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2025年04月25日 イイね!

白馬の春

白馬の春これまで毎年様々に有名無名の桜を巡ってきた。
コウヘイとの春旅は、2009年の山梨の桜に始まり、長野の高山村や飯田方面の桜、安曇野の桜、高遠城址公園、山形県置賜桜回廊に、福島県の三春町の滝桜にも行った。

満開を外した樹への再訪の為、
高山村や白州など何度か訪れているエリアもある。

只々、立派な桜とそれにまつわる絶景を追うだけの旅。



もう16年目になる。



自分は元来、最新の物を追求していくような人柄ではないが、それでも時の流れに合わせて変わっていっている自覚がある。
頑なに芯が通った人間ではないので、その時の大切な人や物、信仰(宗教的なものでない)に合わせて自分を変化させていくシステムを採用している。
古臭く鈍感な割にミーハーで、割と何でも理解して受け入れていく性格なのだ。

仕事が変わって職場環境が変わっても、結婚して家族が増えても、どんな環境にあってもそれらをストレスなく迎合し融和していく柔軟なコミュニケーション能力が我乍らにあると思う。
たぶん大した拘りが無いので、他者との齟齬を感じないんだと思う。
「生きてるだけで丸儲け」じゃないけど・・



何も嫌じゃないというのは、ある意味特殊能力かも知れない。


全てが底上げ式なので、好きなものに対する愛情も普通ではなく。
確実にモノにして一生囲い込んでいく。
そんな性格だから、エンジンを自分で作って20何年も一台のクルマに乗り続けたり、毎年毎年飽きもせず桜を追う旅を続けたりしている。


だが、齢をとって行くとどんどんいろんな事に鈍感になっていく。
場面場面での刺激を感じなくなっていき、感動も少なくなっていく。
そんな感受性の衰退は、生きていく為の人の強さの裏返しなのかも知れないけれど、でもやっぱり感動はしたい。
そんな中にあって、
時間が経っても自分の中で唯一変わらないものが幾つかある。

保守的になって忘れてしまっているだけで、失くしている訳じゃないんだよね。




だから、定期的にその忘れ物を取りに行きたいんだよ。



その忘れ物は全国にある。


中綱湖に着いたのは、早朝の7時前だった。

中綱湖(なかつなこ)は安曇野の北側、大町市からさらに白馬村へ北上する際に点在する「木崎湖」「中綱湖」「青木湖」の仁科三湖のひとつで、その中で最も小さいため池のような湖である。
対岸に生えるオオヤマザクラのリフレクションが有名で、多くの写真家が詰めかける。

写真で見たことがあるだけの憧れに近い光景だ。




静かな湖面が穏やかに対岸の桜を映し取っており、どちらに照準を合わせたらいいか迷うようである。

早朝の山上湖の冷たい空気の中、ゆっくり湖畔を散策し、何十枚も同じような構図をイメージセンサーに収めた。



自分もコウヘイも、思い思いに好きなように写真だけ撮っていればいいという時間は、一年を通してもこの「桜旅」くらいのものだろうと思う。


普段、抑圧されているとまでは言わないまでも、
仕事や家事など、日々の義務を果たす時間が殆どを占める中、唯一こうやって本当に好きな事だけをやる時間である。

いわゆる羽根を伸ばす時間と言えば聞こえはいいが、我々はこれを何も考えないで馬鹿になる時間と呼んでいる。





息を呑むような美しさ。



平日の早朝にもかかわらず、かなりの人が居ましたね。

日が昇って空気が暖められると、風が出てリフレクションは無くなってしまう。
だからこそ、日が昇る直前の僅かな時間のエンペラータイムを逃すまいと多くの写真家が場所取りをしていました。



気が付けば2時間近く滞在し、
撮れ高的にももう充分な感じではありますが、1日はまだ始まったばかり。

2025年の桜旅は、初の白馬村から始まりました。




相変わらずのコウヘイの愛機ヴィッツRS。
我がGC8と同時期に購入した20年選手ですが、GC8との決定的な違いがあって、
この20年で殆ど壊れていないという事実。

ヲレの知る限り、OCV(オイルコントロールバルブ)の作動不良と、セルモーター不良くらいで、あとは定期的なオイル交換だけで深刻なトラブルが殆ど起きていない。


何なんだよトヨタ車って・・・。

それだけがクルマの魅力ではないし使い方も違うから単純に比較は出来ないけれど・・・インプレッサは壊れ過ぎだと思いますw



村の畑の外れにある名もなき一本桜。

特別古木という訳ではなさそうですが、ポツンとあるエドヒガンには何か風格を感じます。


構図を変えてみようと畦道を失礼すると、冬眠から覚めたばかりであろうシマヘビが日光浴中でした。

爬虫類の完成された造形美には崇拝に近い尊さを感じてしまう。
私にとっては幼少期の頃より、両性爬虫類の美しさには敬服しかなく、神の創作物の中でもトップクラスの美を誇っている。

冗談抜きでヘビを抱いて寝たいと思っていた時期があり、本物ではそういう訳にはいかないので、肌触りや質感をリアルに再現したようなぬいぐるみが無いか探した事があるのだが、そんなものは実際存在せず残念に思っていた事がある。


っていう只の変態エピソードww



単体で見るとそれ程立派な樹という訳ではないのだけど、残雪の白馬岳をバックスクリーンにするだけでどうしようもなく絵になってしまう。


この白馬エリアの風景には、そんな特殊なマジックが係数として掛かってくるのだ。





今回この目でどうしても見ておきたかったのが、
白馬村の東側の丘の上に存在する一本桜、「野平の桜」という。



これは特殊なシチュエーションである。

山側の畑に上がるスロープの途中に植えられたエドヒガンで、こんな出来過ぎた風景があるか!と、この目で見ても俄かには信じられないような立ち姿の桜である。


目一杯パンに絞り込み、ハイレゾショットと三脚で写し込む。


ベストであろう高台の突端は、プロだかアマだか判らん有象無象が陣取ってしまっていて動く気配が無い。
雲が多く花霞なので、陽が射し青空が出るのを待っているのだろう。


それはいいんだが・・・
ちょうど陽が出て「今だ!」って感じの時があるんだけど、タイミング悪く桜の樹の前で話し込んで動かないオッサンなんかが居て、「邪魔だどけよ!」みたいに怒鳴ってるカメラマンがいた。

まぁ、明らかに画角に入るような所で話し込むオッサンもオッサンだけど・・・
口汚く罵る権限もないよな・・と思う。

どちらも周りの事、相手の事を考えない幼稚な大人であるという事を宣伝しているようなものだ。



ああいう情けないジジイにはなりたくないものだ。



遠くから人が訪れるポピュラーな桜は当然いいのだが、すぐ傍の山陰で誰かに見つかることなくひっそりと咲いているような桜がいい。
美しいから有名なのではなく、有名だから美しいになってしまっているものも多くある。

有名無名にかかわらず、美しいものは沢山ある。


そう言ったものを、拾い上げていく感性を磨いていきたいものだ。



陽が射して、ややブルーバックになってきた。
桜にも、北アルプス連山にも光が降り注ぎ、まるで絵画のような絵面となっている。

待機していたカメラマンたちがほぼ一斉にシャッターを切る。


この現場にはほぼ一時間半ほど滞在したが、すでにもう昼前。
午後には順光で無くなってしまう関係から、今この瞬間が今日のベストだと誰もが判断した瞬間だった。



開花具合は見紛う事なき満開。

前日までの数日間は天気が悪く、明日はまた崩れる。
週末まで満開状況が続かないであろう事を鑑みると、まさに今日が今年度の最高の状態だったのではないだろうか。



桜の撮影は本当に難しい、開花状況と天気の状況を見ながら、ベストであろう日を予測して自分が相当合わせていかないとこういうシチュエーションに巡り合えないからだ。
土日土日のサイクルだけで動いていたらこうは行かないのである。

こんな風に平日などに自分の都合で有休をとる為には、日頃真面目に仕事をし、人一倍の成績を残したり、急な残業や休出などにも快く応えておくことで、こちらの我儘も通しやすくなる。


大変だけどネ。



野平の桜へ向かう道中で気になる石仏群があったので、帰りに寄ってみる事にした。


ここの所長野では大きな地震が頻発していた為か、
5~6体倒れてしまっていたので、ちょっと起こしてあげる事にしました。

・・・結構重いよ。
50~60㎏くらいあるんじゃないでしょうか。

斜面を転がり落ちてる物もあって、元位置に戻すのは骨が折れましたが、一つ二つ戻してあとは放っておくという訳にも行かず、倒れているものは全て立たせてあげました。

こうやって、徳を積めばいい事があるかも知れない、という半分打算、半分親切心の労働を終えて北アルプスをバックに一枚。

どれだけ徳を積んだ所で、ヲレの人生などマイナススタートですからね、恩返しの類はないでしょう。


でも行きがけに車窓からちょっと見えただけで、帰りにちょっと寄ってみようかなと思ったのは不思議。
「呼んでたんだなぁ」なんて思ってしまう。




新緑の木立の間を白濁した雪解けの水が流れてくる。
雄大な春だけの光景である。


まるで日本ではないみたいだ。



北アルプスに吸い込まれるように走っていくヴィッツ。
残雪の峰々が背景にあるだけで、こうも迫力のある画になる。


これが白馬村の魅力なのである。




「大出公園」という美しい公園に立ち寄りました。

そこかしこに植えられたシダレザクラや、エドヒガン、オオシマザクラなどが一斉に花開き、園内を薄紅に染めています。
高台に北アルプスを含めた全景を一望できる展望台があり、みな一様に写真を撮ったり、絵を描いたり、ため息を吐いたりしていました。
水車小屋があったり、つり橋から川面を眺めたり、寝転べるような芝生の広場もある。


何だか、どこへ行っても風景が出来過ぎている。

当方、これ以上の風景美に対する表現技法を持っておらず、上手く伝えられないのが残念である。
自分が見た風景が良かったとか、花がきれいだったとか、
幾ら写真や文章で伝えようとしてもそれは無駄というもので、内燃機関を通じてガソリンからエネルギーを取り出せる効率程にも及ばないと思う。

半分も伝わらないのだ。


その片鱗だけでも伝わらないかと苦慮してはいるものの、
まぁ、何となく雰囲気だけでも感じてもらえるかもしれないと思ってブログを書いている訳だが、自分の目で見てもらいたいというのが本音で、

今度、来年にでも、自分も行ってみたい、
そう思う人のきっかけになれば本望である。





昼下がり、所は変わって町はずれにある神社。

新田地区の入り口にある伝行山という山の麓に二つの神社があり、その間に立っている立派な枝垂桜が「徹然桜(てつねんざくら)」と名付けられ親しまれている。
この桜を植えたとされている僧侶の名前である。



赤い鳥居が印象的で、敷地内には他にも多くの桜が咲き誇っていました。
神社独特の厳かな雰囲気と相まって、何だか時間が停止しているような感覚がある。





自分たちもその一部となり、歴史を共有しているような錯覚をする。
神社の静謐と桜の相性はどうしてこうも良いのだろうか。



正面には白馬三山。
もはや何も言う事は無い。



特定非営利活動法人「日本で最も美しい村連合」にも加盟している小川村まで足を伸ばしました。

白馬村より南東部の山あいに位置する小川村。
棚田や段々畑を形成しながら、
峻険な斜面にへばりつく様に山里を形成していて、県道から急勾配の道を相当に登って行った先の山の上にも人里があって驚きました。




白馬より少し下ってくるので、肝心の枝垂桜はほぼ終盤と言った感じでしたが、見栄えのいいベニシダレが満開だったり、北アルプスが一望できる見晴台があったりして雰囲気はとても良く、

ここで少し遅めの昼食を摂ることにしました。




鬼の角のような双耳峰を持つ「鹿島槍ヶ岳」が正面から我々を見ているようだった。
花の天蓋と、ウグイスやメジロの鳴き声、そして後立山連峰(北アルプス)を眺めながらの昼休憩。
やはり冠雪した山々のある風景というのはいい。



いつもキャンプ用の折り畳みの椅子とサイドテーブルなどだけ持参して、雰囲気のある場所で弁当を食べて少し昼寝をするというのが、桜旅の楽しみだったりする。

ほんのひと時ではあるが、こういうお金では買えないような一瞬が一生忘れられない記憶になる。



少し離れた丘の上にも、初老の夫婦がいい時間を過ごしている。



夕暮れの小川村。

もう一週間早ければ、村全体が桜色に染まるような様相を呈していたと思う。
白馬村との兼ね合いなので両方を取るのは難しいが、いつか小川村の満開に合わせて訪れてみるのもいいかなと思った。

安曇野、大町辺りと花期が被るので、この辺もターゲットにしつつ
白馬村より少し早い時期に回れば、北信の桜はほぼコンプリート出来そうな気がするな。



ふたたび白馬村に舞い戻り、最後に訪れた「八方薬師堂の江戸彼岸桜」
地味な感じではありますが、よく見るととても貫禄があり、ぱっくりと幹の割れた老木ながら今なおしっかりと枝を張り、沢山の英をつけています。

県指定の天然記念物。



夕刻が近くなると急に雲が厚くなり、北風が強くなってきました。
日中は20度以上にまで気温が上がったのに、明朝の予想最低気温は0度!

流石は白馬村、下手したら雪でも降りそうな雰囲気です。


そろそろ潮時かな。
東京から高速使っても3時間のエリア。
朝3時に出発したからね・・・早出の疲れも出始めていますね。


最後に道すがらなので朝イチで訪れた中綱湖に寄ってみようか。


早朝の静かな湖面とは打って変わって、ざわつく水面。



明日明後日辺りまでは満開状態は続きそうだけど、世間ではゴールデンウィークが始まるので、人出は凄そうですね。
やはりゆっくり撮影に打ち込めるベストな日は今日までだったという事か。




早朝のようなリフレクションはないが、それでも非凡に美しい風景美である。


いい所だったな、白馬村。
スキーやスノボをやるなら訪れた事のある人も多いかと思うが、こういう楽しみ方もあるのだな。

雄大な北アルプスに抱かれ、東側斜面に11ものスキー場を持つ巨大スノーリゾートのイメージが強いが、雪渓や貴重なな高山植物帯など登山による見どころも多く、独特の観光資源を持つ高原エリアであるが・・・

桜までもがこんなにも美しいとはね。


夕暮れの安曇野から奥穂高方面だけが夕暮れに燃えている。
いつかチャレンジしたい聖域である。

登山の本ばかり買って、全然行く機会が無い。
上高地から北穂高、大キレット、そして槍ヶ岳・・・三泊はしないと到達できない天空エリアがある。

まだまだ一泊も難しいので憧れるだけだが、いつか行きます。



帰りは、早く帰りたいので、ヲレが運転を代わる事にしている。
コウヘイの運転なら恐らく3時間だが、ヲレだったら2時間半は切れる筈。


ヲレもコウヘイも翌日仕事なので、21時前に帰れればだいぶラクだからね。


alt今年も充電完了です。




Posted at 2025/05/24 22:45:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域
2025年03月30日 イイね!

裏山の桜

裏山の桜早朝、下の子のサッカーの遠征試合の集合場所に送った帰りに撮りました。

毎年楽しみにしているダリア園の裏の斜面に咲く桜で、ヤマザクラとソメイヨシノの双子の桜である。
花期が違うので、まずヤマザクラが満開を迎え、散り始めた頃にソメイヨシノが咲き始める、というのが通例であるが、今年は珍しく同時に満開となった。


気温が25℃を超えるような夏日が連続してあったため、開花に必要な積算気温に同時に到達したものと思われる。













日本全国桜なんてどこにでも植わっていて見慣れている筈なのに、
なぜこうも見惚れてしまうのだろう。




altさて今年も行かないと。

Posted at 2025/04/08 01:23:45 | コメント(0) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 日記
2024年04月02日 イイね!

身延山

身延山寒の戻り故、予想を覆して開花の遅かった今年。
ここ10年で最も遅い開花となった。

いつもは想定日の二週間ほど前に、旅の相棒のコウヘイと一度打ち合わせをして、自分たちの予定と旅のエリア選定のすり合わせをするわけなんだけど、
どこどこの桜を攻めたいと思っても、そこの開花日で都合がつかなければ無理だし、逆にこの週でしか休みが取れないとなれば、その期間で満開のエリア選定をしなければならない。
見に行く桜の花期に完璧に合わせていかなければ意味がないイベントなので、エリアとスケジュールの見極めが実に難しいのが桜の旅である。


今年も日帰りで予定しているので、遠くても北関東、西は東海エリア、甲信越も視野に入れているけれど、やっぱり遠いんだよね・・・。
ここ十余年で近郊の目ぼしい所は一通り訪れたと思うけど、案外まだきちんと訪れていないのが、山梨県南側の東海と呼ぶべきか中部と呼ぶべきか微妙な地域。
身延町や南部町などといった寺院が多く点在するエリアです。


東西を静岡県に挟まれているので感覚的には東海エリアですが、中央道双葉JCTと東名の清水JCT間をつなぐ中部横断道が開通したことで、実は中央道からアクセスする方が近いという意外なエリアだ。


市井も幹線道路も無かった山深い地域。
旅行遠征の中継地点にすらならない隠れ里のような場所。
だがここには「身延山久遠寺」ある。

久遠寺は身延山の南面に広がる巨大な寺院で、日蓮宗の総本山です。
全国各地5300もある寺院の本拠地ですから、その敷地面積はそれはもう広大で、本堂・祖師堂前にある樹齢400年の枝垂桜を筆頭に、西谷、東谷と分かれる身延山麓には数多くの宿坊と1000本を超える桜が点在し、この世の物とは思えない程の華やかさに彩られます。


有名な「久遠寺の枝垂れ桜」を見たくて過去に何度か個人的に訪れたことがありますが、常に予想よりも開花が早く、ちょうど満開であろうと見込んで行っても、ほぼ葉桜になっていた記憶があります。

枝垂れ桜の花期自体が染井に比べてやや早いという事もありますが、山あいにある事などを鑑みれば関東平野部の染井吉野と同等位だろうとアタリを付けると、見事に裏切られます。
富士川に沿って静岡側から太平洋の南風が入ってくるんでしょうね。
一昨年の大井川エリアもそうでしたが、東海エリアは暖かくなるのが早いです。


兎に角想像より全然早い。


なので、予想の付け方としては、
関東の染井吉野の満開予想の5日から一週間ほど早めた時期に行くと、身延エリアの枝垂れが満開なのではないかと結論付けました。
そうなると、週末の打ち合わせでしたが異例の「来週の前半に行こう」という急展開となりました。



現地7時前着を基本としているので、2時間以上を見込んでの4時半出発。
中央道での車窓は、朝日に照らされて輝く八ヶ岳や富士山、甲斐駒ヶ岳なんかを見るのがいいのだ。



「空」「無相」「無願」の三解脱を表す「三門」。
本堂へ続く石段へ至る最後の門である。

早い時間に訪れたので、門の脇の無料駐車場にクルマを停めることが出来ました。

ハイシーズンの日中は沿道が大変に混雑し、ここまで上がってくるにも一苦労という場所なので、このアドバンテージは大きい。
兎にも角にも朝早く来ましょう!



趣のある門をくぐり参道を真っすぐ行くと、「菩提梯」と呼ばれる天まで突き抜けるような強烈な石段が立ちはだかる。

「マジでこれを登るのか・・・。」

まず、その壁のような階段に圧倒される。



傾斜角50°の287段、高低差104メートルの石段でかなりキツイです。
一段一段が大きく、半分も登らない内に太腿に乳酸が溜まってきます。

登山で慣らした筈の僕でさえ、途中休憩を余儀なくされました。

菩提梯とは「一段登るごとにさとりに近づくことができるきざはし」という意味であり、ここを自分の足で登ってこその開眼・解脱と解釈していいだろう。


いやはや、それにしてもキツイ。
これは・・最後まで登り切れないひとも居るでしょうね。



頑張れ!あの枝垂れ桜まで登れば踏破である。



息切れしながらも10分程かけて菩提梯をクリアすると、久遠寺のシンボルでもある五重塔がお出迎え。


そして真向いには立派な本堂。
その右手にある祖師堂の正面にある巨大な枝垂れ桜。



更に東側の仏殿の向かいにも形の整った枝垂れ桜が。


この二つの巨樹がかの有名な「久遠寺のしだれ桜」である。




しかしまぁ、ひとえに「久遠寺の~」と言ったら、大伽藍と一緒の画角に収められ、見上げるような樹高も見事な祖師堂前(正確には隣の受付事務所前かな)の枝垂れの方ではないかなと思う。

どちらの樹も齢400年を超えているとされています。



しばし無心にシャッターを切るだけでした。

この場所は西側は山の斜面があり日の入りが早い・・開けているのは東側だけなので、朝日の入りが素晴らしい。
撮影は断然午前中狙いがいいですね。







どんどん日が上がってきて、陰影が変化してゆく。
同じ場所で撮っていても、撮るごとに顔を変えていく。

華やかで煌びやかな久遠寺と枝垂れの古桜。
初めて見る満開の巨大天蓋。
何か特別な力が宿っていると感じずにはいられない、強い霊気を纏った枝垂れ桜でした。





本堂や仏殿など、伽藍の内部も見学コースがあり、無料で観覧できます。
撮影は禁止でしたが、中も凄いですよ。


日蓮宗と言えば、日本仏教の中では異端とされる少数派で、ブッダの教えをルーツにしている事は同じですが、やや独自の解釈をしている事で有名です。
マジョリティーである「南無阿弥陀仏」ではなく、「南無妙法蓮華経」と唱える独自の教えを説いています。

「嘘も方便」という言葉があるように、相手に合わせて様々な方法や言い回しで説法をしたとされるブッダの手法は、多くの解釈を生み出してしまい、後に沢山の宗派に分かれました。

それが空海が広めた真言宗であったり、親鸞の浄土真宗であったり、最澄(さいちょう)の説いた天台宗だったりする訳です。
日蓮宗は天台宗の説く「法華経」がベースとなっており、更には日蓮正宗と派閥を二分しました。
これが、富士宮の「大石寺」です。

日蓮宗はブッダの経典に一切記述の無い内容を布教していると言われ、日本仏教界からはやや爪弾きにされている感はあります。
「創○学会」を生み出したのも大元は日蓮宗ですから、偏見で見られがちですが、今は一切関係ないとHPでも謳っています。


手塚治の「ブッダ」を読破した事でとっくに「悟り」の境地に到達しているヲレに言わせれば、「俺が正しい」とか言って諍いを起こすこと自体がナンセンスで、悟りからは程遠いハナシ。
結局宗教は統治や政治と常に結びつき、大多数を導き富を集めるための手法と成り下がってしまっている。

原点の教えは崇高でも、利用されてしまっているのだ。


自身の幸福と安寧が訪れるのであれば、
何を信じたって信じなくたって同じである。
お経の文言が何であろうと、無宗教のヲレにとっては同じ事、そんなものがあったって無くたって、充分に幸せだと思えているヲレ自身がその証明ではないか。


ただ、人々が信じてきた歴史の長さ、深さを感じる事の出来る立派な寺院や、神社といった古い建造物などにはやはり感じるものがあります。
「信じる」という心には邪な思いがありませんからね、神社仏閣には神聖な静謐があるのはやはり多くの人々の真摯な思いが反映されているからなのかも知れません。




心が洗われるような素晴らしい寺院でしたよ。





朝イチで本丸の久遠寺に乗り込んだので、早くも撮れ高的には充分過ぎる位ですが、西谷、東谷、奥の院と広大に広がる身延山周辺をもう少し散策したい。







西谷には徒歩でしか回れない宿坊や寺院が密集しており、庭園や参道には所狭しと桜が植えられている。
もはや、この世のものとは思えないような美しさがそこにはあった。



新緑の輝く西谷の沢を上がってゆく。



日蓮が晩年の九年間を過ごしたとされる草庵跡地を横目に、もう更に一段上がると、日蓮聖人の御廟所(びょうしょ)があった。(廟所とは簡単に言うとお墓の事である)



巨大な御りんが置かれた拝殿。
「立正」とは法華経を通して世を正していこうと言う仏教用語。





久遠寺境内や参道近辺には陽が上がってゆくにつれ、多くの観光客で賑わいを見せていましたが、じめじめした渓谷のはずれの墓所にまで上がってくる人は殆ど居ません。
敬虔な信者か我々のような物好き位であろう。



沢に沿ってもう少し降りてゆくと、再びスタート地点の三門に戻ってくる。
早朝の時と違い、多くの人が菩提梯に挑んでいるのが見える。


今度は東谷を見て回りたいのだが、再び本堂から下りてゆくルートとなる。
菩提梯にもう一度チャレンジするのも良いのだが・・・女坂という少し遠回りして登ってゆく山道があるので、そっちから行ってみる。


実際女坂は、味気の無い山道をだらだら登ってゆくだけの長いルートだった。
再び菩提梯を上がってゆく方が良かったかもしれないが、それはそれで結構削られるのでどっちもどっちかな?


本堂をスルーして東谷に降りてゆく。
しっかりした車道が整備されていて、その沿道に宿坊が点在すると言った按配だった。



途中、久遠寺十一代法主を務めた日朝上人(にっちょうしょうにん)を祀ったお堂があり、にっちょうさまと呼ばれている。

にっちょうさまは目の神様だと言うので、あのお金を使わない「だい」が、唯一お賽銭をして願掛けをしたんです。


「どうか老眼がこれ以上酷くなりませんように。」


そして、全てを眼に頼って生きてきた人生なので、この視力が奪われるような残酷な人生とはどうか無縁でありますように・・・とお願いをしてきたのであります。





東谷もだいぶ降りてくると左手にある志摩坊には、
今度はさいじょうさま(最上位経王大菩薩)を祀っている祠というものがあり、この神様に関しては、「もう何にでも効くやつ」みたいな、兎に角何でも叶えてくれる・・・みたいな凄い神様がいらっしゃるようでした。


何かパワースポット巡りみたいな感じになってますが、桜を巡る旅です。




山を歩いて降りてくると、三度「三門」のすぐ下の商店街辺り。
午前中はすっかり、久遠寺界隈の散策で終わってしまった。
本当は歩いて奥の院などへも行ってみたかったが、片道数時間かかる登山になるので、恐らく一日が終わってしまう行程。
またの機会にしたいと思う。

昼も近いので、そろそろクルマに戻り身延山をあとにします。

桜も然ることながら、歴史の古い名刹古刹も雰囲気が素晴らしく、なかなか良きお寺巡りであった。錦秋の頃にまた訪れてもいいかも知れない。





この可愛らしい二両編成は甲府・富士間をつなぐJR身延線。

塩之沢駅周辺の桜が~という事でしたが、
染井吉野はまだ二部~三分咲き程度でした。
お昼を買って、何処か雰囲気のいい場所で休憩にしようと思ってロケハンしているのですが、ココじゃない感じ。



南部町の少し山間に入って立派な枝垂れがあるという妙覚寺へ。



昼休憩のロケーションには拘る方なので、なかなかいい場所が見つからないと結構ウロウロすることになる。

しかし、ひと目見て「あっ、ここだな。」
そんな感じのいい場所がありました。


巨大な枝垂れ桜の真下に椅子を出して、コンビニで買ってきたお弁当昼食。
ふんわりと白い木漏れ日の中で、しばしの昼寝タイム。







樹齢300年の枝垂れ桜の下から、薄紅色の天蓋を見上げてぼんやりする。
なんだか夢と現の境目がなくなる様な不思議な雰囲気。

他に訪客も居らず、ただメジロやムクドリの鳴き声だけが聞こえてくる。

人生の最後にこんな樹を見上げることが出来たなら、
それだけでもう何も思い残すことなく、すっかり成仏できるような気がする。
他に何が要るんだろうという気になる。
まるで曼荼羅を見上げているように宇宙が完結している。
過去と現在、未来が混在し、ゼロポイントに集約しているようなそんな特異点を持っている。

桜と言うのはそういう樹なんだなぁ。






集落を少し散策して、里山にぽつぽつと佇む桜を収めていく。

暫くの間、よそ者が何の用だ!という顔で茶虎の猫がこちらを見ていたが、害が無いと悟ったのか、裏路地の石垣のあいだに去っていきました。
野良猫がよ!



今回の旅で最も古木である「本郷の千年桜」。
千年桜とはいうものの、実際は5~600年のエドヒガンザクラである。


特殊な形態をしている樹で、約5メートルの高さまでは根っ子なのだという。
沢山の添え木が成されながらも、まだまだ立派な花を付けている。

ここもロケーション的には朝だったな~という感じでしたが、これは仕方がない。


午前中のブルーバックなら、何処から撮っても可憐な花を強調できるが、午後の鈍色の空ではそれも難しい。
昏い山陰をうまく利用して、英を際立たせるのがいいだろう。



千年桜から程近い民家の桜。

接道にまでクルマが入ってきてしまうのか、庭へ続くスロープの手前には丸太が転がしてありました。
お寺や神社と違って民家の桜を見学する時は、マナーや節度が必要ですね。



ウチのインプレッサと同じく、2004年から運用しているNCP13ヴィッツRS。
未だに我々の旅の相棒として活躍してくれている。

1.5リッターツインカム4気筒エンジンの5速マニュアルである。
年式の割りに低走行ということもあるが、流石はトヨタ!この20年で殆ど壊れた事が無い。
大きめの事件でも、セルモーターを交換したとか、VVTのオイルコントロールバルブが逝かれて始動不良になった事があるくらい。

ドラシャのブーツすら変えたことないな・・・どうなってんだこのクルマ。。

なにしろ燃費が素晴らしいので、同じガソリンの量でも高速ではGC8の倍くらいは走ってしまう。(しかもレギュラーガソリンだし)
何と言うか、不満が無いので買い替えられないでいる一台である。



菜の花畑とだ い 。
ヲレの写真は全てコウヘイが撮ってくれていて、コウヘイの写真はヲレが撮っている。


学生の頃から一緒に写真を始めた間がらだが、コウヘイは動画メインではあるが独立しているプロのカメラマンである。
未だに劇団員なども掛け持ちしているが、お金にも何にもならないからそろそろ辞めたら?といつも言ってるんだけど、しがらみもあってなかなか難しいらしい。


もういい加減オジサンになってしまったが、未だ未婚である。



本日の最後は「原間のイトザクラ」と呼ばれていて、町指定の天然記念物になっている。
樹齢は400年。

傍らには石碑や墓標が一列にならんでいます。


実は枝垂れ桜という品種は無く、枝垂れている桜の総称であり、品種上は「イトザクラ」と呼ぶのが正解である。
エドヒガンの変異種であるとされていて、更に品種改良により多くの品種がある。
元々は庭木として植えると家運が衰退すると言われていた為、好まれなかったが、近年ではその美しい見た目から、その価値を見直され始めている。





枝垂れ桜はやはりお墓で見る事が多いせいか、柳のようにおどろおどろしいイメージはありますね。
美しさも相まって何か魔性のようなものを感じます。

ここも午前中ですね~。
青空バックで撮ってみたかったですが、午後に斜面の下からアオリで撮っても完全逆光なので、大分オーバーにして白い花を拾いました。

まぁ、今回の主役は身延山の久遠寺でしたので、これは仕方がない。

桜の撮影で大事なのは、複数の桜が狙いであっても、その日のメインは必ず一番最初に持ってくることですね。
遅くとも午前10時前には撮り終えてしまった方が良い。
正午付近のハイライトでは陰影が消えてしまい、あまりいい写真は見込めないですし、春先はだいたい昼過ぎから湿気が出てきて花曇りになってくる。
雨まで降らないまでも、透き通るような青空が午後まで続くことは滅多にない。

昼はゆっくり休んで、午後は西日で映える物件を残しておこう。
日没後にはライトアップされるような桜を最後に持って来られればベスト。
今回はライトアップ物件は無かったので、早めに切り上げて地元のもつ鍋屋で打ち上げして帰りました。

歩いていける場所だから飲めるんだよワハハ。


今回は「一本桜」という括りの桜は少なかったですが、「寺院の桜」がメインでしたね。
こういう趣の桜旅もまたいい。


この齢になるとね、なかなかワクワク出来るような事が無くなってくるんだけど、それでも未だに変わらないときめきを与えてくれる不思議な存在「桜」。




来年はどんな桜に出逢えるかな。


altそろそろ宮城/岩手を再訪してみたい。
Posted at 2024/04/20 23:16:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域
2023年04月05日 イイね!

二本松の桜

二本松の桜2009年の山梨を皮切りに始まった桜を追う旅。
コロナ禍で行かれない年もあったが、今年はしっかり計画することが出来た。

その内容は、幼少時からの友人と全国各所の一本桜を写真撮影しながら巡るというだけの爺臭い旅だが、これ以上もこれ以下もない究極の趣味だと思っている。



僕は昔から様々の事に興味を持つ度に、その核心に迫るべく取り組んできた。
趣味の領域を超えて、仕事や研究と呼ぶべきなのではないかという所まで追い込んで行くスタイルだったと思う。
だから多趣味だと思われがちであるが、その実はそうでもないというのが自身の感想である。
ただ単に何かを追求する事が好きなだけで、媒体は何でもよいのだ。

幼少期は自然が好きで生き物が好きだった。
昆虫が好きで小学校に上がる前には、ずらりと並んだ昆虫図鑑を穴が開くほど見返していて幼稚園では昆虫博士と言われていた。
長じてくると魚や小動物に興味が移り、部屋が水槽だらけになっていて手が付けられなかった。
トカゲやカエル・ヘビ、熱帯魚の飼育に留まらず、日本産の淡水魚の渋みのある美しさにウットリとしていた。
変な子供である。

中学高校と進学すると、バックパックにテントやら何やらを詰め込んで登山や、歩いて旅をするという体験型のレクリエーションが趣味の中心だった。
青春18きっぷという24時間以内ならローカル線乗り放題というJRの切符を使って本州の最果てまで行き、テント泊しながら何日間も歩いて旅した。
スマホは疎か携帯電話も普及していなかった頃なので、国土地理院の地形図と、現地で直接見聞きした情報だけで全ての行動を決した。
そもそも何もない山奥に好んで赴いている訳で、不便も不自由も感じることなく寧ろ誰よりも自由だと感じていた。

本州で最も美しいとされる清流を横目に海を目指して歩く。
水面に反射してきらきら光る春の陽光と、川向こうの山の斜面にポツンと咲くヤマザクラ。

これ以上は何も要らないな・・・そう思えるだけのものがそこにはあった。

写真を好んで撮るようになったのはこの頃からだが、作品性というよりは臨場感を想起させる記録用という感じだった。


クルマやバイクは奥深い趣味なので時間は掛かった。
運転が好きだったのでバカみたいに走り回ってクルマも散々壊したけれど、ドリフトにグリップに雪山に・・・と、これ以上は命が幾つあっても足りないと思う所までは追い込んだと思う。


‘98頃の奥多摩湖畔にて


AE86には10年近く乗り続け、理論的な考えを技術に落とし込んで実践的な走りに繋げる取り組みに没頭していた。

そんな走り方をしているとクルマはどんどん壊れるので、エンジンミッションを取り換えたり、分解して修理したり、お金を掛けられないので全て自分でやった。
一見大変だけどきちんと理解すれば誰にでも出来るなと思った。
板金塗装も難しいが仕事にまでして一通りやったが、自分で直せたら便利だなと思っただけである。
整備や運転技術の追求が結果的に楽しかった訳だが、そんなに好きかと言われたらやはりそうでもないと答えてしまう。
たまたまクルマだっただけだ。

要するに音楽でも料理でも何でも良かったんだと思う。


と・・まぁ、色々と興味を持ってきたものの僕の人生には「これしかない」と思えるものが無い。
むしろ何でもよいのだ。
恐ろしくミーハーなのである。

にも拘らず、手を付けたものは限界まで深堀する。
それぞれの分野に於いて、その神髄と呼べるだろう所に触れる所まで追い込んでみても、自分のかけがえのない物にはならなかった。
やはりそれそのものがもの凄く好きという事にはならないのだ。
この世の森羅万象のごく一部が少し理解できて良かったと感じたに過ぎない。

おこがましい事だが、「この世界の構造を理解したい」という恐ろしく漠然とした欲求をごく僅かに満足させたに過ぎなかったのである。

無茶苦茶だ。


それは生物を飼育することで命を慈しむ心を育み、
友人との僻地での旅で肉体や精神を追い込み、人生の本当の価値を見い出し、
クルマやバイクを通して様々な友人たちと出逢い、これまでの取り組みの集大成を見せあう様な、自己表現をキャンパスに書き込んでいくような日々、人生の醍醐味と呼べるような日々だった。
まぁ、包括的に見ればバランスよく色々やってきたなという感じがする。
何でも身体で知っておきたいという性質なので体験型雑学王という感じがするな。


話は随分内側に広がってしまったが、
多くの事を追求し移ろい、様々なドラマがフラッシュバックするこれまでの人生のページの中で、定期的に割り込んできていつまでも変わらずにそこにあるものがひとつだけある。

それが桜である。



何に惹かれるのかも上手く説明が出来ない。
多くの語彙を用いて説明しようとすればするほど無粋になる。
この社会においては唯物論者であるはずの私の理解を超えた神のような存在である。

桜というものは一体何なのであろうか。



早朝の3時にコウヘイに迎えに来てもらった。

僕がGC8に乗り換えた頃と同時期に買い替えているので、もう19年目になる初期型ヴィッツRSの1.5リッターである。
足回りやウェザストリップなどヘタるものは交換してきましたが、流石はトヨタ。とにかく故障という物が無い。
この20年弱で機嫌が悪くなったのはセルモーターと、エンジンのVVTをコントロールするOCV位のものである。

スポーツグレードのDOHCの1500㏄ながら、高速ならリッター15キロ以上という素晴らしい燃費を誇っているので、今回はヲレのインプレッサで行こうぜ!みたいなことにはまずならないですなw


今回は日帰りで行ける限界であろう福島県二本松周辺。
震災後に赴いた三春町より更に北側に位置するエリアである。

コロナ禍全盛期には自粛感が勝り行く事が出来なかったが、昨年は近場で済ませようという事で静岡の川根町の水目桜を見てきた。
奥ゆかしくて素晴らしい桜であったが、やはりもう少し欲しがっている自分がいた。

福島は、町中がさくら色になるようなエリアが多い。
日本三大桜と言われる滝桜を中心とした三春・田村町などの桜の町も有名だが、更に県北の二本松から福島市にかけてのエリアにも有名な一本桜の密集地帯がある。

満開の時期と天気の兼ね合いを見ながら、ベストな日を予測し、有休を取得した。
自分もコウヘイも忙しいので、なかなか泊まりではいけない。
いつかはそんな人生の余暇を楽しみたいが、目下は日帰り弾丸での福島遠征である。




福島市の南側、松川町にある「芳水の桜」を先発に持ってきた。
畑の中の調整池のほとりにあるしだれ桜で、水面に映る姿が美しいと有名な桜である。

太陽が低く水面が暗い時間帯が良いと考え、午前中の一発目に勝負を掛ける事にしたのだ。


桜は予想通り満開で、風もなく水面は鏡のように桜を映している。
平日の早朝という事もあり、人影も疎ら。
ほぼ貸し切りであった。





朝7時頃に現地に着いた。
クルマを降りると、控えめにほんのりとだけ桜の花と水仙の匂い、あと土の匂い、いつもの春の野の薫りがした。
必ずと言っていいほどウグイスが鳴いている。

初めて来る場所だが、またここに戻ってきたな・・・という感慨が訪れる。




水面に映る樹影も然ることながら、非常に見立てのいい桜である。
美しいドーム状のシルエットからなだれ落ちる様に枝垂れる英が何とも見事なのだ。

その枝垂れ桜のドームの中から花の天蓋を見上げていると時間が止まっているような気がした。
何だか現実離れしている空間である。



こんなに奥ゆかしい美しさが他にあるだろうかと思ってしまう。



小長石の駒ザクラ(秋山の駒桜)も凄かった。
これまで見てきた桜の中でも数本の指に数えられる巨樹である。


コウヘイも童心に還って楽しんでいるのが判る。


木に向かうまでの散策路も春爛漫といった感じだ。









根回りに多くの石碑や地蔵を抱く樹齢500年を数えるエドヒガンで、幹の間近まで行くとその存在感に圧倒されます。
遠目に見ても樹高があり、大変形の良い枝張りをしている。



ここも、午前中の早い時間に来られたので、先客も一人二人といった感じだが、見紛う事なき満開を呈している。
予報では花曇りとの事だったが、奇跡の青空をバックに従えて完璧な撮影コンディションと相成った。


余りの見事さに言葉が見つからなかった。

暖かく、ほぼ無風の春の陽光の中、狙ってもなかなかお目に掛かれないような全ての条件が揃ってしまった。
小長石の駒ザクラ・・・本日の撮れ高はもう充分なので、もう帰ってもいいような気持ちになっていた。



桜の観光客の為の六角堂のような休憩所が建築され、近くの高台ではお茶屋さんが臨時営業を始めていました。
山の麓の入り口付近には駐車場が整地され、案内所には人が詰めている。
とにかく地元の皆で観光地として盛り上げ、大事にされている事が判りました。

素晴らしい桜でした。



駒ザクラよりやや北側の集落の民家の裏にあるという「駒姫桜」を探しています。
本当に町中がこのように桜だらけ。
移動中も、あの桜はどうだろう・・・ちょっとここ寄ってみようか、といった具合に飽きる事が無い。



そして本当に民家の裏庭みたいな所に植わっている「駒姫桜」を見つけました。
樹勢はやや衰えているものの、なにせ樹齢500年という古木です。
ぼこぼことうねる様な幹から樹齢相当の風格を感じます。


有名で桜そのものが観光地のようになっているものもあれば、このようにほぼ人が訪れる事が無くひっそりと咲く古桜もある。

手入れの差こそある程度感じますが、どちらが素晴らしいという事は無い。
どちらも400年、500年の時を超えてきているのである。


人間から見たらどちらも神のような存在である。



集落の外れにある墓地の薬師堂、その奥の神社が桜の森になっていました。


お堂の脇で一枚撮ってもらう。

墓地ではありますが、青空の元、吹き抜ける薫風が暖かい。
見晴らしも良く気分の良い所でした。



鳥居の奥の石段を上がっていくと桜に囲まれた小さな神社。

今風に言うとパワースポットだとかヒーリング効果だとか言うのかな?
神社というだけでそういう雰囲気はあるものだけど、そこが桜花繚乱となると、そのエネルギーは凄まじいですね。

自我や邪なものが消えて行き、宇宙と一体になっていくような浮遊感を感じます。


美しい里山、一体何なの。


県道で二本松エリアへ戻る際、駒ザクラを再び遠景から狙ってみる。
何という立派な桜だろう・・・。

遠くから見てもこの圧倒的な存在感。



次の桜を目指す道すがら、ふと雰囲気のある赤鳥居。
咄嗟にクルマを端に寄せて、カメラを手にします。

同じことをして回っている人には同様に目に留まるようで、我々のヴィッツのすぐ後ろにも一台停車。
おじさんが一眼片手に降りてきて、数枚をファインダーに収めていました。
「次は何処に行くんだい?」と話しかけてきたので、「この先の墓地のシダレです」と伝えると、「今は慈徳寺のシダレが満開だよ、このすぐ先だから行ってきな」そう言うと、市内の桜巡りのパンフレット的なものをくれました。

「そうか~、予定外だがあとで寄ってみようか。」



ここが予定の小田の枝垂桜。

墓地のど真ん中にある巨大な紅枝垂れなんですが、紅枝垂れは少し早いんだよね。
時期を過ぎると白っぽくなって葉桜になってくる。

それでも非常に立派な枝垂れ桜であることは充分に判りました。




先ほどのおじさんが教えてくれた慈徳寺。
満開の立派な枝垂れ桜が迎えてくれました。

パンフにある様な有名な桜なので、多くの観光客が観桜に訪れていました。


菜の花を入れてみたり、色んな切り取り方が出来て面白い。
見栄えの良い桜ですね。

神社寺院は元々多くの桜を植えることが多いですが、神社と違ってお寺は枝垂桜が多い気がしますね。
天井から吊るす仏具である「天蓋」に見立てているからという説がありますが、何となくそれも頷けます。




昼食を摂ろうと訪れた諏訪山神社。
境内の参道の桜並木の脇に椅子を出して、お弁当を食べることにしました。

いつも昼飯をどこで食べようか・・と悩んで欲が出てしまい、昼食が遅れてしまう事が多い。
早出の慌ただしさを一旦ここでリセットし、静かで落ち着いた環境で桜でも見ながら食事がしたいという究極の願望があるからで、午前中の行動はこの為のロケハンという意味合いも大きい。

ここも神社という厳かで静かな環境、高台で見晴らしも良く、桜並木のエドヒガンの脇でキャンプ用の椅子を出して腰掛けると、なんかもうどうでもいいや・・・という安堵感に包まれました。

平日であるからか、人影も疎ら。
境内には樹齢400年を超える枝垂桜があります。



歴史を感じるぼこぼこの太い幹。
大枝は枯れ落ちて樹齢相当に朽ちかけてはいますが、それでもまだ振り絞る様に花を付けています。


幹だけでも雰囲気がありますね。





そのあとも、有名無名の桜を幾つか周り、日は傾いていきます。
正午過ぎから夕刻に掛けての時間というのは、割と空白の時間と言うか、少し時間を潰すような過ごし方になってきます。

日光がトップライトだったり、春先は午後から白く霞んでくる事が多いので撮影に適さないことが理由です。
空の色と桜が同化してしまう。



トワイライトからのライトアップがある桜を予定しておいて、それまでのんびり過ごしたりしています。



まだ早いのだけど、本日のオーラスを飾る桜の下見をしに来ました。



「中島の地蔵桜」
水張りがリフレクションになる田圃の桜で、夕刻からのライトアップに先駆けて多くのカメラマンが陣取っていました。
考えていたよりも有名な桜のようで、人の数が凄い。
場所取りとかは余り好きではないので、周辺をウロウロして見え方の確認だけしておきます。
高台に登ってみるポイントや、裏側から安達太良山を背にするポイントなど結構どこからでも狙えますが、やはり水張りしている田圃の正面からですかね。

日没までまだ一時間位あるので、もう一か所だけ見てきたい桜があります。




ここも観光客などが訪れそうもない里山の窪地に座している桜、「長沢のサクラ」齢400年を数えるエドヒガンで、見るからに老いた椿を脇に従えて悠久の時を超えてきた。


これも素晴らしい巨木ですね。




こういった古桜はもはや神様なので、こちらも自然と厳かな気持ちとなる。
邪な気持ちは見透かされ、無礼な振る舞いは許されないような気がして、心の中では「失礼します」と一礼してからシャッターを切るような、そんな心持ちになるのだ。

人間など愚かで低俗で、小さな生き物なのだから。


山陰に日は沈み、薄暮に浮かび上がる里山の古桜。
我々が見ている間、誰も訪れなかった。

こういう「見つかってない」桜が個人的には好きですね。
変にスポットが当たっていない方が、生物は長生きしやすいでしょうし、
このままあと数百年ここで時を重ねるのでしょうね。



さて、いい時間になってきたので地蔵桜に戻ります。

ちょうど18時をまわった所で周囲に設置された照明が点灯しました。


夜の帳が降り始めます。
周囲の余計な物は宵闇に沈み、ライトアップされた枝垂れ桜が輝き始めます。
ここから空が漆黒の闇に変わるまでのおよそ45分間、いや、トワイライトブルーになる最後の15分程度がこの桜のエンペラータイムでしょう。




息を呑むような美しい演出。
自然と人の手によるエンターテイメントの織り成す究極の美術といえるでしょうか。

多くのカメラマンが日没前から陣取っていた上段の田圃の水面が最も近い真正面からの絵は、トワイライトシーンが撮れませんでしたが、空いていた下段の田圃でも充分な美しさを捉えられたと思います。毎年撮ってる方々は欲が出るのでしょうね。


私はここで14年もこの桜の案内をしてるんだというおじさんが、うろうろ回りながら手慣れた感じで地蔵桜の名前の由来だの、桜にも年棒というものがあるだのという話をみんなに説明している。
この「中島の地蔵桜」は、この開花の時期だけで大体300万円くらい稼ぐのだと自慢気に話をしていた。
だけど、三春の滝桜は1億5000万円も稼ぐらしいという話でオチをつけていました。
日本のプロ野球の二軍の選手とメジャーの選手ぐらい差があるな・・・。

三春のスーパースターでは相手が悪すぎるだろ・・・と思いながら聞いていましたが、この水張りの逆さ地蔵桜もなかなか素晴らしいものです。


久々に桜で訪れた福島でしたが、やはり桜が多く良い所だなと再認識致しました。
私の浅はかな理解や美学が届く事のない超越した「神」のような存在である全国津々浦々の一本桜。


これは趣味を超えた「信仰」なのかも知れないな。

この世に数多くある宗教にはその教義に触れる度に「弱いなぁ」と切り捨ててきた自分であるが、結局見た目で判断するという単純な側面がある。
基本的にお金と屁理屈で成り立っているものを見下しているので、初見の美しさやフォルムなどから受け取るインスピレーションで判断する事が多い。
偽物には出せないオーラというものがある。
心の拠り所とする不変のリスペクトの根拠など、結局そんな所なんだろう。

「カワイイは正義」なんて言葉があるけれど、桜の美しさの魅力はこれと同義なのかなと思う。
アイドルを追いかけている事と何ら変わりはない。
直訳通り「idol=偶像崇拝」なのだなぁ。


これでまた一年分の英気を養えたな。
連休ゆっくりしたらまた色々頑張ろうっと。

altもうGWかよ・・腰が痛くてヤバイ
Posted at 2023/04/30 16:04:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域
2022年04月01日 イイね!

3年ぶりに

3年ぶりに自粛していた桜の旅を再開しました。


コロナ自粛ってタマじゃないんだけどね。
普段なら桜の開花にあわせて、是が非でも有給取って行くんだけど・・・ここ二年ほどは無理してまで行こうって時勢じゃなかったよね。

そんなかけがえのない筈の旅心や、ポジティブな好奇心まで蝕んだ新型コロナウイルス騒動。
つい先日、ヲレも三回目のワクチン接種を済ませまして、
モデルナの重い副作用を心配したものの、右手の上腕部がやや痛んだだけで特に熱なども上がらずで何事もなかった。


コロナウイルス騒動に特に私見はないけれど・・
思ったのは、当たり前だけど色んな人が居るって事が浮き彫りになったなって。

他人のマスクするしないを一生懸命注意して喧嘩しちゃう人や、ワクチン大国陰謀説を頑なに信じている人、女性のマスクを勝手に取っちゃうっていう新手の痴漢とか、沢山の本末転倒が巷に溢れた。

それぞれの事柄に関しての客観的な危険性と、メリットとデメリット、他人と社会と家族と自分。
そのバランスの中で賢いと呼べる選択を出来た人がどれだけいるのだろうか。

本当の正義など誰にも判らない中で、不当に社会的制裁を被った人たち。
商売が上手くいかなくなったりは可哀想だったが・・


何でもいいけどよ、
ワクチンやマナーに託けて不埒になるなよと言いたい。






理不尽。
それが人間社会の本質なのだと、よく判った二年間だった。



新型コロナウイルスも流石にそろそろ収束するだろうけど、ここに来てロシアのウクライナ侵攻なども始まり、世界中に暗い影を落としている。

どれだけ科学や文明が進んでも、太古の昔から繰り返されてしまう運命がある。
歴史に学ばない、そしてどうしても変えられない。

進歩なんかでは決してなかった。


カーボンニュートラルは壮大な仮説でしかなく、誰も胎を括っていない。
世界は変わらないし間に合わない。

結局の所、貧しさが狂気を生み、化石燃料をはじめとする豊かさの争奪戦で、世界終末時計は残り100秒から更に進んでしまう事でしょう。



ロシアとウクライナを見ているとそんな風に思ってしまう。





自分はただただ、毎年きれいな桜を見に行きたいなぁ、
と思っているだけなのに。


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静岡県の大井川沿い、川根町の山あいにある茶畑の一本桜「牛代の水目桜(うしんしろのみずめざくら)」を撮りに来ました。


平日の早朝6時に着いたのに、結構ひとが居たので驚きました。


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ただ、この時間帯から撮影に来てるような人は弁えてる方が多いので、樹々の周りには張り付かず、殆どのひとは向かいの丘の上から狙っていました。


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朝靄の霞む山の斜面をぽつぽつ彩るヤマザクラ。
我々の原点であるという気がする。


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それにしてもこの水目桜。

静岡県島田市川根町家山にある、樹齢300年を超えると言われるエドヒガンであり、塩本牛代のエドヒガンとして島田市の天然記念物となっている。
樹高20メートル幹回り4.23メートルの巨樹である。


いいねえ、この感じ。




久しぶりだ。


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突然お姉さま(還暦らしいですが)に声を掛けられて、ここの茶畑の農家さんの庭先でお茶を振舞われました。


「このお兄様方にお茶を出してあげて頂戴!」




桜だけを撮って廻っている人種というのが存在する。


観光のついでに寄って記念に撮って行くのとは違い、こういった一本桜や桜の名所だけを追いかけている人というのが居る。
僕らもその類な訳だが、同類は一目で見分けが付くものだ。

ピンク色のジャケットを着たお姉さまはこの家の人ではないようだけど地元の人で、花期にはほぼ一週間以上毎日張り付いているという桜狂いだという。

ジャケットの色も決して偶然ではない筈だ。

我々的にはもっとさり気なくありたいものだが、そうなってしまう気持ちも判らなくはない。





我々の他に二人ほど庭先に招き入れられていて表のテラスでみんなでお茶をすることになった。
期せずして一緒にお茶することになった隣の大学生くらいの青年に、声を掛けてみる事にした。
こんな早くにどこから来たんだい、と聞くと名古屋から来ましたと青年は答えた。


「ポートレイトの練習をしてるんです。」

「へぇ・・・桜でかい?」

「今回は桜を選んでみました。」

「それだとズームの良い奴で撮らないとだね。」

「そうでもないですよ、カメラで加工も出来ちゃうので。」

「そういうもんか~。」



朝早くからこんな山奥にまで来て、カテゴリー別に練習しスキルアップを図っているのに、その結果を機能や編集で済ませてしまうという矛盾が今の子らしいなと思った。


「桜の前で悩んでるみたいだったから、三脚を使いなさいって言って貸してあげたのよ。」

持ってきたお茶を配りながら先ほどのお姉さまが言った。



「朝だと暗いからね・・・ISO感度上げたくなかったら三脚は欲しいねえ。」

「お借りしたのはいいけれど、使い方が判らなくて・・・」

「そっちのお兄ちゃんは何処から来たのよ。」

「札幌です。」

「北海道からかよ・・・」



札幌から来たという青年は、学生ではなさそうだったけど、職業は不詳、20代後半と言った感じ。


「でも昨日は奈良に居ました・・夜通し走って今朝着いたんです。」

「一体何をされている??」

「湯治をしながら桜前線を追っているんです、腰が悪いんで。」

「じゃあ、一回九州まで行ってから上がってきたのか。」

「そうですね、大分辺りから始めました。二週間限定で日本を横断しようと思って。」




桜がメインではなくて湯治がメインだと彼は言っていたのだが、一日中クルマで移動したり屈んで長時間桜を撮ったり、腰には良く無さそうだなと思った。



「腰が悪いからと言いながら、好きな事しかしていない感じが羨まし過ぎる。。一生に一度はやってみたいなって夢みたいな事を、もうやっちゃってるのか。」

「そうですね・・・逆に今しか出来ないなってタイミングがあったんで、行くしかないなと。とにかく温泉に入りまくってるんで、どの泉質が何に効くとか、やたらと詳しくなりましたね。」


「何処から来られたんですか?」



今度は僕らが聞かれたので、東京からだよと答える。
東京と言っても在宅は町田市と郊外ではあるが、まぁ・・東京には違いない。


「毎年ね、一回だけだけど、こうやって桜だけを狙ってあちこち廻ってるんだよ。もう10年以上になるかな。」

「結構全国行かれたんですか?」

「そうでもないよ、行っても一泊くらいだからね。一番遠くて山形あたりかな?関東近辺は大体回ったけどね。」

「じゃあ、わに塚とか行かれましたか?」

「韮崎だね、行きやすいからもう2~3回行ったかな?あれの満開はマジでヤバイ。」

「マジすか、今日これから行くんですよ。」

「トワイライト狙いなら、早めに行くといいよ。カメラマンでごった返すから。」




「もう少し風が出ているといいなと思って待っているんだけど・・・。」



桃色パーカーのお母さんが呟いた。


「ブレで表したいテーマがあるのかな。」

「そうなんだけど、なかなか思ったようにはならないわね。」

「これだな、って写真は1000枚撮っても一枚くらいですよね。」

「そおねえ、そんなに無いかも。。」


お母さんは水目桜を見上げた。


「桜をモチーフにしているだけで撮りたいのは別に桜じゃないですよね。」

「・・・そうかもしれないわね。」

「・・・??」



若者たちはどういうことなのかな・・・という感じで目を丸くしている。


「桜を触媒にして、その姿の中に自分の心象を落とし込もうとしてるだけですよね。」

「だから、自分自身がブレてると、なかなか思ったような表現が出来ないですよ。」



写真だって絵画だってダンスや歌唱だって、
媒体が違うだけで、全て表現方法の一つである。

ビギナーのうちは、型に忠実にとにかく丁寧に綺麗なカタチにしようとする。
それを数限りなく繰り返していって基本ができたら、一つの材料を使って比喩表現をしようとする。
自分が伝えたいことをそこに表現できるかが試されるようになる。

その内、型や基本なんかどうでもよくなって、
どうやったら自分の思いをそこに落とし込めるか、という感じになってくる。

あらゆる趣味の本質はそんな感じであろう。



モータースポーツに至っても同じである。
クルマを丁寧に正確に思い通りに動かせるようになった先に、
自分と、一緒に走っている他者との間に対話が生まれ、各々の自己表現が走りに現れ始める。


ただただ言葉を交わすよりも饒舌に、お互いの事が解るような物語が見えることがある。
「走る」という事に、思いを込めることが出来るようになる。




写真もクルマも同じだなと思う。
だから、クルマじゃなくてもいいなとは思うが。


そんな話を少しだけした。


「良かったわね若者、いい話が聞けたじゃない。なかなか聞けないわよ。」


桃色のお母さんは言った。


何か深い話をした的な感じになってしまったが、別に特別なことではなくて、
どんなことでも長くやっているとそういう感覚になってくると思う。

誰しもがそうなんじゃないだろうか。

逆に、自己投影出来るところまでやらなかったら詰まらなくて結局辞めてしまうんじゃないだろうか。



みんな表現者(アーティスト)なんだから。




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みな事情はそれぞれだが、桜に吸い寄せられる理由は同じである。
梅でも花桃でもなく、桜。

樹齢数百年を重ねる巨樹が多いからだろうか、一年のうちのほんの数日だけに見せる刹那の英に惹かれて、老若男女のカメラマンが幻想の一瞬を切り取りに来る。


各々の腕の見せどころではあるが、
ただただ感動して終わることが殆どである。



だが、それでも良いと思えるだけの時間が、そこにはあるのだ。

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市内は桜一色なので、ぶらぶらと散策してみる。

大井川鉄道沿いにある川根町は、桜とSLの街だと聞いている。
子供が小さい頃にSLには乗りに来た事があるが、桜狙いで来ることになるとは思いも拠らなかった。


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池端のしだれ桜の鮮やかさが、ヘラブナ狙いの釣り人の目を楽しませている。


朝イチの水目桜は小雨がちらつく中でのスタートとなったが、日中は予報通りすっかり晴れた。

暖かい。


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正午を過ぎ、トップライトになった辺りでもう一度水目桜へ。


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今度は多くの人たちが樹の周りを取り囲んでいました。
桜のご婦人もちゃんと居るなw


桜の撮影は、日差しが強いと白飛びしてしまったりして難しくなるのだけど、散り際の少し重めの色だったので、丁度良かった。


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またね、お母さん。

お茶をごちそうさま。




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ヴィッツで、もうちょっとだけ市内をウロウロ。

川が驚く程清冽で透き通っている。
きれいだなぁ。
きっとお茶の育成にも関わるので、水も大事にしているんだろう。


川が汚い街というのは、だいたいその街の人の心も荒んでいると、かの野田智佑さんも言っていた。


お茶があり、SLがあり、春には桜が咲き乱れる。
護るものがあり、誇るものがあれば、人々は荒むことはないんだなと思った。

川一つをとってみても、何となく人々のこころねが見えてくる。



昼飯でも買おうと町内をウロウロしていたら、線路沿いに人が集まっている所があった。

撮り鉄である。


ちょうど桜のトンネルを機関車が通り抜ける時間なんだと思った。

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一緒になって少し待っていると、E10系という電気機関車がさくらのヘッドマークをつけて走ってきました。昭和24年製造なんだって。


撮り鉄のお陰でいい絵が撮れたナ^^


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通り過ぎていく黄色い客車もレトロでかわいいね。

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大井川の支流、家山川の河川敷。
立派な鯉のぼりの前で昼飯休憩タイム。

満開の桜の前で、母子を撮るお父さんが微笑ましい。



桜と一緒に人を写すと、それは永遠の記憶になるような気がする。
その時の記憶なのか、その写真を後で見たことの記憶なのか判らないが、鮮烈に脳裏に焼き付いて一生の記憶になることが多い。

家の前のただの生垣の前で撮ったのでは、「こんな写真いつ撮ったっけ
?」となるが、桜と一緒に撮った時の記憶は何十年たってもはっきり覚えているんだよね。


桜が持つ幻覚のような美しさが、あらゆる対象を際立たせ忘れられない一瞬となる。



桜には人の記憶を、一瞬を、
永遠へと昇華させる魔力があるのである。


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最後に富士市にある潤井川(うるいがわ)の龍巌淵(りゅうがんぶち)へ。
県内では知らない人はいないというような有名な桜並木があります。


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ここは雑誌やガイドブックなどで見るばかりで訪れたことはなかった悲願の場所である。

実は天気が良ければ、バックに大きく富士山を入れることができるロケーションで、願わくばと思いましたが、この日はお預け。
ここの所天気が不安定だったので難しいとは思ったが。


またいつか再チャレンジですね。


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孤高の一本桜の魅力は素晴らしく、その存在感への訴求は今も変わらないが、こう地元のみんなが当たり前に集まってくるようなただの桜並木も素直にいいなあと思えるようになった。


単に歳をとったからなのかな。

細かいことに拘らなくなったな。




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コウヘーもヲレももう今年で45になる。


字面にすると恐ろしくオッサンだが、実は気持ち的にはそれほどジジイという気はしていない。
やってる事、やりたい事がここ20年でそれほど変わっていないからだろうか。
中身は殆ど変わっていないのだ。

寧ろ昔よりも寛容になって、いろいろやってみようかなと思うくらいである。



コウヘーとヲレは、小学生の頃から自然が好きで、釣りや登山、キャンプをしてきた。
クルマという翼を手に入れてからも、基本的な趣旨は変わることなく行動範囲が少し広がったくらいだ。

大人になればこのままやりたい事がどんどん増えていくものかと思ったがそうでもなく、
今持っているものを深く穿つような取り組み方になっていく。
飽きっぽい性格なら、どんどん新しいものに乗り換えてあれじゃないとかこれじゃないとかやるんだろうけど、飽きて辞めるくらいなら最初から始めない、という性格なので、自分の中で間違いないと思う事だけに取り組む人生だった。

どれだけ行動力や経済力が大きくなっても、自分が持てる時間やかけられる思いの丈は変わらない。

本当に最後まで追求してみたい事なら、僅か数個に絞っても追いきれるか判らない。



一生のうちに、そんなに沢山の事を人間には出来ないと思う。


そんな方向性のベクトルが近くて自然と一緒に遊んできたコウヘーだが、唯一よく解らないのが、何故か未だに独身でいるということだ。

まぁ、もともとストイックに自身の独創性を深堀していくような人物なので、未婚でいること自体は何となくコウヘーらしいと言えばらしいのだけど、でもやはりそろそろ色々と考え始めるのではないかなと思ったので、思い切って聞いてみることにした。
いい加減誰か一緒になりたい人とか居ないのか?と。


自分の子供もきっと欲しいだろうし、望むならまだ遅すぎるということもない。

今でこそ少し歳はとってしまったが、昔から高身長でヲレなどよりずっと二枚目のコウヘーは憧れるようなフォルムを持っていた。
ヲレはいつも、それに負けまいとして内なるものに賭ける人生だったような気がする。

親友でありライバルだった。



でも浮いた話を殆ど聞かない男だった。
女に興味がないのか話さないだけなのか、
いくらやりたい事があると言ったって、人間そこまでストイックになれるだろうか。

ヲレは元来付き合っている女性が全てという人間だったので、
人生のターニングポイントはいつも失恋だった。
趣味も仕事も二の次でしかなかったからね、
女などにうつつを抜かさず、コウヘーのように自分を常に律していけることが不思議でならなかった。


恋愛や結婚が全てとは言わないけれど、
でも、その自然のやりとりの中から他人が家族となり、そして家族が増え、分身がそれを連綿と受け継いでいくというリレーの一翼を担う責務。
とても大変なことだが、これを全うするという事は、その他のことでは取って代われない幸福がある。
そのためだけに生まれてきたのではないかとさえ思う程に、重大な任務である。


コウヘーもそこだけはしっかり押さえていくだろうと思っていたのだが、
未だに未婚のままなのは意外だった。

今ではLGBTの問題だとか、性的マイノリティーのコンプライアンスなどもあるから、サザエさん的な一昔前の感覚では差別だとかどうとか言う人も居るのかも知れないけれど、コウヘーはそういったマイノリティーには属さない筈なので、従来で言うところの普通の幸せには異論がないはずだ。


「どうなんだ?まだ興味がないのか?」

「そんなこともなくて、最近は自分の子供も欲しいなというのはある。」

「好きな人がいて単純に一緒になりたいという一般的なプロセスがあるといいんだけどな。」

「今の仕事とか、生活スタイルを見直さないと難しいかもなぁ。」




彼は劇団員の傍ら、イベントのカメラマンなどをして生計を立てている。
劇団員とは言っても、自分が俳優をやる訳ではなく、裏方の美術などを担当しているのだという。
俳優になって舞台に立つだけが劇団の世界ではないんだろうけど、大してお金にもならないのに一年中現場に携われるものだろうか。
公演のスケジュールで一年の行動が決まるから、合間で自由に出来るような仕事しか出来ないという制約もある。


もっと儲かるような仕事なら、胸を張って興行を支えたらいいと思うけど、やはり収入あってのものだよなぁ・・と素人のヲレは思ってしまうので、以前から心配はしていたのだ。
コウヘーも長くやっているからね、そんな合理性だけで簡単に足を洗えない世界なのかも知れないけれど、そろそろ自身の事を考えてもいいのでは?


余計なお節介かも知れないけれど、帰りのクルマの中でそんな話をした。


結局のところ新しい女性の存在は口にしなかったが、彼の中でもそういうターニングポイントは迫ってきているという自覚はあるようで、近々大きな変化はあるかも知れないな、と思った。



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舞い落ちる桜吹雪の中に、これからどんな人生を投影できるだろう。

幽き一瞬の煌めきや、
斜陽、
それとも新たな出発だろうか。



なかなか順風満帆を表現しづらいのが桜であるが、決して暗い陰の暗示ではない。
その儚さが比喩にぴったりだからなのかも知れない。


どれだけ磐石に準備しても、明日には全て消えてなくなってしまうかも知れない人生のうえで、今という一瞬をとにかく全力で咲き誇る。

そんな桜のような人生。
自分はそれを忘れないように毎年桜を見上げています。



みんなは今を全力で楽しんでいるかな?

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altやっと書けたな・・。
Posted at 2022/04/24 16:58:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域

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何シテル?   06/30 04:17
だ い です。空白が二つですw 板金塗装と整備をちょこっとかじってマス。
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