皆さんみんカラ的活動の振り返りをされてる中、私は全く別の話をしようかと思います。
愉快な話ではありませんので興味のない方はスルーしてください。
おまけに長文です(^^;)
去年の大晦日のブログで母親が認知症になり、大変な1年だったことをお話ししました。
その後どうなったのか、同じような境遇となってしまった人の参考になればと思いお話ししたいと思います。
母親が入院してからはとりあえず平穏な日々が戻ってきていました。
しかし母親が入院する前の問題がまだ残っていたのです。
入院する前、毎日とんでもない量の買い物をしてきてお金がないので貸してくれと父親が自分に言ってきていました。
仕方なく何度か自分が出していましたが、ちょっと嫌な予感がしていたのです。
他のところから借りたりしていないかと。
その予感は的中しました。
母親の入院が決まったところで関西に住んでいる兄に母親が認知症になってしまった事、これまであった事をようやく報告しました。
年が明けたところで兄夫婦が母親の見舞いと本家の叔父、叔母へ挨拶のため帰省しました。
そこで兄夫婦と本家に行ったのですが、もしかして父親がお金を借りていなかったか聞いてみたところ案の定でした。
しかも結構な額でした。
兄が全額返済してくれると申し出てくれたのですが、すべて自分一人で責任を取らなければならないとしたらぞっとするところでした。
しかしお金の問題はまだ終わりませんでした。
病院の看護師さんから父親が母親宛ての郵便物を持ってきていたので中身を確認させてもらいましたと連絡がありました。
クレジットカードの請求書のようですとの事だったので受け取りに行きました。
それは支払いを滞納していることに対する督促状でした。
父親だけでなく母親もクレジットカードを使って買い物をしていたのでした。
クレジットカード会社に連絡をし、事情を説明しました。
その際利用明細を送ってほしいと依頼しました。
もしかしたら騙されて買い物をしていないか念のため確認したかったからです。
しかし利用明細は本人以外はたとえ家族であっても見せることはできないとの事でした。
本人は認知症でそういった事はもうわからないと言ったものの、返答は変わりませんでした。
介護保険証のコピーを送ってほしいとの事だったので送ったうえで明細を再度依頼しました。
そこで出てきたのが本人に支払い能力がないので返済は結構ですとの事でした。
そのかわり明細は出せないがいいかとの事でしたが、それなら全然構わないとしてこの話は終わりました。
クレジットカード会社には申し訳なかったのですが、これは正直助かりました。
そんなことがありながら母親の入院は続いていたのですが、母親の認知症は入院してから加速度的に進んでいきました。
入院して何もすることもなく、毎日ぼーっとしているだけなのでそれはそうかもしれません。
始めは記憶の混乱が見られながらもよく話していたのですが、だんだん話さなくなっていきました。
ただ自分が行くと「ご飯は食べたのかな?」、「何か食べてく?」と食事の心配ばかりしてました。
後で兄に聞いたのですが、母親は子供の頃ひもじい思いをしていたらしく、子供にはそんな思いをさせたくないとご飯をいっぱい作っていたという事でした。
確かにご飯の量が他所と比べて多いなと思っていましたが、入院前とにかくいっぱい食料を買ってきていたのは自分に何か食べさせようという思いからだったのかもしれません。
そう考えるとそういった感情だけはずっと残っていたのかなと思います。
しかし入院して半年近く経過すると、とうとう自分が見舞いに行っても息子だとわからなくなってしまいました。
そしてその頃には自分の足で歩くことができなくなっており、車いすを使用するようになっていました。
入院してからちょうど半年経った5月、突然病院から連絡がありました。
退院後入所する施設が決まったので準備をしてくださいというものでした。
実は入院して3ヶ月が経過した頃、病院から退院の見通しが立ってきたが退院後どうするかの意思確認がありました。
自宅に戻るか施設に入るかですが、症状も進んでとても自宅で面倒は見られそうもなかったため施設の方向で話をしました。
病院の方で入居可能な老人保健施設(老健)を探してくれる事になりました。
ただ老健は基本的に最長3ヶ月しかいられません。
老健はリハビリによって在宅復帰を目指すことが目的のためです。
それに対して特別養護老人ホーム(特養)は入れば基本終身までいることができます。
ただし特養は要介護度3以上でないと申し込みできません。
要介護区分は1~5まであり、5が最も重い状態です。
この時母親の要介護度は2で特養へ申し込むことはできませんでした。
ただしこの判定は入院前に行われたもので、入院して症状が進んだため、再度市役所にて判定の手続きを行いました。
入院中に再判定が行われ、要介護度は3となり特養への申し込みが可能となりました。
大変なのは老健に移ってからでした。
自宅で介護できない人の多くは特養に申し込みつつ、老健を3ヶ月ごとに移って特養に空きができるのを待つのだそうです。
特養は嫌な言い方ですが誰かが亡くなるまで空きがでません。
空きができるのを待っている人が施設によって数十人から数百人いるため、老健を移って何年も待つのだそうです。
そして老健もそんなに簡単には入れるわけではないため、入ったらすぐに次のところを探さなくてはなりません。
実際自分も入所した日のうちに他の老健を何件か回って申し込み手続きを行いました。
そして特養の申し込みも同時進行で進めました。
多くの特養は広域連合が入所の順位を管理しており、市役所で申し込むと広域連合が管理している施設すべてに申し込むことができます。
これについてはすぐに手続きを行いました。
ただいくつかの特養は直接申し込みを行わなくてはならないところがあります。
少しでも可能性を上げるため、それらの特養にも申し込みを行いました。
老健、特養併せて10施設以上は申し込みをしました。
その間仕事を途中で何度も抜けさせてもらうなどしましたが、理解ある職場で本当に良かったと思います。
そして老健に移って1ヶ月経過しましたが、まだ次の施設が決まっていませんでした。
老健はこの時点で決まっていないとかなり厳しいという事でした。
入所している老健にこの事を相談したところ要介護度の話になり、現在3との事ですが実際には5に近い4だと思いますとの事でした。
特養に申し込みをしていた時に施設によっては要介護度が高ければ順位が上がると言われていたので、再び再判定の手続きを行いました。
そしてそれと同時進行で専属のケアマネージャーに連絡を取り、もし在宅となった時の介護についても相談をしました。
入所している老健では1ヶ月あいだを開ければ再び入所できるとの事なので、1ヶ月を他の施設でショートステイする方向となりました。
そして入所している老健の期限が残り1ヶ月ほどとなった頃、要介護度の判定結果が届きました。
結果は5となっていました。
すぐに直接申し込みした特養を全て回り、要介護度が変わった旨を報告しました。
すると2つの施設から近く入所できるかもしれませんと返事がありました。
そして老健の入所期限となる2週間ほど前に空きができたとの連絡があり、無事特養に入る事ができました。
普通だったら特養に入るには何年もかかるのに、自分は本当に運が良かったと思います。
しかもその特養は自宅から一番近いところだったため、それも幸運でした。
ただすべてがうまくいったわけではなく、当初母親の年金だけで費用をまかなえると思っていたら父親の年金収入が思ったより多く、介護負担限度額認定が受けられませんでした。
通常特養へ入所した場合、本人の住所を特養に移します。
これはそうすることにより世帯収入を本人だけとして介護負担限度額認定を受けて利用者負担額を下げられるためです。
しかし負担限度額認定にはたとえ別居であっても配偶者の収入は対象となり、市民税を払っていると認定は受けられません。
母親を扶養に入れても足りないらしく、これはどうにもなりませんでした。
そのため月4万円ほどの負担が必要となりました。
これについては仕方のないものとして割り切ることにしましたが。
実はこの大変だった時期に昇進があり仕事が増えたかと思えば部下が辞めることとなり、仕事面でも非常に大変でした。
おまけに208のボンネットに字を書かれるいたずらをされるなど精神的ダメージもありました。
それでも何とか無事年末を迎えることができました。
2019年はいい事があるといいな…
あっ、年末ジャンボ買い忘れた(笑)
皆さん2018年はお世話になりました。
2019年もよろしくお願いします(^^)