
「ミグ」という名前をお聞きになれば、ほとんど方は「ソ連の戦闘機」を思い浮かべるかと思いますが、今回はそんなミグ戦闘機の元祖にあたる「Mig-3」がロールアウトしました(実際は先週末に出来上がっていましたが)
ギャラリーもどうぞ。
戦後はソ連と共産主義陣営の戦闘機を一手に開発した観のあるミグ設計室ですが、実は第二次大戦中はあまり大きな実績がありません。そんな中で唯一(短期間ながら)量産され、実戦配備されたのがこの「ミグ3」です。
独軍が怒濤のようにソ連領内になだれ込んだ時、ソ連の戦闘機はすでに旧式化した
イ16や複葉機のイ15が主力でした。また空軍内の指揮系統の問題、パイロットの習熟度の低さといった問題から(陸軍ともども)惨敗を続けました。首都モスクワを目前にした独軍の足を止めたのは、ロシアの冬将軍・・・つまり早い寒波の到来だったと言われます。
イ16などを第一世代の戦闘機だとすると、このミグ3は第二世代・・・独空軍の
Bf109に何とか対応出来る高速機、と言えます。そしてこの後に同じ第二世代のYak-1やLa-3等の大量投入によってソ連の巻き返しが始まり、独機の性能を凌駕する第三世代(
Yak-3やLa-5)によって独軍を駆逐していきます。
このミグ3は他の第二世代機より半年ほど早く実戦に登場し、モスクワの攻防戦に(数は少ないながら)間に合った機体です(今回の塗装はそのモスクワ防空軍のものです)。もともとは高々度での高速性を目指した迎撃機として開発された機体で、空気抵抗軽減のため視界の確保を度外視し、異様にコックピットが後退した・・・一見すると戦闘機と言うよりも、レーサーのようなアバンギャルドな機体になりました。
高翼面荷重(=高速性重視)の機体は、視界だけではなく離着陸時の飛行特性に大きな問題を抱えていましたが、他に速度的にBf109に対抗出来る機体のなかったソ連空軍としては量産を急がざろう得なかったようです。しかしながら、戦術空軍的な性格(陸軍の支援が主眼)の独空軍との戦闘では、ミグ3の本来の活躍の場である高空での戦闘はほとんど発生しませんでした。
結果的にはモスクワは守られ、その後形勢は逆転に転じるのですが、このミグ3は搭載エンジン(高々度用の過給器を付けたエンジン)の生産終了と共に量産が打ち切られます。ドイツとの戦いはまだ数年続きましたが結局ミグ3の後継機種は制式されることなく終戦を迎えます。
再びミグの名を冠した戦闘機が現れるのは朝鮮戦争です。
ミグ15として登場したジェット機はその後も小型、高翼面荷重、高速性(加速、上昇力重視)という要素を一貫して貫き
17、
19、
21とモデルチェンジを続けながらベトナム戦争、中東での戦争に登場し共産主義陣営を象徴する戦闘機となりました。
Posted at 2007/11/03 16:55:57 | |
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