お盆休みとは名ばかりで、今年はほぼ仕事で埋まってました。
そんな中でも僅かに取れた休みを利用して、なんとか遊んできました。
北海道に赴任中のみん友さんが休みで帰省中にご連絡をいただき、以前から企画していたゴルフ練習場オフ(笑)。
2時間打ち放題で2000円、しかも最新の機械が導入されている。
それは、自分の打球の距離や方向などを画面上にプロットしてくれる機能。そのおかげで自分の想定通りの距離を打てていた事を確認できました。更に、実在のゴルフ場をシミュレーションでプレイできる事。あのセントアンドリュースなどもありました!
100球ほど打って、ようやく本来の打ち方を思い出す。いつもこんなパターン。何十年もやっているのになぜ毎回同じ過ちを繰り返すのか、全くわかりません(;^ω^)
この日は直射日光は少な目でしたが湿度が高く、今年一番多く汗をかきましたね。
いい汗かいた後はうまい飯です。
最近お気に入りのからやまにピットイン。
みん友さんも気に入っていただいたようで、こちらに連れてきてよかったです。
なかなかお仕事が多忙で、こちらでお会いできる機会が少ないですが、またお会いしましょう。エボもまた・・・ですね!
別の日。
単騎でまたマン収や城巡りに突撃~。今回の戦場は茨城県。
何度か来たことがある土浦城。
水堀に囲まれた美しい城址公園です。
じゃない方のオダ、フェニックス小田氏治のお城。
周囲も含めて落ち着いた雰囲気の中に佇んでいます。
ついでに土浦城のすぐ隣にある土浦市亀城プラザで、最新のマンホールカードを入手。
土浦市は機動警察パトレイバーのマンホール蓋を15種類も製作している模様。
今回もパトレイバーの登場キャラのデザインでした。
となるとあと10枚くらい、これから配布する予定なのでしょうかね。
土浦城から少し北に移動、木田余城跡に到着。
お城の遺構はなく説明板のみでした。
周囲は蓮沼のみ(;^ω^)
そこから霞ヶ浦の南岸をなぞるように東進。お城を目指してましたが、たまたまとある建物が目を引く。ついでなので寄ってみたのは、予科練平和祈念館。
予科練、言葉としては聞いたことがあると思いますが、具体的に分かる方ってどれくらいいるでしょうか?折角なので頂いたパンフレットに書かれている内容を記してみます。
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予科練とは
海軍飛行予科練習生及びその制度の略称で、第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧米列強に遅れまいとした旧海軍が、より若いうちから基礎訓練を行って熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年に教育を開始しました。14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をするもので、飛行予科練習生制度が始まってから、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習生過程を経て戦地へ赴きました。なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の約1万9千人にのぼりました。
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恥ずかしながら私は今まで予科練の正しい意味を知りませんでした。敗色濃厚になった日本軍が、誰彼構わず兵士を募集していたんだろう、そんな考えでした。しかし実際は試験に合格しないと予科練に入れなかった、かなりのエリート集団だったんですね。しかしその多くの方々が亡くなられたというのは、時代が時代とは言え、甚大な被害です。しかもまだ17才の若者・・・。現代に生きる我々は、こういった先人の犠牲の上に生かされているのだと、つくづく実感します。この時期、そう、この日はたまたま終戦の日でした。それもあって、今回こちらの施設は入館料無料でした。ありがたく入館させていただき、予科練の方々の記憶を色々と学ばせていただきました。館内は撮影禁止でしたので写真はありません。館内見学を済ませてから外に出ると、戦時中兵器の模型がありました。
このような戦闘機で特攻したのでしょうかね・・・。
こちらも特攻の兵器、人間魚雷の回天。
これは・・・言葉を失うほどショッキング、でした。
終戦の日にたまたま通りかかったこの施設での体験を通じて、普通に生きているだけでなんとありがたいのだろう。これからの毎日をしっかり生きていこう、そう思います。
さてその後、霞ヶ浦沿いをそのまま東に進み、木原城に到着。
写真だと堀の形がよくわからないので、線を入れています。
堀が深いですが、雑草が多くて見にくいのが残念でした。
城跡に建てられた学校の中にも土塁が残っています。
二の丸。たまたま飛行機が飛んでいて、真正面に捉えました。
本丸付近には大きな遊具と矢倉風展望台がありましたので、登ってみました。
あの遊具を見て、群馬県道の駅での思い出が甦りました(笑)
左の方に霞ヶ浦が見えます。
正面は筑波山。
木漏れ日の中待っていた相棒。
こうしてみると、リアウイング後端の赤シールは結構目立ってるんですね(笑)
次の目的地に向かう途中にあった塙城。
城域が南北に独立しており、それぞれ見どころも多いと聞きますが、この日のいでたちが短パン、サンダルでしたので、藪に入っていける状態ではなく、今回はスルーして次回リベンジです。
竜ケ崎市の佐貫駅にて、マン収完了。
こちらが本物のマンホール蓋。
こっちは同じデザインのシールをマンホールに貼ったものだそうです。劣化具合がやばい(;^ω^)
こちらは別日に行った千葉県松戸市にある相模台城。
国府台合戦の戦場で、北条氏と里見氏、小弓公方・足利義明親子との激戦地です。
道路になっていますが、以前は堀だったと思います。
合戦で亡くなった方を弔った塚があるというので、こちらにお邪魔。
女子大に突撃!
校門前に立つと、守衛さんの眼差しがかなり厳しい(笑)
恐る恐る校内にある史跡を見たいんですが~、と尋ねると、あっさりと許可してくださいました。ホッ(;^ω^)
石碑の後ろの説明板にも、北条対里見・小弓公方との激戦の様子が記されていました。
このころの北条は無双状態ですね。
東京オリンピック聖火リレーの舞台でもあったようです。
この史跡は松戸中央公園となっており、マンションに隣接しているとても珍しい立地です。マンションの5階がそのまま公園に直結してるんです。
また公園と下を走る道路や鉄道とはかなりの高低差があり、舌状台地に築かれた城であったであろうと思います。
マンホールカードと予科練のパンフレット。
今月は下旬に旅行の予定がありますので、それまでお城やマン収はお預けです。