• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

だ いのブログ一覧

2021年04月01日 イイね!

新学期

新学期長い冬も終わり、近所の桜も満開に。

ほぼほぼ変温動物のだ いは蛙と変わらないので、外気温が上がってこないと充分に体が動かなかったり思考できなかったりする。
体脂肪が殆ど無いせいか、
低気温に晒されても、反射による恒温調節機能の反映が極端に遅く、スリープ状態のようになってしまって何も出来ない。


冬は殆ど何も出来ないと言っていい。

暖かくなってきたのでそろそろ色々とやらないと。


alt
この春で小学校二年生と、年長組に昇級する二人。
保育園児と学童クラブに通う小学生は、四月一日から新学期なのだ。


放っておいてもSwitchとユーチューブばかりで外で遊ばないので、散歩がてら連れ出します。

alt
alt
alt
alt
alt
alt
alt
alt
親バカだとは思うけど、兎に角可愛い二人。
妙にイケメンなんだよな・・・学校や保育園でも先生たちから大人気。

ヲレに似たんだな・・・(苦笑


妻も、「人生の大半は顔で決まるから・・・」と安堵しているww
中身で勝負しようよ・・・


当然けんかばかりしているけど、基本仲良しだね。


去年一年間は、特色のある行事や集まりなど、現実的な事が何ひとつ満足に出来なかったけれど、手洗いやマスクのお陰かインフルエンザや酷い風邪には罹らなかったね。
元々インドア派ではあるけれど、更なるステイホームで家族との時間も増えたし悪い事ばかりではなかったかな。


今年はガチ登山にでも連れて行こうかな。


alt
alt
Posted at 2021/04/03 02:28:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 日記
2019年04月09日 イイね!

いま、再びの山梨

いま、再びの山梨年に一度だけ、友人と各地の桜を巡る旅をしている。

樹齢が1000年とも2000年とも言われている桜の王や、歴史の重要人物が手植えをした、花見を楽しんだ、馬を繋いで休んだ、そんな伝説が残るような桜の神々に会いに行く旅。
自分たちのライフワークのひとつとなっている。


元々僕たちは、子供の頃から都会の雑踏や社会のよしなし事を嫌い、バックパックを背負ってあちこちを歩いて廻った。


とても純粋だったんだ。



自然の美しさにかけがえのない尊さを感じ、あらゆる動植物を可愛いと感じていた。
学生の頃の長い休みには離島や僻地にテントを背負って赴いた。

過剰生産過剰消費が基本の利便生活の矛盾を、何もない山の中できちんと理解し、何もかも自分たちの事は自分たちでやるという事の大切さを痛感する。

そうやって、自分たちにとって必要なものと実社会との距離感を測っていた。


僕たちは、よく川沿いを上流から海まで歩く旅をした。
鉄道も来ていないような所が多かったので、バスで行ける所まで行き、野営しながら海を目指したんだ。

遠くでホイッスルのように猛禽が鳴いている。

川向こうの山の斜面には、雑木林に混じって山桜がぽつぽつと咲いているのが見える。

ただそれだけだ。
だけど、そのただそれだけが、この上なく美しいと思った。


特に華美ではない。
山桜など花弁も小さいし色味も少ない、開花には若葉が混ざってしまうし鑑賞用には向かないと言っていい。
そもそも並べて沢山植わっているものではない山に勝手に咲いている自然の桜である。

だけどため息が出た。
当時持ち歩いていた銀塩フィルムカメラにこそ収めなかったが、こころのフィルムにはしっかりと焼き付けられているのである。

高校2年生の春だったか。


この時に感じた世界の美しさが、今の自分の全てなんじゃないかと思う。

お互いに社会人になり、ストイックな旅は一時中断。
あんなに嫌いだった社会の荒波に揉まれ、幾人かの女性と付き合ったのちに結婚。

ただの普通のひとになっていく。


だが、旅をしていたあの頃に見た裾野の山桜が忘れられない。長良川や古座川の澄みきった流水が忘れられない。

あの頃の記憶は、憧憬となって心のフィルムに焼き付いたままなのだ。

そして、そろそろそれらを現像してみたいと思うようになった。


そう思い立って友人のコウヘイと再び動き始めたのが10年前・・・
始まりは山梨からだった。


山梨には全国からひとが訪れるようなラスボスクラスの一本桜が多数あり、この中には国内最老桜である山高神代桜が含まれる。
これに照準を合わせると、樹種や標高的にまだ早い桜が数多くあり、いちどきに全てを見て回ることは出来ない。

今回は前回訪れこそしたものの、まだ見頃ではなかった名桜を主に見て回ることにしたのだった。


雨ばかりだった4月前半、一か八かで取った有休が大当たりで、モーゼの十戒かってくらい晴れ渡りました。

持ってるなぁ~。

alt
大きな富士山が出迎えてくれました。

いつも花やフルーツに囲まれていて、甲斐駒ヶ岳や、八ヶ岳、霊峰富士に見守られている。
山梨は一時間程度で赴ける近県にもかかわらず、風光明媚で素晴らしい風土だと思います。

相変わらずのコウヘイの愛機ヴィッツRSで出発です。


alt
alt
alt
alt
メジャーな樹はもう終盤と予想していましたが、わに塚が意外と咲き遅れていて丁度満開という現地情報もあり、最初に一発大関クラスのエドヒガンを見て行こうということになりました。

alt
通称「わに塚の桜」です。
過去のブログでも何度か取り上げたことがありますね。

平場の桜よりやや開花が遅いので、何度かリベンジチャレンジをしています。

この桜は満開であることもそうですが、霞の少ない澄み切った空が揃えば八ヶ岳との素晴らしいコラボが実現する有名な撮影スポットでもあります。

プロが何度も何度も通って、漸く納得のいくシチュエーションを求める。


この日はそんな奇跡のシチュエーションでしたw

alt
alt
alt
とても晴れているけど、北の風が入っていてウィンドブレーカーを着ていてもかなり寒い・・・でもそのお陰でこの空気の透明度である。
南風が入ると湿気が多くなり霞がでてしまうのだ。

今日はヤバイ。
僕とコウヘイはそう感じた。

alt
alt
何だか出来過ぎている風景にシャッターを切りながら、春の風を胸いっぱいに吸い込むと、日頃シンナーや粉塵に侵されている肺胞のひとつひとつが浄化されていくような気がした。

菜の花の匂いがした。


alt
alt
神代桜のすぐ近くの無名ながら絵になっているエドヒガンも満開。
バックの甲斐駒ヶ岳が雄々しい。

こんな風に寄り道をしながら、以前にも訪れたことのある眞原の桜並木へ。

alt
一見満開のように見えますが、並木のアーチの中はまだ3分4分と言った感じ。

ここも標高が高いので遅いんですよね。
それでも日当たりのいい東側だけが咲き進んでいて絵的には悪くない。

alt
alt
alt
alt
黄色いキャップを被っている方がだ い ですねw
古い一眼レフをしつこく使い、何とかいい絵を撮ろうと頑張っています。


コウヘイはさらりとフルサイズに買い替えてワンランク上の写真に挑戦しています。

いいなぁ・・・フルサイズ。
高くて買えないです。



ふん(´゚д゚`)写真は機材じゃネーヨ!


みたいな。
alt
さてさて、次は割と念願だった「本村の関の桜」
ここの開花は特に遅く、何度も訪れているものの、まともな開花に遭遇したことが無い。

しかし、今回はこの御姿である。


alt
alt
alt
幹回りが大きくてなんて重厚な桜だろう。
写真の僕も満足そうである。

1973年に白州町指定の天然記念物に指定。(現在は近隣7町村合併があり北杜市となっています。)
すぐ脇の道路が旧街道であり、関所の近くだったことから「関の桜」と名付けられたと案内板には説明されています。

マイナーな樹なこともあって来客は少な目。
静かな里山の桜です。
こういう樹が渋くていいですね。

しばらくじっくりと見上げてしまいました。


alt
次の桜もなかなか開花に巡り合えない遅い桜、
「白秋保育園の桜」です。

関の桜同様、初めて開花時期に訪れることが出来ました。

alt
特別に由緒ある老桜という訳ではないんですが、畑から狙ったときのダイナミックな甲斐駒と保育園の桜とのマッチングがとても美しいんです。


文句なしの満開だぁ・・・

平日だったので、多くの園児たちのはしゃぐ声が聞こえてきました。
絶対に良い保育園だろうなどと思ってしまいます。

alt
alt
alt
alt
alt
清春芸術村といういわゆるアートギャラリーへ。
桜に囲まれた美しいイベントモールです。

周辺の桜が目的でしたので入館こそしませんでしたが、いつも有名な芸術家のエキシビジョンを公開しています。
友人のコウヘイは演劇家なので割とよく訪れているようです。

僕も博物館や美術館などは割とよく行く方なので、今度来たときは入館してみようかな。(大人1500円とちょっと高めですが。)



さてそろそろ昼ですが、韮崎エリアから少し戻って勝沼方面へ。
そこから若干山の方へ上がって乾徳山の麓は牧丘町にあるしだれ桜が目当てです。

alt
勝沼エリアでも富士山はしっかりと見えている。



日光がトップライトにあたる南中付近では桜は白飛びしてしまってあまりいい絵は撮れない。

ので、高台にある狙いのしだれ桜の前に、麓の公民館で弁当を食ったりして少し休憩タイム。
周辺をロケハンしたり、機材の点検などをして、夕方の本番に備えます。


勝沼は韮崎よりも若干標高が低いので、基本的に桜自体は早く、
平場は殆ど終わってしまっています。
近辺の他の桜を少し一瞥してきましたが、花桃やサトザクラを残して殆ど終わってしまっていました。

川沿いの峻嶮な渓谷を登り切った所にも「天王桜」という有名な桜があるんですが、こちらは逆に蕾すらかたく絞ったままでした。

やはり孤高のしだれ一本で行くしかなさそうです。


ここはトワイライト狙いなのですが、一応日中に下見をしておきます。

alt
「乙ヶ妻(おっかづま)の枝垂桜」
甲府盆地を見下ろす牧丘町の高台に座する樹齢200年程のしだれである。



実は昔、私だけで単独で訪れたことがあるんですが、
他の桜との兼ね合いを考えた結果やや早かった記憶がある。

当時はマイナーな桜で、日曜に訪れたのにも関わらず、観客は自分の他にアマチュアのカメラマンがひとり居るだけだった。
だが、近年どういう訳か知名度が上がったようで、多くの来客で賑わっていて驚いてしまった。


alt
その理由の一つとして、しだれ桜周辺の樹を切ったことが関係しているのかも知れない。

自分が訪れた当時は周辺は梅林と杉が周りを覆っていて、こんなに見晴らしが良くなかったように記憶している。
数年前に大流行した梅の伝染病「PPV(プラムポックスウイルス)」が関係しているのかも知れない。

当時青梅の梅林にもPPVが蔓延し、2013年には断腸の思いで市内全ての梅の木を伐採した。
ウイルスの根絶やしには完全伐採以外選択肢はなかったのである。

勝沼など青梅から見たら山ひとつ向こうという感じ。
蔓延を防ぐために伐採をしたのかも知れない。





しかし、物事とはどう転がるか判らないもので、
その功罪というのか、副産物というのか、見晴台のように開けた高台からは富士山と甲府盆地を見下ろすことが出来る景勝地になってしまった。

梅の伐採と同時に、見晴らしの妨げになる杉林も少し切ったのが良かったのかも知れない。
有名になって観光客が多く訪れるようになったせいか、以前は行なっていなかった夜間ライトアップまでされるようになったようだ。

平日に訪れているのにも関わらず、多くの人たちが訪れていた。
土日来ていたら撮影どころではなかったかも知れない。


なるほどなるほど、随分と状況は変わってきているようだ。


しかし、なんという凄まじいロケーションであろうか。
山の斜面に咲く巨大な枝垂れ桜と、澄み渡る青い空。
遠くに甲府の市井を見下ろし、その背景には冠雪の霊峰が堂々と座している。



神や妖の存在を身近に感じるような、現実感を失った世界がそこにはあった。




時間つぶしに少し近所を散策してみる。
土壁の蔵や納屋、古い神社や、民家の花桃などを横目に山梨という所の風土を感じている。



辺鄙な里山だと思う。
一言で言えば田舎だ。


人の手の入っていない原始の森も美しいが、こうやって人が不便な山奥にきちんと順応して自分たちの暮らしをしているという事そのものが美しい。
共存のカタチが美しいと感じるのだ。

環境が厳しければ厳しいほど、身の回りが必要なものだけで構成されていく。
あっても無くてもいいような無駄なものがあまりない。
家の造りも、クルマも、一人ひとりの趣味や人付き合いも、どうでもいいようなくだらないものが無い。

田舎は封建的だという。
狭い世界でまとまっているから、人間関係なども濃くなっていくんだろう。
でもそれは、その世界で生まれ育った人には当たり前の事なんだろうし、都会人のように隣の家の人の事も知らないと言ったスタイルだと、きっと生活していけない。
「田舎暮らしが憧れでした」なんて言いながら外から来た人では、相当砕けないと馴染んで行けないと思う。

だから、ここで生きていく術や正解というものは何だろうとか、人々の暮らしぶりや人柄を見て想像したりする。



「ヲレだったらここで生きていけるだろうか」


とか、
考えたりしますね。


僕やコウヘイは多分生きていける。
まぁ、コウヘイは判らないが・・・僕は大丈夫な気がする。


何故⁉自然が好きだから???


否。

確かに自然は美しいが、それが好きかどうかは問題ではない。
どんな環境にでも順応できるかどうか、という割とシビアな話なのである。

僕もコウヘイも、東京に生まれ東京に育った都会人であることは間違いないだろう。
だがしかし、こころのやり取りそのものを淘汰していく集団密集生活にはずっと辟易しながらやってきた。

コウヘイもそういうタイプの人間だったから、僕と一緒にしていた「旅」の中に求めているものが同じだった。


結果と利益だけを求め、周りを顧みずに最短距離を行く生活。
上辺だけでやり取りする人々。
その何処に人間としてのサティスファクション(本当の満足)があるのか判らなかった。

死ぬほど沢山の人間が居るというだけで、そういう感じになってしまうのだ。



東京は全国から利益を求めて人が集まる多民族国家みたいなものだから、ギラギラした奴らが多いのは確かだ。
他の奴を踏みつけてのし上がっていい生活を手にした奴だとか、蹴落とされて心に傷や闇を抱えて能面みたいな顔でやっと生きてる奴だとか、いろんなクソ野郎が沢山居る。

そして、どちらも思ってるのは「気を許せばやられてしまう」という猜疑心だろう・・・

そりゃ、玄関の扉を閉めたら直ぐに鍵を閉めたくなる気持ちも解る。



四人に一人はメンヘラだと言われている今の社会で、どれだけ心豊かに生きていけるかどうかというのは、人生の大きな課題だと思う。

それは本当に思う。


どれだけ仕事ができるとか、どれだけ技術があるとか、どれだけ金が稼げるとか・・・どれもそこそこは必要だけど、一番必要な事じゃない。

一番大事なのは、人と如何にうまくやれるかどうか。
この一言に尽きる。


如何ににいい友達が出来るか、
如何に同じ会社のひとと仲良く出来るか、
如何に妻や子供といい関係でいられるか、
如何に今日会っただけの誰でもない人と笑顔で過ごせたか、

人生の全てはここに集約されていると思う。


昔はそれが判らなかったから、
「僕が僕であるために」と思う事に必死で、人を傷つけて、結果自分も傷ついていた。

技術や知識があれば何とかなる、アイデンティティーをなくしたら終わりだと思っていたけど、実際はそうじゃなかった。
何時だって何かを壊すのは自分自身。
人間これ以上大切なものを失う事があるだろうか、と言う程の挫折も味わった。

自分がこれまで大事だと思っていたものが、実はそうでもない。
あまり自分を守り過ぎる事に意味が無いんだなぁ、と思うようになった。


元々直感で判断するシンプルな脳なので、
気付くことで方向転換出来たのだ。


誰とでもうまくやれれば、何処でだって生きていけるんじゃないかなぁ。
きっとその方が楽しい、


とね。


思っているよりも日没が早かった。

高台だからもう少し西日が残ると思っていたが、山を登っている最中に捉えたこの一枚を最後にバーミリオンの残光は山陰に遮られてしまった。



一気に辺りは暗くなり、ぽつぽつと街の灯りが輝きだす。
ここからが本番なのだ。

ここだという場所に三脚で陣取り、深まっていく宵闇の中でカメラの撮影モードや、シャッターレリーズの動作確認などをする。
あまり明るいレンズではないので、F値を上げ過ぎるとスローシャッターになり過ぎてしまう。

なるべくパンで撮りたい。
かと言ってISO感度は極力上げたくない。

バランスの難しい所なのだ。


「このレンズはこういう場面で絶対にゴーストが出ないからいいよ」
「何とかさんがインスタで言ってたから真似して買ってみたんだけどいいよ」
「ツイッターの○○ってひと××ちゃんだったんだ」
「え~、ラインのスタンプってそんなに儲かるの?」
「とにかくね、いいものはどんどん真似しないとね、道具で決まるからね」


自分よりやや高いベストポジションにさっさと陣取ってた野郎が、近くのカメラ女子みたいなのにデカい声で能書き垂れてるのがさっきからうるさい。
アマだかプロだか知らないが、ちゃんと写真を判ってるような奴が話すような内容じゃない。

普段は温厚なヲレだが、何だかイライラするぜ。
(僕や私で通してきたのについにヲレが出てしまう・・・)


道具で決まるだと?
思ってても言うんじゃねえよクソが。

前のくだりでヲレが垂れてた能書きと逆行するんだよ。


大して出来そうもない奴ほど、現場でウンチクを並べたがるのはクルマもカメラマンも同じだな・・・スペックばかり気にする奴には信念がない。


そうこうしていると遂に桜の周りのスポットライトが点灯し始めた。
ライトアップが始まったのだ!

グレー一色だと思っていた空が、対比で鮮やかなブルーに変わる。


驚くべきことに、無風だった。

最高でISO400のまま、10秒まで開けたがブレは殆ど無かった。
風に揺れやすい枝垂れ桜では有難い異例のシチュエーションである。

後ろのクソ共も流石に黙って息を呑んでいる。
最低限の心得はあるようだ。


一体何だこれは、こんな事があっていいのかという雰囲気に包まれている。
皆黙って一様にシャッターを切っている。


数秒おきに青の濃さが増していく、蒼が青になり、藍色になっていく。
僅かな残り時間で究極を追求するエンペラータイムである。

どう撮っても美しくなってしまうのが逆に難しい。

スローシャッターは記録に時間が掛かるので、その時間すら惜しい、長いと感じてしまう。



一番いいと思う所では結局みんなが集中するので、ありきたりになってしまうのではないか・・・少し下から回り込んで狙ってみると三日月が入れられる。

月齢は3.8、上弦の月である。


コウヘイがあろうことか三脚を忘れたというので、いい感じの所で代わるがわる撮影していた。

だけど、その間じっくりと肉眼で見上げる時間が出来たんだ。



写真はストイックになれば成る程、何を撮っているのか判らなくなる時がある。技術や構図の黄金比に拘るあまり、もはやそのものを見ていない時がある。

「いや~、今日のは良かったな。」とか言いながらロクに桜を見ていないで帰るという事になるのだ。


普通の人にとって写真は、その時の思い出だとか、記録、追求があるとしたらありのままが写せればいいのにとか、そういう所だと思う。

しかし、写真家と言った辺りに足を突っ込んで長くやってる人にとっては、自分の中にある理想のイメージの具現化作業なのである。
電線や看板などの人工物を入れたくないだとか、色の対比が悪いものは写らないようにするだとか、ありのままを写そうなんて気はさらさらない。

それそのものの、そのままの姿を全然見ていないじゃないか。

そう気づいたのは子供の運動会を見に行った時だった。
結局自分の子供のハイライトシーンは全てファインダーしか覗いていなくて、自分の肉眼で全く見ていない事に気づいてしまったのだ。


だから、カメラを構えないで肉眼で静かに見上げているという時間がこんなにも贅沢なんだなぁ・・そんな風に思ってしまった。


「美しいなぁ・・・。」

この日初めて本当にそう思ったのかも知れない。
インスタだか何だか知らねえけどさ(やってるけどw)、写真もクルマも仕事での人付き合いもそう、なんでも上辺ばっかり取り繕ったって駄目だよな。

メッキなんか直ぐに剥がれてしまう。

それを何のためにやってるのかって信念が無いと、心が伝わらない。



僕たちにとっての桜は、若き日の僕らの原点を象徴しているようで、その懐かしい日々を再び表現したいだけだった。
だけど、表現者としてのゴーグルを取っ払えばこんなにも美しいという事が言葉ではなくてこころで理解できる。

後ろの連中にイライラしていたのは、あいつらがクズだからではなく、
自分たちもそうなりかねないという事が気に入らなかったからなのかも知れない。(まぁヘラヘラした野郎だったけど)


人が嫌いだった学生の頃は、植えてある桜には余り興味を持てなかった。
だから山の斜面に一人で咲く孤高のヤマザクラに共感を抱いた。

でも、今追いかけている里山の桜は決して自然の美ではない。
当時の人々がいろんな想いを込めて植え、みんなで守っているから今年も咲くのである。人の手によって生み出される美である。


「ヲレだったらここで生きていけるだろうか。」


このシダレザクラは現にここでしっかりと根を張って今年も立派に咲いている。
でもそれは、周囲の人々に愛され面倒を見てもらってきたからに他ならない。



自分がその時々に追う人生の縮図を、常に桜が体現しているんだという事に気が付いた。
ただただ綺麗だと感じるものを追い求めているだけだと思っていたのに、
自分が思い悩み、挫けた自分にいつも方向を指し示してくれるのが桜だったんだ。



今回は人生哲学みたいな詰まらない話になってしまったけど、

桜には縮図がある。
宇宙があるんだ。


曼荼羅みたいなものか、


でもこんな姿を見たら、強ち嘘でもないって思いませんか?

alt最近は長いブログは流行らないってさ。



Posted at 2019/04/29 11:17:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域
2019年03月31日 イイね!

こどもたちと

こどもたちと今年の桜もすっかり終わりましたね。

恒例の桜旅にも滞りなく行けたので特に悔いはないですが、
子供達を連れて久々に昭和記念公園へ行ったりもしたので、その時のスナップだけ。

もう少しだけ振り返らせて。



何度か訪れていますが、きちんとお花見で来れたのは初めてかな。
まだ七分咲きでしたが、どこもかしこもさくら色でした。




芝生に簡易テントと、マットを敷いて、
妻が早起きして作ったお弁当を食べたり、普通のお花見です。







普段はどんだけ怒っても言う事を聞かないワルノリ二人組ですが、
公園ではいくら暴れてもいいよ。

勢いは次男坊の方があるので、中学校に上がる前に立場が逆転しそうですね。














PENTAX 1:2.8 100㎜マクロで撮影。





どんどんどんどん大きくなって、

その内勝手にどっか行っちゃうんだろうなぁ。

altあっという間だよきっと

Posted at 2019/04/30 11:15:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 日記
2018年04月18日 イイね!

ふたたび遅い春

ふたたび遅い春幼馴染のコウヘイと桜の旅を続けて10年。

初回よりこの「おろかな日々」で紹介しているが、早いものだ。


10周年でもあるし・・・
桜の旅とは自分にとって何であろうか、と言う事を綴ってみようかと思ったが、屁理屈と能書きを並べれば並べるほど何だか違うと感じてしまう。

言葉にしてしまうともう、それその物でなくなってしまうような、
客観的に評価してしまってはあまりに無粋。

そんな淡い片想いの様なものなんだと思う。


そのくらいただ純粋に好きな事をしてるだけの時間だ。



10年目も長野であった。


南信州は阿智村という、水と空がきれいな岐阜との県境の村である。
はっきり言って辺鄙を絵に描いたような所だ。


季節は4月も半ばを迎え、今年は開花が早かったこともあって流石の長野も平場はとっくに葉桜。
飯田も駒ケ根も高遠もとっくに終わっている。

秋田や岩手がそろそろ満開か?と言った時期である。


だがこの阿智村にはたった2本なのだが、見たいと願ってもなかなか叶わない遅咲きの一本桜が存在した。
桜どころである飯田や、下伊那地区狙いでは絶対に時期が合わない。

この桜のみの満開を狙って訪れないと、出逢う事の出来ない伝説の桜だった。



今年はコウヘイとの都合が中々つかず、もう無理ではないかなと諦めかけていた時に、ふっと空いたタイミングで一日だけ行こうという事になった。

泊まりは無理なので、エリアが限られてしまう。
東北エリアは日帰りでは厳しい。


となった時に、ふっと思い出したのがこの村の桜である。

今年の開花状況を調べると、いまその瞬間が満開であるという事だった。



「今晩出よう。」



alt
長野の山あいは早朝狙いが全て。

日照時間が短い事と、深い山脈を背に西日が射さないからである。


alt
クルマを駐められるような場所が遠く、1キロほど道路を歩いて登る。
朝から晴天だったが、まだ寒い。

駐車場が麓の方にあるので、ウインドブレーカーを羽織って夜気の残る山道を登っていくのだ。

沢のせせらぎと鶯の鳴き声しか聞こえない。



「この感じだなぁ・・・」



ひとり呟いてしまう。

そしてそれは突然目に飛び込んできた。

alt
「駒つなぎの桜」である。

水の張られた深山幽谷の棚田に映る巨大なエドヒガン。
見るものを只々黙らせる圧倒的な迫力と美しさで満開を示していた。


「何だよこれ・・・」



凄いとしか思えなかった。
形容する言葉がなかなか見つからないのだ。


alt
alt
alt
alt
alt
その昔、源義経が自分の馬を繋いだとされる事から「駒つなぎ・・」と呼ばれるようになったのだという。
ただ、元木はとうに朽ち果て、ひこばえが育ったものとも言われている。

義経の話が本当なら、平安時代末期。
800年以上も前の話ですからね・・・


あの牛若丸と呼ばれた源義経です。

馬を繋いで休憩をしたというだけで、これだけの伝説となってしまいます。


棚田のリフレクションがなんとも美しいこの桜だが、
長い事訪れることが無かったのは、見ごろが独立しているからと言う事だけでなく、
この棚田の水張りがここ数年行われていなかったからだ。


水田の水張りがあまり桜の育成に良くないらしく、何年も水の引き込みが取りやめになっていた。

今回開花に合わせて水が貼られたのは6年ぶりの事となる。



素晴らしいの一言である。

桜の美しさには、その個体の立派さや樹齢と歴史、バックスクリーンの美しさなど、さまざまなシチュエーションがある。
その樹が美しいとされる背景をいかに表現できるかが、桜の写真の醍醐味なのだけど、この樹のようにあまりに出来過ぎていると、逆にどう撮っていいか判らなくなる時がある。

どう撮っても美しいので、逆に構図が決められないのだ。



少しの間困ってしまって、結局オーソドックスな構図しか決められないという結果です。

早朝狙いは正解でした。
桜はトップライトになってしまうと、独特の淡い赤が白く飛んでしまって綺麗に撮れない。
斜め透かしの陰影が生み出す薄紅色は朝か夕暮れ時が勝負なのです。





ひと通り撮って、もう満足したので午前の日差しのうちにもう一つの樹に移動することに。


alt
「自分は横浜なんですけど・・・」と話しかけてきた隣のオッサンと話し込んでしまってなかなか次に移れない。

日が昇ってしまう・・・


alt
これは阿智川というのかな。
発電所の堰き止めがあまりに美しい。

トップライトに近い陽光が花崗岩質の白い砂礫にそのまま反射して戻る。
川底がやたらと明るいのだ。


透明度の高い清冽な河川水に驚いてしまう。

学生の頃、何日もかけて歩いた春の和歌山を思い出すな・・・
ここもそうだが、とにかく山奥なんだよ。


町の喧騒から最も遠い場所。


川の水がどこまでも済み切っていて、夜には降り注ぐような満天の星空。
ただそれだけで満足だった日々。


そんな懐古が訪れる。



alt
黒船桜と呼ばれている。

1853年、ペリーの黒船来航時に植えられたとされるシダレザクラで、畑の傍らにあるお墓の桜である。
樹齢としては、まだ200年経っていないという勘定になる。


谷の一段低い所に座しており、いろんな角度から狙える形の良い樹だ。

alt
alt
満開後三日と言った所か。
有名な桜の割にカメラマンも少なく、気兼ねなく撮影ができた。

俯瞰で撮ったり、煽りで撮ったり、花桃を入れたりと色々アレンジできるのがいいね。


alt
alt
alt
alt
alt
alt
少し日が昇ってしまったので難しくなってしまったが、空が青いのでまだいい。
横浜のオッサンと話し込み過ぎたか・・・


こんな風に、いい角度を探りながら周辺を散策する時間がいい。

何とも言えない至福の時間である。


ライトアップもあるので再度訪れたい所だが、駒つなぎの桜と悩んでいる。
今回は駒つなぎが完璧な状態なんだよな。


alt
alt
alt
しかし山奥である。

黒船桜は清内路(せいないじ)小学校のすぐ下の桜である、平日なので授業中だからだと思うが、児童なんてどのくらいいるのだろうか。

全学年で20人くらい居るのかな。
そんなには居ないかも知れないな・・・


ここは特にひと気の少ない峠の里である。


alt
alt
ライトアップまでは少し時間がある。
というか、かなり時間がある。


まだ昼前だというのに、ライトアップが始まるのは夜7時からだからね。
こりゃ困ったぞ。。

村内の他の桜を探して回ることにしました。



alt
しかし、このヴィッツも長い。


自分のGCより長く乗ってるからね・・・もうすぐ15年所有とかになるだろうか。
身近で自分が面倒を見ているクルマは、とにかく買い替える機会を失っている。

まぁ、大騒ぎする程壊れもしないし、とにかく距離を乗っていないからね。
漸く10万キロになったな、というあたりである。
さすがはトヨタの量産機、(と言っても、作ってるのはダイハツか)まず深刻なトラブルがない。

びっくりするくらい燃費がいいのに、トルクフルにして充分な1500ccエンジン。
高速も苦にならない車体の安定感とギヤの守備範囲。
ハイオクで半分しか走らないGC8を出す理由が見つからない。。


キャンプに桜の旅に登山に、悉くお世話になっている。


何より、コウヘイが気に入ってるからね・・・
何が壊れても多分直せるし・・・余程派手な事故なんかで潰れない限り、リアルにもう15年行くんじゃないか、という雰囲気である。


alt
alt
alt
何とも美しく均整の取れた境内。

下から見上げると、真っ青な空に形のいい老桜が二本映えている。
地元では「夫婦の桜」と言われているようだ。


alt
自然光が作り出すプロジェクションマッピング。


alt
村内を抜ける通りは木曽へと抜ける峠道なので、少し県境を越えるところまで覗いてみることにしました。
南木曽の木地師の里。


木地師とは、木工の伝統工芸品を作る職人の事で、深い木曽の山奥ならではの文化圏ですね。


少し覗いてみましたが、おいそれと買えるような値段ではなかったですね・・・
茶碗が4千円の~小皿が7千円の~みたいな。
これでも地元価格でしょうからね・・・日本橋の三越とかに卸されたら、さらに1.5倍くらいになるんでしょう。


特に驚いたのがこれ!

alt
欅のろくろ細工で作られた木製スピーカー。
普通に20万とか30万とかの価格設定でした。
中には160万円というセットも・・・(スピーカーだけでですよ)


スピーカーの前にまず家とか部屋からだな・・・と思ってしまったw


alt
もうひとつ見つけたお寺(清内路下諏訪神社)の境内。
落雷を受けてなお、立派に英をつけ続ける老木があるというので寄ってみた。


alt
この樹なんだろうな・・

うねるように捩れる表皮。
幹の太さに対して、途中からすっかり上側が無くなっている。


見た所シダレザクラだと思うけど、シダレでこの太さはそれなりの樹齢がある筈。
随分と長い事この境内を見続けてきたんだと思う。

満身創痍でも、今もなお毎年春を届けてくれる。


alt
alt
alt
alt
何百年もの間、人々の変わらない営みをここで。


alt
神社の裏手に裏山へ上がっていく道があった。

村を一望できるようによく手入れをされていて、花桃やレンギョウが春の日差しに輝いています。
鐘楼があり、山道には多くの石仏が配置されていて、村の信仰の中心になっているようでした。


alt
alt
爽やかな春の風が吹き抜けていく。


2人は暫し会話を交わすことなく、静かに耳を澄ませていました。


alt
小さな村なので、すっかり廻りきってしまいました。
ようやく昼です。



お弁当でも買って昼食を済ませたら、少し昼寝でもしようと言う事になりました。
3時出発の早出ですからね・・・

まぁ、自分は9時台に寝てるので5時間半は寝ていますがw


子供でもいないとそんなに早く寝ることはないよなぁ・・・^^;


山を降りると昼神温泉があり、河川敷で弁当を食べたりしていましたが・・・
人が多いからか、どうも落ち着かない。

昼寝と言う感じでもなかったので、少しクルマで移動して山陰の小さなダムの近くで休憩することに。

少し見晴らしのいい林道わきの木陰にクルマを停めると、コウヘイは直ぐに寝てしまいました。



「昨日、あまり寝てないんだな・・・。」
alt
alt
alt
alt
alt
自分も初めはキャンプチェアーを出して、ぼんやりお茶を飲んだりしていましたが、
実際いざ寝ようと思うと中々寝付けないタイプなので、カメラ片手に少し散策したりしていました。

一段高い所なので、大型の猛禽が自分より低い所を飛んでいる。

ダムの水の落ち込みと風の音しかしない。

堰堤の上から覗き込むとエメラルドグリーンの水面がキラキラと光っていて、ところどころにあるサツキとヤマザクラが殺風景な野山に色を添えている。


alt
山陰には廃バス。
日野の旧い12メーターでしょうか。

山村ではよく見る風景である。
倉庫代わりに使おうと思うんでしょうね。



alt
alt
用水路を覗き込むと、沢山のイモリが。
彼らも恋の季節。

オスがメスの前で尻尾をゆらゆら揺らして誘ったりしている姿が観察できました。


頑張ってるなぁ。

alt
水生の有尾目を見るとやたらとテンションが上がるよ。
サンショウウオとかね、見つけると「おっ!いるな!!」と思ってしまう。


alt
alt
alt
さてさて、陽も傾きだして結構いい時間になってきた。


「そろそろ行こうか。」


桜のライトアップの撮影となると、
早めに現地に行って、場所取りも兼ねてトワイライトも狙うようにしている。

有名な桜となると、何時間も前から大きな三脚が立ち並んでしまう事もあるからね。


alt
やはり、朝一で訪れた「駒つなぎの桜」にしました。


この棚田の水張りもまた向こう数年やらないかも知れないし、ここまでの満開にきちんと訪れられる事はそうそうない。
今回は千載一遇のチャンスなのである。


風も弱く、全てが味方をしてくれている気がした。


alt
あと一時間半w

平日と言う事もあって、仕事のカメラマンか隠居のオッサンくらいしか居ませんでしたね。
余裕の場所取りです。


日中は暑いくらいでしたが、山陰に陽が落ちると、一気に気温が下がってきました。

一昨年の高遠では薄着で挑んで酷い目に遭ったので、今回はちゃんと着込んできましたよ。



alt
そして19時。
その時は訪れました。


alt
alt
「あああ・・・。」


一同が無様に絶句するだけであった。


これだけ立派なエドヒガンならただのライトアップでも美しいのに、
水張りのリフレクションでこの世の物とは思えない妖艶さを放ち始めた。




長年やっていると、こういう一本に出会う事がある。



alt
alt
alt
桜の神様に逢いに行く。

僕らが続けてきたのは、そんな旅です。


altこの瞬間だけで充分に元が取れる旅でした。












Posted at 2018/05/03 04:04:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域
2018年04月01日 イイね!

羽村取水堰

羽村取水堰今年の桜は早く感じたね。

三月の終わりになごり雪・・・と思ったら、その反動で一気に蕾が綻び、先週末には早々に見ごろを過ぎてしまいましたね。

ですので、ちょっと山側は涼しくて開花が遅いと思い、家族で羽村まで行ってみました。



天気の良かった日曜日。

まこと見事に読みは当たって、ドンピシャの満開。
お弁当を持ってお花見です。


常に斜に構えている長男と、天真爛漫な次男。

ふたりとも私の大切なたからものです。
我が子ながら笑顔が眩しい!






一見女の子のような可愛らしい顔をした次男ですが、
日頃の容赦のない折檻と口撃に耐えているせいか、非常に屈強。

顔から転んで口が切れても黙って立ち上がり、
上の子に頭を平手で叩かれれば、グーで殴り返す2歳児です。



ストライダーなんか持って来たって、どうせ帰りは私が担いで帰ることになるのだ。。。

買ってやってから2年も経つのに、子供の乗り物がこのきれいさは異常。
自分の物が汚れることを極端に嫌う。


この潔癖性は妻譲りなのだろう・・・。



東京都水道局羽村取水堰。

ここで多摩川を堰き止めることで、玉川上水が始まります。



このやたらとカッコいいいでたちの銅像が、工事を請け負ったとされる玉川兄弟。

時の江戸幕府の命を受け、この一大事業を成し遂げた訳だが、
実は二度も工事が失敗しており、その立場は非常に危うかったとある。

一度目は日野で、二度目は福生で工事は頓挫しており、地層や岩盤の影響で上手くいかなかったようだ。

莫大な予算がつぎ込まれた工事。
先の失敗で多くの工事関係者が処刑されることとなった。


もうこれ以上は失敗できない・・・次は俺たちの番だ・・・


三度目の正直で羽村堰が完成し、無事玉川上水は完成した。
途中幕府からの資金が底をつき、家や家財道具を売り払って工事を完了させたという逸話が残っている・・・。そりゃ銅像くらいにはしてあげないとね・・

二度も失敗していたら、お金が無くなりましたとは言いにくかったのでしょうか。


ギャンブルですなぁ・・・。


その功績の甲斐あって、飲み水の不足していた江戸の町や農地に清冽な水が行き渡り、江戸の発展に大きな貢献をもたらしました。

両岸には吉野から厳選したという桜を延々と植樹し、今も多くの桜並木が残る。

ソメイヨシノという品種は成長が早いぶん短命で、長くても樹齢80年程度。
現在の植樹で四代目ほどになるらしい。


人と同じくらいだなぁ。









自分は水の生物が好きなせいか、水場がとても好きだ。
だから、川とか湖沼というだけで何だかわくわくしてしまう。

そして、桜と言う樹にも何だか憑りつかれてしまったかのような魅力を感じてしまっている。
この二つが揃っているというだけで、自分的にはもう充分だった。


何だか全てが美しいではないか。



玉川上水のスタート地点。

これだけ滔々とある水量が、三鷹の辺りまで行くと殆どなくなってしまう。
一体何処に行ってしまうのでしょう。




田舎の河川敷での、のどかな春の時間でした。



そのまま、真っすぐ帰る予定でしたが、途中の道すがら畑の向こうに大きく両腕を広げる立派な桜があったので、立ち寄ってしまいました。


名もなき桜が、
夕日に照らされて輝いていました。




私以外の皆さんはすっかり寝てしまっています。

alt今年は遠出は出来ないかなぁ・・







Posted at 2018/04/03 16:24:10 | コメント(2) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域

プロフィール

「[整備] #その他 HA11S アルトワークス 社外ラジエター装着 https://minkara.carview.co.jp/userid/271921/car/262720/7405733/note.aspx
何シテル?   06/30 04:17
だ い です。空白が二つですw 板金塗装と整備をちょこっとかじってマス。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

人気ブログランキング 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2009/09/13 00:37:18
 

愛車一覧

スバル インプレッサ WRX STI イプ太郎 (スバル インプレッサ WRX STI)
峠にサーキットにジムカーナに雪山に、ファミリーカーに、10年以上お世話になってます。 ...
ホンダ ホーネット250 ホンダ ホーネット250
通勤でもう一つ欲しい余裕と、老後の楽しみの為に30年ぶりに単車を買いました。 五十路目前 ...
スズキ エブリイ エブ子ちゃん (スズキ エブリイ)
妻の通勤&保育園送り迎え及びキャンプ用に買い替えました。 不整地走行を想定した4WDに、 ...
カワサキ KSR-I カワサキ KSR-I
ずっと憧れだった川崎のスペシャル原付も気が付けば25年落ち。遂に買ってやりました! フ ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation