
これまで毎年様々に有名無名の桜を巡ってきた。
コウヘイとの春旅は、2009年の山梨の桜に始まり、長野の高山村や飯田方面の桜、安曇野の桜、高遠城址公園、山形県置賜桜回廊に、福島県の三春町の滝桜にも行った。
満開を外した樹への再訪の為、
高山村や白州など何度か訪れているエリアもある。
只々、立派な桜とそれにまつわる絶景を追うだけの旅。
もう16年目になる。
自分は元来、最新の物を追求していくような人柄ではないが、それでも時の流れに合わせて変わっていっている自覚がある。
頑なに芯が通った人間ではないので、その時の大切な人や物、信仰(宗教的なものでない)に合わせて自分を変化させていくシステムを採用している。
古臭く鈍感な割にミーハーで、割と何でも理解して受け入れていく性格なのだ。
仕事が変わって職場環境が変わっても、結婚して家族が増えても、どんな環境にあってもそれらをストレスなく迎合し融和していく柔軟なコミュニケーション能力が我乍らにあると思う。
たぶん大した拘りが無いので、他者との齟齬を感じないんだと思う。
「生きてるだけで丸儲け」じゃないけど・・
何も嫌じゃないというのは、ある意味特殊能力かも知れない。
全てが底上げ式なので、好きなものに対する愛情も普通ではなく。
確実にモノにして一生囲い込んでいく。
そんな性格だから、エンジンを自分で作って20何年も一台のクルマに乗り続けたり、毎年毎年飽きもせず桜を追う旅を続けたりしている。
だが、齢をとって行くとどんどんいろんな事に鈍感になっていく。
場面場面での刺激を感じなくなっていき、感動も少なくなっていく。
そんな感受性の衰退は、生きていく為の人の強さの裏返しなのかも知れないけれど、でもやっぱり感動はしたい。
そんな中にあって、
時間が経っても自分の中で唯一変わらないものが幾つかある。
保守的になって忘れてしまっているだけで、失くしている訳じゃないんだよね。
だから、定期的にその忘れ物を取りに行きたいんだよ。
その忘れ物は全国にある。

中綱湖に着いたのは、早朝の7時前だった。
中綱湖(なかつなこ)は安曇野の北側、大町市からさらに白馬村へ北上する際に点在する「木崎湖」「中綱湖」「青木湖」の仁科三湖のひとつで、その中で最も小さいため池のような湖である。
対岸に生えるオオヤマザクラのリフレクションが有名で、多くの写真家が詰めかける。
写真で見たことがあるだけの憧れに近い光景だ。

静かな湖面が穏やかに対岸の桜を映し取っており、どちらに照準を合わせたらいいか迷うようである。
早朝の山上湖の冷たい空気の中、ゆっくり湖畔を散策し、何十枚も同じような構図をイメージセンサーに収めた。

自分もコウヘイも、思い思いに好きなように写真だけ撮っていればいいという時間は、一年を通してもこの「桜旅」くらいのものだろうと思う。
普段、抑圧されているとまでは言わないまでも、
仕事や家事など、日々の義務を果たす時間が殆どを占める中、唯一こうやって本当に好きな事だけをやる時間である。
いわゆる羽根を伸ばす時間と言えば聞こえはいいが、我々はこれを何も考えないで馬鹿になる時間と呼んでいる。

息を呑むような美しさ。
平日の早朝にもかかわらず、かなりの人が居ましたね。
日が昇って空気が暖められると、風が出てリフレクションは無くなってしまう。
だからこそ、日が昇る直前の僅かな時間のエンペラータイムを逃すまいと多くの写真家が場所取りをしていました。

気が付けば2時間近く滞在し、
撮れ高的にももう充分な感じではありますが、1日はまだ始まったばかり。
2025年の桜旅は、初の白馬村から始まりました。

相変わらずのコウヘイの愛機ヴィッツRS。
我がGC8と同時期に購入した20年選手ですが、GC8との決定的な違いがあって、
この20年で殆ど壊れていないという事実。
ヲレの知る限り、OCV(オイルコントロールバルブ)の作動不良と、セルモーター不良くらいで、あとは定期的なオイル交換だけで深刻なトラブルが殆ど起きていない。
何なんだよトヨタ車って・・・。
それだけがクルマの魅力ではないし使い方も違うから単純に比較は出来ないけれど・・・インプレッサは壊れ過ぎだと思いますw

村の畑の外れにある名もなき一本桜。
特別古木という訳ではなさそうですが、ポツンとあるエドヒガンには何か風格を感じます。

構図を変えてみようと畦道を失礼すると、冬眠から覚めたばかりであろうシマヘビが日光浴中でした。
爬虫類の完成された造形美には崇拝に近い尊さを感じてしまう。
私にとっては幼少期の頃より、両性爬虫類の美しさには敬服しかなく、神の創作物の中でもトップクラスの美を誇っている。
冗談抜きでヘビを抱いて寝たいと思っていた時期があり、本物ではそういう訳にはいかないので、肌触りや質感をリアルに再現したようなぬいぐるみが無いか探した事があるのだが、そんなものは実際存在せず残念に思っていた事がある。
っていう只の変態エピソードww

単体で見るとそれ程立派な樹という訳ではないのだけど、残雪の白馬岳をバックスクリーンにするだけでどうしようもなく絵になってしまう。
この白馬エリアの風景には、そんな特殊なマジックが係数として掛かってくるのだ。

今回この目でどうしても見ておきたかったのが、
白馬村の東側の丘の上に存在する一本桜、「野平の桜」という。
これは特殊なシチュエーションである。
山側の畑に上がるスロープの途中に植えられたエドヒガンで、こんな出来過ぎた風景があるか!と、この目で見ても俄かには信じられないような立ち姿の桜である。

目一杯パンに絞り込み、ハイレゾショットと三脚で写し込む。

ベストであろう高台の突端は、プロだかアマだか判らん有象無象が陣取ってしまっていて動く気配が無い。
雲が多く花霞なので、陽が射し青空が出るのを待っているのだろう。
それはいいんだが・・・
ちょうど陽が出て「今だ!」って感じの時があるんだけど、タイミング悪く桜の樹の前で話し込んで動かないオッサンなんかが居て、「邪魔だどけよ!」みたいに怒鳴ってるカメラマンがいた。
まぁ、明らかに画角に入るような所で話し込むオッサンもオッサンだけど・・・
口汚く罵る権限もないよな・・と思う。
どちらも周りの事、相手の事を考えない幼稚な大人であるという事を宣伝しているようなものだ。
ああいう情けないジジイにはなりたくないものだ。

遠くから人が訪れるポピュラーな桜は当然いいのだが、すぐ傍の山陰で誰かに見つかることなくひっそりと咲いているような桜がいい。
美しいから有名なのではなく、有名だから美しいになってしまっているものも多くある。
有名無名にかかわらず、美しいものは沢山ある。
そう言ったものを、拾い上げていく感性を磨いていきたいものだ。

陽が射して、ややブルーバックになってきた。
桜にも、北アルプス連山にも光が降り注ぎ、まるで絵画のような絵面となっている。
待機していたカメラマンたちがほぼ一斉にシャッターを切る。
この現場にはほぼ一時間半ほど滞在したが、すでにもう昼前。
午後には順光で無くなってしまう関係から、今この瞬間が今日のベストだと誰もが判断した瞬間だった。

開花具合は見紛う事なき満開。
前日までの数日間は天気が悪く、明日はまた崩れる。
週末まで満開状況が続かないであろう事を鑑みると、まさに今日が今年度の最高の状態だったのではないだろうか。

桜の撮影は本当に難しい、開花状況と天気の状況を見ながら、ベストであろう日を予測して自分が相当合わせていかないとこういうシチュエーションに巡り合えないからだ。
土日土日のサイクルだけで動いていたらこうは行かないのである。
こんな風に平日などに自分の都合で有休をとる為には、日頃真面目に仕事をし、人一倍の成績を残したり、急な残業や休出などにも快く応えておくことで、こちらの我儘も通しやすくなる。
大変だけどネ。

野平の桜へ向かう道中で気になる石仏群があったので、帰りに寄ってみる事にした。

ここの所長野では大きな地震が頻発していた為か、
5~6体倒れてしまっていたので、ちょっと起こしてあげる事にしました。
・・・結構重いよ。
50~60㎏くらいあるんじゃないでしょうか。
斜面を転がり落ちてる物もあって、元位置に戻すのは骨が折れましたが、一つ二つ戻してあとは放っておくという訳にも行かず、倒れているものは全て立たせてあげました。
こうやって、徳を積めばいい事があるかも知れない、という半分打算、半分親切心の労働を終えて北アルプスをバックに一枚。

どれだけ徳を積んだ所で、ヲレの人生などマイナススタートですからね、恩返しの類はないでしょう。
でも行きがけに車窓からちょっと見えただけで、帰りにちょっと寄ってみようかなと思ったのは不思議。
「呼んでたんだなぁ」なんて思ってしまう。

新緑の木立の間を白濁した雪解けの水が流れてくる。
雄大な春だけの光景である。
まるで日本ではないみたいだ。

北アルプスに吸い込まれるように走っていくヴィッツ。
残雪の峰々が背景にあるだけで、こうも迫力のある画になる。
これが白馬村の魅力なのである。

「大出公園」という美しい公園に立ち寄りました。
そこかしこに植えられたシダレザクラや、エドヒガン、オオシマザクラなどが一斉に花開き、園内を薄紅に染めています。
高台に北アルプスを含めた全景を一望できる展望台があり、みな一様に写真を撮ったり、絵を描いたり、ため息を吐いたりしていました。
水車小屋があったり、つり橋から川面を眺めたり、寝転べるような芝生の広場もある。
何だか、どこへ行っても風景が出来過ぎている。
当方、これ以上の風景美に対する表現技法を持っておらず、上手く伝えられないのが残念である。
自分が見た風景が良かったとか、花がきれいだったとか、
幾ら写真や文章で伝えようとしてもそれは無駄というもので、内燃機関を通じてガソリンからエネルギーを取り出せる効率程にも及ばないと思う。
半分も伝わらないのだ。
その片鱗だけでも伝わらないかと苦慮してはいるものの、
まぁ、何となく雰囲気だけでも感じてもらえるかもしれないと思ってブログを書いている訳だが、自分の目で見てもらいたいというのが本音で、
今度、来年にでも、自分も行ってみたい、
そう思う人のきっかけになれば本望である。

昼下がり、所は変わって町はずれにある神社。
新田地区の入り口にある伝行山という山の麓に二つの神社があり、その間に立っている立派な枝垂桜が「徹然桜(てつねんざくら)」と名付けられ親しまれている。
この桜を植えたとされている僧侶の名前である。

赤い鳥居が印象的で、敷地内には他にも多くの桜が咲き誇っていました。
神社独特の厳かな雰囲気と相まって、何だか時間が停止しているような感覚がある。

自分たちもその一部となり、歴史を共有しているような錯覚をする。
神社の静謐と桜の相性はどうしてこうも良いのだろうか。
正面には白馬三山。
もはや何も言う事は無い。

特定非営利活動法人「日本で最も美しい村連合」にも加盟している小川村まで足を伸ばしました。
白馬村より南東部の山あいに位置する小川村。
棚田や段々畑を形成しながら、
峻険な斜面にへばりつく様に山里を形成していて、県道から急勾配の道を相当に登って行った先の山の上にも人里があって驚きました。

白馬より少し下ってくるので、肝心の枝垂桜はほぼ終盤と言った感じでしたが、見栄えのいいベニシダレが満開だったり、北アルプスが一望できる見晴台があったりして雰囲気はとても良く、
ここで少し遅めの昼食を摂ることにしました。

鬼の角のような双耳峰を持つ「鹿島槍ヶ岳」が正面から我々を見ているようだった。
花の天蓋と、ウグイスやメジロの鳴き声、そして後立山連峰(北アルプス)を眺めながらの昼休憩。
やはり冠雪した山々のある風景というのはいい。
いつもキャンプ用の折り畳みの椅子とサイドテーブルなどだけ持参して、雰囲気のある場所で弁当を食べて少し昼寝をするというのが、桜旅の楽しみだったりする。
ほんのひと時ではあるが、こういうお金では買えないような一瞬が一生忘れられない記憶になる。

少し離れた丘の上にも、初老の夫婦がいい時間を過ごしている。

夕暮れの小川村。
もう一週間早ければ、村全体が桜色に染まるような様相を呈していたと思う。
白馬村との兼ね合いなので両方を取るのは難しいが、いつか小川村の満開に合わせて訪れてみるのもいいかなと思った。
安曇野、大町辺りと花期が被るので、この辺もターゲットにしつつ
白馬村より少し早い時期に回れば、北信の桜はほぼコンプリート出来そうな気がするな。

ふたたび白馬村に舞い戻り、最後に訪れた「八方薬師堂の江戸彼岸桜」
地味な感じではありますが、よく見るととても貫禄があり、ぱっくりと幹の割れた老木ながら今なおしっかりと枝を張り、沢山の英をつけています。
県指定の天然記念物。

夕刻が近くなると急に雲が厚くなり、北風が強くなってきました。
日中は20度以上にまで気温が上がったのに、明朝の予想最低気温は0度!
流石は白馬村、下手したら雪でも降りそうな雰囲気です。
そろそろ潮時かな。
東京から高速使っても3時間のエリア。
朝3時に出発したからね・・・早出の疲れも出始めていますね。
最後に道すがらなので朝イチで訪れた中綱湖に寄ってみようか。

早朝の静かな湖面とは打って変わって、ざわつく水面。
明日明後日辺りまでは満開状態は続きそうだけど、世間ではゴールデンウィークが始まるので、人出は凄そうですね。
やはりゆっくり撮影に打ち込めるベストな日は今日までだったという事か。

早朝のようなリフレクションはないが、それでも非凡に美しい風景美である。
いい所だったな、白馬村。
スキーやスノボをやるなら訪れた事のある人も多いかと思うが、こういう楽しみ方もあるのだな。
雄大な北アルプスに抱かれ、東側斜面に11ものスキー場を持つ巨大スノーリゾートのイメージが強いが、雪渓や貴重なな高山植物帯など登山による見どころも多く、独特の観光資源を持つ高原エリアであるが・・・
桜までもがこんなにも美しいとはね。

夕暮れの安曇野から奥穂高方面だけが夕暮れに燃えている。
いつかチャレンジしたい聖域である。
登山の本ばかり買って、全然行く機会が無い。
上高地から北穂高、大キレット、そして槍ヶ岳・・・三泊はしないと到達できない天空エリアがある。
まだまだ一泊も難しいので憧れるだけだが、いつか行きます。

帰りは、早く帰りたいので、ヲレが運転を代わる事にしている。
コウヘイの運転なら恐らく3時間だが、ヲレだったら2時間半は切れる筈。
ヲレもコウヘイも翌日仕事なので、21時前に帰れればだいぶラクだからね。
今年も充電完了です。