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2007年11月19日 イイね!

▽フィアット入手 G55シルランテ?

▽フィアット入手 G55シルランテ? もしかしてタイトルに釣られました?(すいません)
ついに強いんだか弱いんだか、格好いいんだか格好悪いんだか、なんとも摩訶不思議ワールドのイタリア機が登場です。フィアットのG55S「SILURANTE(シルランテ?)」という身元不明な機体がロールアウトしました。この機体については情報が皆無、ネットを彷徨してもこのプラモデルしか出てきません(笑)ということで、この機体の元となった(と思われる)G55「チェンタウロ」についてまずはご紹介します。(ギャラリーもどうぞ)

 イタリアといえばドイツと共に日本にとっては三国同盟の朋友・・・とはいえ、ヨーロッパ戦線ではむしろドイツの足を引っ張るばかり。散々の戦績にそこで使用された航空機についても評価が難しいのですが(笑)簡単にイタリア戦闘機の略歴を。

 ヨーロッパで大戦が始まる直前、イタリア空軍も複葉機(フィアットCR42)から金属製単葉機へと近代化が進められました。この機体の前身であるフィアットG50やライバルのマッキMC200といった単発単葉空冷エンジン付きの「新鋭機」を揃え、某独裁者をして世界最強の空軍と言わしめたイタリア空軍は、参戦と同時に主に北アフリカ戦線で英軍の(ホントの)新鋭機スピットファイア等に散々な目に遭わされます。

 その惨状を打破すべく講じられたのがエンジン出力のUP。マッキMC200には朋友ドイツから、Bf109E等に採用されていたダイムラーベンツの液冷DB601エンジン(1175馬力)を輸入しライセンス生産(ちなみにライセンス生産したメーカーはアルファロメオ)したものを搭載しました。これはMC202「ファルゴーレ」となりイタリア戦闘機の決定版となりました。

 一方のフィアットG50はさらに強力なDB605エンジン(1475馬力)・・Bf109Gに搭載されたエンジンを採用し、機体自体も液冷エンジンに合わせリファインした結果、最大速度は一挙に160km/hアップの630km/hに向上したそうです。これをG55「チェンタウロ(上半身人間で下半身が馬のケンタウルス)」と名付けました。(エンジン換装した機体としてはぴったりの名前ですね。)

 しかし、性能的には世界の水準に引き上げられたものの、1942年4月の初飛行以来生産は遅れに遅れ(主にフィアット社でのDB605エンジン生産の遅れによる)、イタリアが降伏する1943年9月までの一年半でたった31機しか完成しなかったとか。イタリア降伏後も抵抗を続けた北イタリアのファシスト政権下ではさらに生産が続けられ100~300機(諸説有り)が完成したという話しもあるそうです。

 さて、ここからが、今回のキット「SILURANTE(シルランテ?)」についてです・・・イタリア製のキットの組立説明図に英語で簡単に書かれた内容を要約すると

 ”この戦闘雷撃機は1943年に、有名ながらすでに古いSM79sに替わる機体として、空軍大臣からの「奇襲に適したより高速な雷撃機が必要だ」という要請から生まれた。G55「チェンタウロ」からの改造内容は、主翼下部センターにあるラジエターを2分割しホワイトヘッド魚雷(重量980kg)を胴体中心に懸架出来るようにし、下部のクリアランスを得るため尾部車輪は固定式にして支柱を長くした。
このG55Sは1944年末までテストが行われ、高速での攻撃、卓越した機動性、そして元の戦闘機と同じ強力な兵装(20mm×3 12.7mm×2)によって敵戦闘機を振り払う事が可能で、その作戦遂行能力の高さを立証した。その後1946年にはG55Sは練習機に改造された。”


だそーです。なんというか、結局この機体はイタリア降伏後に開発されたのか?降伏という重大事をよそに開発が続行されたのか?何とも良く分からないのですが、まあ戦闘雷撃機という希有な機体として、魚雷を抱えたルックスは結構格好良くイケてるので、それだけでOKなのかな、と。

イタリアの飛行機ですからそこら辺が一番重要だろうと・・・

イケてるか否か、それが問題なのだ と(笑)
 
Posted at 2007/11/19 19:07:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | ◇プラモ-イタリア | 趣味
2007年11月17日 イイね!

▽今週の一葉-深藍色 霜月その二

▽今週の一葉-深藍色 霜月その二 都市の景観は、特にそれがヒューマンスケールを越えてしまうと、優しさも暖かみもないものになりがちです。高層ビル群は遠くから眺める分には爽快ですが、その足元を歩くと、自分の矮小さを突きつけられるようで不快です。コンクリートとガラスと金属と申し訳程度に整理された緑の続く、何の慰めもないワンブロックを歩くことほど都市の不毛さを感じる事はありません。

RICHO GX100
1/8sec F/2.5 プログラムAE(スポット測光)
ISO100 EV-0.7 24mm


 
 個人的には都市開発についてはやや否定的な感情を持つのですが、最近の大規模な開発の場合は(ビルの高さや巨大さを誇示する部分は依然としてあったとしても)、ビルの足元にはヒューマンスケールの「街並み」を計画されることも多くなり、上記のような疎外感を感じることは少なくなりました。目線の位置には慰めになるショップのウインドウや、カフェのテラス席があり、楽しみながらビルの足元のワンブロックを歩くことが出来ます。

 物理的には同じように長いワンブロックだったとしても、ウインドウのディスプレイを見ながら、カフェのコーヒーの香りを嗅ぎながら歩くのは苦痛ではありません(いえ、むしろ楽しみさえ感じます)。目線を上げさえしなければ気持ちのよい街並みを歩いている感覚です。

 そして、そのような環境があってこそ、ふと見上げる摩天楼の高さと巨大さに、素直に驚嘆出来る、と思いました。今週の一葉は、そう思った六本木ヒルズの夜景です。

都市の明かりを幽かに映した深い藍色の空が美しかったです。

※リコーGRブログ「トラックバック企画『スナップ』に参加」です。
Posted at 2007/11/17 22:23:57 | コメント(7) | トラックバック(0) | ◎カメラやら写真やら | 日記
2007年11月14日 イイね!

▽どないしょう?独りメッサー祭

▽どないしょう?独りメッサー祭 時にマニアの悲しさ、常軌を逸して猛進…盲進してしまい、ふと我に帰って途方に暮れる事も……。

 事の始まりは、いつものプラモ屋が3割引セールだったある日。ふと見掛けたフィンランド空軍メッサー(メッサーシュミットBf109)、特別欲しい訳ではなかったけど、押さえておいても損はない、くらいの気持ちで購入。(この時点で暴君ソ連に対抗してがんばったフィンランド空軍のお話しを、このブログでご紹介したくてすっかりその気になっていましたw)

……しかし、家でよく見ると肝心なデカールが入っていない!フィンランドのマーキングが無ければ、ただの独メッサー(落胆)

 ここで素直に店に持ってけば良いのに、ここから迷走が始まり
「もう1つ同じキットを買ってフィン独メッサー共演もイイかも(はーと)」とオークションで箱無し格安のブツをポチッと(笑)

 ついでに(送料入れたら全然高いのに)「安いなぁ」と勘違いして、決定版の呼び声も高いファインモールド製もポチッ。

 あぅー送料モッタイネー、もう一つついでだ~と、エレールメッサーもポチッ。(K型ってなんだ?と思いつつ)


 で、翌日届いた以前に落札していたキットの中に「押さえ」のガーランドメッサーがあるのを発見

…マニアとは業深き生き物であるなぁ(合掌)
Posted at 2007/11/14 20:33:04 | コメント(5) | トラックバック(0) | ◇プラモデル全般 | パソコン/インターネット
2007年11月13日 イイね!

▽海老フリャぁうみゃあ

▽海老フリャぁうみゃあ名古屋、愛知付近の皆様に問う!
ご馳走と言ったら何?


いえ、名古屋に住んでいた祖父が「ご馳走食わしてやる」と言うと、いつも海老フライだったので、子供心にも
ご馳走@名古屋→海老フライ
という固定観念がありまして…で真偽のほどが気になりまして。

ご馳走と言ったら何ですか?

ちなみに関東関西行ったり来たりの私は、ご馳走と言えばビフテキです。
名古屋に限らず、他の地域方も是非、ご馳走教えてください~。
Posted at 2007/11/13 22:18:35 | コメント(3) | トラックバック(0) | ◎グルメとグルマン | グルメ/料理
2007年11月11日 イイね!

▽和製ロケッティア 三菱「秋水」

▽和製ロケッティア 三菱「秋水」 ご存じのように第二次大戦で日本は独伊と同盟を組み、枢軸国として参戦していました。その関係からいくつかの軍事技術が独よりもたらされ、特に航空機については独の実機も数機輸入された実績があります。そんな独技術の輸入によって日本の空を(ほんの数分ですが)飛んだロケット戦闘機、三菱試製局地戦闘機「秋水」がロールアウトしました。ギャラリーもどうぞ

 この機体の元になったのは独のメッサーシュミットMe163「コメート」です。敗戦の色が濃厚となった昭和19年、米軍の新鋭大型爆撃機(B-24)の開発と配備の情報を掴んだ日本軍が、それの対抗策として開発を急いだのがこの機体です。
 同盟国と言っても日独は、その間のほとんどが連合国側だった一万五千海里離れた遠い国同士。技術の供与と言っても当時は大西洋~南アフリカ~インド洋~東シナ海と危険な航海を密かに潜水艦で行き来するしか方法がなく、Me163の技術資料を積んだ2隻の潜水艦(うち一隻は大西洋で撃沈されました)によって運ばれました。シンガポールにようやく到着した潜水艦から、資料の一部を携えた技術将校が空路(一足先に)日本に到着し開発が始まりました。(潜水艦の方は台湾付近で撃沈され、残りの資料、資材は失われました。)

 技術資料と言っても概略を示した設計説明書、ロケット推進薬の化学組成表等しかなく、設計陣はそれを撮影拡大した輪郭のぼやけたものを元に、多くの部分を推測しながら設計を進めたとのことです。しかし、そんな条件でありながらも、たった2ヶ月で設計完了、一年以内で試験飛行にこぎ着けるという驚異的な早さで開発は進みました。
 とはいえ、機体については今までの経験、技術の上で比較的順調に経緯したのに対し、ロケットエンジンについては未知の分野。薬液の生産、エンジンの耐久性、あらゆる点で開発は難航しました。結局本来の耐久試験を待たず2分間の全力運転さえ出来れば、それで初飛行するとの方針が20年4月に決定されました。
 ちなみに、元になったMe163との性能比較としては、ロケット推力は約12%低く、重量は10%軽い、と言うことで最高時速は7%低い約900km/hという推定がされていたそうです。

 実際の初飛行は昭和20年7月7日、準備に手間取り初飛行は夕方16時55分に滑走開始。狭い飛行場(海軍追浜飛行場)のため、燃料を1/3だけ積んだ「秋水」は離陸、目を見張る上昇速度で急上昇をはじめましたが、高度350mほどでエンジンが停止、急遽旋回し不時着態勢に入ったのですが、建物屋根に接触し大破。パイロットは重傷を負い数時間後に亡くなりました。

 エンジン停止の原因は、薬液を1/3しか積まなかったため、タンク前方側にあった薬液取り出し口からの燃料が途絶えたためだったとか。技術的な問題と言うより、運用的な問題として捉え軍担当者は三菱側の設計を弁護したそうです。
 わずか数分の飛行でしたが、1年という短期間で新しい技術を形にした日本のロケッティア「秋水」はやはり記憶に留めたい機体だと思います。
Posted at 2007/11/11 18:31:12 | コメント(2) | トラックバック(0) | ◇プラモ-日本 | 趣味

プロフィール

「◎堂平山初登頂と荒サイグループライド http://cvw.jp/b/122372/46997535/
何シテル?   06/02 08:25
アウトドアマンを自負するが、 この数年キャンプをしていないし、 この数年リフトに乗っていない。 釣り師を自負するが この数年ラインを交換していないし、 ...

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