
画業始めて15年になりました。
スカイラインにターボが載った記念のイラストを描いたのが、2010(平成22)年でしたね。
まだ、イラスト学校の学生でしたが、クローズドのコンテストで画像のを描きましたね(遠い目、だから、「SKYLINE TURBO 30」)。
だから、今年は45年ということです。
ちなみに、R32GT-RにNISMO限定販売されて35年ですね。
このコンテストの副賞が、イラストをマグカップに焼き付けてくれるのがあって、でき上がったカップは、伊藤修令さんに岡谷スカミュウで手渡しました ・・・ 懐かしい思い出です。
伊藤主管、ぱっと見は物静かな紳士にみえるのですが ・・・ 「熱い」方でしたね。
「このままではスカイラインは死んでしまう」 ・・・
その思いで、櫻井さんのR31の後を引き継いだ後、1代限りのシバリでR32型スカイラインを担当しました・
で、当ブログでよく引き合いに出す言葉ですが ・・・
「ライバルの後塵を拝するスカイラインを見たくなかった」思い一つで、BNR32を登場させます。
こういう気持ちで、サニーとかブルーバードを作ってみてはどうですかって、現在、そう思います。
この時でさえ ・・・
「輸出もしないクルマをニュルに持って行ってどうするんだ」ようなことを言った輩もいたそうです。
あ、若い方ね、BNR32は、ドイツ・ニュルブルックリンクで最終チェックを行ったんです ・・・ テストに来ていたポルシェチームがびっくらこいたってハナシですよね。
本題に戻りましょう。
スカイラインはプリンスの車でした、当初、「外様」扱いでしたよね。
スカイラインだけは好きだったトヨタ党からすると ・・・
この伊藤さん、シャシー屋で、箱スカの後輪独立懸架を担当されたのですが、
当時の社長の鶴の一声で、櫻井さんが持ち帰ってきた510ブルの設計図に後輪独立サスの線を入れよと命ぜられた時に「ムっ」とされたとか。
日産初の横置きFF・チェリーも元々はプリンスの企画。
「愛のスカイライン」とか「ケンとメリー・・・」でスカイラインが人気車になると、「ブルG」なるものを610・810で出す。
で、本家開発の2プラグのZエンジン、ターボを1800ccに付けちゃったので、浮いちまったZ20EをジャパンTIに最後まで押しつけたよね。
また、本家のクルマには次々とV6を載せた際に、最後の最後までL20をスカイラインに売らせたよね。
FJだって、好きあらばブルに積もうとしたよね。
ツーリングカーレースだって、長谷見さんにどんだけ苦労させたか。
で、RBのツインカム系はR31の時は、あの ・・・ おっとやめとこう。
伊藤さんがどれだけエンジンに手を入れたか ・・・ その時「伊藤さんはシャシー屋でしょ(エンジンに文句付けるなって意味)」と言い出す始末。
「このままでは日産は中産になってしまう」のかな?
まぁ、仏産になった時に、お陀仏サン(おっと、やめとこう)。
横浜周辺には、自民ムラのお歴々がいる ・・・ おっと、これもやめとこ。
あー、ついつい「毒」を吐いてしまった(反省、反省)。
Posted at 2025/02/11 00:01:25 | |
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