
幼馴染のコウヘイと桜の旅を続けて10年。
初回よりこの「おろかな日々」で紹介しているが、早いものだ。
10周年でもあるし・・・
桜の旅とは自分にとって何であろうか、と言う事を綴ってみようかと思ったが、屁理屈と能書きを並べれば並べるほど何だか違うと感じてしまう。
言葉にしてしまうともう、それその物でなくなってしまうような、
客観的に評価してしまってはあまりに無粋。
そんな淡い片想いの様なものなんだと思う。
そのくらいただ純粋に好きな事をしてるだけの時間だ。
10年目も長野であった。
南信州は阿智村という、水と空がきれいな岐阜との県境の村である。
はっきり言って辺鄙を絵に描いたような所だ。
季節は4月も半ばを迎え、今年は開花が早かったこともあって流石の長野も平場はとっくに葉桜。
飯田も駒ケ根も高遠もとっくに終わっている。
秋田や岩手がそろそろ満開か?と言った時期である。
だがこの阿智村にはたった2本なのだが、見たいと願ってもなかなか叶わない遅咲きの一本桜が存在した。
桜どころである飯田や、下伊那地区狙いでは絶対に時期が合わない。
この桜のみの満開を狙って訪れないと、出逢う事の出来ない伝説の桜だった。
今年はコウヘイとの都合が中々つかず、もう無理ではないかなと諦めかけていた時に、ふっと空いたタイミングで一日だけ行こうという事になった。
泊まりは無理なので、エリアが限られてしまう。
東北エリアは日帰りでは厳しい。
となった時に、ふっと思い出したのがこの村の桜である。
今年の開花状況を調べると、いまその瞬間が満開であるという事だった。
「今晩出よう。」

長野の山あいは早朝狙いが全て。
日照時間が短い事と、深い山脈を背に西日が射さないからである。

クルマを駐められるような場所が遠く、1キロほど道路を歩いて登る。
朝から晴天だったが、まだ寒い。
駐車場が麓の方にあるので、ウインドブレーカーを羽織って夜気の残る山道を登っていくのだ。
沢のせせらぎと鶯の鳴き声しか聞こえない。
「この感じだなぁ・・・」
ひとり呟いてしまう。
そしてそれは突然目に飛び込んできた。

「駒つなぎの桜」である。
水の張られた深山幽谷の棚田に映る巨大なエドヒガン。
見るものを只々黙らせる圧倒的な迫力と美しさで満開を示していた。
「何だよこれ・・・」
凄いとしか思えなかった。
形容する言葉がなかなか見つからないのだ。

その昔、源義経が自分の馬を繋いだとされる事から「駒つなぎ・・」と呼ばれるようになったのだという。
ただ、元木はとうに朽ち果て、ひこばえが育ったものとも言われている。
義経の話が本当なら、平安時代末期。
800年以上も前の話ですからね・・・
あの牛若丸と呼ばれた源義経です。
馬を繋いで休憩をしたというだけで、これだけの伝説となってしまいます。
棚田のリフレクションがなんとも美しいこの桜だが、
長い事訪れることが無かったのは、見ごろが独立しているからと言う事だけでなく、
この棚田の水張りがここ数年行われていなかったからだ。
水田の水張りがあまり桜の育成に良くないらしく、何年も水の引き込みが取りやめになっていた。
今回開花に合わせて水が貼られたのは6年ぶりの事となる。
素晴らしいの一言である。
桜の美しさには、その個体の立派さや樹齢と歴史、バックスクリーンの美しさなど、さまざまなシチュエーションがある。
その樹が美しいとされる背景をいかに表現できるかが、桜の写真の醍醐味なのだけど、この樹のようにあまりに出来過ぎていると、逆にどう撮っていいか判らなくなる時がある。
どう撮っても美しいので、逆に構図が決められないのだ。
少しの間困ってしまって、結局オーソドックスな構図しか決められないという結果です。
早朝狙いは正解でした。
桜はトップライトになってしまうと、独特の淡い赤が白く飛んでしまって綺麗に撮れない。
斜め透かしの陰影が生み出す薄紅色は朝か夕暮れ時が勝負なのです。
ひと通り撮って、もう満足したので午前の日差しのうちにもう一つの樹に移動することに。

「自分は横浜なんですけど・・・」と話しかけてきた隣のオッサンと話し込んでしまってなかなか次に移れない。
日が昇ってしまう・・・

これは阿智川というのかな。
発電所の堰き止めがあまりに美しい。
トップライトに近い陽光が花崗岩質の白い砂礫にそのまま反射して戻る。
川底がやたらと明るいのだ。
透明度の高い清冽な河川水に驚いてしまう。
学生の頃、何日もかけて歩いた春の和歌山を思い出すな・・・
ここもそうだが、とにかく山奥なんだよ。
町の喧騒から最も遠い場所。
川の水がどこまでも済み切っていて、夜には降り注ぐような満天の星空。
ただそれだけで満足だった日々。
そんな懐古が訪れる。

黒船桜と呼ばれている。
1853年、ペリーの黒船来航時に植えられたとされるシダレザクラで、畑の傍らにあるお墓の桜である。
樹齢としては、まだ200年経っていないという勘定になる。
谷の一段低い所に座しており、いろんな角度から狙える形の良い樹だ。

満開後三日と言った所か。
有名な桜の割にカメラマンも少なく、気兼ねなく撮影ができた。
俯瞰で撮ったり、煽りで撮ったり、花桃を入れたりと色々アレンジできるのがいいね。

少し日が昇ってしまったので難しくなってしまったが、空が青いのでまだいい。
横浜のオッサンと話し込み過ぎたか・・・
こんな風に、いい角度を探りながら周辺を散策する時間がいい。
何とも言えない至福の時間である。
ライトアップもあるので再度訪れたい所だが、駒つなぎの桜と悩んでいる。
今回は駒つなぎが完璧な状態なんだよな。

しかし山奥である。
黒船桜は清内路(せいないじ)小学校のすぐ下の桜である、平日なので授業中だからだと思うが、児童なんてどのくらいいるのだろうか。
全学年で20人くらい居るのかな。
そんなには居ないかも知れないな・・・
ここは特にひと気の少ない峠の里である。

ライトアップまでは少し時間がある。
というか、かなり時間がある。
まだ昼前だというのに、ライトアップが始まるのは夜7時からだからね。
こりゃ困ったぞ。。
村内の他の桜を探して回ることにしました。

しかし、このヴィッツも長い。
自分のGCより長く乗ってるからね・・・もうすぐ15年所有とかになるだろうか。
身近で自分が面倒を見ているクルマは、とにかく買い替える機会を失っている。
まぁ、大騒ぎする程壊れもしないし、とにかく距離を乗っていないからね。
漸く10万キロになったな、というあたりである。
さすがはトヨタの量産機、(と言っても、作ってるのはダイハツか)まず深刻なトラブルがない。
びっくりするくらい燃費がいいのに、トルクフルにして充分な1500ccエンジン。
高速も苦にならない車体の安定感とギヤの守備範囲。
ハイオクで半分しか走らないGC8を出す理由が見つからない。。
キャンプに桜の旅に登山に、悉くお世話になっている。
何より、コウヘイが気に入ってるからね・・・
何が壊れても多分直せるし・・・余程派手な事故なんかで潰れない限り、リアルにもう15年行くんじゃないか、という雰囲気である。

何とも美しく均整の取れた境内。
下から見上げると、真っ青な空に形のいい老桜が二本映えている。
地元では「夫婦の桜」と言われているようだ。

自然光が作り出すプロジェクションマッピング。

村内を抜ける通りは木曽へと抜ける峠道なので、少し県境を越えるところまで覗いてみることにしました。
南木曽の木地師の里。
木地師とは、木工の伝統工芸品を作る職人の事で、深い木曽の山奥ならではの文化圏ですね。
少し覗いてみましたが、おいそれと買えるような値段ではなかったですね・・・
茶碗が4千円の~小皿が7千円の~みたいな。
これでも地元価格でしょうからね・・・日本橋の三越とかに卸されたら、さらに1.5倍くらいになるんでしょう。
特に驚いたのがこれ!

欅のろくろ細工で作られた木製スピーカー。
普通に20万とか30万とかの価格設定でした。
中には160万円というセットも・・・(スピーカーだけでですよ)
スピーカーの前にまず家とか部屋からだな・・・と思ってしまったw

もうひとつ見つけたお寺(清内路下諏訪神社)の境内。
落雷を受けてなお、立派に英をつけ続ける老木があるというので寄ってみた。

この樹なんだろうな・・
うねるように捩れる表皮。
幹の太さに対して、途中からすっかり上側が無くなっている。
見た所シダレザクラだと思うけど、シダレでこの太さはそれなりの樹齢がある筈。
随分と長い事この境内を見続けてきたんだと思う。
満身創痍でも、今もなお毎年春を届けてくれる。

何百年もの間、人々の変わらない営みをここで。

神社の裏手に裏山へ上がっていく道があった。
村を一望できるようによく手入れをされていて、花桃やレンギョウが春の日差しに輝いています。
鐘楼があり、山道には多くの石仏が配置されていて、村の信仰の中心になっているようでした。

爽やかな春の風が吹き抜けていく。
2人は暫し会話を交わすことなく、静かに耳を澄ませていました。

小さな村なので、すっかり廻りきってしまいました。
ようやく昼です。
お弁当でも買って昼食を済ませたら、少し昼寝でもしようと言う事になりました。
3時出発の早出ですからね・・・
まぁ、自分は9時台に寝てるので5時間半は寝ていますがw
子供でもいないとそんなに早く寝ることはないよなぁ・・・^^;
山を降りると昼神温泉があり、河川敷で弁当を食べたりしていましたが・・・
人が多いからか、どうも落ち着かない。
昼寝と言う感じでもなかったので、少しクルマで移動して山陰の小さなダムの近くで休憩することに。
少し見晴らしのいい林道わきの木陰にクルマを停めると、コウヘイは直ぐに寝てしまいました。
「昨日、あまり寝てないんだな・・・。」

自分も初めはキャンプチェアーを出して、ぼんやりお茶を飲んだりしていましたが、
実際いざ寝ようと思うと中々寝付けないタイプなので、カメラ片手に少し散策したりしていました。
一段高い所なので、大型の猛禽が自分より低い所を飛んでいる。
ダムの水の落ち込みと風の音しかしない。
堰堤の上から覗き込むとエメラルドグリーンの水面がキラキラと光っていて、ところどころにあるサツキとヤマザクラが殺風景な野山に色を添えている。

山陰には廃バス。
日野の旧い12メーターでしょうか。
山村ではよく見る風景である。
倉庫代わりに使おうと思うんでしょうね。

用水路を覗き込むと、沢山のイモリが。
彼らも恋の季節。
オスがメスの前で尻尾をゆらゆら揺らして誘ったりしている姿が観察できました。
頑張ってるなぁ。

水生の有尾目を見るとやたらとテンションが上がるよ。
サンショウウオとかね、見つけると「おっ!いるな!!」と思ってしまう。

さてさて、陽も傾きだして結構いい時間になってきた。
「そろそろ行こうか。」
桜のライトアップの撮影となると、
早めに現地に行って、場所取りも兼ねてトワイライトも狙うようにしている。
有名な桜となると、何時間も前から大きな三脚が立ち並んでしまう事もあるからね。

やはり、朝一で訪れた「駒つなぎの桜」にしました。
この棚田の水張りもまた向こう数年やらないかも知れないし、ここまでの満開にきちんと訪れられる事はそうそうない。
今回は千載一遇のチャンスなのである。
風も弱く、全てが味方をしてくれている気がした。

あと一時間半w
平日と言う事もあって、仕事のカメラマンか隠居のオッサンくらいしか居ませんでしたね。
余裕の場所取りです。
日中は暑いくらいでしたが、山陰に陽が落ちると、一気に気温が下がってきました。
一昨年の高遠では薄着で挑んで酷い目に遭ったので、今回はちゃんと着込んできましたよ。

そして19時。
その時は訪れました。
「あああ・・・。」
一同が無様に絶句するだけであった。
これだけ立派なエドヒガンならただのライトアップでも美しいのに、
水張りのリフレクションでこの世の物とは思えない妖艶さを放ち始めた。
長年やっていると、こういう一本に出会う事がある。

桜の神様に逢いに行く。
僕らが続けてきたのは、そんな旅です。
この瞬間だけで充分に元が取れる旅でした。