
ギャランΣは、2年半の後、角目4灯へマイナーチェンジされました(遠い目)。
一方、ギャランΛは、バンパーに樹脂素材を加えた程度で、本当に小変更に留まりましたね。
当時の常識 ・・・
クルマは2年目のマイナーチェンジを経て、4年でフルチェンジされるっていうの。
生真面目な巨大国産メーカーは、そのルーティンを守ってましたね(遠い目) ・・・ 徳大寺御大がかの名著でよく批判してました。
まぁ、4年サイクルで新車に替えるというので、メーカーもディーラーも潤っていたのでしょうね。
好評だったギャランΣも、1980(昭和55)年5月にキチンと変えられます ・・・ この時は、Λも同時デビューでした(なので、Λは3年半ということか)。
で、ある程度、徳大寺御大の考え方には共感してました。
特に、70年代後半の「これ、意味あるのかなぁ」っていうマイナーチェンジ(たいていライトを角に変えるっていう)が多かったから。
Σなんて、無理に角目4灯にする必要なかったよね(私感です)。
それは、2代目カリーナでもそう思いました、あ、ジャパンもか。
2代目のセリカぐらいかなぁ、マイナーが良かったのは(私感です)。
その点、Λは良かった ・・・ オリジナルが完成されていたってことだよね。
画像は、ツートンだから、2600スーパーツーリングですね。
三菱って変な時に3ナンバーやるんですよね、スタリオンにもありましたよね。
私感ですが ・・・ Λはやっぱり「スーパーツーリング」でないとね。
Cピラーのロールバーガーニッシュで完成されますね、スタイル。
画像、このハードトップクーペの格好いいこと(惚れ惚れ~)。
Λは後席もゆったりしてるんですよね~。
どっかのJラインクーペとは ・・・ おっと、やめておこう。
2600ccって、1979(昭和54)年5月かな、作って1年。
何台売れたんだろうね。
マークⅡやローレルに3ナンバーモデルがあったから「出しとこか」って感じでしたね。
何たって3ナンバー、この時代は手が出ないよね、自動車税めっちゃ高いし。
記憶に鮮明に残ってるのは、巨大な天秤バカリに直4と直6が載ってって、これが結論ですみたいなのやってましたよね。
デボネアの直6をやめたのもこの時期だったと思います。
で、Λ ・・・ 2代目はきっぱり変えないとダメだよね。
この手のクルマ、デザインで飽きるまで乗るというタイプですが、「キープコンセプト」は考えモンですよね。
あの2代目はないよなぁ~って正直思いましたもの(遠い目) ・・・ 同僚が1800GTに乗ってたけど・・・だったなぁ(装備は充実してたけど)。
三菱とホンダは、2代で一つって感じでしたよね ・・・
ギャランΣ&Λ、ミラージュ、ディアマンテなどなど。
シビック初代&2代目、アコードも、プレリュード2代目&3代目ってね。
あー、でも、ホンダは違うか ・・・ シティなんか凄かったな(笑)。
Λは、画像のまま、4独サス入れるとか、ターボモデルにするとかした方が良かった気がします ・・・ もちろん、私感です。
Posted at 2025/02/20 00:00:08 | |
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