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2026年04月22日 イイね!

天王桜

天王桜「針山の天王桜」という桜を見てきた。


時は少し遡って四月下旬。
今年は自分も相棒もなかなかスケジュールが合わず、桜の開花も異様に早いという事もあって、桜旅はちょっと厳しいかと思われた。
関東の染井吉野は3月の卒業式にはもう開花を迎え、入学式まで持つかどうかという塩梅で、例年より10日~二週間ほど早かったのだ。



長男の「創」はこの春地元の小学校から中学校に進学し、卒業式も入学式も滞りなく迎えることができました。
「陣痛が来たので産まれそう」の連絡を受けて秋田まで全力疾走し、4時間弱で現着したのにも関わらず間に合わなかったのももう13年も前のことなのですね。

早いものだ。



しかしまぁ、桜の旅はもっと前から続けていてもう17年目になるんだけど、その17年の歴史の中でみても、今年の桜は異例の早さであった訳だ。

スケジュール的には行けても4月4週目以降・・・桜を見に行こうと思うには致命的に遅い。。。桜前線はとっくに北海道にまで到達し、本州で見頃のエリアは秋田より北へ移っていました。


ヴィッツで日帰りで行けるエリアではないなぁ・・。


基本日帰りスタイルで続けている桜旅。
一度山形まで一泊遠征したことはあるが、あとは一日で行って帰ってである。
日帰りで行かれるのは片道せいぜい3時間くらいまでで、北は二本松、西側は長野県の白馬や阿智村が限界と言える。

実はこの範囲の有名どころはほぼ行き尽くした感があり、そろそろ一泊遠征メインで考えないと新規開拓が難しい状況ではあった。
そろそろ子供も大きくなってきた事だし、仕事の都合さえつくなら、泊りでもっと足を延ばしたいところである。


・・・だが、一か所だけ思い当たる桜があった。




それが「針山の天王桜」であった。


群馬県片品村の山間部にある孤高の一本桜。
オオヤマザクラの古木で、樹齢は300年超とされている。
昔に一本桜を特集した雑誌で見てからずっと意識していた桜ですが、花期が(例年だとGWごろ)非常に遅いという事と、周辺のそのほかの桜と見頃が合わない事とがあって、完璧に単発狙いになることから見送り続けてきてしまった。

今年の前線の速さから計算すると、恐らくちょうどいい時期ではないだろうか。


片品村は尾瀬ヶ原湿原の玄関口であり、群馬県でも最深部と言えるエリアになる。
昨年訪れた白馬同様春の訪れは遅く、特に山間部に咲くオオヤマザクラはゴールデンウィーク頃が平年の見ごろとなる。
平年より10日以上も早い今年の開花状況からするとドンピシャではないか。

ライブカメラによる開花確認も出来るが、会社を休んで行くことになるので撮影日は決めておかなければならない。

開花予想は4月の4週目。
恐らく週前半なのは判っていましたので、天気の長期予報を鑑み22日に設定していましたが、予想より更に数日早まり、19日には完全満開となりました。



満開後数日しか持たない足の速い桜だと聞いていたので、やや心配していましたが、当日もまだまだ見頃は続いているようで安心して出発。
まだ暗い早朝3時半にヴィッツで迎えに来てもらい、圏央道経由で関越に入り沼田ICまで。

コウヘイののんびり運転でも2時間半で現地入り。




まだ息が白くなりそうなほど寒い片品の朝。

茶色い看板のセブンでホットコーヒーを買って作戦を練ります。
作戦と言ったって基本「天王桜」一本なので、午前中の撮影が終わったら、日没後のライトアップまで時間をどう潰すか位のハナシで・・・
他に見どころがなければ、どっかでぼんやり過ごして時間が来るのを待つだけな訳です。



兎にも角にも天王桜へ。
寄り道しなければ、沼田インターから30分もかからない距離の山の中です。



川場村というスキー場が多い隣村から山道に入り、深いヘアピンカーブが続く険しい峠道を登っていくと瀬峰トンネルという山頂の隧道に到達。
これを抜けて向こう側へ降りると、片品村となる。

瀬峰トンネル・・なんかどこかで聞いたことがある名前だなと思ったけど、数年前にレーサーに誘われてスノドラで来たことがあるんだな。
こんなに道の悪い酷道だったのか(雪だと判らないからね)。

こんな僻地にまで来なければ、もはや走れる所がなくなってきたスノドラ。
今期も行かれず仕舞いだったからなぁ。



まだ6時台だったこともあり、僕らのクルマの他には2台だけ。
結構広い駐車場ですが、平日でも昼にはいっぱいになり駐車待ちができるそう。




ほんの少し歩いて民家の路地を入っていくと、案内が出ていてすぐに判ります。


土壁の古い蔵や倉庫の脇を抜けて裏手へ回ると、
それはすぐ正面にありました。



「針山の天王桜」

県指定の天然記念物で、幹回り6メートル、枝張り17メートルというオオヤマザクラの巨木で、残っている資料から遡っても300年以上前にはすでに大木だったというオオヤマザクラ界の横綱である。


息をのむような圧巻の樹勢。





初見で言葉を発せなかった。

こんな桜を長年見過ごしていたのか・・・




葉と花が同時に展開するのはヤマザクラの特徴。
オオヤマザクラは普通のヤマザクラとは別種で、より高地・寒冷地に自生しヤマザクラより大型になる。花弁も紅色が強くなり、ベニヤマザクラやエゾヤマザクラの別名がある。



まだ見物客も少なく風もないのでチャンスタイムなのだが、どこからでも狙える形のいい樹の為、どう撮っていいかわからずうろうろしていますw


相棒のコウヘイも立ち尽くしている。



直近の田圃に水張りがされている。
恐らく桜の開花に合わせた粋な計らいであろう。



まだ薄く氷が張るような水面の下にはカエルの幼生たちが。


カメラの調整をするコウヘイ。

今回はフルサイズではなく、軽量で取り回しのいいAPS-Cのソニーを持ち込んできている。
最近は、本業のビデオ撮影の仕事もスチール撮影もこれだけで済んでしまうんだって。



空が青くて桜が映えますね。

この日も、午後から雲が増えて完全に曇天になる予報だったので、日中の撮影は朝が勝負なのは判っていましたが、条件が完璧です。

満開だったという日曜日では、人が多すぎてこんなにのんびり撮れなかったでしょうし、この日の前日は半日雨、翌日はもう天気が下り坂という予報が外れていないので、結局この日しかない!みたいな撮影日でした。




それに、散り際が近くなると花弁の中心付近が赤く染まりだし、より濃いピンク色に変化していくのがオオヤマザクラの特徴で、数日後ろにずれたことで自分が雑誌の写真で見たイメージの色により近い状態だったのも良かったのかも知れない。






これだけどこから狙っても形のいい桜は珍しいですね。

斜めに注ぐ朝陽が迫力のある陰影を作り出し、勢いのある英がより強調されている。
同様の理由で西日に照らされた桜も見ごたえがあるが、この日の天気ではサンセットシーンはあまり期待できなさそうなので、明るいうちの撮影は朝が勝負です。






隆々とした幹も迫力があり、魅力がある。


根元には小さな石の祠があり「天王神」というものが祀ってある。
天王神とは仏教でいう天部を守る神々の事で、一般的には「牛頭天王(ごずてんのう)」という祇園精舎の守護神のことを指すようです。
疫病や厄災を鎮める祈願をこめて天王神を祀ることが多かったみたいですね。



そんな風に神と称されるほどの、神々しさと恭しさを持った巨樹であったという事でしょう。

異論の余地はありません。



気が付けば3時間近く撮影し、陽も高くなり人足も多くなってきたので、午前の撮影は撤収。

良い時間が過ごせました。



やはり写真撮影の旅は平日がいい。
単純に人が少なくて写真が撮りやすいという事と、道路が混まないので行きも帰りもスイスイ行ける。
あとは、狙った桜のベストな花期が一日単位で決まってくるので、土日に絞ってしまうと最高の瞬間を逃す・・などの理由がある。

まぁ、コウヘイが撮影の仕事柄土日休みが難しいという事もあるが、それがなくても平日に計画することが好ましい趣味ですね。

仕事は休まなければならないが、有給休暇などどうせ使い切らないのでいい機会である。
あまり病気もしないし、子供の学校行事くらいでしか休むことがないので、たまには趣味や遊びを本気でやることに充てようと思うのだ。




川場村・片品村は、武尊山(ほたかやま)という山岳エリアの麓にあり、大昔(ブログを見返したら約20年前でした・・)に武尊牧場という冬場はスキー場の施設でキャンプをしたのを覚えている。
恐らく看板にあるオグナほたかスキー場の事だと思われる。
夏場はキャンプ場として開放していて、リフトで野営エリアまで登って行った事を覚えています。

確か、施設内だけで使われている古いレガシィだかレオーネバンだかが、ドロドロ不等長サウンドを響かせて山頂まで荷物を運んでくれたことを思い出しました。

懐かしいなぁ。



天王桜一本狙いとは言ったものの、ひとつ尾根向こうには一本だけ、グーグルマップに表示されるような桜はあって、クルマでは5分くらいのところにある樹齢100年のオオヤマザクラです。

「オキノ桜」と呼ばれています。


その昔、この地で宿をやっていたオキノさんという方が手植えしたという逸話がある、傍らの赤いお堂がかわいらしい印象的な桜です。




100年前に・・・みたいな言い伝えのものって、10年前は「90年前」って言ってたのかな?って思っちゃいます。
この年になると10年ってあっという間ですので・・・。


やはりすぐ傍には石の祠がある。
こういう所へも賽銭というのはされていて、長年回収されている雰囲気がないような変色もある。

地権者にあたる人が思いついたときに集めているのだろうか。
多くても年収300円位な気もするが。。。
赤いお堂に賽銭箱がないので、ここにお供えするのかな。


マイナーなのか、ほかに人は訪れることはなく、沢のせせらぎと鶯の鳴き声だけが響き渡っていました。
天然自然のASMRをしばし満喫。




あとはいよいよする事がなく、片品村や川場村のHPなどを見て見どころを探すものの、どうもピンとくるものがない。
尾瀬と吹割の滝と天王桜を除くと、殆ど目ぼしい所がないというのが実情で、あとは冬場のスキーと温泉だけで持ってるようなエリアのようである。


ヲレは近くにあった温泉施設でも利用して、飯食って昼寝でもしていればいいのではないかと思ったのだが・・・いつもそうなのだが、どうもコウヘイは温泉に入りたがらない。
そこまでゆっくりしてしまうと、もう動きたくなくなってしまうからだと言うんだけど、日没まで4時間も5時間もあるんだから、別にいいだろうと思うんだけど・・・入りたくない理由でもあるんだろうか、謎である。




なので、結局周辺の史跡めぐりのようになってしまうのだが、岩に掘られた33体の観音様がある岩観音という所に立ち寄ってみる。







大谷石の岩盤層に掘られた観音様たち。


南北朝時代の戦没者を弔うために掘られた磨崖仏というものです。
南北朝と言ったら戦国時代より前ですので、700年近く昔の話。
それが、このように残っているというのは凄いことです。

歴史的な遺構としては、内容的には随分しっかりしてると思うんだけど、特に町を挙げて取り上げてる感じもない。
無造作に看板で表示してあるだけ、とういうのがどうにももったいないような気がしました。
もっと見せ方を考えてきちんとプロモーションしたりすれば、もっと人寄せになったりお金になりそうなのにな・・とか無粋なことを考えてしまう。


余計なお世話か。




あとはうろうろしても、取り立てた被写体はなく、まだ昼なのにどうしようかなという感じ。
これだけ大自然のお膝元であれば、のんびり過ごす環境には事欠かないのでは?などというざっくりとした期待はあっさり裏切られる。


とにかく何もないのである。



白馬村のようにどこにいても風光明媚、という訳でもないので、
とりあえず日当たりのいい河川敷でも探して、昼食と昼寝にでもするかという事になった。



以前なら、バーナーやコッヘルキットを持ち込んでコーヒーやらラーメンやら作ろうか、なんてやりたがったけど、もう面倒くさいのでコンビニ飯ですね。

弁当もコーヒーも下手な地のものより美味しいです。



昔はコンビニ弁当なんて以ての外!
美味しくないし防腐剤だらけでとても食べられない・・と宣っていたオーガニック至上主義だったコウヘイですが、今となってはコンビニのものが一番安心できる・・に変わってしまっているw



「昔はそんな男じゃなかったのにな。」


ヲレがそう言うと、コウヘイは笑った。


「お袋がそういう教育だったからなぁ・・。」

「そういう余裕は多少なりとも裕福だから出来るんだよ。うちは貧乏だったからな、人並みなフリをするのが精いっぱいw」

「でも、子供のころはいいなりじゃないけど、あまり自分でこうすべきってのは考えてなかったかな、親に言われて勉強ばかりしてたかも。」

「勉強はできたもんな、ヲレは落ちこぼれ。」

「近所で一番の進学塾に行ってた。」

「ヲレは全く勉強しなかったからなぁ・・高校受験も気持ちがいいくらい何もしなかったけど、都立高の普通科にギリギリ引っかかったって感じ。コウヘイは上から二番目の高校に行ったよな。」

「俺は漠然とだけど芸大に行きたくて受けたんだけど、大した準備もしてなかったから当然落ちちゃって・・浪人してまでって思うほどやりたいことが決まってなかったし、何かその表現の世界と関係があるかなと思って劇団に入ったんだ。」



今でも劇団で美術の仕事を手伝っているコウヘイ。
不規則なスケジュールを求められ、結局金にもならない仕事だが、未だに切れずに手伝っている。
生活は、空いた時間でできる仕事で生計を立てるような組み立てになるので、個人事業主で結婚式などのイベントの撮影の仕事をしている。

そんな不安定な仕事のせいでいつまでも独り身なのかなと思い、劇団なんかやめてそろそろ身を固めたらどうだ?と余計なおせっかいを言ったこともある。
二枚目だし、人間的にもなんの問題もない。
ただストイック過ぎるゆえの今かな、とは思うが・・

ヲレの言うことも全く的外れという事でもないらしく、それも考えているし、どうなるかちょっと解らないというような事を言っていた。
そんな話をしていたのも2、3年前の事なので今はどうなんだろう・・


動くんだろうか。


あまりその事には触れないように、自分の事だけ話すことにした。

「ヲレは期せずして走り屋みたいなってしまったが、コウヘイの演劇ほどの具体的な目的意識があった訳ではなかったよ、上手くなりたい速くなりたいっていう気持ちはあったけど、それを将来につなげようというのもないし、ただ、真面目にやらないと死ぬなっていう世界だったから、ガチではやってた。」

「雑な性格だから、よく判らずにハンドル握ってるだけではいずれ死ぬなって予感はあったから、死なないためにドライビングを学んでいただけで、めちゃくちゃクルマが好きとかモータースポーツが好きって訳じゃなかったんだよな・・。」

「貧乏で金が無かったからな、クルマにお金が掛かったら負けっていうか、終わり・・ていう考えは最初のころからあって、何をやったってお金が掛かるからね、クルマは。だから、空いた時間と少ない予算でどれだけ遊べるかっていうただの趣味でいいやって。」

「自分はこうなりたいとか・・具体的な”夢”みたいな話はとんでもなかったかな・・・ひとり親で経済的にも苦しかったので、ただの普通がうらやましかったんだ・・だから普通に仕事を頑張って、普通に結婚して、普通の生活を維持できれば大金星。それ以上の事はなかったよ・・それは今も変わらない。」


コウヘイにもうちょっと配慮した言い方をすれば良かったかな・・と思いつつも、これは本音であるから仕方がない。
余計なお節介かもしれないが、コウヘイに変な枷が掛かっているなら、それを取り払ってやれないかなとは思う。
コウヘイも、そういう普通の幸せを望まないタイプの人間ではない筈だから。


「こんな風にお互いの思ってることをハッキリ吐露できるのは、こういう旅の時くらいだと思う。」



ヲレの昔話に対しての返しは特にせず、コウヘイはそれだけ言った。



「一緒に飲んでるときは対してアタマが回ってないからなぁ。」

「自分の中だけだと絶対にたどり着かないような答えをお互いが持ってるから、長い付き合いなんだろうな。」




河川敷にある小さな公園に椅子とサイドテーブルだけ出して、さらさら流れる川面を見てるだけでしたが、自分で思ってるよりも饒舌になった。

もう来年には五十路のオッサン二人ですが、昔の事だけはよく覚えてるもんだなと思った。



気が付くと、昼寝で時間を潰すつもりが数時間話し込んでいた。
明るいから気付かなかったが、すでに17時前になっており、そろそろ現地でスタンバイしていてもいい時間である。



天王桜までの小径のぼんぼりには明かりが灯り始める。


18時を回ったあたりでライトアップが始まりました。
田んぼの脇には多くのカメラマンが集まり始め、ここならいいだろう、という思い思いの場所にローアングルの三脚をセットし始める。


恐らく、18時30分頃からの30分間ほどが撮影のエンペラータイムで、
一瞬のトワイライトブルーを狙ってそれぞれがシャッターを切り始める。








数分おきに変わっていく宙。
いま田んぼの脇に集まっているカメラマンたも等間隔でフレームに収めていく。






正面から二つの水銀灯が照らしているだけなのだが、桜全体を鮮やかに浮かび上がらせている。

まるで舞台演劇でも始まったようであった。



待ち望んだトワイライトブルーも30分ほどかけて宵闇に沈み、背景はやがて漆黒に変わった。




幹のうねりと燃えるような英。
すさまじい迫力である。






見上げれば上弦の月。







日没後まだそれほど経っていませんが、
気が付くと沢山いたアマチュアカメラマンも我々と、あとから来た一人二人のカメラ女子みたいなのだけになっていました。

殆どのカメラマンがトワイライトのリフレクション狙いだったのか。




夢と現の境目が曖昧になってゆくような不思議な時間。
むしろ、我々の内面の輪郭がはっきりしていくような感覚がある。






神として祀られ崇められた「天王桜」
それは、悠久の時を経て私たちを見下ろし、訴えかけてくる。

「いま、内にあるものを包み隠さず提出しろ」と、



神仏の尊重や崇拝というものは、本来ただの一方的なお願いを押し付けるものではなく、契約である。
僕らもこの年になれば、願っていることをただお願いだけすれば叶えてくれるような神様が存在しないことは身に染みて知っている。
過度なお願いをすれば、それに見合った何かを持っていかれてしまうような気がして控えめになってしまうのである。

神も悪魔も契約と引き換えに求めてくるものは「信仰」や「魂」である。



特にお願い事は御座いません。現に与えられし幸福で充分で御座います。
願わくば、これからも自分の実力や努力に見合った結果を正当に獲得し、
せめて、理不尽な不幸に見舞われない人生でありますようお見守りくださいませ。




両の手を合わせ、恭しさと打算を過分に含んだ願いを込めて一礼し、
神の桜の前から失礼した。

神は存在しないという人がいる。
だが、神とは人々を助けてくれる保護者ではない。
我々の願いであり、思いであり、覚悟の事であると思う。

多くのそれらが集まり、それぞれの形となって偶像化したものをそう呼んでいるのだ。



此度の桜も、
多くの人々の思いや願いが顕現したまさに「神」そのものであった。




Posted at 2026/05/30 02:26:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 趣味
2025年04月25日 イイね!

白馬の春

白馬の春これまで毎年様々に有名無名の桜を巡ってきた。
コウヘイとの春旅は、2009年の山梨の桜に始まり、長野の高山村や飯田方面の桜、安曇野の桜、高遠城址公園、山形県置賜桜回廊に、福島県の三春町の滝桜にも行った。

満開を外した樹への再訪の為、
高山村や白州など何度か訪れているエリアもある。

只々、立派な桜とそれにまつわる絶景を追うだけの旅。



もう16年目になる。



自分は元来、最新の物を追求していくような人柄ではないが、それでも時の流れに合わせて変わっていっている自覚がある。
頑なに芯が通った人間ではないので、その時の大切な人や物、信仰(宗教的なものでない)に合わせて自分を変化させていくシステムを採用している。
古臭く鈍感な割にミーハーで、割と何でも理解して受け入れていく性格なのだ。

仕事が変わって職場環境が変わっても、結婚して家族が増えても、どんな環境にあってもそれらをストレスなく迎合し融和していく柔軟なコミュニケーション能力が我乍らにあると思う。
たぶん大した拘りが無いので、他者との齟齬を感じないんだと思う。
「生きてるだけで丸儲け」じゃないけど・・



何も嫌じゃないというのは、ある意味特殊能力かも知れない。


全てが底上げ式なので、好きなものに対する愛情も普通ではなく。
確実にモノにして一生囲い込んでいく。
そんな性格だから、エンジンを自分で作って20何年も一台のクルマに乗り続けたり、毎年毎年飽きもせず桜を追う旅を続けたりしている。


だが、齢をとって行くとどんどんいろんな事に鈍感になっていく。
場面場面での刺激を感じなくなっていき、感動も少なくなっていく。
そんな感受性の衰退は、生きていく為の人の強さの裏返しなのかも知れないけれど、でもやっぱり感動はしたい。
そんな中にあって、
時間が経っても自分の中で唯一変わらないものが幾つかある。

保守的になって忘れてしまっているだけで、失くしている訳じゃないんだよね。




だから、定期的にその忘れ物を取りに行きたいんだよ。



その忘れ物は全国にある。


中綱湖に着いたのは、早朝の7時前だった。

中綱湖(なかつなこ)は安曇野の北側、大町市からさらに白馬村へ北上する際に点在する「木崎湖」「中綱湖」「青木湖」の仁科三湖のひとつで、その中で最も小さいため池のような湖である。
対岸に生えるオオヤマザクラのリフレクションが有名で、多くの写真家が詰めかける。

写真で見たことがあるだけの憧れに近い光景だ。




静かな湖面が穏やかに対岸の桜を映し取っており、どちらに照準を合わせたらいいか迷うようである。

早朝の山上湖の冷たい空気の中、ゆっくり湖畔を散策し、何十枚も同じような構図をイメージセンサーに収めた。



自分もコウヘイも、思い思いに好きなように写真だけ撮っていればいいという時間は、一年を通してもこの「桜旅」くらいのものだろうと思う。


普段、抑圧されているとまでは言わないまでも、
仕事や家事など、日々の義務を果たす時間が殆どを占める中、唯一こうやって本当に好きな事だけをやる時間である。

いわゆる羽根を伸ばす時間と言えば聞こえはいいが、我々はこれを何も考えないで馬鹿になる時間と呼んでいる。





息を呑むような美しさ。



平日の早朝にもかかわらず、かなりの人が居ましたね。

日が昇って空気が暖められると、風が出てリフレクションは無くなってしまう。
だからこそ、日が昇る直前の僅かな時間のエンペラータイムを逃すまいと多くの写真家が場所取りをしていました。



気が付けば2時間近く滞在し、
撮れ高的にももう充分な感じではありますが、1日はまだ始まったばかり。

2025年の桜旅は、初の白馬村から始まりました。




相変わらずのコウヘイの愛機ヴィッツRS。
我がGC8と同時期に購入した20年選手ですが、GC8との決定的な違いがあって、
この20年で殆ど壊れていないという事実。

ヲレの知る限り、OCV(オイルコントロールバルブ)の作動不良と、セルモーター不良くらいで、あとは定期的なオイル交換だけで深刻なトラブルが殆ど起きていない。


何なんだよトヨタ車って・・・。

それだけがクルマの魅力ではないし使い方も違うから単純に比較は出来ないけれど・・・インプレッサは壊れ過ぎだと思いますw



村の畑の外れにある名もなき一本桜。

特別古木という訳ではなさそうですが、ポツンとあるエドヒガンには何か風格を感じます。


構図を変えてみようと畦道を失礼すると、冬眠から覚めたばかりであろうシマヘビが日光浴中でした。

爬虫類の完成された造形美には崇拝に近い尊さを感じてしまう。
私にとっては幼少期の頃より、両性爬虫類の美しさには敬服しかなく、神の創作物の中でもトップクラスの美を誇っている。

冗談抜きでヘビを抱いて寝たいと思っていた時期があり、本物ではそういう訳にはいかないので、肌触りや質感をリアルに再現したようなぬいぐるみが無いか探した事があるのだが、そんなものは実際存在せず残念に思っていた事がある。


っていう只の変態エピソードww



単体で見るとそれ程立派な樹という訳ではないのだけど、残雪の白馬岳をバックスクリーンにするだけでどうしようもなく絵になってしまう。


この白馬エリアの風景には、そんな特殊なマジックが係数として掛かってくるのだ。





今回この目でどうしても見ておきたかったのが、
白馬村の東側の丘の上に存在する一本桜、「野平の桜」という。



これは特殊なシチュエーションである。

山側の畑に上がるスロープの途中に植えられたエドヒガンで、こんな出来過ぎた風景があるか!と、この目で見ても俄かには信じられないような立ち姿の桜である。


目一杯パンに絞り込み、ハイレゾショットと三脚で写し込む。


ベストであろう高台の突端は、プロだかアマだか判らん有象無象が陣取ってしまっていて動く気配が無い。
雲が多く花霞なので、陽が射し青空が出るのを待っているのだろう。


それはいいんだが・・・
ちょうど陽が出て「今だ!」って感じの時があるんだけど、タイミング悪く桜の樹の前で話し込んで動かないオッサンなんかが居て、「邪魔だどけよ!」みたいに怒鳴ってるカメラマンがいた。

まぁ、明らかに画角に入るような所で話し込むオッサンもオッサンだけど・・・
口汚く罵る権限もないよな・・と思う。

どちらも周りの事、相手の事を考えない幼稚な大人であるという事を宣伝しているようなものだ。



ああいう情けないジジイにはなりたくないものだ。



遠くから人が訪れるポピュラーな桜は当然いいのだが、すぐ傍の山陰で誰かに見つかることなくひっそりと咲いているような桜がいい。
美しいから有名なのではなく、有名だから美しいになってしまっているものも多くある。

有名無名にかかわらず、美しいものは沢山ある。


そう言ったものを、拾い上げていく感性を磨いていきたいものだ。



陽が射して、ややブルーバックになってきた。
桜にも、北アルプス連山にも光が降り注ぎ、まるで絵画のような絵面となっている。

待機していたカメラマンたちがほぼ一斉にシャッターを切る。


この現場にはほぼ一時間半ほど滞在したが、すでにもう昼前。
午後には順光で無くなってしまう関係から、今この瞬間が今日のベストだと誰もが判断した瞬間だった。



開花具合は見紛う事なき満開。

前日までの数日間は天気が悪く、明日はまた崩れる。
週末まで満開状況が続かないであろう事を鑑みると、まさに今日が今年度の最高の状態だったのではないだろうか。



桜の撮影は本当に難しい、開花状況と天気の状況を見ながら、ベストであろう日を予測して自分が相当合わせていかないとこういうシチュエーションに巡り合えないからだ。
土日土日のサイクルだけで動いていたらこうは行かないのである。

こんな風に平日などに自分の都合で有休をとる為には、日頃真面目に仕事をし、人一倍の成績を残したり、急な残業や休出などにも快く応えておくことで、こちらの我儘も通しやすくなる。


大変だけどネ。



野平の桜へ向かう道中で気になる石仏群があったので、帰りに寄ってみる事にした。


ここの所長野では大きな地震が頻発していた為か、
5~6体倒れてしまっていたので、ちょっと起こしてあげる事にしました。

・・・結構重いよ。
50~60㎏くらいあるんじゃないでしょうか。

斜面を転がり落ちてる物もあって、元位置に戻すのは骨が折れましたが、一つ二つ戻してあとは放っておくという訳にも行かず、倒れているものは全て立たせてあげました。

こうやって、徳を積めばいい事があるかも知れない、という半分打算、半分親切心の労働を終えて北アルプスをバックに一枚。

どれだけ徳を積んだ所で、ヲレの人生などマイナススタートですからね、恩返しの類はないでしょう。


でも行きがけに車窓からちょっと見えただけで、帰りにちょっと寄ってみようかなと思ったのは不思議。
「呼んでたんだなぁ」なんて思ってしまう。




新緑の木立の間を白濁した雪解けの水が流れてくる。
雄大な春だけの光景である。


まるで日本ではないみたいだ。



北アルプスに吸い込まれるように走っていくヴィッツ。
残雪の峰々が背景にあるだけで、こうも迫力のある画になる。


これが白馬村の魅力なのである。




「大出公園」という美しい公園に立ち寄りました。

そこかしこに植えられたシダレザクラや、エドヒガン、オオシマザクラなどが一斉に花開き、園内を薄紅に染めています。
高台に北アルプスを含めた全景を一望できる展望台があり、みな一様に写真を撮ったり、絵を描いたり、ため息を吐いたりしていました。
水車小屋があったり、つり橋から川面を眺めたり、寝転べるような芝生の広場もある。


何だか、どこへ行っても風景が出来過ぎている。

当方、これ以上の風景美に対する表現技法を持っておらず、上手く伝えられないのが残念である。
自分が見た風景が良かったとか、花がきれいだったとか、
幾ら写真や文章で伝えようとしてもそれは無駄というもので、内燃機関を通じてガソリンからエネルギーを取り出せる効率程にも及ばないと思う。

半分も伝わらないのだ。


その片鱗だけでも伝わらないかと苦慮してはいるものの、
まぁ、何となく雰囲気だけでも感じてもらえるかもしれないと思ってブログを書いている訳だが、自分の目で見てもらいたいというのが本音で、

今度、来年にでも、自分も行ってみたい、
そう思う人のきっかけになれば本望である。





昼下がり、所は変わって町はずれにある神社。

新田地区の入り口にある伝行山という山の麓に二つの神社があり、その間に立っている立派な枝垂桜が「徹然桜(てつねんざくら)」と名付けられ親しまれている。
この桜を植えたとされている僧侶の名前である。



赤い鳥居が印象的で、敷地内には他にも多くの桜が咲き誇っていました。
神社独特の厳かな雰囲気と相まって、何だか時間が停止しているような感覚がある。





自分たちもその一部となり、歴史を共有しているような錯覚をする。
神社の静謐と桜の相性はどうしてこうも良いのだろうか。



正面には白馬三山。
もはや何も言う事は無い。



特定非営利活動法人「日本で最も美しい村連合」にも加盟している小川村まで足を伸ばしました。

白馬村より南東部の山あいに位置する小川村。
棚田や段々畑を形成しながら、
峻険な斜面にへばりつく様に山里を形成していて、県道から急勾配の道を相当に登って行った先の山の上にも人里があって驚きました。




白馬より少し下ってくるので、肝心の枝垂桜はほぼ終盤と言った感じでしたが、見栄えのいいベニシダレが満開だったり、北アルプスが一望できる見晴台があったりして雰囲気はとても良く、

ここで少し遅めの昼食を摂ることにしました。




鬼の角のような双耳峰を持つ「鹿島槍ヶ岳」が正面から我々を見ているようだった。
花の天蓋と、ウグイスやメジロの鳴き声、そして後立山連峰(北アルプス)を眺めながらの昼休憩。
やはり冠雪した山々のある風景というのはいい。



いつもキャンプ用の折り畳みの椅子とサイドテーブルなどだけ持参して、雰囲気のある場所で弁当を食べて少し昼寝をするというのが、桜旅の楽しみだったりする。

ほんのひと時ではあるが、こういうお金では買えないような一瞬が一生忘れられない記憶になる。



少し離れた丘の上にも、初老の夫婦がいい時間を過ごしている。



夕暮れの小川村。

もう一週間早ければ、村全体が桜色に染まるような様相を呈していたと思う。
白馬村との兼ね合いなので両方を取るのは難しいが、いつか小川村の満開に合わせて訪れてみるのもいいかなと思った。

安曇野、大町辺りと花期が被るので、この辺もターゲットにしつつ
白馬村より少し早い時期に回れば、北信の桜はほぼコンプリート出来そうな気がするな。



ふたたび白馬村に舞い戻り、最後に訪れた「八方薬師堂の江戸彼岸桜」
地味な感じではありますが、よく見るととても貫禄があり、ぱっくりと幹の割れた老木ながら今なおしっかりと枝を張り、沢山の英をつけています。

県指定の天然記念物。



夕刻が近くなると急に雲が厚くなり、北風が強くなってきました。
日中は20度以上にまで気温が上がったのに、明朝の予想最低気温は0度!

流石は白馬村、下手したら雪でも降りそうな雰囲気です。


そろそろ潮時かな。
東京から高速使っても3時間のエリア。
朝3時に出発したからね・・・早出の疲れも出始めていますね。


最後に道すがらなので朝イチで訪れた中綱湖に寄ってみようか。


早朝の静かな湖面とは打って変わって、ざわつく水面。



明日明後日辺りまでは満開状態は続きそうだけど、世間ではゴールデンウィークが始まるので、人出は凄そうですね。
やはりゆっくり撮影に打ち込めるベストな日は今日までだったという事か。




早朝のようなリフレクションはないが、それでも非凡に美しい風景美である。


いい所だったな、白馬村。
スキーやスノボをやるなら訪れた事のある人も多いかと思うが、こういう楽しみ方もあるのだな。

雄大な北アルプスに抱かれ、東側斜面に11ものスキー場を持つ巨大スノーリゾートのイメージが強いが、雪渓や貴重なな高山植物帯など登山による見どころも多く、独特の観光資源を持つ高原エリアであるが・・・

桜までもがこんなにも美しいとはね。


夕暮れの安曇野から奥穂高方面だけが夕暮れに燃えている。
いつかチャレンジしたい聖域である。

登山の本ばかり買って、全然行く機会が無い。
上高地から北穂高、大キレット、そして槍ヶ岳・・・三泊はしないと到達できない天空エリアがある。

まだまだ一泊も難しいので憧れるだけだが、いつか行きます。



帰りは、早く帰りたいので、ヲレが運転を代わる事にしている。
コウヘイの運転なら恐らく3時間だが、ヲレだったら2時間半は切れる筈。


ヲレもコウヘイも翌日仕事なので、21時前に帰れればだいぶラクだからね。


alt今年も充電完了です。




Posted at 2025/05/24 22:45:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域
2025年03月30日 イイね!

裏山の桜

裏山の桜早朝、下の子のサッカーの遠征試合の集合場所に送った帰りに撮りました。

毎年楽しみにしているダリア園の裏の斜面に咲く桜で、ヤマザクラとソメイヨシノの双子の桜である。
花期が違うので、まずヤマザクラが満開を迎え、散り始めた頃にソメイヨシノが咲き始める、というのが通例であるが、今年は珍しく同時に満開となった。


気温が25℃を超えるような夏日が連続してあったため、開花に必要な積算気温に同時に到達したものと思われる。













日本全国桜なんてどこにでも植わっていて見慣れている筈なのに、
なぜこうも見惚れてしまうのだろう。




altさて今年も行かないと。

Posted at 2025/04/08 01:23:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 日記
2024年04月02日 イイね!

身延山

身延山寒の戻り故、予想を覆して開花の遅かった今年。
ここ10年で最も遅い開花となった。

いつもは想定日の二週間ほど前に、旅の相棒のコウヘイと一度打ち合わせをして、自分たちの予定と旅のエリア選定のすり合わせをするわけなんだけど、
どこどこの桜を攻めたいと思っても、そこの開花日で都合がつかなければ無理だし、逆にこの週でしか休みが取れないとなれば、その期間で満開のエリア選定をしなければならない。
見に行く桜の花期に完璧に合わせていかなければ意味がないイベントなので、エリアとスケジュールの見極めが実に難しいのが桜の旅である。


今年も日帰りで予定しているので、遠くても北関東、西は東海エリア、甲信越も視野に入れているけれど、やっぱり遠いんだよね・・・。
ここ十余年で近郊の目ぼしい所は一通り訪れたと思うけど、案外まだきちんと訪れていないのが、山梨県南側の東海と呼ぶべきか中部と呼ぶべきか微妙な地域。
身延町や南部町などといった寺院が多く点在するエリアです。


東西を静岡県に挟まれているので感覚的には東海エリアですが、中央道双葉JCTと東名の清水JCT間をつなぐ中部横断道が開通したことで、実は中央道からアクセスする方が近いという意外なエリアだ。


市井も幹線道路も無かった山深い地域。
旅行遠征の中継地点にすらならない隠れ里のような場所。
だがここには「身延山久遠寺」ある。

久遠寺は身延山の南面に広がる巨大な寺院で、日蓮宗の総本山です。
全国各地5300もある寺院の本拠地ですから、その敷地面積はそれはもう広大で、本堂・祖師堂前にある樹齢400年の枝垂桜を筆頭に、西谷、東谷と分かれる身延山麓には数多くの宿坊と1000本を超える桜が点在し、この世の物とは思えない程の華やかさに彩られます。


有名な「久遠寺の枝垂れ桜」を見たくて過去に何度か個人的に訪れたことがありますが、常に予想よりも開花が早く、ちょうど満開であろうと見込んで行っても、ほぼ葉桜になっていた記憶があります。

枝垂れ桜の花期自体が染井に比べてやや早いという事もありますが、山あいにある事などを鑑みれば関東平野部の染井吉野と同等位だろうとアタリを付けると、見事に裏切られます。
富士川に沿って静岡側から太平洋の南風が入ってくるんでしょうね。
一昨年の大井川エリアもそうでしたが、東海エリアは暖かくなるのが早いです。


兎に角想像より全然早い。


なので、予想の付け方としては、
関東の染井吉野の満開予想の5日から一週間ほど早めた時期に行くと、身延エリアの枝垂れが満開なのではないかと結論付けました。
そうなると、週末の打ち合わせでしたが異例の「来週の前半に行こう」という急展開となりました。



現地7時前着を基本としているので、2時間以上を見込んでの4時半出発。
中央道での車窓は、朝日に照らされて輝く八ヶ岳や富士山、甲斐駒ヶ岳なんかを見るのがいいのだ。



「空」「無相」「無願」の三解脱を表す「三門」。
本堂へ続く石段へ至る最後の門である。

早い時間に訪れたので、門の脇の無料駐車場にクルマを停めることが出来ました。

ハイシーズンの日中は沿道が大変に混雑し、ここまで上がってくるにも一苦労という場所なので、このアドバンテージは大きい。
兎にも角にも朝早く来ましょう!



趣のある門をくぐり参道を真っすぐ行くと、「菩提梯」と呼ばれる天まで突き抜けるような強烈な石段が立ちはだかる。

「マジでこれを登るのか・・・。」

まず、その壁のような階段に圧倒される。



傾斜角50°の287段、高低差104メートルの石段でかなりキツイです。
一段一段が大きく、半分も登らない内に太腿に乳酸が溜まってきます。

登山で慣らした筈の僕でさえ、途中休憩を余儀なくされました。

菩提梯とは「一段登るごとにさとりに近づくことができるきざはし」という意味であり、ここを自分の足で登ってこその開眼・解脱と解釈していいだろう。


いやはや、それにしてもキツイ。
これは・・最後まで登り切れないひとも居るでしょうね。



頑張れ!あの枝垂れ桜まで登れば踏破である。



息切れしながらも10分程かけて菩提梯をクリアすると、久遠寺のシンボルでもある五重塔がお出迎え。


そして真向いには立派な本堂。
その右手にある祖師堂の正面にある巨大な枝垂れ桜。



更に東側の仏殿の向かいにも形の整った枝垂れ桜が。


この二つの巨樹がかの有名な「久遠寺のしだれ桜」である。




しかしまぁ、ひとえに「久遠寺の~」と言ったら、大伽藍と一緒の画角に収められ、見上げるような樹高も見事な祖師堂前(正確には隣の受付事務所前かな)の枝垂れの方ではないかなと思う。

どちらの樹も齢400年を超えているとされています。



しばし無心にシャッターを切るだけでした。

この場所は西側は山の斜面があり日の入りが早い・・開けているのは東側だけなので、朝日の入りが素晴らしい。
撮影は断然午前中狙いがいいですね。







どんどん日が上がってきて、陰影が変化してゆく。
同じ場所で撮っていても、撮るごとに顔を変えていく。

華やかで煌びやかな久遠寺と枝垂れの古桜。
初めて見る満開の巨大天蓋。
何か特別な力が宿っていると感じずにはいられない、強い霊気を纏った枝垂れ桜でした。





本堂や仏殿など、伽藍の内部も見学コースがあり、無料で観覧できます。
撮影は禁止でしたが、中も凄いですよ。


日蓮宗と言えば、日本仏教の中では異端とされる少数派で、ブッダの教えをルーツにしている事は同じですが、やや独自の解釈をしている事で有名です。
マジョリティーである「南無阿弥陀仏」ではなく、「南無妙法蓮華経」と唱える独自の教えを説いています。

「嘘も方便」という言葉があるように、相手に合わせて様々な方法や言い回しで説法をしたとされるブッダの手法は、多くの解釈を生み出してしまい、後に沢山の宗派に分かれました。

それが空海が広めた真言宗であったり、親鸞の浄土真宗であったり、最澄(さいちょう)の説いた天台宗だったりする訳です。
日蓮宗は天台宗の説く「法華経」がベースとなっており、更には日蓮正宗と派閥を二分しました。
これが、富士宮の「大石寺」です。

日蓮宗はブッダの経典に一切記述の無い内容を布教していると言われ、日本仏教界からはやや爪弾きにされている感はあります。
「創○学会」を生み出したのも大元は日蓮宗ですから、偏見で見られがちですが、今は一切関係ないとHPでも謳っています。


手塚治の「ブッダ」を読破した事でとっくに「悟り」の境地に到達しているヲレに言わせれば、「俺が正しい」とか言って諍いを起こすこと自体がナンセンスで、悟りからは程遠いハナシ。
結局宗教は統治や政治と常に結びつき、大多数を導き富を集めるための手法と成り下がってしまっている。

原点の教えは崇高でも、利用されてしまっているのだ。


自身の幸福と安寧が訪れるのであれば、
何を信じたって信じなくたって同じである。
お経の文言が何であろうと、無宗教のヲレにとっては同じ事、そんなものがあったって無くたって、充分に幸せだと思えているヲレ自身がその証明ではないか。


ただ、人々が信じてきた歴史の長さ、深さを感じる事の出来る立派な寺院や、神社といった古い建造物などにはやはり感じるものがあります。
「信じる」という心には邪な思いがありませんからね、神社仏閣には神聖な静謐があるのはやはり多くの人々の真摯な思いが反映されているからなのかも知れません。




心が洗われるような素晴らしい寺院でしたよ。





朝イチで本丸の久遠寺に乗り込んだので、早くも撮れ高的には充分過ぎる位ですが、西谷、東谷、奥の院と広大に広がる身延山周辺をもう少し散策したい。







西谷には徒歩でしか回れない宿坊や寺院が密集しており、庭園や参道には所狭しと桜が植えられている。
もはや、この世のものとは思えないような美しさがそこにはあった。



新緑の輝く西谷の沢を上がってゆく。



日蓮が晩年の九年間を過ごしたとされる草庵跡地を横目に、もう更に一段上がると、日蓮聖人の御廟所(びょうしょ)があった。(廟所とは簡単に言うとお墓の事である)



巨大な御りんが置かれた拝殿。
「立正」とは法華経を通して世を正していこうと言う仏教用語。





久遠寺境内や参道近辺には陽が上がってゆくにつれ、多くの観光客で賑わいを見せていましたが、じめじめした渓谷のはずれの墓所にまで上がってくる人は殆ど居ません。
敬虔な信者か我々のような物好き位であろう。



沢に沿ってもう少し降りてゆくと、再びスタート地点の三門に戻ってくる。
早朝の時と違い、多くの人が菩提梯に挑んでいるのが見える。


今度は東谷を見て回りたいのだが、再び本堂から下りてゆくルートとなる。
菩提梯にもう一度チャレンジするのも良いのだが・・・女坂という少し遠回りして登ってゆく山道があるので、そっちから行ってみる。


実際女坂は、味気の無い山道をだらだら登ってゆくだけの長いルートだった。
再び菩提梯を上がってゆく方が良かったかもしれないが、それはそれで結構削られるのでどっちもどっちかな?


本堂をスルーして東谷に降りてゆく。
しっかりした車道が整備されていて、その沿道に宿坊が点在すると言った按配だった。



途中、久遠寺十一代法主を務めた日朝上人(にっちょうしょうにん)を祀ったお堂があり、にっちょうさまと呼ばれている。

にっちょうさまは目の神様だと言うので、あのお金を使わない「だい」が、唯一お賽銭をして願掛けをしたんです。


「どうか老眼がこれ以上酷くなりませんように。」


そして、全てを眼に頼って生きてきた人生なので、この視力が奪われるような残酷な人生とはどうか無縁でありますように・・・とお願いをしてきたのであります。





東谷もだいぶ降りてくると左手にある志摩坊には、
今度はさいじょうさま(最上位経王大菩薩)を祀っている祠というものがあり、この神様に関しては、「もう何にでも効くやつ」みたいな、兎に角何でも叶えてくれる・・・みたいな凄い神様がいらっしゃるようでした。


何かパワースポット巡りみたいな感じになってますが、桜を巡る旅です。




山を歩いて降りてくると、三度「三門」のすぐ下の商店街辺り。
午前中はすっかり、久遠寺界隈の散策で終わってしまった。
本当は歩いて奥の院などへも行ってみたかったが、片道数時間かかる登山になるので、恐らく一日が終わってしまう行程。
またの機会にしたいと思う。

昼も近いので、そろそろクルマに戻り身延山をあとにします。

桜も然ることながら、歴史の古い名刹古刹も雰囲気が素晴らしく、なかなか良きお寺巡りであった。錦秋の頃にまた訪れてもいいかも知れない。





この可愛らしい二両編成は甲府・富士間をつなぐJR身延線。

塩之沢駅周辺の桜が~という事でしたが、
染井吉野はまだ二部~三分咲き程度でした。
お昼を買って、何処か雰囲気のいい場所で休憩にしようと思ってロケハンしているのですが、ココじゃない感じ。



南部町の少し山間に入って立派な枝垂れがあるという妙覚寺へ。



昼休憩のロケーションには拘る方なので、なかなかいい場所が見つからないと結構ウロウロすることになる。

しかし、ひと目見て「あっ、ここだな。」
そんな感じのいい場所がありました。


巨大な枝垂れ桜の真下に椅子を出して、コンビニで買ってきたお弁当昼食。
ふんわりと白い木漏れ日の中で、しばしの昼寝タイム。







樹齢300年の枝垂れ桜の下から、薄紅色の天蓋を見上げてぼんやりする。
なんだか夢と現の境目がなくなる様な不思議な雰囲気。

他に訪客も居らず、ただメジロやムクドリの鳴き声だけが聞こえてくる。

人生の最後にこんな樹を見上げることが出来たなら、
それだけでもう何も思い残すことなく、すっかり成仏できるような気がする。
他に何が要るんだろうという気になる。
まるで曼荼羅を見上げているように宇宙が完結している。
過去と現在、未来が混在し、ゼロポイントに集約しているようなそんな特異点を持っている。

桜と言うのはそういう樹なんだなぁ。






集落を少し散策して、里山にぽつぽつと佇む桜を収めていく。

暫くの間、よそ者が何の用だ!という顔で茶虎の猫がこちらを見ていたが、害が無いと悟ったのか、裏路地の石垣のあいだに去っていきました。
野良猫がよ!



今回の旅で最も古木である「本郷の千年桜」。
千年桜とはいうものの、実際は5~600年のエドヒガンザクラである。


特殊な形態をしている樹で、約5メートルの高さまでは根っ子なのだという。
沢山の添え木が成されながらも、まだまだ立派な花を付けている。

ここもロケーション的には朝だったな~という感じでしたが、これは仕方がない。


午前中のブルーバックなら、何処から撮っても可憐な花を強調できるが、午後の鈍色の空ではそれも難しい。
昏い山陰をうまく利用して、英を際立たせるのがいいだろう。



千年桜から程近い民家の桜。

接道にまでクルマが入ってきてしまうのか、庭へ続くスロープの手前には丸太が転がしてありました。
お寺や神社と違って民家の桜を見学する時は、マナーや節度が必要ですね。



ウチのインプレッサと同じく、2004年から運用しているNCP13ヴィッツRS。
未だに我々の旅の相棒として活躍してくれている。

1.5リッターツインカム4気筒エンジンの5速マニュアルである。
年式の割りに低走行ということもあるが、流石はトヨタ!この20年で殆ど壊れた事が無い。
大きめの事件でも、セルモーターを交換したとか、VVTのオイルコントロールバルブが逝かれて始動不良になった事があるくらい。

ドラシャのブーツすら変えたことないな・・・どうなってんだこのクルマ。。

なにしろ燃費が素晴らしいので、同じガソリンの量でも高速ではGC8の倍くらいは走ってしまう。(しかもレギュラーガソリンだし)
何と言うか、不満が無いので買い替えられないでいる一台である。



菜の花畑とだ い 。
ヲレの写真は全てコウヘイが撮ってくれていて、コウヘイの写真はヲレが撮っている。


学生の頃から一緒に写真を始めた間がらだが、コウヘイは動画メインではあるが独立しているプロのカメラマンである。
未だに劇団員なども掛け持ちしているが、お金にも何にもならないからそろそろ辞めたら?といつも言ってるんだけど、しがらみもあってなかなか難しいらしい。


もういい加減オジサンになってしまったが、未だ未婚である。



本日の最後は「原間のイトザクラ」と呼ばれていて、町指定の天然記念物になっている。
樹齢は400年。

傍らには石碑や墓標が一列にならんでいます。


実は枝垂れ桜という品種は無く、枝垂れている桜の総称であり、品種上は「イトザクラ」と呼ぶのが正解である。
エドヒガンの変異種であるとされていて、更に品種改良により多くの品種がある。
元々は庭木として植えると家運が衰退すると言われていた為、好まれなかったが、近年ではその美しい見た目から、その価値を見直され始めている。





枝垂れ桜はやはりお墓で見る事が多いせいか、柳のようにおどろおどろしいイメージはありますね。
美しさも相まって何か魔性のようなものを感じます。

ここも午前中ですね~。
青空バックで撮ってみたかったですが、午後に斜面の下からアオリで撮っても完全逆光なので、大分オーバーにして白い花を拾いました。

まぁ、今回の主役は身延山の久遠寺でしたので、これは仕方がない。

桜の撮影で大事なのは、複数の桜が狙いであっても、その日のメインは必ず一番最初に持ってくることですね。
遅くとも午前10時前には撮り終えてしまった方が良い。
正午付近のハイライトでは陰影が消えてしまい、あまりいい写真は見込めないですし、春先はだいたい昼過ぎから湿気が出てきて花曇りになってくる。
雨まで降らないまでも、透き通るような青空が午後まで続くことは滅多にない。

昼はゆっくり休んで、午後は西日で映える物件を残しておこう。
日没後にはライトアップされるような桜を最後に持って来られればベスト。
今回はライトアップ物件は無かったので、早めに切り上げて地元のもつ鍋屋で打ち上げして帰りました。

歩いていける場所だから飲めるんだよワハハ。


今回は「一本桜」という括りの桜は少なかったですが、「寺院の桜」がメインでしたね。
こういう趣の桜旅もまたいい。


この齢になるとね、なかなかワクワク出来るような事が無くなってくるんだけど、それでも未だに変わらないときめきを与えてくれる不思議な存在「桜」。




来年はどんな桜に出逢えるかな。


altそろそろ宮城/岩手を再訪してみたい。
Posted at 2024/04/20 23:16:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域
2023年04月05日 イイね!

二本松の桜

二本松の桜2009年の山梨を皮切りに始まった桜を追う旅。
コロナ禍で行かれない年もあったが、今年はしっかり計画することが出来た。

その内容は、幼少時からの友人と全国各所の一本桜を写真撮影しながら巡るというだけの爺臭い旅だが、これ以上もこれ以下もない究極の趣味だと思っている。



僕は昔から様々の事に興味を持つ度に、その核心に迫るべく取り組んできた。
趣味の領域を超えて、仕事や研究と呼ぶべきなのではないかという所まで追い込んで行くスタイルだったと思う。
だから多趣味だと思われがちであるが、その実はそうでもないというのが自身の感想である。
ただ単に何かを追求する事が好きなだけで、媒体は何でもよいのだ。

幼少期は自然が好きで生き物が好きだった。
昆虫が好きで小学校に上がる前には、ずらりと並んだ昆虫図鑑を穴が開くほど見返していて幼稚園では昆虫博士と言われていた。
長じてくると魚や小動物に興味が移り、部屋が水槽だらけになっていて手が付けられなかった。
トカゲやカエル・ヘビ、熱帯魚の飼育に留まらず、日本産の淡水魚の渋みのある美しさにウットリとしていた。
変な子供である。

中学高校と進学すると、バックパックにテントやら何やらを詰め込んで登山や、歩いて旅をするという体験型のレクリエーションが趣味の中心だった。
青春18きっぷという24時間以内ならローカル線乗り放題というJRの切符を使って本州の最果てまで行き、テント泊しながら何日間も歩いて旅した。
スマホは疎か携帯電話も普及していなかった頃なので、国土地理院の地形図と、現地で直接見聞きした情報だけで全ての行動を決した。
そもそも何もない山奥に好んで赴いている訳で、不便も不自由も感じることなく寧ろ誰よりも自由だと感じていた。

本州で最も美しいとされる清流を横目に海を目指して歩く。
水面に反射してきらきら光る春の陽光と、川向こうの山の斜面にポツンと咲くヤマザクラ。

これ以上は何も要らないな・・・そう思えるだけのものがそこにはあった。

写真を好んで撮るようになったのはこの頃からだが、作品性というよりは臨場感を想起させる記録用という感じだった。


クルマやバイクは奥深い趣味なので時間は掛かった。
運転が好きだったのでバカみたいに走り回ってクルマも散々壊したけれど、ドリフトにグリップに雪山に・・・と、これ以上は命が幾つあっても足りないと思う所までは追い込んだと思う。


‘98頃の奥多摩湖畔にて


AE86には10年近く乗り続け、理論的な考えを技術に落とし込んで実践的な走りに繋げる取り組みに没頭していた。

そんな走り方をしているとクルマはどんどん壊れるので、エンジンミッションを取り換えたり、分解して修理したり、お金を掛けられないので全て自分でやった。
一見大変だけどきちんと理解すれば誰にでも出来るなと思った。
板金塗装も難しいが仕事にまでして一通りやったが、自分で直せたら便利だなと思っただけである。
整備や運転技術の追求が結果的に楽しかった訳だが、そんなに好きかと言われたらやはりそうでもないと答えてしまう。
たまたまクルマだっただけだ。

要するに音楽でも料理でも何でも良かったんだと思う。


と・・まぁ、色々と興味を持ってきたものの僕の人生には「これしかない」と思えるものが無い。
むしろ何でもよいのだ。
恐ろしくミーハーなのである。

にも拘らず、手を付けたものは限界まで深堀する。
それぞれの分野に於いて、その神髄と呼べるだろう所に触れる所まで追い込んでみても、自分のかけがえのない物にはならなかった。
やはりそれそのものがもの凄く好きという事にはならないのだ。
この世の森羅万象のごく一部が少し理解できて良かったと感じたに過ぎない。

おこがましい事だが、「この世界の構造を理解したい」という恐ろしく漠然とした欲求をごく僅かに満足させたに過ぎなかったのである。

無茶苦茶だ。


それは生物を飼育することで命を慈しむ心を育み、
友人との僻地での旅で肉体や精神を追い込み、人生の本当の価値を見い出し、
クルマやバイクを通して様々な友人たちと出逢い、これまでの取り組みの集大成を見せあう様な、自己表現をキャンパスに書き込んでいくような日々、人生の醍醐味と呼べるような日々だった。
まぁ、包括的に見ればバランスよく色々やってきたなという感じがする。
何でも身体で知っておきたいという性質なので体験型雑学王という感じがするな。


話は随分内側に広がってしまったが、
多くの事を追求し移ろい、様々なドラマがフラッシュバックするこれまでの人生のページの中で、定期的に割り込んできていつまでも変わらずにそこにあるものがひとつだけある。

それが桜である。



何に惹かれるのかも上手く説明が出来ない。
多くの語彙を用いて説明しようとすればするほど無粋になる。
この社会においては唯物論者であるはずの私の理解を超えた神のような存在である。

桜というものは一体何なのであろうか。



早朝の3時にコウヘイに迎えに来てもらった。

僕がGC8に乗り換えた頃と同時期に買い替えているので、もう19年目になる初期型ヴィッツRSの1.5リッターである。
足回りやウェザストリップなどヘタるものは交換してきましたが、流石はトヨタ。とにかく故障という物が無い。
この20年弱で機嫌が悪くなったのはセルモーターと、エンジンのVVTをコントロールするOCV位のものである。

スポーツグレードのDOHCの1500㏄ながら、高速ならリッター15キロ以上という素晴らしい燃費を誇っているので、今回はヲレのインプレッサで行こうぜ!みたいなことにはまずならないですなw


今回は日帰りで行ける限界であろう福島県二本松周辺。
震災後に赴いた三春町より更に北側に位置するエリアである。

コロナ禍全盛期には自粛感が勝り行く事が出来なかったが、昨年は近場で済ませようという事で静岡の川根町の水目桜を見てきた。
奥ゆかしくて素晴らしい桜であったが、やはりもう少し欲しがっている自分がいた。

福島は、町中がさくら色になるようなエリアが多い。
日本三大桜と言われる滝桜を中心とした三春・田村町などの桜の町も有名だが、更に県北の二本松から福島市にかけてのエリアにも有名な一本桜の密集地帯がある。

満開の時期と天気の兼ね合いを見ながら、ベストな日を予測し、有休を取得した。
自分もコウヘイも忙しいので、なかなか泊まりではいけない。
いつかはそんな人生の余暇を楽しみたいが、目下は日帰り弾丸での福島遠征である。




福島市の南側、松川町にある「芳水の桜」を先発に持ってきた。
畑の中の調整池のほとりにあるしだれ桜で、水面に映る姿が美しいと有名な桜である。

太陽が低く水面が暗い時間帯が良いと考え、午前中の一発目に勝負を掛ける事にしたのだ。


桜は予想通り満開で、風もなく水面は鏡のように桜を映している。
平日の早朝という事もあり、人影も疎ら。
ほぼ貸し切りであった。





朝7時頃に現地に着いた。
クルマを降りると、控えめにほんのりとだけ桜の花と水仙の匂い、あと土の匂い、いつもの春の野の薫りがした。
必ずと言っていいほどウグイスが鳴いている。

初めて来る場所だが、またここに戻ってきたな・・・という感慨が訪れる。




水面に映る樹影も然ることながら、非常に見立てのいい桜である。
美しいドーム状のシルエットからなだれ落ちる様に枝垂れる英が何とも見事なのだ。

その枝垂れ桜のドームの中から花の天蓋を見上げていると時間が止まっているような気がした。
何だか現実離れしている空間である。



こんなに奥ゆかしい美しさが他にあるだろうかと思ってしまう。



小長石の駒ザクラ(秋山の駒桜)も凄かった。
これまで見てきた桜の中でも数本の指に数えられる巨樹である。


コウヘイも童心に還って楽しんでいるのが判る。


木に向かうまでの散策路も春爛漫といった感じだ。









根回りに多くの石碑や地蔵を抱く樹齢500年を数えるエドヒガンで、幹の間近まで行くとその存在感に圧倒されます。
遠目に見ても樹高があり、大変形の良い枝張りをしている。



ここも、午前中の早い時間に来られたので、先客も一人二人といった感じだが、見紛う事なき満開を呈している。
予報では花曇りとの事だったが、奇跡の青空をバックに従えて完璧な撮影コンディションと相成った。


余りの見事さに言葉が見つからなかった。

暖かく、ほぼ無風の春の陽光の中、狙ってもなかなかお目に掛かれないような全ての条件が揃ってしまった。
小長石の駒ザクラ・・・本日の撮れ高はもう充分なので、もう帰ってもいいような気持ちになっていた。



桜の観光客の為の六角堂のような休憩所が建築され、近くの高台ではお茶屋さんが臨時営業を始めていました。
山の麓の入り口付近には駐車場が整地され、案内所には人が詰めている。
とにかく地元の皆で観光地として盛り上げ、大事にされている事が判りました。

素晴らしい桜でした。



駒ザクラよりやや北側の集落の民家の裏にあるという「駒姫桜」を探しています。
本当に町中がこのように桜だらけ。
移動中も、あの桜はどうだろう・・・ちょっとここ寄ってみようか、といった具合に飽きる事が無い。



そして本当に民家の裏庭みたいな所に植わっている「駒姫桜」を見つけました。
樹勢はやや衰えているものの、なにせ樹齢500年という古木です。
ぼこぼことうねる様な幹から樹齢相当の風格を感じます。


有名で桜そのものが観光地のようになっているものもあれば、このようにほぼ人が訪れる事が無くひっそりと咲く古桜もある。

手入れの差こそある程度感じますが、どちらが素晴らしいという事は無い。
どちらも400年、500年の時を超えてきているのである。


人間から見たらどちらも神のような存在である。



集落の外れにある墓地の薬師堂、その奥の神社が桜の森になっていました。


お堂の脇で一枚撮ってもらう。

墓地ではありますが、青空の元、吹き抜ける薫風が暖かい。
見晴らしも良く気分の良い所でした。



鳥居の奥の石段を上がっていくと桜に囲まれた小さな神社。

今風に言うとパワースポットだとかヒーリング効果だとか言うのかな?
神社というだけでそういう雰囲気はあるものだけど、そこが桜花繚乱となると、そのエネルギーは凄まじいですね。

自我や邪なものが消えて行き、宇宙と一体になっていくような浮遊感を感じます。


美しい里山、一体何なの。


県道で二本松エリアへ戻る際、駒ザクラを再び遠景から狙ってみる。
何という立派な桜だろう・・・。

遠くから見てもこの圧倒的な存在感。



次の桜を目指す道すがら、ふと雰囲気のある赤鳥居。
咄嗟にクルマを端に寄せて、カメラを手にします。

同じことをして回っている人には同様に目に留まるようで、我々のヴィッツのすぐ後ろにも一台停車。
おじさんが一眼片手に降りてきて、数枚をファインダーに収めていました。
「次は何処に行くんだい?」と話しかけてきたので、「この先の墓地のシダレです」と伝えると、「今は慈徳寺のシダレが満開だよ、このすぐ先だから行ってきな」そう言うと、市内の桜巡りのパンフレット的なものをくれました。

「そうか~、予定外だがあとで寄ってみようか。」



ここが予定の小田の枝垂桜。

墓地のど真ん中にある巨大な紅枝垂れなんですが、紅枝垂れは少し早いんだよね。
時期を過ぎると白っぽくなって葉桜になってくる。

それでも非常に立派な枝垂れ桜であることは充分に判りました。




先ほどのおじさんが教えてくれた慈徳寺。
満開の立派な枝垂れ桜が迎えてくれました。

パンフにある様な有名な桜なので、多くの観光客が観桜に訪れていました。


菜の花を入れてみたり、色んな切り取り方が出来て面白い。
見栄えの良い桜ですね。

神社寺院は元々多くの桜を植えることが多いですが、神社と違ってお寺は枝垂桜が多い気がしますね。
天井から吊るす仏具である「天蓋」に見立てているからという説がありますが、何となくそれも頷けます。




昼食を摂ろうと訪れた諏訪山神社。
境内の参道の桜並木の脇に椅子を出して、お弁当を食べることにしました。

いつも昼飯をどこで食べようか・・と悩んで欲が出てしまい、昼食が遅れてしまう事が多い。
早出の慌ただしさを一旦ここでリセットし、静かで落ち着いた環境で桜でも見ながら食事がしたいという究極の願望があるからで、午前中の行動はこの為のロケハンという意味合いも大きい。

ここも神社という厳かで静かな環境、高台で見晴らしも良く、桜並木のエドヒガンの脇でキャンプ用の椅子を出して腰掛けると、なんかもうどうでもいいや・・・という安堵感に包まれました。

平日であるからか、人影も疎ら。
境内には樹齢400年を超える枝垂桜があります。



歴史を感じるぼこぼこの太い幹。
大枝は枯れ落ちて樹齢相当に朽ちかけてはいますが、それでもまだ振り絞る様に花を付けています。


幹だけでも雰囲気がありますね。





そのあとも、有名無名の桜を幾つか周り、日は傾いていきます。
正午過ぎから夕刻に掛けての時間というのは、割と空白の時間と言うか、少し時間を潰すような過ごし方になってきます。

日光がトップライトだったり、春先は午後から白く霞んでくる事が多いので撮影に適さないことが理由です。
空の色と桜が同化してしまう。



トワイライトからのライトアップがある桜を予定しておいて、それまでのんびり過ごしたりしています。



まだ早いのだけど、本日のオーラスを飾る桜の下見をしに来ました。



「中島の地蔵桜」
水張りがリフレクションになる田圃の桜で、夕刻からのライトアップに先駆けて多くのカメラマンが陣取っていました。
考えていたよりも有名な桜のようで、人の数が凄い。
場所取りとかは余り好きではないので、周辺をウロウロして見え方の確認だけしておきます。
高台に登ってみるポイントや、裏側から安達太良山を背にするポイントなど結構どこからでも狙えますが、やはり水張りしている田圃の正面からですかね。

日没までまだ一時間位あるので、もう一か所だけ見てきたい桜があります。




ここも観光客などが訪れそうもない里山の窪地に座している桜、「長沢のサクラ」齢400年を数えるエドヒガンで、見るからに老いた椿を脇に従えて悠久の時を超えてきた。


これも素晴らしい巨木ですね。




こういった古桜はもはや神様なので、こちらも自然と厳かな気持ちとなる。
邪な気持ちは見透かされ、無礼な振る舞いは許されないような気がして、心の中では「失礼します」と一礼してからシャッターを切るような、そんな心持ちになるのだ。

人間など愚かで低俗で、小さな生き物なのだから。


山陰に日は沈み、薄暮に浮かび上がる里山の古桜。
我々が見ている間、誰も訪れなかった。

こういう「見つかってない」桜が個人的には好きですね。
変にスポットが当たっていない方が、生物は長生きしやすいでしょうし、
このままあと数百年ここで時を重ねるのでしょうね。



さて、いい時間になってきたので地蔵桜に戻ります。

ちょうど18時をまわった所で周囲に設置された照明が点灯しました。


夜の帳が降り始めます。
周囲の余計な物は宵闇に沈み、ライトアップされた枝垂れ桜が輝き始めます。
ここから空が漆黒の闇に変わるまでのおよそ45分間、いや、トワイライトブルーになる最後の15分程度がこの桜のエンペラータイムでしょう。




息を呑むような美しい演出。
自然と人の手によるエンターテイメントの織り成す究極の美術といえるでしょうか。

多くのカメラマンが日没前から陣取っていた上段の田圃の水面が最も近い真正面からの絵は、トワイライトシーンが撮れませんでしたが、空いていた下段の田圃でも充分な美しさを捉えられたと思います。毎年撮ってる方々は欲が出るのでしょうね。


私はここで14年もこの桜の案内をしてるんだというおじさんが、うろうろ回りながら手慣れた感じで地蔵桜の名前の由来だの、桜にも年棒というものがあるだのという話をみんなに説明している。
この「中島の地蔵桜」は、この開花の時期だけで大体300万円くらい稼ぐのだと自慢気に話をしていた。
だけど、三春の滝桜は1億5000万円も稼ぐらしいという話でオチをつけていました。
日本のプロ野球の二軍の選手とメジャーの選手ぐらい差があるな・・・。

三春のスーパースターでは相手が悪すぎるだろ・・・と思いながら聞いていましたが、この水張りの逆さ地蔵桜もなかなか素晴らしいものです。


久々に桜で訪れた福島でしたが、やはり桜が多く良い所だなと再認識致しました。
私の浅はかな理解や美学が届く事のない超越した「神」のような存在である全国津々浦々の一本桜。


これは趣味を超えた「信仰」なのかも知れないな。

この世に数多くある宗教にはその教義に触れる度に「弱いなぁ」と切り捨ててきた自分であるが、結局見た目で判断するという単純な側面がある。
基本的にお金と屁理屈で成り立っているものを見下しているので、初見の美しさやフォルムなどから受け取るインスピレーションで判断する事が多い。
偽物には出せないオーラというものがある。
心の拠り所とする不変のリスペクトの根拠など、結局そんな所なんだろう。

「カワイイは正義」なんて言葉があるけれど、桜の美しさの魅力はこれと同義なのかなと思う。
アイドルを追いかけている事と何ら変わりはない。
直訳通り「idol=偶像崇拝」なのだなぁ。


これでまた一年分の英気を養えたな。
連休ゆっくりしたらまた色々頑張ろうっと。

altもうGWかよ・・腰が痛くてヤバイ
Posted at 2023/04/30 16:04:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域

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何シテル?   06/30 04:17
だ い です。空白が二つですw 板金塗装と整備をちょこっとかじってマス。
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