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Thomas_のブログ一覧

2016年07月04日 イイね!

初孫誕生(^O^)

初孫誕生(^O^)ナースステーション前には七夕飾りが飾られていました。


いつも、私のつまらないブログにお付き合い頂き、感謝を申し上げます。

本日は、私事ではありますが、初孫が誕生しました。
まさか、この歳で「おじいちゃん」になるとは思いも寄らないことでありましたが、兎も角、感無量であります(T-T)

昼過ぎに、陣痛が始まったので病院に行くという連絡がありました。

初産だし、日をまたぐかなと思いましたが、16時過ぎには分娩室に入ったと再び連絡が・・・

まもなく、東京は雷を伴う激しい夕立でしたねぇ。雨がデイズの薄い鉄板を叩きつけ、ラジオがよく聞こえませんw

さて、どのタイミングで面会に行くかと考えていた矢先、雷様が出産を後押ししたのでしょうか、19時前には「無事出産」の連絡がありました。

実は、出産予定日は二番目の長女(腹違いなんです)の誕生日と同じ7月9日でありました。
同じ誕生日だったらおもしろいなと淡い期待を抱いていましたが、大抵の場合早くなるものですね。

孫との初対面。
初孫
ちなみに女の子です♪

私の母も存命ですから、ひ孫になります。
四世代が揃った瞬間でありました。

「目に入れても痛くない」とはこのことかw

娘のダンナによると、娘は早くも「次は男の子を生むぞ」と息巻いているそうです。
「親の背を見て子は育つ」と「親は無くとも子は育つ」のどちらでもないかと思うが、逞しい娘ですw

取り急ぎ・・・急いでもいないなw・・・ご報告まで。


No.273
Posted at 2016/07/04 23:03:08 | コメント(8) | トラックバック(0) | 家族 | 暮らし/家族
2016年07月03日 イイね!

日米はなぜ開戦に至ったのか

日米はなぜ開戦に至ったのか明治33(1900)年6月山東省で「義和団の乱」が起こった。

日本など「八カ国同盟」が現地に住む自国民保護を目的に軍隊を出して乱を鎮めたが、各国は兵を引き揚げさせたのに対しロシアは兵を満州に送り込んできた。

※タイトル画像は「正統史観年表」より


これまでも、ブログ上で何度も言っているが、大東亜戦争はサヨクの常套句である「侵略戦争」などでは全くなく、白人至上主義を打破し、有色人種の未来を担う、正に「聖戦」であった。
更に、アメリカに石油の禁輸等の経済制裁を受けての「自衛戦争」だった。現代の日本人と同じで、常に受け身であった。

一体、何があったのか・・・

【歴史事件簿】
産経ニュースパールハーバーの誤算(1) 日米はなぜ開戦に至ったのか…米も欲した満鉄利権、確執は満州での“すれ違い”から始まった

南北戦争後、欧州にならい支配力を広げたいアメリカはハワイ、フィリピンに続いて狙ったのが満州であり、日本も本土をロシアから守る防衛線として満州が必要だった。

そしてロシアの進出を抑えるため、明治37年に起きた日露戦争で日本を資金援助したアメリカが、日露両国の講和締結に積極介入したのも、満州の利権が欲しかったからにほかならなかった。

そこで講和締結後、アメリカの鉄道王、エドワード・ヘンリー・ハリマンは日本がロシアから得た権益のうち、桂太郎新京(長春)から大連間を走る鉄道(南満州鉄道)の共同経営を1億円の財政援助とともに持ちかける。

明治36年の国家予算が約2億6千万円という時代の1億円である。首相の桂太郎(※写真左)はハリマンの提案を歓迎して受け入れる。

小村壽太郎ところが、ハリマンとすれ違いに帰国した外相・小村寿太郎(※写真右)は反対する。多くの国民の犠牲を払って得た権益をアメリカと分けると他国に足もとを見られるというのが理由だが、最終的には奪い取られるといった疑いを持っていたとみられる。

結局、桂は小村に従うのだが、突然の破棄にハリマンの怒りは収まりがつかなかった。以後、日本とアメリカは対極の立場をとるようになる。

■対立深める日米

こと満州のことになるとアメリカの態度は執拗(しつよう)だった。明治42年、日露両国が握る満州内を走る鉄道の権益を中立化させて自分たちを含む共同管理を提案したほか、清国と満鉄に並走する鉄道建設なども計画するが、失敗に終わる。
満州鉄道
それでも諦めないアメリカは大正11年、ワシントンに主要9カ国を集めた軍縮会議を開催すると、日英同盟破棄や清国崩壊後に成立した中華民国への進出の抑制など日本の弱体化を狙った合意を引き出す。

さらに満州を治める張作霖(ちょうさくりん)政権と満鉄に対抗する鉄道建設と同時に、満鉄とつらなる大連港に対抗し、大連と渤海(ぼっかい)湾を隔てた対岸に位置した葫芦島(フールータオ)に貿易港の建設も計画。中国の抵抗もアメリカの支援のもとで強まっていった。

そんな中、昭和6年に奉天郊外で起きた満鉄爆破事件に端を発した中国との武力衝突(満州事変に続いて、6年後には北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)で中国・国民党軍との紛争が発生するなど戦線は拡大する一方だった。

そんな強気の姿勢を崩さない日本に業を煮やしたアメリカは、「中国でのアメリカの権益が日本軍に侵害された」として14年に日米通商航海条約破棄を通告する。

つまり、資源に乏しい日本にガソリンや鉄など戦争継続に必要な物資の輸出を禁じたことで日本の弱体化を図ろうとしたのだ。

はじめは動揺を隠せなかった日本だったが、東南アジアの資源地帯に目をつける。当時、協調関係にあったドイツがフランスに勝ち、フランス領インドシナ(仏印=現在のベトナム・ラオス・カンボジア)がパックリ口を開けて待っていたからだ。

だがアメリカにとっても仏印は、中国側に物資を送る輸送ルート上にあったたため、日本軍の仏印進駐を強硬に反対する。

■ニイタカヤマノボレ

昭和15年、日本軍はそんなアメリカのいらだちを知りながら北部仏印に進駐すると、ドイツ、イタリアと軍事同盟(日独伊三国同盟)を締結。16年には南部仏印に進出したことでアメリカとの対決姿勢はさらに鮮明となった。

Yamamoto-Isoroku.jpg そんな状況下、連合艦隊司令長官の山本五十六大将(※写真左)は、アメリカと戦うならばまずハワイのアメリカ太平洋艦隊を潰し、その後の戦いを優位に進めるしかないとして航空機による攻撃を計画する。

航空母艦(空母)6隻と航空機400機という世界でも類例のなかった機動部隊を編成すると、対米交渉中にもかかわらず、宣戦布告直後の奇襲攻撃を狙って11月22日、ハワイに進路をとった。
Chuichi Nagumo.jpg

それから10日後にあたる12月2日、荒れ狂う太平洋上を進む空母「赤城」の艦橋内で、機動部隊の指揮をとる南雲忠一中将(※写真右)は依然として定まらない対米交渉の行方を気にしながら、雨と波がたたきつける窓の外をみつめていた。

結果次第では引き返すことも考えられたが、午後5時半、ドアが開き、やや興奮の様子で入ってきた通信参謀が「長官、電文であります」と山口の連合艦隊から送られた電文を差し出してきた。

「本文、ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」

12月8日に開戦すべしとする内容だった。

ニイタカヤマ(新高山)は、日本が当時、統治していた台湾の山(現在名は玉山)。標高が3、952メートルと富士山より高い、日本の最高峰だった。

玉山 (台湾)

このとき、日米開戦がなかったら、今はどういう世界になっていたのだろう。
戦争をしない方向の選択肢も勿論あったとは思う。

しかし、
白人至上主義を終焉させ西洋の植民地を解放させたのは、間違いなく、大東亜戦争の功績であります。
有色人種であるアジアの小国が世界を救ったというのは言い過ぎかもしれない。

しかし、歴史上の変化は常に「戦争」が背景にあっただろう。
現代では通用しない手法だが、帝国主義全盛の時代背景を鑑みれば、少なくとも「過ち」ではなかったと私は思う。


▼この話には続きがあります。
産経ニュースパールハーバーの誤算(2) 職を賭した山本五十六の「奇襲」決断…開戦は宣戦布告30分後 綱渡りの全軍突撃命令


No.272
Posted at 2016/07/03 15:30:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史に誇りを | ビジネス/学習
2016年07月02日 イイね!

特攻隊の真実~世界最強だった日本軍航空部隊(5)

特攻隊の真実~世界最強だった日本軍航空部隊(5)「特攻隊は犬死だった」

本当に日本人なの?
と思ってしまうが、左翼メディアの報道を受けてか、こんな考えの人がいるようだ。
自虐教育や反日知識人の影響で、真実が封印されていることが原因だろう。

しかし、そうであったとしても、
「イスラム過激派の自爆テロと特攻隊が同じ」
というふざけた主張は、許されるものではない。

自爆テロは非戦闘員の一般市民を狙った殺戮で、狂気の沙汰でしかない。
一方、神風特別攻撃隊は戦時中の敵艦を狙った戦闘行為である。
 ※タイトル画像は「靖国神社に参拝しよう 」の「英霊の声」より転載させていただきました。

夕刊フジ
【世界最強だった日本軍航空部隊】
夕刊フジ特攻隊の知られざる戦果 後に畏敬の念が、世界平和を守る日米同盟に

世界最強だった日本軍航空部隊

特攻の是非については、私如きにはわからない。
しかし、戦争末期の鬼畜米英との戦力の違いから、やむを得ない選択肢であったのだろう。
そして、記事にあるように、特攻は通常の攻撃の何十倍もの戦果を挙げたことは歴然たる事実であり、自らの命をかけて、敵の侵攻を防いでくれた英霊に感謝の念を禁じえない。

尚、敵国であった米英のほうが正しく史実を伝えられている関係で、特攻隊は大変尊敬されているという。

歴史は正しく、歴史に誇りを持ちたいものだ。

おわり


No.271
Posted at 2016/07/02 23:40:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史に誇りを | その他
2016年07月01日 イイね!

勇戦敢闘し続けた撃墜王~世界最強だった日本軍航空部隊(4)

勇戦敢闘し続けた撃墜王~世界最強だった日本軍航空部隊(4)紫電改。
先の大戦末期、日本海軍が最後に実用化した新鋭戦闘機である。

この紫電改を主力とし、日本の敗戦が決定的となった中で本土防空に奮戦した第三四三海軍航空隊は
「日本にまだこれほどの精強部隊がいたのか」
と、戦後70年たった今も最強伝説として語り継がれている。

産経ニュース「よっしゃ、これでグラマンに勝てる」零戦・紫電改パイロットが語る…心に焼き付く記憶

紫電改は零戦なんて問題にならないくらいすごい。零戦は800馬力だが、紫電改はグラマンと同じ2千馬力。零戦は軽いから小技が効くが、スピードや上昇は紫電改は良かった。「よっしゃ!これでグラマンに勝てる」と、自信を持った。

MRJの成功を機会にどんどん国産航空機を製造し、ボーイングやエアバスのシェアを脅かす存在になって欲しい。

夕刊フジ
【世界最強だった日本軍航空部隊】
夕刊フジ勇戦敢闘し続けた撃墜王“剣部隊” 歴戦の勇士が作り上げた航空自衛隊


産経ニュース「特攻の歴史」体現する鶉野飛行場 米英が恐れた最新鋭戦闘機「紫電改」も…戦後70年経て再評価

「鶉野(うずらの)飛行場」(兵庫県加西市)は昭和18年、戦闘機などの搭乗員を養成する訓練基地として整備されたが、昭和20年2月戦況の悪化によりそれまでの通常訓練から特攻訓練に切り替わり、昼夜を問わず過酷な訓練の日々が始まった。

大戦末期、日本の敗戦がほぼ濃厚となる中、本土防空に獅子奮迅の働きをみせ、米英を恐れさせた戦闘機があった。日本海軍の主力艦上戦闘機として、大戦初期の太平洋の空を支配した零式(れいしき)艦上戦闘機(零戦=ぜろせん)に代わる日本海軍最後の戦闘機「紫電改」だ。

 紫電改は、日本海軍が本土決戦の切り札として投入した最新鋭戦闘機で、開発は川西航空機(現・新明和工業=兵庫県宝塚市)が担った。零戦の約2倍の馬力でスピードや上昇に優れ、零戦を上回る旋回能力を持っていた。「紫電改があと2年早く完成していれば、戦局は違ったものになった」ともいわれたという。

川西航空機は当初、兵庫県西宮市の鳴尾工場で、紫電改の前身となる「紫電」の製造を行っていた。

だが、日本海軍からの増産命令に生産が追いつかなくなっていた。慢性的な物資不足に加え、鳴尾工場では完成した飛行機をテスト飛行させるための場所がなかったからだ。そこで鶉野飛行場を利用することになり、飛行場と隣接する「川西航空機姫路製作所鶉野組立工場」がつくられた。

「1日も早く、1機でも多く作って、第一線へ送ることが急務」

戦局が深刻になり、米軍の戦略爆撃機「B29」による爆撃で、全国の工場が壊滅的な被害を受けていた中での作業だった。飛行機に不具合があれば徹夜で検査にあたり、空襲警報が出れば防空壕へ避難するという繰り返しの毎日だった。

「この戦闘機があれば祖国の危機を必ず救えるはずだ」

そんな希望を胸に川西航空機の作業員たちは紫電改の生産に心血を注いだ。紫電改の生産は終戦まで続けられ、最終的に、紫電466機、紫電改44機もの機体がつくられた。これらは全国に配備され、多くの若者が搭乗、沖縄戦に飛び立っていくことになった。
(後略)



つづく


No.270
Posted at 2016/07/02 01:59:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史に誇りを | その他

プロフィール

「本人も某大手のエリート社員だけど、相続でより裕福になったらハイラックスサーフがベンツに。金持ちはみんなベンツに乗るんだなぁ・・・」
何シテル?   04/17 19:02
Thomas_です。(使用済みのようでお尻に_をつけました) 一般的には下品と思しきメッキ武装が一番格好イイという固定観念のオサーンですw 大和民族...
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