
自分が学生の頃から飼育している肺魚。
プロトプテルス・ドロイ君は、今年で23歳になってしまいました。
しかもまだ成長しているんだよね、老いがないのかしら。
アフリカの夏季に干上がってしまう湖沼に生息し、雨季が来るまで地中で数か月を生き抜く不思議な魚だよ。
水槽からも何度も脱走を試み、翌日本棚の裏などで埃まみれになって発見されるも、何ともないという魚らしからぬ生命力を持つ。

基本的におとなしいのだけど、目が悪く、餌っぽいものには無差別に食いつくんで、ほかの魚と一緒に飼育できない。
丸太飼いと呼ばれる一匹飼いが基本なのである。
普段は水底でじっとして動かないのだけど、
たまに水換えをしてあげると嬉しいのか、数日間は踊るように泳ぎ回るんだ。

ろ過装置も調子が悪かったんで、ポンプを新調して、きれいなせせらぎが戻ったよ。
水の流れって、寝転がっていつまで見ていても飽きない。

ヲレは、小学校・中学校と、寝転がって水槽の魚ばかり眺めて過ごしてしまった。
だからなのか・・・未だに水場が好きだし、
空とか海とか、目に見える流体をぼーっと眺めているだけの時間が一番贅沢だと考えてしまう。
ずっと同じ動きを繰り返しているようで、一瞬たりとも同じものはない。
水槽は、自分の掌(てのひら)で管理する小さな宇宙だと思っていたんだ。
生かすも殺すも自分の采配ひとつ。
その為に難解な知識を理解することも、ちっとも苦ではなかった。
そういえば、ニーチェの詩の中でこんな一節があった。
「手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。すなわち、それに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ・・・そうではなく、人間として成長を続けている人は自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ。」
飽きるのは自分の成長が止まっているから、という事なんだと。
なるほど。
好奇心で新しいものに目を向けていくのはいいことだ。
でも、愛や悦び、心の充実といったものは、結局は自分の中からしか生まれてこないということなんだね。
ロクに知りもしないで次はないよね。
心に潤いのある生活
Posted at 2012/07/22 03:35:09 | |
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