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2012年05月20日 イイね!

それでも咲く花へ

それでも咲く花へとても難しいテーマだった。

発表しないことも考えたけれど・・・やはりそれも違う。
それは只の逃げだと思った。

どうせ人は誰だって自分の主観でしか生きられないんだから、正面からぶつかる以外に何があるんだ。

元々、真ん中取るような無難さを捨てた賛否ある人生だもの、今更非難を恐れてどうするんだ・・・。


そんな思い切りの要る取材の旅だった。

今回の旅の相棒は、クネとその愛機GDBインプレッサ。


時は少しさかのぼって5月連休。
忙殺の日々であった4月より漸く開放されて、計画の旅に出る事になった。


「震災被災地の桜を訪ねる旅」


タブーではないかという懸念があった。


正直、多額の義援金の寄付も出来ないし。
ボランティア活動にも参加できていない。

貧乏暇無。

自分や家族を生かすだけで精一杯なのが現状だ。

あれだけテレビを前に、大粒の泪を流したと思ったが・・・
結局何処まで行っても、テレビ画面の向こうや、雑誌で見たどこか国の風景でしかなかったんだ。

2011.3.11

恐らく・・わが国史上、私が生きている間で最大だったであろう自然災害がもたらしたものは一体何なのか・・・。このまま大した実感も無く薄れていっていい筈が無い。


物見遊山の野次馬と揶揄されるかも知れない。
でも、このまま黙って知ったかぶりは出来ないと思ったんだ。

恐らく満開であろう東北の桜たちを追いながら、いま被災地は何と向き合っているのか。
ひとつのルポルタージュとしてまとめたいと思う。

こちらも真摯に向き合わねばならない。





仙台から北上のルートをとることにした僕らは、
海に出る前に市内の美しい桜のお寺「松音寺」へ。

素晴らしい・・・見紛う事無く満開の桜たちと突き抜けるような蒼い空。

ううむ、幸先がいいではないか!


この時はそう思っていたんだ。


海へ向かう県道を走っていくと、辺りの雰囲気に違和感を感じてくる。
海岸まで3キロもあるというのに、田畑が海水を被った痕跡があるんだ。



潮を被って立ち枯れした様に見えた桜の木を見つけ近づいてみると、
蕾がほころんで花をつけてるよ。

なんだか嬉しくなってしまう。


だが、一番海岸線に近い県道に差し掛かると、言葉を失うような風景に一変した。






「そんな・・・。」


海岸線に沿ってずっと、住宅街だった場所が続く。

情けない事に、僕達は呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。


荒浜地区。

僕らの想像を遙かに超える規模だった。
普段はとぼけているクネも、込み上げるものを抑えられないようだった。


この地で手を合わせ、深く一礼することから僕らの難しい旅は始まったんだ。





少し高台の七ヶ浜にある君ヶ岡公園。

遠くに松島を望み、青く高い空。
あまりにもいい雰囲気だったので、一度公園についてからお弁当を買いに行ってしまった。

桜に関しては本当にいい時期だったんだ。




多くの花見客で賑わうのは、塩竈神社。

ここの桜は塩竈桜と云われ、国指定の天然記念物に指定されています。





こんな風に桜を追いかける旅でなければ、この地に訪れる事は出来なかったかもしれない。

人は辛い事だけでは生きられない。
苦しい事も大変な事も、救いがあるからやっていけるんだ。


このゴールデンウィークで、震災後初めて松島湾の周遊フェリーが再開した。
観光資源が主たるこの松島に、人の足が帰ってきたんだ。

松島は、湾にある大小多くの小島のお陰で、津波による壊滅的な被害を免れた。

水位こそ上がったものの、
インパクトのある三角波が、小島や浅瀬で四散したためである。

芭蕉も詩に詠んだ松島の美しい湾風景。
フェリーの人たちはどんな気持ちで眺めたのであろうか。




GDBは更に北上の途をたどる。

海岸線は、所々に瓦礫置き場や廃車置場があり、ひっきりなしにダンプカーが行き来する。
橋や道路が壊れ、寸断されているところも少なくない。

消防車両や自警団のクルマも多く見かけた。

未だに手の付けられない被災家屋が数多く点在し、
実際にこの目で見ても信じられないような光景が、日常風景になってしまっている。

割れ窓理論などと言う、荒んだ風景の犯罪を促す特徴を説明した理論があるが、
もうそんな生易しい領域を超えた環境となっている。

未だに窃盗や強盗、レイプ事件などが後を絶たず、
夜間にはまだまだ本当の危険が待っているという。
 ヨソの国よりは若干治安がいい、と言うだけの事なのだ。


人の心の奥底に潜む漆黒の闇が、安易に形になってしまう。





あの日から時間が停止してしまった、仙石線野蒜(のびる)駅。
送電支柱は無残に倒れ、レールは砂に埋もれてしまった。


メディアで報道されているのは、特に酷いほんの一部の事であって、
実際は、イメージ程のものではないのではないか。
一年という時間が流れ、それなりに片付き、ある程度落ち着きを取り戻しているのではないか・・・
いざとなったら人間は強いのだ・・・。

どこかそんな風に思っていた。


だけど、それらは全て大きな間違いだったんだ。


「写真を撮ってるだいちゃんの事を、バスを待つ女の子が軽蔑するような白い目で見てたよ・・・。」

ここが地元の彼女からしたら、僕達はただのヤジウマには違いない。
違うとは胸を張っては言えないだろう。

家も家族も失っていない僕らには、何も言えることなんて無い。


だけど、僕達だって無関心でいる訳にはいかないだろう。
この日本の、全国民が協力し合わなければいけないであろう、重大な局面なんだ。

それでも実際は、新聞やテレビ、インターネットでしか、その深刻な状況を見てはいない。

他人事ならまだしも、本当にこの国で起きた事なのかどうかだって、
この目で見なければ結局、絵空事でしかないんだ。

真実を知る事が、そして知ってもらう事が、本当のたすけあいの根源になっていく筈だ。


もう、知ったかぶるだけではダメだと思ったんだ。 


雄雄しくはためく沢山のマゴイたち。

こんな時こそ、お祝い事は目一杯祝う。
きっと、人間らしさを見失わないように、当たり前だったことをきちんと続けていく。


強さとは、そういうことなんだと思う。



ここは石巻に程近い、周りをぐるりと津波にさらわれてしまった日和山公園。
ここも美しいさくらの公園だ。



眼下には荒涼とした更地になってしまった石巻の市街地が見える。
満開の花枝の間隙から、甚大な津波の被害をうかがい知ることが出来る。

僕達にとっては、気持ちの整理がつかないような複雑な風景だった。


それでも公園には、屋台が軒を連ね、
学生や家族連れのはしゃぐ姿。平和な風景がある。




この桜の風景を、僕はきっと一生忘れる事が出来ないだろう。

そして、この公園で桜を見上げた全ての人たちは、
その優しい笑顔の奥で、一様に何かを固く誓い、強く生きていくことだろう。


薄紅色の花びらから、あたたかさと勇気を受け取ったはずだ。



巨大な鯨の大和煮の缶詰が・・・。

広告の看板だったんだろうか。






   女川周辺

それでも花は咲く。
まるで、何事もなかったように気丈に振舞う貴婦人のように。




茜射す、のどかな公園だが、立ち入る事が出来なくなっている。


海側にせり出している切羽が、麓から崩れそうになってしまっているのだ・・・。
子供を遊ばせる風景はもう戻ってこないだろう。


日も暮れかけて、ここは南三陸町。



鉄筋の頑丈なインフォメーションセンターも、漁協も、コンクリートの橋の欄干も、
想像も付かないような力が掛かった痕跡がある。


そして何もかもが放置・・・そんな感じだった。



そして、この日最後に訪れたのは、
教育現場史上もっとも最悪の被害を出した大川小学校。
避難方法に重大な問題があったとされ、半数以上の児童が津波に呑まれてしまった。

立派な祭壇が置かれ、参拝者があとを絶たない。

残された両親達の悲痛な悲しみが渦になって留まり、まるで触れることが出来るほどである。 そこに踏み込むと、自然と込み上げてくるものを抑えられなくなる。

僕たちは、ただただ手を合わせ、目を瞑り、祈る以外に出来る事は無い。


レンガをあしらった瀟洒な校舎は宵闇に沈み、
祭壇の照明だけが小さく光っていた。



奇跡的に宿の取れていた僕たちは、一旦松島に戻って寝食を得ることが出来た。
通常営業でこそ無いが、本当なら大変な高級ホテルに格安で泊まれたんだ。

本当にくたびれてしまっていた僕たちには、ホテル自慢の温泉がありがたかった。

一日目のおわり。


次の日も良く晴れていた。

再び昨日の続きの場所までGDBを走らせる。



北上川の河口に掛かる大橋は一部が無残にも押し流され、仮設の橋桁が掛かっていた。
このとき一体どんな光景だったのか・・・

僕には想像することさえ出来なかった。






傷ましい風景が続く南三陸町。

クルマも鉄道も、大型ショッピングモールも、病院も、何もかもが津波に呑み込まれてしまった。

何にも無くなってしまったことで、
南三陸町がとても大きな町であったことが判る。

ここまで救いが無いと、単純に頑張ろうなどという言葉では片付けられなくなる。
自分だったら、またここに家を建てて住むだろうか・・・。

再興の難しさというものを痛感する。


皆を非難させる為に、自らが犠牲になった職員が悼まれる災害対策本部。
鉄骨三階建ての建物は、丸ごと濁流に没してしまった。

本当に呑み込まれると判っていたら、そんな自己犠牲を払うだろうか・・・


「まさか・・・」

そんな油断が明暗を分けたケースが大半だろう。


Y34シーマも未だに降りられないで居る。


日当たりのいい法面が、色とりどりの千羽鶴で飾り付けられている。

移動中の車窓からこの風景が飛び込んできた時は、
心が激しく振動し、肩を震わせて嗚咽してしまった。


「ばかやろう・・・そんな場合じゃねーだろうが・・・。」


ファインダーは一瞬で滲んで見えなくなり、流し撮りになってしまった。
何かを思うより先に涙が出るのが不思議だった。

人は悲しいから泣くのではなくて、
泣くから悲しいんだと、何かで読んだことがある。

たしかに、どういう感情に基づく涙なのか良く判らなかった。


町があんなにメチャクチャに壊滅しているというのに、全世界の皆さんて・・・

僕は、頬を伝う物を暫らくとめることが出来なかった。


リアス式海岸沿いを走るJR気仙沼線。

トンネルでない所はほぼ高架線な訳だが、その高架は殆どが土台を残すのみになったり、
丸ごと押し流されてしまっていて、復旧は難しそうだった。


と言うか、無理なのではないだろうか・・・
そんな風にさえ思ってしまう程、鉄道路線は徹底的にダメだ。

レールが残っているのはトンネルの中だけなんだ・・・。




漸く高台に立派なヒガンザクラを見つけることが出来た。

一度は通り過ぎたのだが、クネ太郎に戻るように指示。

別に名のあるスポットではないのだけど、神社の静かな雰囲気と、立派な桜とのバランスが素晴らしい。
雑誌に載るような名所もいいけれど、
こんな風に、通りがかりの小さな神社にも素晴らしい木があることが多いので、油断が出来ない。


「あんの辺りがウチだったの~」などと、お花見弁当を食べながら指差して話している。
素直に笑えない神妙な風景である。



沢山のおみくじが結ばれた花枝。
でも、そのひとつひとつに込められた願い事は、きっとひとつ。


姿で癒し、お願い事まで聞かなければならないのだから、桜の木も大変だ。





気仙沼、陸前高田と来た。

ツアーのようなものが組まれ、観光スポットのようになっている有名な場所も多い。
街中に残る大型漁船や、一本松などの傍には人だかりが出来ている。

でもそこでちょっと気になるのは、みんなで並んでピースしながら記念撮影とか・・・
少し違うと思うんだよな・・・

まるで原爆ドームのように、あの日を忘れない為のシンボルとして残される物もあるのかも知れないけれど、献花の前で「はーい笑って~」はヤバイだろ。

いつかそういう日が来てもいいとは思うけれど、まだ早い。


空気を読もうよ。




お昼になっていつも困るのが、どこで食事にするかって事だった。

コンビニなどは復活しているところが多いので、お弁当を買うことは出来るんだけど、 気軽に食べられる場所全然無いんだ。

気にし過ぎなのかも知れないけれど・・・

どこで広げたって、多くのひと達が亡くなったであろう被災現場でしかないんだ。
ボランティアの方々は汗を流して瓦礫を片付け、クルマが通れば盛大に埃が舞い上がる。

ちょっと海でも眺めながら・・・という気持ちになれる場所が殆ど無い。


30分以上走り、再び高台の神社を選んで、お弁当にしました。
しばしの休憩・・・

クネは折りたたみのキャンピングチェアに身体を預けると、暫らく寝息を立てていました。


草臥れてしまうのも無理はない。




こんな風景ばかりを見る事になったのだ。

道なき道を注意しながらの・・・2日間で1000キロを超える移動。
こころの覚悟を大きく上回る甚大な被災規模。


僕の浅はかなシナリオは脆くも崩れ去った感が否めない。


勝手な話なのだが、僕はどこか綺麗な終わり方を想定していたんだ。
いや、望んでいたというのが正しいかもしれない。

こんな絶望的な状況でも、そこにまた花が咲き、人々は次の一歩を踏み出しているだろう・・・人間は前に進むしかないのだ。

そんな人の強さを、被災地の桜の木々と絡めて追いたいと思っていた。


だけど、結局僕たちの中に残ったのは、そんな朗らかなものではなかった。


釜石市唐丹(とうに)にある本郷桜並木。

ここは、昭和8年の三陸大津波での大被害からの復興祈願と現天皇の誕生を祝って植えられた2800本の桜並木があります。

だけど、80年の時を経て、再び唐丹は津波に流されてしまった。


自然の脅威はいつだってランダムだ。
「何故!?」などという人間独特の感情など、立ち入る余地などない。

それはいつも突然に・・・
国も、都市も、人の在りかたも思想も何も関係なく、無差別にさらってゆく。
いちどきにゼロに引き戻す。

それはこれから先、どれだけテクノロジーが進歩しても、完封することは出来ないものだろう。
地球と言う天体の、一瞬のほんの身震いでしかないのだから。

津波を食い止める巨大堤防を築いても、高台に移り住んでも、
次は台風大の竜巻かもしれないし、大干ばつかもしれないし、火山の大噴火かもしれない。
隕石の衝突だって、あんな大津波を経験したらもう、無いとは言い切れない。

宇宙のほんの一瞬のきらめきを、人間がどうこうなんて出来ないんだ。


進歩した科学力で危機を回避する映画「アルマゲドン」もカッコイイけれど・・・
やはり真実は、環境を受け入れ、自然との共存を謳う「風の谷のナウシカ」だと思う。


今回の旅で一つだけ言えることは、想像を遙かに超えた状況を前に、確実に僕たちの価値観が変わってしまったということ。

恵まれているように見える、僕たちの日頃の生活とは何なのか。
どれだけ積み重ねても結局ゼロになってしまう人生の意味とは何なのか。

そういうものを見直し、豊かさの真実を再追及するきっかけなのではないかと思う。

もう全ての人にとって他人事ではないんだ。




そして誰が悪いわけでもない、


だってそれが自然なんだから。





また10年後に、同じルートを辿ってみたい。






Posted at 2012/05/20 04:30:17 | コメント(8) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域
2012年04月15日 イイね!

トワイライト

トワイライト今も昔も日本人は桜が好き。

「大して興味ない。」って人も居るだろうけど、「あの花はどうも・・・」と嫌う人は見た事が無い。
農耕民族である日本人が、五穀豊穣を願う儀式を、満開の桜の下で行った事がお花見のルーツだといわれています。

お花見でどんちゃん騒ぎってのは、正直やった事が無いのだけど、立派な一本桜を静かに見てまわる、というお花見が個人的に好き。


ここの所毎年足を運んでいる山梨県ですが、今年も少し覗いてきましたよ。

内数枚ですが、クリックで拡大できます。


ここは山高神代桜擁する実相寺。

神代桜は満開でしたが、境内の桜はあと数日というところでしたかね、
相変わらずの美しい境内でした。


15日現在では、山梨の数ある銘桜群が若干早いという時期の中、
本当の目的はこの一本のみでした。


「わに塚の桜」

釜無川河岸段丘に座するこのエドヒガンだけは、他の桜よりも一足早く満開を知らせ、
時期尚早に焦る旅人を、安堵させている。

この桜へは過去2度ほど訪れているのですが、
ここ数年続く咲き遅れや節電などに翻弄されて、ライトアップが実現していなかった。


これだけがどうしても見たかったんだ。






黄昏ゆく空は、秒単位で色相を変化させ、シャッターを切るごとに色が変わっていく。

18:30になると水銀灯が灯されて、
静かに降りてくる宵闇と反比例するように、だんだんと白い光を増してゆく。



このように徐々に暮れ行く空と、
灯りに照らし出された桜との対比を静かに見守った事がありますか?

この美しさは、残念ながら写真では表現しきれない。

日没直後のほんの数分しか見ることが出来ない、グランブルーに映えるわに塚の桜。

筆舌に尽くしがたいとはこのことだ。



なんだか夢とうつつがハッキリしなくなる様な、不思議な空気。




日本武尊の王子「武田王」の墓ではないかという諸説も、
この木を目の当たりにしたら、誰も疑わないでしょう。


樹齢300年を経てなお、この樹勢。



まさに神が宿る樹。





嫁が珍しく感動していた・・・
Posted at 2012/04/19 02:11:38 | コメント(4) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 趣味
2012年04月08日 イイね!

千鳥ヶ淵

千鳥ヶ淵結局レーサーのレガシィーが終わらずで、残りの作業は別日となった日曜日。
どちらにせよ早めの撤収が見込まれていたので、ちょっと都内の桜を撮ってこようと思っていたんだ。

ココのところ絡みがなく、つまらなそうにしてるクネ太郎に声をかけてみると、二つ返事で「行く」との回答だった。

レーサーにも、たまには嫁さん連れて花見にでも行って来いよと、マリリン(レーサーの嫁)の前で聞こえるように捲し立てると、マリリンの目はキラキラと輝いていた。


「だ い さんのせいで、この後お花見になっちゃいました・・・。」

「いいじゃねーか、たまには行って来いよ。そういうの大事だぞ。」

「だ い さんもお花見なんですか?」

「まぁな・・・ちょっと写真を撮りに行きたいんだ。」

「ひとりでですか?」

「いや、まぁそうじゃないんだけど・・・。」

「奥さんですか?」

「いや、まぁそうじゃないんだけど・・・。」

「浮気ですか?」

「いや、まぁそうじゃないんだけど・・・。」

「・・・。」


クネ太郎だよなんて言って・・・
どっちに取られても嫌だったので適当に濁したら、逆に怪しくなっちゃったナ・・・(爆


今満開はまさに東京都内。
途中でクネ太郎を拾って、GCのハンドルを握らせ、千代田区の中心部へ。

江戸城北の丸跡地の、北の丸公園に面する掘割のひとつ「千鳥ヶ淵」
この皇居の内濠の土手がこの時期、まばゆいほどの桜色に染まるのだ。




これはまさに花の天蓋。
桜並木の一本一本が樹齢50年を数え、見事な英をつけている。

さくらまつりが催され、土日には数十万人の花見客が訪れる。





美しい花枝は折り重なり、歩道を越え、お濠に届こうとしている。

ライトアップされる満開のソメイヨシノと、水面と、九段下のオフィスビル。
これが東京のお花見なのである。

但し、お濠の周りでは場所を取っての宴会などは禁止されています。



お月様もビルの屋上から現れたよ。


「だ い ちゃん、ここまで来たら乗るしかないよ。」

「バカか?さすがにオトコ二人でそれはナイだろ・・・。」

「いやいやもう、ここまで来たら・・・。」

「いやいやもうこれ以上は、本物になっちゃう・・・。」

「あぁ・・・もうボート終わりだって・・・。」

「ああそう・・・(安心)。」




隣の靖国神社の境内も桜色一色。

こちらでは、ゴザやブルーシートなどを敷いての宴会お花見の会場になっていて、
沢山の屋台が並んでいます。

ビールや焼酎が飲めないのが悔しい・・・。


たこ焼きかなんかをつまみながら、境内をぶらぶら。
なかなかいいもんです。





それにしても美しいのは、お濠の桜。

何がそんなにいいのかとか、考えるとうまく説明は出来ないけれどね、
春という新しい始まりを、あざやかに彩るのが桜の役目。


僕達も、なんだかそれに応えなきゃいけないような気がするよね。


少し冷たい夜気の中、真っ白な天蓋を見つめていると、時間が止まったような気持ちになる。
その静止した時間の中に、文字には綴れない全ての答えがあるような気がする。

その答えを何となく感じながら、考えないようにしている時間。


いい時間だと思う。


いい季節だね。







Posted at 2012/04/10 02:34:46 | コメント(5) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 趣味
2011年05月11日 イイね!

締めくくり。

締めくくり。久々に温泉旅館に泊まりました。


旅館というよりは民宿に近いけれど、
一丁前に無加温の源泉掛け流し温泉完備。イイネ

前の晩に、相棒と一杯やりながら話してたんです。
地味な趣味だけど、こういうことが究極だよなぁ・・・って。


ただ、立派な桜を見てまわるだけでいいなんて・・・普通の人から見たら、ちょっとストイック過ぎる。


でもね、結局これが人生の全てなのかも知れないね。


朝一に訪れたのは、国の天然記念物に指定されている「伊佐沢の久保桜」
これも驚きの1200年という樹齢を誇る。

1200年前といったら、平安時代です。
大津波が三陸を襲った貞観地震も1200年前。

人間ひとりの時間から見たら永遠に近いような年月を、一本の桜がつないできたのか。




春色の学校庭に出てきたアマガエル。

決して珍しくない樹上性のアオガエルの一種ですが、飼育するととても面白いよ。
手から餌を取るようになるし、いつも決まった葉の上で過ごすようになる。

カメレオンのようにしょっちゅう色が変わるカエルです。
 

かわいい。








残された時間の中、ゆっくりと有名無名の桜を巡ってゆきます。

静かで、たおやかな時間。


僕達が、忙しい普段の日常の中で忘れてしまいそうになるのは、
静かに受け入れるやさしい気持ち。

日本人らしい謙虚な気持ちだよ。



人の手による新しい物を追い求めると、もっと新しいもの、もっと前衛的なもの、
もっと刺激的なもの、もっともっととなってしまう。

欧米的に際限なく求めてしまう。

人はすぐに慣れてしまうから・・・もっと強いのはまだか、もっと凄いのはまだか。
もっとパワーを、MC後の後期型を。


そういうことも楽しい。
人生にはカンフル剤も必要だろう。

でも、終わりの見えない競争にはいつか疲れてしまうんだ。



ただそこにあるだけの自然の営みを、美しい季節の移ろいを、肌で直接感じてみる。
可もなく不可もなく、全てを受け入れる。

それが全て。


それが旅というものなんだ。

そしてそれがきっと、人生というものなんだ。



火山の噴火も、地震の津波も、桜の花筏も、僕達が自由に操作する事は出来ない。
それは、僕達そのものが森羅万象のひとつなのだから。



不毛に求め続けることに飽きたら、


みんなも花を見に行ってご覧。


辛く苦しかったいろんな事を、


認められる自分がきっとそこに。





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きっとなれるよ。
Posted at 2011/05/11 20:28:33 | コメント(3) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域
2011年05月11日 イイね!

さくら回廊

さくら回廊山形には漸く遅い春が訪れる。

米沢から見たらちょうど北側、
南陽市から長井、白鷹町にかけて、
多くの老桜が点在する地域があるんです。

最上川に沿って展開される古典桜の里。

「置賜(おきたま)さくら回廊」と言われています。


置賜は山形の県南内陸の古い呼び名。
いにしえの時代からの生き証人ともいうべき桜たち。

今年は彼らに逢う事が、春のメインイベントだったのです。


やっと休みが取れた旅の相棒と愛機ヴィッツ。
東北道を北上する片道400キロの旅路。


先ず最初に訪れた「釜の越桜」といわれる樹齢800年のエドヒガン。
沢山の花見客の訪れる、有名な桜です。

崩れるはずだった天気も予定が倒れたようで、花霞ながら青空でした。




残雪の朝日連峰を背に堂々とそびえる大きな樹に、
しばし時間を忘れてしまいました。


釜の越桜から5分も歩くと、「薬師桜」はあります。

1200年という幾星霜を越えてきたその幹は、ぼこぼことうねって
どっしりと構えていました。

県指定の天然記念物。



たくさんのツクシを横目に、次の桜の近くでお昼にしようと歩みを進めると、、


お墓の桜でしたか・・・。

それでも、お寺に一本だけ生える見事なエドヒガンはとても立派で、
お堂が小さく見えるようでした。


桜並木のある川沿いの土手で適当に買い込んだ弁当を平らげて、軽く休憩。
春の日差しと花吹雪のなかでうつらうつらと過ごしました。



午後の陽光のなか次に訪れたのが、学校跡地に植えられている「山口奨学桜」

短命とされるソメイヨシノの100年の古木です。
別のところでは老桜として名を馳せそうですが、諸先輩方のなかではまだまだ若造なのかも知れません。


そしてこちらは、種まき桜とも称される「十二の桜」
木が十二本あるという意味ではなくて、十二薬師堂があるというこの地から来ているらしい。

樹齢400年の古株から芽が出て再生した3代目が大木になっている。


桜が、田圃や畑に植えられる事が多いのは、
丁度田植えや播種する時期に桜が咲くからなんですね。

農耕のバロメーターなのです。


幹の内部は殆ど朽ち落ちて、皮だけで生きているという「赤坂の薬師桜」
樹齢は970年。

その生命力には驚かされる。



お堂を護るように入口の斜面に生える「子守り堂の桜」
これも1020年と言われている老木です。

友人と比べても、その大きさがわかるでしょう?


子守り堂から程近い所にある名もなき桜とヴィッツ。
花吹雪が風に舞い上がります。




何だろう・・・どこもかしこも絵になります。




初日の最後は、樹高16メートル・幹まわり6.8メートルの大桜
「殿入り桜」樹齢は680年。

その名の通り、藩主(お殿様)が立ち寄って花見をした言い伝えからついた名前だそうです。



朝日連山に沈む夕日。

桜の旅では初めての、宿を取った二日間の旅。
相棒のコウヘイとキャンプではない宿の宿泊というものはいつ位ぶりだろうか・・・
と考えてみたが、もう七、八年前に山梨の増富温泉での民宿が最後だった気がする。

あの頃も相棒のクルマで、NA6ユーノスロードスターだった。

僕の爆音のハチロクでは旅の趣が壊れるし、
燃費もユーノスのが圧倒的に良かったからね・・・。


そんなことを思い出しながら、一日目は終わる。



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後編へ。






Posted at 2011/05/11 03:12:47 | コメント(3) | トラックバック(0) | 桜を追いかけて | 旅行/地域

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