寒の戻り故、予想を覆して開花の遅かった今年。
ここ10年で最も遅い開花となった。
いつもは想定日の二週間ほど前に、旅の相棒のコウヘイと一度打ち合わせをして、自分たちの予定と旅のエリア選定のすり合わせをするわけなんだけど、
どこどこの桜を攻めたいと思っても、そこの開花日で都合がつかなければ無理だし、逆にこの週でしか休みが取れないとなれば、その期間で満開のエリア選定をしなければならない。
見に行く桜の花期に完璧に合わせていかなければ意味がないイベントなので、エリアとスケジュールの見極めが実に難しいのが桜の旅である。
今年も日帰りで予定しているので、遠くても北関東、西は東海エリア、甲信越も視野に入れているけれど、やっぱり遠いんだよね・・・。
ここ十余年で近郊の目ぼしい所は一通り訪れたと思うけど、案外まだきちんと訪れていないのが、山梨県南側の東海と呼ぶべきか中部と呼ぶべきか微妙な地域。
身延町や南部町などといった寺院が多く点在するエリアです。
東西を静岡県に挟まれているので感覚的には東海エリアですが、中央道双葉JCTと東名の清水JCT間をつなぐ中部横断道が開通したことで、実は中央道からアクセスする方が近いという意外なエリアだ。
市井も幹線道路も無かった山深い地域。
旅行遠征の中継地点にすらならない隠れ里のような場所。
だがここには「身延山久遠寺」ある。
久遠寺は身延山の南面に広がる巨大な寺院で、日蓮宗の総本山です。
全国各地5300もある寺院の本拠地ですから、その敷地面積はそれはもう広大で、本堂・祖師堂前にある樹齢400年の枝垂桜を筆頭に、西谷、東谷と分かれる身延山麓には数多くの宿坊と1000本を超える桜が点在し、この世の物とは思えない程の華やかさに彩られます。
有名な「久遠寺の枝垂れ桜」を見たくて過去に何度か個人的に訪れたことがありますが、常に予想よりも開花が早く、ちょうど満開であろうと見込んで行っても、ほぼ葉桜になっていた記憶があります。
枝垂れ桜の花期自体が染井に比べてやや早いという事もありますが、山あいにある事などを鑑みれば関東平野部の染井吉野と同等位だろうとアタリを付けると、見事に裏切られます。
富士川に沿って静岡側から太平洋の南風が入ってくるんでしょうね。
一昨年の大井川エリアもそうでしたが、東海エリアは暖かくなるのが早いです。
兎に角想像より全然早い。
なので、予想の付け方としては、
関東の染井吉野の満開予想の5日から一週間ほど早めた時期に行くと、身延エリアの枝垂れが満開なのではないかと結論付けました。
そうなると、週末の打ち合わせでしたが異例の「来週の前半に行こう」という急展開となりました。
現地7時前着を基本としているので、2時間以上を見込んでの4時半出発。
中央道での車窓は、朝日に照らされて輝く八ヶ岳や富士山、甲斐駒ヶ岳なんかを見るのがいいのだ。
「空」「無相」「無願」の三解脱を表す「三門」。
本堂へ続く石段へ至る最後の門である。
早い時間に訪れたので、門の脇の無料駐車場にクルマを停めることが出来ました。
ハイシーズンの日中は沿道が大変に混雑し、ここまで上がってくるにも一苦労という場所なので、このアドバンテージは大きい。
兎にも角にも朝早く来ましょう!
趣のある門をくぐり参道を真っすぐ行くと、「菩提梯」と呼ばれる天まで突き抜けるような強烈な石段が立ちはだかる。
「マジでこれを登るのか・・・。」
まず、その壁のような階段に圧倒される。
傾斜角50°の287段、高低差104メートルの石段でかなりキツイです。
一段一段が大きく、半分も登らない内に太腿に乳酸が溜まってきます。
登山で慣らした筈の僕でさえ、途中休憩を余儀なくされました。
菩提梯とは「一段登るごとにさとりに近づくことができるきざはし」という意味であり、ここを自分の足で登ってこその開眼・解脱と解釈していいだろう。
いやはや、それにしてもキツイ。
これは・・最後まで登り切れないひとも居るでしょうね。
頑張れ!あの枝垂れ桜まで登れば踏破である。
息切れしながらも10分程かけて菩提梯をクリアすると、久遠寺のシンボルでもある五重塔がお出迎え。
そして真向いには立派な本堂。
その右手にある祖師堂の正面にある巨大な枝垂れ桜。
更に東側の仏殿の向かいにも形の整った枝垂れ桜が。
この二つの巨樹がかの有名な「久遠寺のしだれ桜」である。
しかしまぁ、ひとえに「久遠寺の~」と言ったら、大伽藍と一緒の画角に収められ、見上げるような樹高も見事な祖師堂前(正確には隣の受付事務所前かな)の枝垂れの方ではないかなと思う。
どちらの樹も齢400年を超えているとされています。
しばし無心にシャッターを切るだけでした。
この場所は西側は山の斜面があり日の入りが早い・・開けているのは東側だけなので、朝日の入りが素晴らしい。
撮影は断然午前中狙いがいいですね。
どんどん日が上がってきて、陰影が変化してゆく。
同じ場所で撮っていても、撮るごとに顔を変えていく。
華やかで煌びやかな久遠寺と枝垂れの古桜。
初めて見る満開の巨大天蓋。
何か特別な力が宿っていると感じずにはいられない、強い霊気を纏った枝垂れ桜でした。
本堂や仏殿など、伽藍の内部も見学コースがあり、無料で観覧できます。
撮影は禁止でしたが、中も凄いですよ。
日蓮宗と言えば、日本仏教の中では異端とされる少数派で、ブッダの教えをルーツにしている事は同じですが、やや独自の解釈をしている事で有名です。
マジョリティーである「南無阿弥陀仏」ではなく、「南無妙法蓮華経」と唱える独自の教えを説いています。
「嘘も方便」という言葉があるように、相手に合わせて様々な方法や言い回しで説法をしたとされるブッダの手法は、多くの解釈を生み出してしまい、後に沢山の宗派に分かれました。
それが空海が広めた真言宗であったり、親鸞の浄土真宗であったり、最澄(さいちょう)の説いた天台宗だったりする訳です。
日蓮宗は天台宗の説く「法華経」がベースとなっており、更には日蓮正宗と派閥を二分しました。
これが、富士宮の「大石寺」です。
日蓮宗はブッダの経典に一切記述の無い内容を布教していると言われ、日本仏教界からはやや爪弾きにされている感はあります。
「創○学会」を生み出したのも大元は日蓮宗ですから、偏見で見られがちですが、今は一切関係ないとHPでも謳っています。
手塚治の「ブッダ」を読破した事でとっくに「悟り」の境地に到達しているヲレに言わせれば、「俺が正しい」とか言って諍いを起こすこと自体がナンセンスで、悟りからは程遠いハナシ。
結局宗教は統治や政治と常に結びつき、大多数を導き富を集めるための手法と成り下がってしまっている。
原点の教えは崇高でも、利用されてしまっているのだ。
自身の幸福と安寧が訪れるのであれば、
何を信じたって信じなくたって同じである。
お経の文言が何であろうと、無宗教のヲレにとっては同じ事、そんなものがあったって無くたって、充分に幸せだと思えているヲレ自身がその証明ではないか。
ただ、人々が信じてきた歴史の長さ、深さを感じる事の出来る立派な寺院や、神社といった古い建造物などにはやはり感じるものがあります。
「信じる」という心には邪な思いがありませんからね、神社仏閣には神聖な静謐があるのはやはり多くの人々の真摯な思いが反映されているからなのかも知れません。
心が洗われるような素晴らしい寺院でしたよ。
朝イチで本丸の久遠寺に乗り込んだので、早くも撮れ高的には充分過ぎる位ですが、西谷、東谷、奥の院と広大に広がる身延山周辺をもう少し散策したい。
西谷には徒歩でしか回れない宿坊や寺院が密集しており、庭園や参道には所狭しと桜が植えられている。
もはや、この世のものとは思えないような美しさがそこにはあった。
新緑の輝く西谷の沢を上がってゆく。
日蓮が晩年の九年間を過ごしたとされる草庵跡地を横目に、もう更に一段上がると、日蓮聖人の御廟所(びょうしょ)があった。(廟所とは簡単に言うとお墓の事である)
巨大な御りんが置かれた拝殿。
「立正」とは法華経を通して世を正していこうと言う仏教用語。
久遠寺境内や参道近辺には陽が上がってゆくにつれ、多くの観光客で賑わいを見せていましたが、じめじめした渓谷のはずれの墓所にまで上がってくる人は殆ど居ません。
敬虔な信者か我々のような物好き位であろう。
沢に沿ってもう少し降りてゆくと、再びスタート地点の三門に戻ってくる。
早朝の時と違い、多くの人が菩提梯に挑んでいるのが見える。
今度は東谷を見て回りたいのだが、再び本堂から下りてゆくルートとなる。
菩提梯にもう一度チャレンジするのも良いのだが・・・女坂という少し遠回りして登ってゆく山道があるので、そっちから行ってみる。
実際女坂は、味気の無い山道をだらだら登ってゆくだけの長いルートだった。
再び菩提梯を上がってゆく方が良かったかもしれないが、それはそれで結構削られるのでどっちもどっちかな?
本堂をスルーして東谷に降りてゆく。
しっかりした車道が整備されていて、その沿道に宿坊が点在すると言った按配だった。
途中、久遠寺十一代法主を務めた日朝上人(にっちょうしょうにん)を祀ったお堂があり、にっちょうさまと呼ばれている。
にっちょうさまは目の神様だと言うので、あのお金を使わない「だい」が、唯一お賽銭をして願掛けをしたんです。
「どうか老眼がこれ以上酷くなりませんように。」
そして、全てを眼に頼って生きてきた人生なので、この視力が奪われるような残酷な人生とはどうか無縁でありますように・・・とお願いをしてきたのであります。
東谷もだいぶ降りてくると左手にある志摩坊には、
今度はさいじょうさま(最上位経王大菩薩)を祀っている祠というものがあり、この神様に関しては、「もう何にでも効くやつ」みたいな、兎に角何でも叶えてくれる・・・みたいな凄い神様がいらっしゃるようでした。
何かパワースポット巡りみたいな感じになってますが、桜を巡る旅です。
山を歩いて降りてくると、三度「三門」のすぐ下の商店街辺り。
午前中はすっかり、久遠寺界隈の散策で終わってしまった。
本当は歩いて奥の院などへも行ってみたかったが、片道数時間かかる登山になるので、恐らく一日が終わってしまう行程。
またの機会にしたいと思う。
昼も近いので、そろそろクルマに戻り身延山をあとにします。
桜も然ることながら、歴史の古い名刹古刹も雰囲気が素晴らしく、なかなか良きお寺巡りであった。錦秋の頃にまた訪れてもいいかも知れない。
この可愛らしい二両編成は甲府・富士間をつなぐJR身延線。
塩之沢駅周辺の桜が~という事でしたが、
染井吉野はまだ二部~三分咲き程度でした。
お昼を買って、何処か雰囲気のいい場所で休憩にしようと思ってロケハンしているのですが、ココじゃない感じ。
南部町の少し山間に入って立派な枝垂れがあるという妙覚寺へ。
昼休憩のロケーションには拘る方なので、なかなかいい場所が見つからないと結構ウロウロすることになる。
しかし、ひと目見て「あっ、ここだな。」
そんな感じのいい場所がありました。
巨大な枝垂れ桜の真下に椅子を出して、コンビニで買ってきたお弁当昼食。
ふんわりと白い木漏れ日の中で、しばしの昼寝タイム。
樹齢300年の枝垂れ桜の下から、薄紅色の天蓋を見上げてぼんやりする。
なんだか夢と現の境目がなくなる様な不思議な雰囲気。
他に訪客も居らず、ただメジロやムクドリの鳴き声だけが聞こえてくる。
人生の最後にこんな樹を見上げることが出来たなら、
それだけでもう何も思い残すことなく、すっかり成仏できるような気がする。
他に何が要るんだろうという気になる。
まるで曼荼羅を見上げているように宇宙が完結している。
過去と現在、未来が混在し、ゼロポイントに集約しているようなそんな特異点を持っている。
桜と言うのはそういう樹なんだなぁ。
集落を少し散策して、里山にぽつぽつと佇む桜を収めていく。
暫くの間、よそ者が何の用だ!という顔で茶虎の猫がこちらを見ていたが、害が無いと悟ったのか、裏路地の石垣のあいだに去っていきました。
野良猫がよ!
今回の旅で最も古木である「本郷の千年桜」。
千年桜とはいうものの、実際は5~600年のエドヒガンザクラである。
特殊な形態をしている樹で、約5メートルの高さまでは根っ子なのだという。
沢山の添え木が成されながらも、まだまだ立派な花を付けている。
ここもロケーション的には朝だったな~という感じでしたが、これは仕方がない。
午前中のブルーバックなら、何処から撮っても可憐な花を強調できるが、午後の鈍色の空ではそれも難しい。
昏い山陰をうまく利用して、英を際立たせるのがいいだろう。
千年桜から程近い民家の桜。
接道にまでクルマが入ってきてしまうのか、庭へ続くスロープの手前には丸太が転がしてありました。
お寺や神社と違って民家の桜を見学する時は、マナーや節度が必要ですね。
ウチのインプレッサと同じく、2004年から運用しているNCP13ヴィッツRS。
未だに我々の旅の相棒として活躍してくれている。
1.5リッターツインカム4気筒エンジンの5速マニュアルである。
年式の割りに低走行ということもあるが、流石はトヨタ!この20年で殆ど壊れた事が無い。
大きめの事件でも、セルモーターを交換したとか、VVTのオイルコントロールバルブが逝かれて始動不良になった事があるくらい。
ドラシャのブーツすら変えたことないな・・・どうなってんだこのクルマ。。
なにしろ燃費が素晴らしいので、同じガソリンの量でも高速ではGC8の倍くらいは走ってしまう。(しかもレギュラーガソリンだし)
何と言うか、不満が無いので買い替えられないでいる一台である。
菜の花畑とだ い 。
ヲレの写真は全てコウヘイが撮ってくれていて、コウヘイの写真はヲレが撮っている。
学生の頃から一緒に写真を始めた間がらだが、コウヘイは動画メインではあるが独立しているプロのカメラマンである。
未だに劇団員なども掛け持ちしているが、お金にも何にもならないからそろそろ辞めたら?といつも言ってるんだけど、しがらみもあってなかなか難しいらしい。
もういい加減オジサンになってしまったが、未だ未婚である。
本日の最後は「原間のイトザクラ」と呼ばれていて、町指定の天然記念物になっている。
樹齢は400年。
傍らには石碑や墓標が一列にならんでいます。
実は枝垂れ桜という品種は無く、枝垂れている桜の総称であり、品種上は「イトザクラ」と呼ぶのが正解である。
エドヒガンの変異種であるとされていて、更に品種改良により多くの品種がある。
元々は庭木として植えると家運が衰退すると言われていた為、好まれなかったが、近年ではその美しい見た目から、その価値を見直され始めている。
枝垂れ桜はやはりお墓で見る事が多いせいか、柳のようにおどろおどろしいイメージはありますね。
美しさも相まって何か魔性のようなものを感じます。
ここも午前中ですね~。
青空バックで撮ってみたかったですが、午後に斜面の下からアオリで撮っても完全逆光なので、大分オーバーにして白い花を拾いました。
まぁ、今回の主役は身延山の久遠寺でしたので、これは仕方がない。
桜の撮影で大事なのは、複数の桜が狙いであっても、その日のメインは必ず一番最初に持ってくることですね。
遅くとも午前10時前には撮り終えてしまった方が良い。
正午付近のハイライトでは陰影が消えてしまい、あまりいい写真は見込めないですし、春先はだいたい昼過ぎから湿気が出てきて花曇りになってくる。
雨まで降らないまでも、透き通るような青空が午後まで続くことは滅多にない。
昼はゆっくり休んで、午後は西日で映える物件を残しておこう。
日没後にはライトアップされるような桜を最後に持って来られればベスト。
今回はライトアップ物件は無かったので、早めに切り上げて地元のもつ鍋屋で打ち上げして帰りました。
歩いていける場所だから飲めるんだよワハハ。
今回は「一本桜」という括りの桜は少なかったですが、「寺院の桜」がメインでしたね。
こういう趣の桜旅もまたいい。
この齢になるとね、なかなかワクワク出来るような事が無くなってくるんだけど、それでも未だに変わらないときめきを与えてくれる不思議な存在「桜」。
来年はどんな桜に出逢えるかな。
そろそろ宮城/岩手を再訪してみたい。