
もうゴールデンウィークも終わり、季節は初夏に向かっていますね。
連休は秋田に帰っていたんだけど、
休み前に一回だけ桜を見に行けたので、そのレポートです。
場所は、7年前に一度訪れている
長野県の高山村と、その足でそのまま隣の山ノ内町まで見てくるプランです。
もう高山村が7年前なのか・・・
ついこの間と言う感じがしますが、確かに7年経っています。
ひええ~(;´∀`)
この時は、4月も下旬頃に訪れたにも関わらず時期尚早で、肝心の桜がまだ見ごろを迎えていませんでした。
村を挙げてアピールしていた五大桜も殆どが咲き始めの状態。
本州で最も開花が遅いと言っても過言ではないエリアです。
少し残念だった思いがあり、リベンジの感が強いですが、今回高山村自体はついでであり、実際は山ノ内町の桜が目的であったりします。
こちらにも、マイナーながら圧巻の老桜があるとの事で楽しみにしていたのです。
相変わらずの旅のお供は幼馴染のコウヘーとその愛機NCP13ヴィッツ。
今回の遠征でようやく10万キロに達しようかというところ。
ちょいちょい手直しこそしてきたが、大きなトラブルもなく今日に至っている。
流石はトヨタの量産機。
ラインナップ最強のVVTI1500のエンジンはまだまだ元気で、高速道路も余裕です。
朝4時より出発と早出ではあるが、何てことはない。
もうおじさんなので、普段の起床とそれほど変わらなくなっているのだ。。
旅のスタートは、かの高山村から始まる。

高山村五大桜のうち最も標高の高い所にあり、
開花が遅れるとされる水中のしだれ桜が満開であった。
なんという素晴らしい立ち姿であろうか。。
村指定の天然記念物にとなっているこの枝垂れ桜は樹齢が250年、
高さが22メートルにもなり、残雪の妙高や戸隠の山々を背景にすっと立ち上がっているよう。
吉永小百合さん主演の「北の零年」の導入部の撮影にも使われた有名な桜です。

近付いてみると、その迫力とは裏腹に丸くて小さい可愛らしい花びらが鈴なりになっています。
真下から見上げると、空から降り注ぐような・・逆に自分が飛び込んでいくような不思議な浮遊感。
早朝の空の青とのコントラストが綺麗で、しばらく見上げてしまいました。
積年の心残りが消化されたような我々は、本日はもうこれで終わりでも惜しくない・・・
そんな気にさえさせる、一つの桜の神様だった気がします。

もう一本は、水中から程近い山陰の赤和観音というお堂の傍に立つ枝垂れ桜。
こちらも見事な満開を迎えています。

石垣で押さえた一段高い所に立っており、実際よりも樹高があるように見える見栄えのいい枝垂れ桜です。
こちらも前回はイマイチだった記憶があり、敵は取れましたね。

ここも程近い集落センター傍の桜。
小ぶりながら300年と言う齢を誇り、横に広がる独特の樹形をしています。
禿(かむろ)といった印象です。

こちらは最も早いとされる中塩のしだれ桜。
150年程の若桜ということもあり樹勢は盛んです。
赤い屋根の阿弥陀堂との相性も良く、可愛らしいお地蔵さんが印象的ですね。
ここまでの桜が満開であるのなら、もう他の樹は間違いないという気がします。
高山村の名桜群は、標高差や山陰の日の入り具合の加減で開花にかなり差がある為に、
いちどきに見て回るのは不可能とされている。
里の早い桜を見に一度訪れ、一週間ほどインターバルを置いて再訪しなければ山陰の樹は見ごろを迎えないのだ。
それが、今回は水中から中塩までがしっかり満開だ。
今年は関東地方がそうだったように、開花こそ早かったが、そこから一週間ほど涼しい日が続いたお陰で早い桜が中々散らなかった。
そこから一気に暖かい風が入ったことで、遅い桜は一気に咲き進み、同時に満開を迎える事となった訳だ。
幸運でしたね。

こちらも念願としていた名桜「黒部のエドヒガン」
高山村の古桜群に於いて唯一のエドヒガンザクラであり、広い段丘の畑の中にぽつんと存在している。
北アルプスを背景にしたり、手前の菜の花を入れたりと、どの角度から押さえても美しいシルエットを誇っている立派な桜である。

この日本に生まれて良かったと、
心の底から思えるような・・・ほっとするような心象風景ではないだろうか。
推定500年とされるこの大樹は根元で二手に分かれながらも、隅々の枝までしっかりと英をつけている。
黒々とした立派な幹と、赤みの強い花は本当に美しく、
最早無粋な誉め言葉は似付かわしくない。
ただただ阿呆のように口を開けて傍から見ているだけである。

手軽な写真機ではなく、自分の指先とセンスで描写する時間。
もはや生き急ぐことはなく、今と言う時間そのものを謳歌する究極のスタイルと言える。
ヲレはまだ何かを急いでしまっているなと感じる。

もう外す気はしなかった。

高山村の最後はお墓の桜「坪井のしだれ桜」

大きな樹ではありませんが、沢山の墓標を根元に抱き600年もの間この地を見守ってきました。
鬱蒼とした林を背景に独特の存在感を放っています。
以前よりもロープでの仕切りが根元に近くなっており、樹をすぐ傍で見られるのはいいのですが、
写真的にはちょっと邪魔ですね。
引いたところから菜の花で隠す作戦に切り替えているカメラマンが多かったです。
高山村は一度訪れているので、午前中だけで駆け足気味に廻ってしまいましたが、
全て満開にて完封。
もう思い残すことはありませんね。
いま死んでも大した悔いは残らないだろう・・・と、そんな気にさえなりました。

これが信州の遅い春である。
きちんと昼休みをとります。
千曲川の支流の河原で昼食を摂って一休み。
早出の疲れをうとうとと昼寝で癒します。
なんだか夢を見ていたみたいだけど、よく憶えていない。
最近は夢など殆ど見なくなったけど、見た所で内容を憶えていないことが多い。
木陰に居たはずだが、陽が動いて暑くて起きてしまったよ。
河川敷の公園のような所だったんだけど、アメリカ人を含む二組がキャンプ道具を広げてのんびりしながら、犬と散歩したりスケボーで遊んだりしている。
留学生ぽい青年が、僕たちが休んでいるすぐ傍まで来て
「イイテンキデスネ!」と言った。
「そうだね、気持ちがいいね。」と返すと、石垣をよじ登っていく。
結構きつい石垣だよ。
付いてきた犬が登れなくて困っている。
当然ついてくると思った青年が上から首を振って、ケモノのくせにだらしがないなぁ・・・といった仕草をした。
後から来た彼女だか奥さんだかが、ワンコを上の青年まで放り投げて(投げちゃったよw)自分もよじ登り、スロープを一緒にスケボーで下っていく。
ひとつひとつがアメリカナイズしていて、なんだかワイルドだなと思った。
午後からは山ノ内町エリアである。

この町が謳うのは「宇木の古代桜」という5本の古木群。
まず手始めに隆谷寺の枝垂れ桜というのを見に行きます。
マイナーなのか客足も少なく、静かに見て回れます。
どうもこのエリアは桜が若干早いのか、少し葉桜。
高山村より北側なんだけどね。
標高が低いのかも知れない。
桜祭りの謳い文句も、ここ数年で始めたばかりらしくのぼりも消極的である。
町興しになると聞いて始めたけど、どうやって盛り上げて行けばいいか判らないでいる雰囲気がある。
お隣の高山村は、駐車場の誘導が必要なほどの盛り上がりなのだ。
今はネット社会なんだから、フォトグラファーなどを入れてホームページなどでもっと宣伝してやれば全然違うと思うんだけど、人口も少ないし若者が居ないんだろうね。
決して高山村に負けていない凄い樹がある。

ちょっとだけ僕たちが宣伝してやろう。

隆谷寺から山の斜面をどんどん登っていくと、街を一望できる高台に「大久保のしだれ桜」がある。
こちらも多くの墓標を抱えるお墓の桜である。
折角の立派な樹なのだが、鈍色の空に少し葉の混ざる散り際のしだれは黒々としてしまって写真映えしないのが残念だ。
先客の中年カップルにすれ違いざまに「こんにちは」と挨拶をすると、「ボンジュール!」と返ってきた。
インバウンドのフランス人であった。
日本人が大して注目もしていない片田舎の枝垂れ桜を、フランス人がわざわざ見に来ている・・・
京都だ富士五湖だと、メジャーな観光地ではなくて、山ノ内町のお墓の桜である。
そういえば、高山村でもそうだったが、マニアックな桜の名所に意外と外国人観光客が居る。
とてもツアーが組まれるような場所ではないんだけど、何で知るんだろうか・・不思議だ。
向こうには、誰も知らない日本のいぶし銀名所マップのようなものがあるのかも知れないな。
この高台の桜は夜間ライトアップがあるようなので、日が暮れたら再度訪れる事に。

今回もっとも見たかったのが、山ノ内町の古代桜の中でもっとも西側のりんご畑の中にある「宇木の千歳桜」という巨木で、850年という県下でも有数の樹齢を誇るエドヒガンである。
「見返り桜」とか「月見桜」と呼ばれ古くから親しまれてきましたが、昭和3年の天皇御大典を記念して「千歳桜」と命名されたと説明書きがありました。

何処から見ても格好のいい均整のとれた枝張りに、うねるような6メートルの根回り。
850年の老桜とは思えない程の花付きと迫力です。
幹のすぐ傍を見て回ったり、離れた所から眺めたり、いろんな角度からしばし見惚れてしまいました。
こんなに凄い樹だったのか・・・
まだまだ知らぬ名桜が沢山あるな。

ライトアップがあれば見てみたかったけど、日暮れに小さな提灯が若干灯る程度なようです。

まだ数本あるしだれ桜は、咲きが早かったのかすっかり散り切っていたので、長閑な春の風景の中を、ゆっくりと散歩しながら夕暮れを待ちました。

信州の一日は短い。
東も西も高い山脈に遮られ、朝日が入るのは遅く、夕日は赤くなると同時に日本アルプスの影に隠れてしまうからだ。
本日も夕日と桜との饗宴を想定してみたが、午後から花曇りであったこともあり、低い雲間から西日が差す前に妙高のシルエットとなってしまった。
千歳桜のトワイライトを諦め、大久保のしだれ桜に戻ることとします。

中野の街々に灯が灯りはじめます。

コウヘーも今回は一眼が無いとの事で、ニコンのP6000を引っ張り出して頑張っています。
充分いいカメラだよ^^

日没と共に、誰かが照明を点けに来ました。
遂にライトアップの始まりです。
戸隠から妙高までの北アルプスの峰々をバックに、高台からの夜景、
葉桜ながら花びらだけが浮かび上がるライトアップは、ため息が出るような美しさです。
これだ~。
と思っていたら・・・
程なくしてライトアップが消えてしまった。
え~、もう終わり!?
なんぼ何でも早いでしょうよ・・・
時間も中途半端だし、何かトラブルかな・・・と思い照明の電源を探してみると、
ディーゼルで回すジェネレーターがぷすんぷすんと虫の息。
「ガス欠ぽいな・・・」
燃料タンクを開けて覗いてみるとすっからかんである。
これでは部外者にはどうしようもない。
「畜生・・終わったか。」
そう諦めかけていた頃、オッサンが乗った一台の軽トラが坂道を駆け上がってきた。
「どうした~?調子悪い?」
「ガス欠ですね。」
「ウチに携行缶の余りがあった筈だな・・・ウチすぐそこなんだよ。」
そうつぶやくと、軽トラは一目散に来た道を下っていく。
あのオッサンこれがディーゼルの発電機だって解ってるのかな・・・
普通黙ってたら、ガソリンって思うよな。
言ってあげれば良かったかなと思ったが、あの人が管理してるのかも知れないし、何だか微妙である。
でも、オッサンの口ぶりの第三者感がちょっと心配だ。
オッサンの軽トラは直ぐに戻ってきたが、案の定ガソリンを持ってきていた・・・
一生懸命入れようとしているので、入れたら壊れますよと説明し、燃料が軽油であることを説明する。
「なんだディーゼルか・・・」
そういいながら何処かに電話を掛けているけど繋がらないようだった。
「ノブオの奴多分今日飲みに行っちゃってると思うんだよね。」
ノブオが誰だか知らないが、多分ここの照明係なんだと思う。
ノブオ・・・ガスは満タンにしといてくれよ・・・。
「納屋にまだ残ってたかも知れないからちょっと取りに行ってくるわ。」
あのオッサンが戻ってくるのか、軽油は調達出来るのか・・・何とも確証がないまま真っ黒なシルエットだけになった墓地の桜の前で所在をなくす私たち。
「もう終わりかも知れないな・・・。」
そう言いながら荷物をクルマに積み込み、帰り支度を進めていると、
あの軽トラが戻ってきて、ジェネレーターに給油をし始めた。
「軽油あったんですね。」
「これで掛かるだろ!ちょっとやってみてよ。」
どうも操作方法がよく判っていないようだった。
キースイッチを捻ってセルスターターを引っ張るだけである。
エアでも噛んでしまっていたら苦戦するかもしれないと思ったが、あっさり掛かってしまった。
「ああ・・・、これは凄い!」
すっかり真っ暗になった墓地に、
両手を大きく広げたお化けのような枝垂れ桜が浮かび上がりました。
「これでいい写真撮って帰ってよ!」
そう言うと、軽トラのオッサンも満足げに戻っていきました。
やはり、こうやってみんなで支えているんだな。

葉も多く混じり始め、鑑賞できる桜としては今日が最後と言った感じ。
「もう明日にはすっかり葉っぱだけだろうな・・・」
今年最後の晴れ姿である。
我々にとっても有終の美と言える素晴らしい最後であった。
山之内町に関しては・・
エドヒガンである千歳桜は完璧な満開であったけど、それ以外の枝垂れ桜はちょっと散り際でした。
樹種的な問題もあるけれど、高山村がいかにラッキーだったかが判ります。
しかし、今回も全体的に良かったな。
桜の満開情報なんかも、ネットなどから集める情報というものは割といい加減であてにならない事が多いけど、過去の経験と照らしながら丁度いい見ごろを読む。
その精度がだいぶ上がってきた気がするな。
仕事と家庭との合間を縫いながら、旅の相棒との予定を組むのはなかなか難しい。
いつでも行けるってものじゃない。
桜の良い時期なんて、満開前後数日程度である。
そこに自分たちの休みと、願わくば晴天という天気との兼ね合いを考えて出発するのだ。
スノドラの遠征にも似た現地状況の読みなど、重要な駆け引きがある。
だから、ちょうど満開に当たり、撮影に向いた青空だったりすると何にも代えがたい至福感がある。
40になるオッサンがへらへらするほど最高なのだ。
こんな風に桜を追いかける旅も、相棒と続けて10年になろうとしている。
ほぼ一年分の英気を養う割と大事なイベントなのだ。
「これがなかったらやってらんないよ」
そういう感じの楽しみが誰の中にも一つや二つあると思う。
幾つになったって、家庭を持ったって、
そういう何かが一つくらいないと、持たないと思う。
少なくともヲレは持たないw
こういう精神的なケアを自主的に適度に行うことで、忙しすぎる義務の日々に帰っていける。
自分はそう思う。
みんなはどんな風に日々の英気を養っているのかな?

そろそろ、アッチのイベントもやる頃かな。