
五月連休の直前、急遽肩の手術で入院が決まってしまった。
診察による骨折の発覚が、ずいぶん遅れた事が原因なんだけど、連休直前ということでその先生も首を捻る。
場合によっては、自然療法(何もしない)も有りだというんだけど・・・痛みが残ったり後遺症が残る可能性が高いという。
連休前だから面倒なんだろうな、とは思ったけど・・(^^;;
いやいや・・自分にとっては、連休前だからとかそんな場合じゃなく、どんな予定をひっくり返したって完全に修理したいです・・・一生の問題なんで。
という積極的なアピールの末、なんとか月内の30日に手術を取り付けました。
先生は元々東京医科大学の准教授らしく、
現在は医師不足に悩む地方の赤字病院に力を貸すべく、派遣医師として茨城の鹿島労災病院で副院長として尽力されている方だった。
週に一回だけ、診察の手助けで多摩の病院にいらっしゃっているらしく、
それでたまたま診てもらえた事が不幸中の幸いだったんだと思う。
手術となると、茨城の病院でないといけないので、
・・・で、どうする? という話だったのだ。
行きますとも行きますとも。
手術だけの話なんだから、千葉でも茨城でもどこでも行きますとも。

28日からの入院。
祝日を挟んでいるせいで、入院が一日早まってしまった。
人生初の入院生活が始まったのである。
これまで、手術だ入院だなんてのはただの一度たりともない。
「先生、結構厄介な手術なんでしょうか・・・。」
「症状を把握するのが難しいだけで、手術自体は訳ないよ。」
「でも全身麻酔なんですよね。」
「実際、やっちゃえば1時間ちょっとじゃないかな、ちょちょっとやって直ぐだよ。」
なんだよ~、手術なんて初めてだからちょっと構え過ぎたかな。
検査のために前入りして手術。
あとは、術後の経過診ながら数日入院するだけでしょ。
これまで忙しくしすぎてたから、強制的に一人で過ごす休暇をポンと貰ったようなもんかな。
iPadとか、読んでなかった文庫本とか持っていこう。
京極夏彦の百物語シリーズ、読みかけのがあったな・・・。
怪我人のくせに、割り切りすぎて逆に楽しみだったり、呑気なもんである。
まぁ、アトで大恐慌に陥るわけだけど・・・。

鹿島労災病院は、茨城県神栖市の一番銚子寄りに位置した海岸線にほど近い大型病院だった。
自動車で行くと、下道を走る時間が長く、地図で見るより遥かに遠い。
電車バスでうまく乗り継いでも4時間という。
関東の最僻地ではないだろうか。
肩の手術ということだったので、公共の交通機関も考えたんだけど、
先生ですら、クルマで来た方がいいよ~と仰る始末。
「最寄りの駅からすら、すんなり来られないからね・・・、オートマでしょ?」
「マニュアルなんです・・・。」
「マニュアルか・・・。」
「無理してクルマで来ない方がいいかも・・・。」
「・・・。」
まぁ、昔にちょっと左手を怪我したときにも、右手でシフトチェンジしてた事があるし、
電車バスで4時間の凡雑さを考えたら、クルマ以外の選択肢はなかった。
入院当日、川崎からアクアライン経由で向かったのは失敗だったかも知れない。
大型連休初日ということもあり、首都圏を高速で抜けるのは危険な気がしたからなんだけど、
多少渋滞しても、首都高湾岸線から東関道を抜ける方が早かったかな。
木更津から千葉の山の中を縦断して、茂原を経由して九十九里。
四時間近く掛かってしまった・・・。
渋滞は全然ないけれど、タラタラと下道だけでいくのは思いのほか時間がかかったな。
行きだけは嫁が一緒に乗ってきたので退屈はしなかったけど、
保育園の時間もあるので、結局すぐ帰すことになってしまった。。
四時間も掛かったからな・・・
やっぱり時間というものは、金やスピードで買うものだなと改めて思ったのだった。

手術前の29日は、お菓子を沢山買ってクネがお見舞いに来た。
ちょうど祭日だったこともあるけれど、まさかこんな関東の最果てにまでわざわざ来るとは思っていなかったから少しびっくり。
嫁さんと娘は、海に寄って海岸線に置き去りにしてきたという・・・。
別に、連れてくればよかったのに。
クネは昔から、自分にとっての大事なものを、他の事と一緒くたにしない所がある。
別に、角が立ちそうな事でもなさそうなことでも、計画的に分けていく。
ヲレなんかには判らないけれど、誰かに気兼ねして言えないことがあったり、気遣いを両立できなくて、どちらかを蔑ろにすることがあったら嫌なんだろう。
細かい性格だな・・・
しかし、脱臼の手術くらいで、こんな所まで来るなんてな。
友情を超えた何かを感じるな・・・。
他愛も無い話をしただけで、30分程で帰って行ったけど、
何ていうのかな、義理堅いというのとは違う。
義理だけで来られてもヲレは多分返せないから。
肉親に向けたそれに近い。
あたりまえのように来る。

日中寝過ぎてたり、何もしていないこともあって全然眠れない。
手術前夜は、ひたすら本を読んで過ごした。
手術に対する怖さはもちろんあったけれど、とても漠然としていたので、
不必要にうろたえはしなかった。
いたずらに怖がったって怖がらなくたって、どうせ避けることは出来ないのである。
ギリギリまでのんびり過ごして、気がついたら終わってたってのが理想だった。

手術前、点滴が始まった。
前夜から飲み食いが禁止されていたので少し喉が渇いている。
前のオペが押しているらしく、予定の時刻になっても手術室が空かなかったが、
30分遅れくらいで看護婦さんが呼びに来る。
手術台までは自分の足で歩いて行った。
普段見慣れない物々しい設備や機材が並んでいた。
やはりどきりとした。
これから切り刻まれて、骨をドリルで穴あけしたり金具で留めたりするのだ。
強がって考えないようにしていただけのハッタリ根性が、本当に観念した瞬間だった。
二三人くらいでやるもんだと勝手に思っていたんだけど、
七八人だったかな、思いの外スタッフが多くて逆に縮み上がる。
二トリルゴムの手術グローブを着けた両手を、肩くらいの高さで中空にかざす仕草は、ドラマなんかで見るそれと一緒だった。
自分でも滑稽だと思う程、深々とお辞儀をして"よろしくお願い致します"と言った。
手術台に促され身体を固定されると、透明のマスクを装着された。
"これが麻酔なんだっけ"と思いながら、二回目まで大きく吸い込み、
三回目までに意識を失ったと思う。
手術後1~2時間で目は覚めたと思うけど、
余りの術創の痛みに身体も気持ちも萎縮し過ぎてしまい、翌日の朝くらいまでの殆どの事を思い出せない。
夜中に一度だけナースコールを押して、痛み止めを追加してもらった事だけは覚えている。
辛かったな・・・
あそこまで痛いもんだとは思っていなかった。
ボキリと折れてしまっていた肩甲骨はチタニウムのボルトで貫通固定され、
それだけだと強度的にイマイチなので、鎖骨も橋渡しでプレートでつないで補強。
肩の中は金具だらけになってしまったからね・・・
ちょっと身じろぎするだけで、体の芯から響くような激痛が走り血の気が引いて、震えが来る。
ショック症状に近い状態になり、体温が上がってしまう。
肩って色んな神経や、靭帯、筋肉が複雑に集中してるから、手術はやっぱり痛いらしい。
次の日の夕方くらいでやっと痛み止めが効くようになってきて、
いつまでも続くかのように錯覚した苦しみの無限ループから、漸く抜け出せた。
なるほど・・・手術とはこういうことか・・・
その翌日、手術から二日後には予定通り退院しました。
MT車を自分で運転ですからね。
もう少しループ脱出が遅れたらちょっと厳しかったな・・・

折角こんな所まで来たのだから、真っ直ぐ帰ってしまうのは勿体無い・・・
などと思ってしまうヲレ。
クルマの運転もやっとな病み上がりのくせに、根っからの旅猿が疼いてしまうのだ。
よしよし、ちょっとだけ・・・犬吠埼だけ観て帰ろう。

銚子の駅前の通りを行くと、程なくして線路を渡る。
その先の畑の中の長い一本道を走り切ると、犬吠埼はすぐだった。

入院中の窓からは、殆ど灰色の空しか見えなかったけれど、
久しぶりに突き抜けるような晴天に。
真っ青だなぁ。
こんな日にクネを連れてきてやりたかったな。

外洋からの波濤を受けて白波砕け散る荒磯というイメージでしたが、この日は穏やか。
風光明媚という言葉がふさわしい素晴らしい見晴らしでした。

白亜の犬吠埼灯台と、郵便ポスト。

各地で真夏日を記録したこの日。
砕け散った波飛沫は、そのまま水蒸気の粒になって熱気と共に崖を駆け上がってくる。
Tシャツ一枚でも汗ばむほどの陽気でした。

岬の風景です。
何だか、三浦半島と雰囲気が似てるかな。

さてさて、暗くなる前に帰りたいからね、出発しないと・・・
利根川ののどかな水郷ラインをゆっくり抜けて、香取市の里山の脇道をはいってゆく。
馬頭観音のある分岐を曲がる。
起伏のある土手を越え、鎮守の森の木陰を抜けたら、インターまでの県道に出た。
五十年くらい変わっていなさそうな里山の風景が、そこかしこにあって、
いちいち立ち止まってしまいたくなるのを堪えて走った。
また来てゆっくり廻って、写真でも撮りたいな。
手術入院の帰りであることも忘れて、すっかり旅気分になってしまったよ。
右手シフトチェンジでヒール&トゥw