
先々週辺りから腰を痛めていただ い 。
過去に何度もなっているので、従来通りの痛みに辟易しながらも、少しづつの回復を見せていた先週末。
子供たちの食事の後始末で台所に立っていると、腰に恐るべき衝撃が走る。
その電撃に近い感覚は腰椎の右側、背中に近い所で発生した。
坐骨神経と呼ばれるところである。
軽くしゃがんで立ち上がり、右足へ重心を僅かに移した瞬間に全身を激痛が駆け巡る。
「くそっ!!」
焼きそばの食べ残しを片手に、崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
右足に力を入れれば入れるほどその痛みのポイントに千枚通しを突き立ててグリグリされるような激痛が走り、余りの衝撃に気が遠くなりそうになりながらも、すぐ足元にある段ボールの箱の上に持っていた皿を放り落とした。
それほど高さがなかった為か、僅かにバウンドした皿から食べ残しの焼きそばが溢れることはなかった。
そのまま床に崩れ落ちるかと思ったが、休憩用に置いてあった椅子の座面に両手をついて堪えた。
ほぼ全体重を腕だけで支えるようなイメージで真下に向かって椅子を押している。
両足はつま先立ちの様になり、生まれたての小鹿のような案配で小刻みに痙攣している。
四面楚歌
八方塞がりとはこの事である。
ややポイントがズレたのか、先程の激痛が10とするならば、8の所で止まっている。
だが、ここからどう動かしても先程の10の痛みに戻ってしまうのではないかという恐怖に打ち勝てず何も出来なくなってしまった。
「魔女の一撃」
ドイツ語でのぎっくり腰の直訳である。
まさに!という名称であるのだが、実際に経験した者でないと判らない程の筆舌に尽くしがたい激痛のひとつである。
この痛恨の一撃には凄まじい威力があり、「運動能力」は勿論、「思考能力」や「精神力」などその時持っている筈のあらゆるスキルを一瞬にして奪い去る。
そして殆ど身じろぎも出来ないまま、大した声も発することが出来ないままに、ひたすらに耐えることしかできない。
そしてこれを経験した殆どの人がボンヤリと思い描くのが、拷問というものはきっとこう言うものなのだろう…
護っている秘密がそれでも言えない類いのものであるならばいっそ殺せ…そんな風に思ってしまう程の激痛である。
とても耐えられない痛みというものが存在する。
「痛みくらいなんだ!本当に大切なものを守るためなら幾らでも耐えてやる。」どこかでそんな風に牽制していた勇ましい架空の自分は、この一撃の前には屈せざる得ないかもしれない。。
本当に大切なものは何だ‥愛する人々なのか、己自身なのか、何か怖くて何のために生きている。
田中みな実に「駅近の土地だから」って言われた気がした。
「じゃあ愛ってなんなんだよ。」
漸く戻ってきた。
同じ体勢のままどれくらい時間が経ったのだろう。
物凄く長く感じたが、恐らく20分位が良いところだろう。
ほぼ両腕だけで身体を支え続けることに限界を感じはじめたのだ。
「くくくくっ、クソがっ!!!」
何とかゆっくりと左膝を床に落とし、右足を曲げないように身体の左側面から寝そべることに成功した。
やはり右足への負荷の掛かり方によって痺れるような痛みがびりびりと伝わってくる。
「ぐぬぬぬぬぬぬ!」
取り敢えず少しでも痛みが和らぐ姿勢で固定し、体力と精神力を回復させなければ‥次の事を考えられるのはその後の事である。
「‥畜生め、何てこった!」
ただ床で苦しみ悶えるだけのクリーチャーから人間に戻らなければならない。
携帯は?スマホはどこだ?
確かダイニングのテーブルの上にあるはずだ。
「れん!れーん!ちょっと来てくれるか!」
使役願望が強い次男の方を呼びつける。
「れん!早く来い!」
「‥なに?」
ユーチューブ閲覧端末と化している古いスマホを片手に渋々やって来た次男坊「れん」今年5歳になる。
こちらを見る様子はない。
「おい、ユーチューブ見てる場合じゃないんだよ。」
「お父さんの電話テーブルの上にあるだろ、それ取ってきてくれ。」
「じゃあ、スプラトゥーンゲームやってもいい?」
「スプラトゥーンやってる場合じゃないんだって!お父さん今マジでヤバイんだって!」
「スプラトゥーン‥」
「少しだけならいいから、早く電話取ってきてくれ。」
嬉しそうに俺の携帯を取りに行くれん。
ネゴシエイト オン
いつもふざけてるせいか、深刻さが伝わらん。
血でもドバドバ出てない限り、何もしてくれないだろうな。。
携帯だけ自分に手渡すと、「じゃ、いいよね。」と言って居間に戻っていってしまった。
「くっ!そんな感じか!!」
これは恐らく救急車案件だ。
だが、子供二人を残して搬送されるわけには行かないし、連れていくわけにも行かないだろう。
妻には急いで帰ってきて欲しいが、本日の業務終了まではあと僅かな時間だったのでメールで緊急事態であることを残し、帰りを待つことにした。
早くてもあと一時間強。
移動時間を含めての妻が戻るまでの時間である。
それまでこの台所の床で寝そべっているのは厳しいし、担架で運び出されるには狭い空間である。
もう少し玄関に近い寝室まで何とか這っていく事にした。
痛みで下肢は動かせないので、本当に腕力だけで身体を引き摺っていくと言う事がこんなに難しいとは思わなかった。
例えて言うならロッククライミングに近い。
這うというのは足が使えてこそのものなんだなと俺は思った。
下肢が言うことを聞かなくなるようなハンディキャップをもった人が、脚なんて切り離してしまいたいと弱音をはくシーンをドキュメンタリーなどでまま見るが、少し判るような気がした。
自分で動かせないとなると、只の邪魔な重量物である。
しかもかなり重たい。
健康の大切さを酷く痛感しながら、漸く敷きっぱなしの布団に転がり込むことが出来た。
うつ伏せのまま、次の一手を考える。
既に事が起きてから一時間程過ぎた頃ではあるが、救急搬送を免れるほど何かが出来る状態ではなかった。
・・・時期が悪い。
ピークは過ぎたとは言え、医療従事者にとってはまだまだ充分にコロナ禍である。
その場でスマホ検索した救急搬送の相談窓口に電話をかけて状況を説明し、119番が適切かどうか聞いてみると、全く動けない状態であれば遠慮なく救急車を呼んでもらっていいと思いますよ。
との旨。
返答はまぁ、大体予想した通りであるが‥コロナ禍を鑑みて、救急医療状況の逼迫度を打診したかった意味合いもある。本当にヤバイ状況なら「もう少し様子を見てご自身たちでなんとかなりませんか?」となるんじゃないのかなと。
「倫理的には問題無さそうだな‥ヲレの方がヤバイ。」
程なくして妻から電話があり、「平気?もうすぐ家だからもう呼んじゃっていいよ!」と言ってくれたが、帰ってくるのを待っていることにした。
辛いのは変わらないが、一時間も一時間半もそう変わらない。
程なくして妻帰宅。
「大丈夫!?」
大丈夫ではない。
兎に角もう、能動的に何かをしたくないのだ。
速攻で妻に119番してもらい、救急車が手配される。
状況すら聞かれなかったそうだ。
寝室は間口が狭いので、玄関まで何とか這いつくばって出た。
それだけで少し安心し、玄関のラグに突っ伏した状態で動けなくなった。
びっしょりと汗をかいてしまった。
救急車の到着は早かった。
都合10分は掛かってないんじゃないだろうか。
日本の緊急通報ネットワークの優秀さには改めて驚かされる。
高々ぎっくり腰の患者に対して、一分一秒の緊急配備をしてくれたことに申し訳なくすら思う。
だが、許して欲しい。
こればかりは本当にどうすることも出来なかったのである。
かつてない激痛と、それに伴い全く身動きが出来ないという事への不安。
もう少し様子を・・・などと明日までこのままの状態で居て、もし全く快方に向かうことなく身動きできないままであったら、いずれ惨めにそのままの姿勢で糞尿を垂れ流すというような大惨事すら想定に入ってくる。
ヲレの人としての尊厳の最低限の所を守れなくなるかも知れないのだ。
それだけはあってはならない事である。
救急隊員数名が妻に促されて玄関に入ってくる。
だらしなく横になったままのヲレは、エチケットとしてのマスクだけは装着して隊員の到着を待っていた。
氏名と年齢の確認ののち、この状態に至った経緯を簡単に説明した。
検温が行われる。
すると何と言う事か!37.2度まで体温が上昇している!!
「ちょっとアルねえ・・・。」
「マジすか・・・。」
「時期が時期だからねぇ・・・直ぐに病院見つからないかもよ。」
「怪我なんかで激しい痛みに見舞われると、熱が出ちゃうんですヲレ。」
「理由はなんであれ、報告しない訳にはいかないんですよ。」
ただでさえ土日の晩などは受け入れ先が少ないのに、コロナの疑いとか・・・
どうなるヲレ!
無線でやり取りする事10分。
「一応微熱って事と、近親者にコロナの感染者無しって事で、受け入れてくれる所見つかったよ!」
「有難うございます( ;∀;)」
幸運なことに割と近所の大病院が受け入れてくれることになった。
ただ、現着後の再検温で7度を超えているようだと、屋外による隔離対応になるかも知れないと言われた。
「ショックによる一時的な熱みたいだから、ちょっと姑息な手を使おうか。」
「はぁ・・。」
脇の下を広げた状態にして毛布も掛けず、救急車内のクーラーを全開にして、少しでも平熱に戻して行こうという苦肉の試みである。
肌着に薄手の短パンという典型的な部屋着だったので、結構寒かったが我慢した。
コロナ疑いで隔離対応などとなれば、ぎっくり腰の処置など二の次になってしまうからね。
「救急車の中での出来事は・・大人の対応をお願いします。」と言われた。
判ってます、判ってますとも。
程なくして病院に到着し、看護婦さんの持ってきた体温計で検温を実施。
「36度9分、ギリギリセーフです!超えてなければセーフです。」
付き添いの救急隊員は無言でGoodの合図。
無事通常の受け入れがなされることとなった。
レントゲンを撮ったり、当直医師による診察をしたりと土曜日の夜半ながら、割としっかりした対応をしてくれた。
さすが大病院である。
ここまでの激痛だと流石に何か大事件が起こってるのでは?
もうこのまま入院なんじゃないか?手術?手術になるんじゃないの?
あ~もう、仕事もひと月くらい休まなきゃいけないかもな・・・。
などなど、様々な不安と懸念が交錯したのだが、
「骨に関して言えば、大事にするような異常は無さそうなので、取り敢えず痛み止めの処置をするので、動けるようになったら迎えに来てもらってね。」
「短期で何度もぶり返してるし、過去に感じたことがないほどの痛みですが・・」
「まぁ、腰痛はそういうものなんでね・・・心配なら、週明けにあらためて詳しく診察してもらいましょうか。」
そのままオバちゃん看護師に座薬をブッ込まれて、カーテンの奥に寝かされた。
自力で歩けるくらいになれば取り敢えず帰る事は出来るか・・・。
気が付けば夜の10時半を回っている。
台所でのキキちゃんの一撃からもう4時間が経っていた。
そう言えば、少し痛みが和らいできているな。。

寝返りくらいは普通にうてるようになっていたので、ずっと抱えてきたカバンから携帯を出して、妻にラインをする。
「オバちゃんに座薬ぶっ込まれました。」
「おめでとうございます。」
5秒で返信が来た。
いつでも出られるように待機してくれているようだった。
30分程寝かされてから、ちょっと立って歩けるかどうか試してみようか、と言う事になり、ベッドを起こし数名の看護師さんたちに寄り添われて床に降り立とうとするが、靴を持ってくるのを忘れていた。
病院のスリッパを借りて何とか立って歩くことが出来た。
まだ右足の付け根が痛いのは変わらないが、突き刺すような痛みはだいぶ和らいでいる。
「イケますね・・・。」
「良かったぁ~、これで帰れるねぇ~。」
ヨロヨロとしながらも、自力で歩いていけそうである。
先ほどまでの呻くだけの肉の塊からは、随分進化したものである。
妻に迎えに来て欲しいと電話をしたら、
判りやすいようにエントランスの前のロータリーの所で待つことにした。
自動扉を出ると、雨が上がったばかりの表は少しひんやりとしていて、着の身着のままの僕には寒かった。
やはり建物の中で待とうかな・・・引き返してみたが、自動扉は表からは開かなかった。
入る時は呼び鈴を押さねばならないようだ。
置いてあるベンチも濡れていて座れそうもない。
面倒なのでそのまま立って待つことにした。

丘陵地の高台にある病院から麓の道路を見下ろしている。
深夜の山道は通行量も疎らだ。
多摩のクルマ屋でメカニックをしていた頃にいつも通っていた道だ。
以前にバイクで事故した時に担ぎ込まれたのもこの病院だったな。
もう7年くらい前の話である。
ゴールデンウィークに手術入院で鹿島まで行ったんだっけ・・・。
「あの時の手術も痛かったけど、瞬間的な針の振れは今回のがダントツだったなぁ・・・。」
寒空の下、誰にともなく呟くと沿道から妻のR2が上がってくるのが見えた。
足元の病院のスリッパを見ながら、靴を持ってきてって頼むのを忘れてた事を思い出した。
自粛ばっかりだなぁ・・・