
先週の事ですが、お盆休みをろくにとれなかったため、少し間を開けてからの夏休みを使い、信州長野へ旅行に行ってきました。
旅行前の段階では台風10号が直撃予報( ;∀;)

同行する予定だった友人と、幾度も行く行かないの相談をしました。既に予約をしていた宿はキャンセル料が発生する時期に入っていたのです。その結果、天気は行ってみないとわからないし、休みも中々とれないので自分達だけでも行く事にしました。
ご存知の通り、台風はかつてないほどの迷走を続け、今回の旅行には殆ど影響を及ぼしませんでした(^^)
8/27の朝5:30出発。
天気は雨が降るか降らないかのぎりぎりの状態です。予報では北に逃げれば雨を回避できそうでしたので、関越道をひたすら北上。途中のSA・PAで休憩をとらずに渋川伊香保ICまでノンストップ行軍。
上信道を利用し、道の駅あがつま峡でトイレ休憩。しかしここで雨が降ってきました。予報と違う!と思いつつも、山の天気は変わりやすいですからね、まぁしょうがないっす。

お店はまだ閉まってました。
そこから八ッ場ダム沿いに走り、草津温泉へ到着。

観光目的で車を停めるとなると、24時間営業のここの湯畑駐車場が一択です。
休日や観光日和は結構混雑するらしいのですが、この日は何といっても平日で台風予報が出ていたのでガラガラでした!

トイレととある目的のため、駐車場の向かいにある草津町役場へ。時間は8:30丁度(笑)
昨年も草津温泉に来ましたが、昼間の湯畑を見るのは初めて。

うーん、こんなガラガラなんですかね(笑)
湯畑はライトアップがある夜景のほうが、幻想的でいいなと思いました。

そして湯畑のすぐそばにて発見(^^)

マンホールカードと実物を撮影できました。
温泉街をぶらついてみると、いい雰囲気の通りがあったり。
時は昭和ですな!
今回家族の要望で草津温泉に来た理由が、コチラ(;^ω^)

りらっくまの湯?は、日本の有名温泉に何か所かあるそうで、そのうちの一つが草津温泉にありました。ここでしか入手できないグッズがあるとか・・・。
今見返すと写真にはおっさんしか写ってませんが(;^ω^)
でも小学生の女の子達もたくさん訪れていたのでご安心を(笑)
おっさんながらも、この湯もみ板?を持ったくまたちは素直にかわいいと思いました(;^ω^)
温泉饅頭などを買い、草津温泉をあとにします。そこから国道292号線の浅間・白根・志賀さわやか街道を北上。スタート直ぐに一台だけ追い越すと、やった、先行車がいない!てことでマイペースでドライブ。

硫黄臭が立ち込める火山帯を抜けて、渋峠のちょっと手前で左折。万座温泉方面の県道466号線を単独走行。もう周りには車はいません(笑)
そして万座峠で一旦休憩。周りの景色を見晴らしました。

周りは何もない、誰もいない、ただ風の音が聞こえるだけでした。
そして走り続けていくと、群馬県と長野県の県境を通過。

この峠付近では、雑草撤去している作業の方々がいました。こういった方の努力のおかげで、こんなド田舎の道の安全が保たれているんですよね。本当に感謝です。

長野県に入ると下り坂。コーナーがいくつも連続しており、麓に降りるまでに100か所くらいコーナーの標識がありましたね。
そして急に気温が暑くなって来ると同時に長野盆地に入り。

スマホのレンズも温度差で曇っていたようですね(;^ω^)
そのまま坂道を下り、道なりにあった福島正則屋敷跡に立ち寄り。
福島正則は羽柴秀吉の子飼いの武将。賤ヶ岳七本槍の一人で、加藤清正と並び秀吉配下の重臣でしたが、石田三成と馬が合わずに反目、その結果関ヶ原の戦いでは家康の東軍に参加し、東軍勝利の最大功労者と言われます。その後の大坂の陣では豊臣方へのいくばくかの配慮がみられることから、本音では豊臣方に着きたかったのだろうと推察されています。
安芸・備後50万石の大名だったものの、広島城の無断普請を理由に、この地に転封されたという事ですが、大大名だったのに4万5千石まで削られて。内心は腐っていたかもしれませんが、最後はこの地で迎えたそうです。
屋敷跡には立派なお寺が建てられています。
長野盆地に降り立ち、こちらを収集。

なかなか行ける場所ではないですから、後悔したくないのでなるべく回れるところは回って行くようにしました!
そして長野県の超有名スポット、善光寺へお参り。
写真が白とびしていますが(;^ω^)

お線香を焚いて煙を頭にかぶったので、すこしは頭もよくなったかもしれません(笑)
本堂内は撮影禁止で写真はないです。高さと奥行きがあり、天井の装飾も華やかで、荘厳さを感じましたよ。
百観音霊場巡り、ドライブネタが切れたらこれも楽しそう。最初にゴール地点ですが(笑)
善光寺の境内を出て、直ぐ東にあった横山城跡へ散歩。
南北朝時代の城跡ですが、後年、川中島の戦いにおいて、上杉謙信がここを拠点にしていたことがあるそうです。
本曲輪跡付近から下を見ると、かなりの高低差がありました。
善光寺の参道を車で下り長野駅へ。
駅構内の観光案内所でマン収。
駅前交差点の歩道にある実物と。
近くには以前の長野オリンピックを記念したマンホールもありました。
昼飯を食うのを忘れていましたが、ここでお蕎麦をいただきました。

さっぱりした薬味で、この季節にはぴったりの逸品でした。
長野駅から南へ、この地の戦といえば外せない川中島古戦場跡へ。
そして・・・
オンベイシラマンダヤソワカ!

戦国無双で謙信を使った時のあのセリフが頭に浮かびました(笑)
川中島の象徴的なシーンといわれる二人の激突を、銅像にしているのですが、すごく迫力がありますね。
合戦図

左下に、合戦には諸説あり、真相はわかっていません、との注意書きが(笑)
次はこの案内図にある場所に移動します。
川中島の戦い当時の海津城、現在の名称は松代城となっています。
お城の前に、周辺施設の散策から。
大事な日本100名城のスタンプ押印はマストです。
真田邸。立派な冠木門です。
傍には真田信之像。

真田昌幸の長男、信之。大坂の陣で真田丸を築き、徳川に恐れられた弟の信繁と比較するとどうしても地味になってしまいますが、徳川方に信之がいたお陰で、真田氏は幕末まで続けられたんですから、子孫としては信之さまさまでしょうね。
真田宝物館。安定の休館日でした( ;∀;)
相変わらず引き弱を発揮です(笑)

隣の案内所では松代城の御城印を購入。お笑いのもう中学生書のものもありましたが、ファンでないとチョット手に取れないですね(;^ω^)
それではいざ、松代城攻城へ。
松代城は川中島の戦いの頃、武田信玄により築かれた海津城が元で、その後上田城から移封された真田信之によって支配され、幕末廃藩置県までここが政治の中心となっていたようです。但し商人などは、善光寺から動こうとしなかったので、城下町としてはそこまで栄えなかったということです。

石垣の一部が現存していますが、門や土塁、堀などは後世に復元されたものです。
縄張りが分かりやすく表記されています。城攻めにはありがたいです。
門と石垣、水堀と橋、これぞお城という構図です。
本丸北側の不明門と海津城石碑。
復元土塁。
石垣の石には硫黄が付着しているものも。
現存する石垣と緑の山並み。とても美しいです。
何故かハイドラが途中で途切れていました。悔しいので手書きで歩いたルートをなぞってみました。
松代城を大満足で堪能し、本日の宿を目指します。
その前に何か所かマン収、こちらは千曲市総合観光会館。

空模様が怪しいですが、結局この日長野県内で雨は降りませんでした。
そうして上田盆地の別所温泉へ到着。

本日お世話になる上松やという旅館。真田氏推しの宿で、近くにもこんな場所がありました。

右のは真田信繫の甲冑を模したものでしょうかね。
宿では他に入浴客が居なかったので貸し切り状態で露天風呂を堪能!
食事と日本酒利き酒セットを飲んでもうアウト(笑)結構歩き回ったので疲れもピークに達していました(;^ω^)
寝る前に本日のマン収結果を写真に収めて就寝。
後編に続く。