
寄り道ばかりで遅れてしまいましたが、やっと、日本海軍戦闘機シリーズの最後(実戦に参加した機体としては最後)の川西「紫電21型(紫電改)」がロールアウトしました。(よろしければ
ギャラリーもどうぞ)
「紫電改」という機体は結構人気があるのではないかと思うのですが、この呼び名は戦後に付けられたものとか。当時は「紫電21型」と呼ばれていたそうですが、その名前の通り、
紫電の欠点を改良した発展型として開発されました。
一番はっきりと分かる改良点は、紫電で問題の多発した長い主脚を、低翼化することで短く一般的な機構に改めたことです。水上機から発展した紫電の持つ宿命を断ち切ることで、真の陸上戦闘機となった、とも言えます。
またエンジンカウリングを搭載エンジン直径に合わせ小さくし、それに続く胴体も幅を狭めより縦長の楕円断面に改められました。それによって紫電で問題になった視界の悪さも解決を見ました。紫電
改と呼ばれますが、決して簡単な改造ではなく、特に胴体部分については全く別物になっています。これを約1年という短い期間で開発した川西のスマッシュヒット、と言える名機です。
紫電の紹介では、本命の局地戦「
雷電」の開発難航を横目に採用された、と書きましたが、この紫電改に至っては同様に開発が難航していた零戦(艦上戦闘機)の後継機種「
烈風」を横目に、艦上戦闘機として運用出来るかの試験を行い、問題なくパスしたという話しも残っています。
大戦末期、多くの期待を背負って登場した紫電改ですが、その活躍の場はすでに本土上空となっていました。空母(完成間近の「
信濃」)での運用試験にパスしたといっても、その信濃はすぐ日本の沿岸で沈められてしまい、本土に来襲する米英艦載機の迎撃が唯一の実績となりました。特に有名なのが松山を本拠に、数少なくなった歴戦のパイロットと、最良の機材・・・すなわちこの紫電改をかき集めて編成された
343空の終戦間際の戦闘があります。昭和20年3月19日、広島の呉に来襲した米艦載機群に対して、戦闘機(
F6Fヘルキャット、
F4Uコルセア)を48機、爆撃機を4機撃墜したという記録です。海軍の航空隊の最後を飾る記録です。
大戦中も新型機種に更新を重ねた陸軍に比べ、海軍機は結局零戦の後継機種は間に合わなかったのですが、終戦間際に現れた紫電改は、それをかろうじて救った機種となしました。
これで日本海軍戦闘機シリーズはやっと(笑)完了です。(とはいえ、試作までいった「烈風」もキットは手に入れてありますので、そのうち・・・たぶんw)
※2010/1/28この記事は、同じ343空15番機の金属モデルを紹介された
覆面えるさんの「
日本陸海軍機大百科、紫電改 、 」にTBさせて頂きました。
Posted at 2007/03/20 11:41:38 | |
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