
仕事で必要な資格の取得講習の為に、久々に訪れた港のヨーコヨコハマ関内。
横浜地検との、地裁バトルで通っていたのは去年の丁度今頃だったね。国家権力の横暴を肌で知る事が出来た、有意義な裁判であった。
検察も地裁も、別に恨んではいないよ。
こんなもんだろうという思いがある。
もっと自分がうまく立ち回らなければいけないという事が、判っただけでも充分なのだ。

リアルな現実を公示する裁判所の掲示板。
自分の事件も玄関口に罪状とともに実名で公示されたのだ。

プラタナスの向こうに伸びる飛行機雲。
ボンボンが鈴がぶら下がってる様に見えることから鈴懸の木とも呼ばれます。
赤レンガ倉庫の方まで歩いてみました。
倉庫はどうもなんの閃きも生まれず、撮れませんでしたので、
運河のほうをずっと眺めてました。

クレーン船の先導船が周囲の警戒をしています。

埠頭の一部のような大型の作業船が狭い水路を抜けて行きます。
「スゲエなぁ・・・。」
思わず呟いてしまう。
キラキラしたデートスポットの一歩向こう側は、オトコの仕事場なのだ。

人影も疎らな海浜公園。
さ、さむい・・・。

立派な横浜税関を照らす照明ナトリウムランプ。
・・・についでに照らされている電信柱。
ソッチが気になってるヘンな香具師がいるよw

クスノキ
単純に巨樹をみると立ち止まってしまいます。
永い事この場所で、人々の営みを見守ってきたのだろうなぁ・・・
そう思うと、人間的な概念の及ばない大きな人格がこちらを見つめているような気がするのだ。
勝手に語りかけたりしたくなる。
彼らの長い時間軸の上では、ヒトが深刻ぶって憂いてる悩みや、苦しみなんてものはほんの僅かななノイズでしかないだろう。
宇宙的な大きな概念と自分を比較して些細だと思いたいのだ。
やがて樹への語りかけは自問自答なのだと気付く。
「たとえ引き返してもどうせそこは未来」
絶望的な別れ方をした昔の彼女が自分に宛てたメッセージを思い出す。
どっかの旅行先のお土産で買って来てくれた石に書かれていた言葉だ。
過去に囚われて閉塞し易い自分の事を、よく判っているヒトだったなと、後になって思う。
頭が良くて明るくて可愛い女性だった。
そんなヒトさえ裏切らざるをえなかった自分を未だに呪うことがある。
しかし、そんな自分のこころの闇をいちいち救うのが、彼女のお土産の石だ。
「たとえ引き返してもどうせそこは未来」
←黄昏の港町なんて、感傷的になるなって方が無理だお。
Posted at 2009/01/27 00:15:15 | |
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