
更新する時間がなかなか作れない。
どうも最近自分の時間が無くて辛いところだ。
順を追って書いていきたいのでもう半月も前の話になっちゃうんだけど、何だかんだで今年も登山をしてきている。
悪天候続きの間隙を縫って晴れた八ヶ岳。
アイゼン無しで登れる最後の週だったかもなぁ。
お馴染みの旅の相棒であるコウヘーとの登山だが、実は彼との秋山登山は25年ぶり位の快挙となる。
中学生位の頃に道志山塊のマイノリティ、二十六夜山に登って以来なのである。
紅葉登山への憧れは常に持ちつつも、お互い秋頃が一番忙しく過ごしてきた経緯があってなかなか実現しなかった。
いい時間を過ごしたい、そう思った。

麦草峠から北側の遊歩道を霜柱を踏みながら入っていく。
麦草峠→茶臼岳→縞枯山→雨池→麦草峠
6時間ほどで帰還出来るお手頃定番コースであるが、あまり登山客は居なかった。

最初のピーク大石峠までは直ぐだった。
大岩のゴツゴツした頂は八ヶ岳や蓼科特有の趣である。

そこから30分も登ると茶臼岳である。
展望台からの眺めが素晴らしいとの事、天気もいいし楽しみだ。
久々の登山でもあるので、体力的なポテンシャルと相談しながらペースを作っていきます。

何とも・・・開いた口が塞がらないというような眺望である。

ここまで眺望に特化した展望台は珍しい。
遠くは南アルプスから、穂高や槍ヶ岳を手前に配し、立山や白馬まで見通せました。
絶景です。
もう帰ってもいいような気になりましたw

フィルターや補正無しでここまで青い。
宇宙に手が届きそうだ。
縞枯山山頂付近は、白く立ち枯れた木々が目立ち独特の趣である。
白い木々が帯状に縦走していることから、縞枯山と呼ぶようです。
山の名前なんて最近付けたものではないでしょうから、この縞枯れ現象も酸性雨などの人為的なものではなくて、独特の自然環境の厳しさから枯れてしまうのかもしれません。

かわいらしい青い三角屋根の縞枯山荘。
夏は登山やハイキング、冬はクロカンスキーの拠点となるようですが、季節が中途半端なのか人は疎らでした。
ロープウェイでも来られるので、軽装の方が殆どでした。
山荘には入れないので、直ぐ傍らで年季の入った2243を出してお湯を沸かして食事にします。

復路の途中にある雨池。
渇水期なんでしょうか、本来もっと水量がありそうな池でした。
それにしても、何とも現実離れした美しさです。
写真を色々撮ってみるんですけど、途中で止めました。
どう写そうが無駄だなと。
そのまま切り取れない。
こういうものはそもそも直接観るからいいのであって、持って帰れるものではないんだなと。
冷ややかな空気の中、途方もない静寂と現実離れした美しい原風景。
いま肌で感じたものが全てだと、無言で納得するしかありません。

紺碧の空と、白樺やシラビソのホワイトとのコントラスト。
兎に角天気が良かった。

麓の蓼科周辺は黄金色に染まり、紅葉の最盛期でした。
コウヘーと二人で溜め息を漏らすばかりである。
柔らかい斜陽の中、深い切なさを含有した錦秋の山々の風景は、まるで出来過ぎた映画のワンシーンのように僕たちを包み込んでいた。
こういう時はコーヒーの一杯でも沸かして、目一杯浸り切るのがいいのだ。
とにかく小理屈を捏ねない。
風景を見て訪れる感慨に精神を委ねるだけである。
ヲレ本当は何がしたかったんだっけ、
何が好きだったんだっけ、
こういう時にふと思い出せる。
感じるだけでいいことに名前や理由をつけるから、
それになってしまうのだ。
それにしか見えなくなってしまって、
本質が判らなくなってしまう。
ヲレは特に考えたら駄目なんだ。

いい一日の最後だった。
狙ってもなかなかこうはいかない。
人はたぶん一生苦しまなくてはいけない。
苦しいからこそ人生なんだ。
どこを目指したって、必ず苦しみはついてまわるから、
だったらそれを偽りなく受け取らなければいけない、
なるべく素直でいなければいけない気がする。
だから、たまにはこういうご褒美があってもいい。
小さな一瞬だけど、実はこれが人生の全てなんだ。
そしてそれを累々と積み重ねていくだけだ。
だって結局人生って、
「今」という来し方と行く末との摩擦面しかないのだから。
厳しいありのままの自然が美しいのは、それら全てを内包しているから。
もう今は雪に包まれているでしょう。
Posted at 2015/12/03 01:25:18 | |
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