆撃も受けています。ですが本来イギリス連邦の農業国であった豪州が戦闘機を急遽開発した背景には、日本の南方侵略の緊張と、英国本土近海での(Uボートを中心にした)独軍の通商破壊戦争の熾烈さがありました。

 英国から海路はるばる運ばれる軍用機だけに頼ることに不安を覚えた豪空軍は、F2A「バッファロー」装備の2個中隊しかなかった戦闘機部隊を急遽増強すべく、当時国内で唯一軍用機の生産を行っていたコモンウエルス社に戦闘機の開発を命じます。それをうけたコモンウエルス社は一からの開発ではなく、ライセンス生産していたアメリカのノースアメリカンAT6高等練習機(後の名機T-6テキサン)「ワイラウエイ」の基本構造をそのまま応用し、たった半年で初飛行までこぎつけるという驚異的なスピードで開発されたのが、この「ブーメラン」と名付けられた戦闘機です。

 ノースアメリカン社もAT-6の戦闘機化を行っており(後にP-64として数機採用)その内容を参考にしたそうですが、エンジン出力を大きくするなど独自の部分も多く、何よりも半年で初飛行、1年で部隊配備というスピードには驚きます。機体自体は、構造をそのまま利用した主翼に原型のAT6の面影を残しますが、全体的には愛嬌のある機体、コンパクトにまとまったなかなか格好可愛い(?)ですね。

 さて、豪州で急造されたブーメランの戦闘機としての活躍はどうだったか?ですが・・・結果から言うと「敵機を1機も撃墜せず、また1機も敵機に撃墜されなかった」という実戦に配備された戦闘機としては希有な記録を残しています。実際の所、日本軍戦闘機には性能的に及ばないという認識があり、低空での抜群の操縦性と20mm×2+7.7mm×2という重武装を活かし陸軍を支援する対地攻撃、偵察などに専念したそうです。

 航空機の開発は一国の技術水準がそのまま現れます。短期間で開発され、地味ながら堅実な運用が出来た「ブーメラン」はオーストラリアにとって一つの記念碑的な航空機でしょう・・・実際今でもいくつかの記念館、博物館に誇りを持って展示されており、またフライアブルな機体も数機あるそうです。
Posted at 2007/08/14 17:32:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-その他国 | 趣味
2007年07月15日 イイね!

▽Yak-3 (ヤコブレフ-3)

▽Yak-3 (ヤコブレフ-3) 台風の週末、お出かけキャンセルになったので、ソ連機の第二弾として最優秀機の誉れも高い、Yak-3(愛称なし)がロールアウトいたしました。ややこしいソ連機の制定番号ですが、「Yak」という略号は「ヤコブレフ設計局」の略。「-3」は戦闘機の2番目の機体ということになります。(数字は奇数が戦闘機、偶数がその他の機体に割り振られるため、3でも戦闘機としては2番目になるようです)。(ギャラリーはこちらをどうぞ)

 バトルオブブリテンの敗北によって英国侵攻を諦めたヒットラーは、不可侵条約を破棄、返す刀で突然ソ連に侵攻します。緒戦では怒濤の勢いで侵攻する独軍に対して、ソ連はI-16など旧式機しか配備されておらず、また独裁者スターリンによる軍部への大粛正(端的に言うと大虐殺)の影響で、陸空軍ともまともに戦闘を行うことも出来ず、その年の冬になるまで敗退を続けました。そんな中、工場や研究所の疎開というハンデを背負いながら生産がすすめられたのが、このYak-3の前身であるYak-1などの高速次世代機達です。(Mig-3やLaGG-3等も同時に生産されていました。)
 Yak-1は対独戦開始の年1941年から量産が始まり、多くの問題を抱えながらも独軍の足の止まった冬から翌年春にかけて大量に前線に配備され、発展型のYak-7が独ソ戦の天王山スターリングラード(ヴォルゴグラード)攻防戦時の主力機となりました。速度については独のBf-109(D,F型)に対抗出来ましたが、その他の部分では癖が強く一部では「殺人機」とも呼ばれていたほど。

 それを改修した複座練習機型や、航続距離増大、高々度型からYak-7Yak-9という派生機種が現れました。それらの改修と平行して開発されたのが、ヤコブレフ設計局の戦闘機の集大成(同時にソ連機の集大成)となった、このYak-3です。(登場時期から見るとYak-9の後なのに、何で数字が3に戻るのか不思議ですが、あくまでYak-1から次の正統な次期戦闘機として開発された経緯からこの番号になったようです。)

 Yak-3は高速性、機動性どれをとっても独軍機BF-109F/GやFw-190Aを凌駕していたそうです。全幅はたったの9.2m、速度は650km/h、機体は木金混造(!)一部には帆布張りという、おおよそバランス感覚の狂った(笑)機体なのですが、ソ連戦闘機の一貫した高翼面荷重重視を体現した機体です。
 Yak-3の登場はソ連の本格的な反撃がはじまったクルクス戦の頃から。その頃には独軍空軍はベテランパイロットが少なくなり、一部の名人と大部分のルーキーという形になっていたため、Yak-3の性能は遺憾なく発揮され、終戦時まで主力戦闘機として活躍しました。

※参考資料 「ソビエト航空戦 飯山幸伸 光人社

 ソ連機については資料も少なく親近感もなく(笑)取りかかりが遅くなりましたが、上の貴重、かつ名著の文庫本に出会って俄然興味が湧きました。これからも少しづつ作って行きます・・・なんと言ってもどれも小さいので完成後の保管がしやすいですしね(笑)
Posted at 2007/07/15 16:35:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-その他国 | 日記
2007年04月22日 イイね!

▽ポリカ・・ポカリノ・・? I-16

▽ポリカ・・ポカリノ・・? I-16 これまた2週間ほど前に出来上がっていた、初のソ連機、ポリカルポフI-16です。・・・ポリカルポフと書いていますが、実は未だにちゃんと発音、記述が出来ません。「ポリカ・・?ポカリノ・・?」と毎回悩んでしまうので、辞書登録しました(笑)。(ギャラリーもどうぞ)

 この機体は制定機としては世界初の引き込み脚を持った機体として有名ですが、
全幅は8.8m、全長はなんと6mちょっとという、非常にコンパクトな機体です。ちなみに足の引き込みは人力でワイヤーを巻き取る方式だったとか・・・それでも世界初であることにはかわりありません。

 この機体はノモンハン事変の時に陸軍の97式戦と戦った機体です。この時、航空戦では日ソ双方がそれぞれ自軍の圧倒的な勝利だったと発表しましたが、実際は個々の「格闘戦」では97式が圧勝。後半ソ連側が、新手の飛行隊を次々送り込み、速度を活かした集団戦闘を行うようになって盛り返し、日本側は消耗の限度直前まで来ていた、というのが実態だったようです。個々の戦闘で勝ち、兵站や戦術の見直しといった部分では及ばなかった、と後の大戦の縮図のような状況ですね。

 また後には、ソ連から払い下げられたI-16が中国航空隊として、零戦の初陣で完膚なまでに叩かれました。零戦(正確には制定前の12試艦戦)13機に対して、I-16とI-15(複葉固定脚)30機が戦闘を行い、そのうち27機が撃墜されたという記録があります。

 戦闘機としては配備されたタイミングが悪く、特に日本側からすると与しやすい相手という評価になりました。捕獲した機体に乗った日本軍パイロットからは「よくもこんな機体に乗るなぁ」と感心(?)されるほどの機体でしたが、高翼面荷重+スピード重視という設計思想は(あるいは、たまたまそうなっただけかも知れませんが)時代の先駆と言えなくもありません。

 ちなみに、キット自体はハセガワ製の新しい金型のもの。小さいし、パーツ数も少なく、大変精度も高く気持ちよく組み立てられました。
Posted at 2007/04/22 16:26:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-その他国 | 趣味

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