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16nightsのブログ一覧

2011年06月05日 イイね!

「古本大学講義」(六)

(安岡正篤-「人物を創る」より)





至善 --- 相対的境地を止揚した絶対的境地

その次は「在止於至善」であります。

この「止」という字は「止(とど)まる」と読んでもよいのであるけれども、「至善に居るに在り」と読んで差し支えない。そもそも「止」という字は足形であります。土の上についた足指の跡であります。人がこうして出かけるから、それをこういうふうに書いたのです。だから「止まる」であり、「居る」であり、そこまで「行く」「至る」であります。だから「至善に居るに在り」あるいは「至善に至るに在り」と読んでもよろしい。こう読まなければならぬということはない。

「在止於至善」の「至善」についての論議がまたやかましい。至善というのは善悪というような相対的な境地をもう一つ切りつめた、絶対的境地に於ける善、つまり「絶対的善」にまで入って行くことである。これは決して「相対的の善」を退けるのではありませんが、しかし相対的境地にとどまってはならない。

是非善悪の葛藤を止揚

我々が人生に向かっていろいろな目的を持てば持つほど、是非善悪の葛藤があるが、我々が少しでも大きい高い境地に進んで行けば、煩瑣な相対的境地が絶対的に高まってゆく。くだらぬ矛盾葛藤がだんだん処理されてゆく。我々の生きる方面が低ければ低いほど、我々が利己的な欲望に生きれば生きるほど、我々の善悪の葛藤が非常に煩瑣になってくる。そういうわけで、我々の生活が少しでも高まってゆき、大きくなってゆかねばならぬのであります。そうすると自然に、低い煩瑣な意味の善は解決されて、絶対的の境地に至らなければならぬ。即ち至善に至らなければならぬ。

もし私共に理想というものがなくて、毎日ブラブラして暮していれば、朝起きるのが眠い。面会人が来たらうるさいということになる。食膳に座っても、飯がまずい、煮方が悪い、茶がぬるいなどと言う。着物に垢がついているとか、古くなったとか、破れたとか、とかく善悪の葛藤が多い、ところが大きな用事でもあるときには、朝眠いなどと言っておれず、飯だってどうかすると、うまいか、まずいか分からぬで済ますし、着物も有り合わせのものを着て行くというふうに、我々の身辺の生活というものは非常に簡単になる。簡素化される。だから理想精神の旺盛な者の生活は必ず簡素になり、剛健になる。いざこざがなくなってくるのであります。したがって心を無辺に遊ばす者は人生の風雨にあまり当たらない。

周茂叔の言葉に「窓前草除かず、我が生と一般なり」ということがある。いつも書斎の前に草を茫々と生やしているので、ある人が「ちょっとお取りになったらどうか」というと、茂叔は「我が生と一般なり」と答えた。彼は読書研究に没頭しているとき、樹木と等しく天地間の生物である草が茫々と生えるのを見て楽しんでおったのであります。

ところがそういう哲学に沈潜するとか、学問に没頭するというような生活でなくて、たとえば庭で花を作るとかした場合、雑草が生えるということは花にとって大敵であります。毎日雑草を取らねばならぬ。王陽明の弟子に薜侃(せつかん)という人がある。花を作って草むしりをしながら「どうも雑草というものは困ったものだ」と憤慨しておった。そこへ王陽明が立ち停まって「お前が毎日草を除くのは、草を悪と見、花を善と考えるからである。しかしその見方は間違っている。天地の生意は花草一般なり」といって現地教育をやっている。これは「伝習録」にある、実に生きた教育です。それを考えれば善悪の問題は直ちに解決する。そこらは我々に非常に考えさせられる点がある。

このように「至善」というのは、「相対的境地を処理した絶対的境地」をいう。そこまで至らなければならない。だから自分の中にあるいろいろな感覚、感情、情操、理想精神、規範的な能力、そういうものをだんだん開拓していって、自分と無関係なものも自分の中に抱擁統一して、相対界から絶対界に進んでゆくのが「大学の道」だという。これに反して、だんだん個人主義的、利己的、唯物的になって行くのが俗学であり、俗人の生活。こう考えれば「明明徳、親民、止至善」の「大学の三綱領」が、はっきりするだろうと思います。





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Posted at 2011/06/05 00:30:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 「大学」・「小学」 | 日記
2011年05月25日 イイね!

「古本大学講義」(五)

(安岡正篤-「人物を創る」より)





親民 --- 親しくして初めて新たに

三綱領の第二の「在親民」は「民に親しむにあり」とも読み、「民を親しましむるにあり」とも読む。自分を中心にして行けば「民に親しむあり」。自分を別にしておいて人のこととして読んでいけば「民に親しましむるにあり」。政治家的に読めば「民を親しましむるにあり」。道徳的に読めば「民に親しむにあり」、あるいは「民を親しうするにあり」と読んだ方がよい。これも明徳を明らかにしてゆくということです。世間で今まで自分と無関係であったものがだんだん自分に統一されてくる。すなわち自分とよそよそしかったものが、だんだん自分と親しくなってくることです。ここで「民」というのは、民衆だけではない。民とは己れに対するものを民というふうに解釈しております。

豆の科学的明徳

たとえばここに豆がある。豆などというものは、つまらぬ食い物のように考えられているが、これでは豆という〝民〟に親しんでいない、一向疎遠なものであります。しかし、ここで豆の科学的明徳を明らかにしていくと、豆というものが身体諸器官にとてもよいものであることがわかる。たとえば、黄色い豆は、肝臓、胆嚢によろしい。したがって胆気といって、我々の気力気魄を養うのに最もよろしい。これを馬に食わせると非常によく走る。青豆は脾臓によい。特に記憶力を養うには青豆を食えという。小豆、黒豆を食うと心臓によい。また咽喉にもよく、耳にもよろしい。心臓と咽喉と耳とは一貫した系統のものです。だから音楽家はよく黒豆を食う。赤豆、小豆は心臓、小腸によろしい。白豆は肺に良い。豆がそんなに身体に良いものならば、ビフテキなど食う必要はない。豆を食うに限る。こうなると、大いに豆に親しくなってくる。
「民に親しむ」というのは、物を研究し、物の性質を明らかにすることであり、それは自分が物と一つになることである。すべて我々が道を学ぶということは、利己的生活、個人主義的生活から大きな統一的生活に進むことである。明徳を明らかにするということは、自然に民に親しむということになって、民に親しむところに創造が行われる。ここに新たなる進化が行なわれ、物が新たになっていく。いままでの豆でなく、新たなる意義を持った豆になっていく。だから親しくして初めて新たになり得るのであります。

程子、朱子は「親民」の「親」は「新」と書いた方がよいといっている。「日々に新たにして、日々に新たに」とか、「新民を作す」とかの句が後で出てきますから、それと前後つじつまを合わすために、この「親」という一字は「新」という字にするがよろしいというのであります。これに対し、陽明学派は、そんなことをする必要はない、「親」なれば「新」なり、わざわざ「新」に変える必要はないとして「親民説」をとっている。これはどちらでなくてはならぬ、というのではないので、後の方にしておけばよい。私も「親民」でよいと思う。





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Posted at 2011/05/25 00:07:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 「大学」・「小学」 | 日記
2011年04月13日 イイね!

「古本大学講義」(四)

(安岡正篤-「人物を創る」より)





明明徳 --- 人間に与えられた無限の可能性を開発せよ

「大学之道、在明明徳、在親民、在止於至善」。

これが名高い「大学の三綱領」と称するものであります。「大学」は要するにこれを説いたものであります。「大学」のこれが総論であります。

これが考証訓詁的に言いますと、なかなかやかましいのです。今日の西洋哲学というものも、これと同じで、殊にカント以来のカント派、新カント派以来のものをみますと、性理の方がすこぶる空疎になっております。この頃の西洋の精神科学の方面を見ますと、科学・哲学両方面から見てゆきますと、両方とも悪いことになっている。例えば意識とは何ぞや、理知とは何ぞや、意志とは何ぞや、というような事をつついている。いくらああいう哲学をやったところで人間は信念も情操も養えない。社会学を学んだところで、社会とは何ぞや、社会意識とは何ぞや、共同体とは何ぞや、というようなことばかりつついていては、我々の社会に応用する力は少しも養えない。東洋の学問も西洋の学問も、どれか一つやって見ると、その構成、情調を異にするだけであります。

「大学之道、在明明徳」、明徳ということにやかましい議論があります。

「明徳」をいままで「明らかなる徳」というふうにいっていた。けれども明徳の「明」という字を単に「明らかなり」というふうに解釈するのは軽きに過ぎる。もっと「明」という字に「徳」と同じような力を持たせなければならぬ。

「徳」

「徳」というのは「得」と相通じ、人間が天然に与えられているところのもの、天より得ているところのもの、造化的に得ているものを「徳」という。

宇宙・人生の進化発展を考えてみるに、まず生物が現れてから今日のような文化人類が出現するまでに、何億年経っているかしれませんが、少なくとも人間が地上に足跡をしるしている期間だけでも五十万年はかかっている。その間、一切万物を抱擁してきて、それが徐(おもむろ)に善を求め、真を追い、美を追うというような人格者というものにまで高めてきたわけであります。その人間の発生するまでの生物進化の道程というものは、多少とも存在しているに相違ない。けれども人間に比べて言うならば、それは無意識的の進行です。

「玄徳」より「明徳」へ

人間に至って明瞭に意識というものが開けている。突如として開けたのではなく、だんだんと開けたのである。木にも草にも発達がありましょう。石にも幽かなる程度においてあるかも知れない。人間は比較的明瞭に意識的存在であるが、人間以前はいわば無意識的進行であります。大きく分けてそう言えるのであります。そうしてこの時代まで、即ち進化から得ている徳を「玄徳」と言う。それは無意識的、非意識的、超意識的等々、いろいろに解釈される。玄徳的なるものが、人間に至って意識、自覚、内省というようなものを生じてくる意味で「明徳」という。だから「自然より人生へ」という言葉は、換言すれば「玄徳より明徳へ」という意味になる。これが宇宙の進行。

そこで人間以外においてはとうてい見られないような複雑なる感覚、感情、人生の軌範的精神、理想、そういうものが人間の徳の中には含まっているわけであります。この徳が含んでいるいろいろな感覚、感情、情操、軌範的精神、理想的精神というようなものを「明」という。同じ徳でも、玄徳ではない、明徳なのであります。だから人の人たる所以は、人が学ぶ最も大なる意味は、また大人のやる学問は、我々が天より得ているところの明徳、つまりいろいろな感覚、感情、情操、軌範的精神、そういうものを、できるだけ光輝を発せしめてゆく、明らかにしてゆくことにあります。

茶道の明徳

だからごく卑近な解釈をしますと、我々は始終飲食しておりますが、芸術家ならぬ芸道に達せぬ我々は、同じ水を飲んでも、同じ茶を飲んでも、すこぶる動物的な茶の飲み方をしているわけであります。ところが茶道を学んだ人は、茶を飲んでも、これは濁り水から汲んで来た茶だ、これは谷間の急流を汲んで来た茶だということがちゃんと判るそうです。そこまで我々の感覚が鑑別する。この感覚は一つの明徳です。だから茶道をやって、味覚によってそれほどに味わい分けるということは、一つの明徳を明らかにすることである。この意味で、茶道は一つの明徳を明らかにするものである。非常に酒の好きな人は、酒を飲んで、これは燗ざましだ、これは樽の底の酒だというようなことを、ちゃんと味わい分ける。コップ酒でもあおるような連中は、どこの酒だかわからず、酒でさえあればよいというような、きわめて意識が玄徳である。

聴覚というものも、我々の徳であります。我々の聴覚は、同じ徳でもきわめて玄徳的であります。明徳的でない。だから常磐津やら、清元やら、長唄やら、なにか分からぬという〝玄徳居士〟がたくさんいる。音楽をやって、この明徳を明らかにしてきた人は、ちゃんとそれを聴き分ける。

けれども、こういうことを言えば、ほかにもっともっと優れた明徳があるわけであります。我々の徳には限りがない。そんな低級の酒の味や、水の味には玄徳であっても、もっと尊い徳において明徳をもっている。とにかく、「明徳を明らかにする」ということは、人間が天より得ているものを、すべてできるだけ豊富に、できるだけ偉大に、できるだけ精巧にこれを開発していくことです。ですから「明徳」の中には宗教も、哲学も、文学も入るし、ないしは商売でも農業でも、みんな入ってくるわけです。

土地の明徳

私が経営しております日本農士学校の農場に、私の弟子で瀬下(武松)という奇特な青年がいる。いかにも出来た人物であるので、私が抜擢して二年間、国典漢籍をみっちり教えてみた。彼が最も力を入れて勉強したのが「大学」であります。「大学」によって、よほど悟るところがあったようです。彼は、さすがに農場経営をやってきた農業家であるだけに、「大学」を読んで、その内容がことごとく彼の農業生活の原理になってくる。そこが面白いところです。私どもではいくら「大学」を読んでも、農業的にこれを悟るなどということはできない。それは私がそういう生活をしていないからです。彼は「大学」を読んで、「大学」を楽しみ、そこで説かれている原理を、いちいち自分の農業生活に当てはめてゆく。

まず彼は、明徳ということを土地について考える。土地が物を生成化育する地力というものは、土地の明徳であります。人間から言えば玄徳だけれども、土地から言えば、これは明徳。そこでその明徳を自分の力でどれくらい開発することができるかというので、彼は自分の作っている馬鈴薯の反当たり収量を上げることに挑戦した。非常な苦心の結果、普通反当たり三百貫ぐらいのところを、彼は馬鈴薯の味を落とさないで八百貫産出することができた。それに励まされて弟子たちは、ついに千五百貫まで作るようになった。ここらに非常に妙味がある。迂儒、腐儒の学問に勝ること万々である。

「明」というのは、「明らかである」というよりは「妙」といったほうがよほど適する。詩を作るより田を作る方が面白いですね。この事に私は感心させられるのであります。そういうわけで、「明徳」というのは、ただちに宗教にも道徳にも芸術にもすべてに通ずる。





前頁「古本大学講義」(三)

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Posted at 2011/04/13 01:08:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 「大学」・「小学」 | 日記
2011年03月31日 イイね!

「古本大学講義」(三)

(安岡正篤-「人物を創る」より)





「腐れ儒者」になってはいけない

孟子、荀子の頃には早くも「春秋」という書物が五経の一つに加えられておったように思われるが、そういうものは漢代になって研究され、編纂整理されて、ここに「易」もでき、四書の「大学」「中庸」「論語」「孟子」がだんだん発見され、編纂されていった。このうち「大学」と「中庸」は、始めは「礼記」の中にあったのです。宋の時代になり、程子が特に研究して、「大学」「中庸」は非常に立派なものであるといって、「礼記」から抜き出して、それをさらに朱子が段落・章句の切り方などを研究して、「朱子章句」というものができた。新たに作ったのではありませんが、いわゆる教科書を開いたのであります。それがいわば「新本の大学」であり、それに対して元の「大学」を「古本大学」というのでありますが、これを私は持ってまいりました。普通、新本の「大学」の方が世の中に用いられておりますが、陽明学派は「古本大学」でよろしい。読み方や章句、段落の切り方が変わっているだけでありまして、たいして変わっていないのであります。

「大学」というのは一体何を言うか、これもいちいち詮索しておりますと限りのない話であります。けれども、これは要するに当時の知識階級、身分のある人の子弟を養うために、いろいろな学校が設けられていた。特にその上級の教育科目であるという説もあり、また「大人の学問」だという意味の説もあります。あるいは「大いなる学問」の意味だとする説もありますし、あるいはまた「礼記」の中の「学記」という一篇が教育制度を論じたのに対して、「大学」は教育の目的を論じたものだとする説もあります。そのすべてを含んでいると言えば一番よいかと思います。

「大学」はこういう簡単なものであるけれども、これに関する研究は大変なものであります。およそ「四書五経」の研究は東洋において、シナ、日本において非常に発達しておりまして、「東洋に哲学なし」などというけれども、四書五経などを研究すると、およそ人間として考えられるあらゆる思索をこれらの書物を中心にやっていると言ってもよいのであります。その証拠に、こういうものを本当に研究しようとすると、「十三経注疏」というものがありますが、さらに参考になるものに「皇清経解」千四百巻、「続皇清経解」千四百巻、それから「通志堂経解」千八百巻、その他「五経大全」「御纂七経」などいろいろな書物があります。それこそ汗牛充棟もままならず、それらをこつこつと研究していたならば、白髪頭になるまで一句をつっついておってなおかつ終わるところを知らないのであります。だから陶淵明などは書を読んで甚解を求めず、「そういうものをこつこつ勉強していると頭が煩雑になって駄目になる。それより大義を掴んであまりつつかない方がよい」と言っております。我々学究は往々にしてその感を深くするのであります。

たとえば「大学」の中に「格物致知」という言葉が出てきますが、格物の「格」という文字をどう解するかということについて「経史問答」を見ると、七十二家の説がある。「格」という一字を七十二家が議論して、誰それはこう読むが、俺はこう読むのだ、というておると、その格の一字の考究で一生を終わるそうであります。だから学問というものは、やりようによっては深遠であるが、やりようによっては煩雑になる。そもそも学問の第一義は --- 殊に経学の第一義は我々の生活の指導原理の学問であるから、学問がそういう手続きを終了して、いかに詳しくなっていっても、それが結局我々の生活になんら指導的な力にならなければ、それこそ何にもならないのであります。この経学というものは、我々の実生活を強く導いて行く原理たることを失わない範囲において考究すべきものであります。それを失ってまで研究していたのでは腐儒、迂儒というようなことになる。この点は大いに警戒を要することであります。今日の西洋哲学がその通りです。

ちょうど東洋に考証訓詁の書物がありまして、非常に結構なものであると共に、また非常に愚かなものであります。これは「大学」の格物の「格」というのは、何と解するのが本当であるか、そもそもそれを格などという字に読みだしたのはいつ頃からであるか、一体孔子はいつ頃生まれた人であるか、いつ死んだ人か、七十三歳で死んだという者があれば、いや俺は七十四歳説だというようなことを言う --- これが考証訓詁の学問。そのために無闇に書物をあさって結局、孔子が七十四歳で死んだということを説明する。それは意味あり、価値ある学問には相違ないのですけども、考えてみると、一般世間の人には迷惑な話で、孔子が七十三で死のうが、七十四で死のうが、生活原理の点からいうと何にもならぬ。結局一生かかって研究しても、「論語」の中にはどんなことが書いてあるか、ということは分からない人間がある。こういう人たちを世間では「迂儒」とか「腐れ儒者」だといっている。

これに対して義理学派、性理学派、心学があり、さらに文芸派ともいうべき詞章、文詞、詩章の方面、あるいは詩を作ったり、文章を書いたりするのを専門にする漢学もある。考証訓詁の学問は、これら文芸派や、哲学派に対して科学派といえる。

このように、漢学には科学派、文芸派、哲学派の三派があるが、それぞれ弊害があります。一方だけに偏してやっていると、人間がそれこそ腐れ儒者になって、人生の指導原理に何の役にも立たぬ木偶(でく)のようになってしまいます。そういう儒者は人生の現実に触れて現実を有利にしようとしないものであり、ひとつはまた学問を弄する論理的遊戯に堕してしまう。あるいは禅で言うと野孤禅 --- ただもう形式的座禅、瞑想に耽ると同じで空疎になりやすい。また他の一方は詩を作ったり文章を作っていたりするから、結局人生の指導原理にならない。軽薄な三文文士になっている。いずれにしても危険性が伴うのであります。本当に詩を作ろうと思ったら、やはり義理に徹しなければならぬ。我々の精神生活の理法に徹しなければならぬ。我々が本当に精神生活をしようと思えば、必ずこれが科学的、性学でなければならぬ。どうしてもこの三つを調和的に研究する必要を感ずるのであります。一歩を誤ればそれぞれみな間違いが起こりやすいのであります。いわゆる朱子学派という方は、どうかするとこっちへ傾くのです。いわゆる考証学派というのは、どちらかというと性理の方でありまして、空理空論に走りやすい。

これから本文に入りたいと思います。





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Posted at 2011/03/31 00:53:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 「大学」・「小学」 | 日記
2011年03月06日 イイね!

「古本大学講義」(二)

(安岡正篤-「人物を創る」より)





学問・修養は烈々たる気風の持ち主こそがやるべき

さてこの「儒」という文字の意味、これは原始的に考察してみますと、非常に面白い意味を含んでいるのです。少なくとも春秋、戦国の初めにかけて、この儒家、または儒教の「儒」という文字を、すこぶる悪い意味で使っていた、という面白い事実があります。それは「儒」は「懦」なりで、儒と懦は音訓相通じて、「懦弱にして事を畏る」の意味に使われていたのであります。

儒を学ぶ者は、これを大いに反省しなければならないと思います。その当時、社会運動家とか、政治家とか、実業家とかいう実践的な連中は、いったい儒者なんどというものは極めて懦弱で役に立たないもの、何かやらしてみるとビクビクして一向胆力のない人間だというふうに言っていたらしい。それが戦国末期ぐらいになると、即ち孟子、荀子あたりから「リファインされた人格者」の意味に多く使われているようであります。なぜそのように初めは悪用されたのか、これにはいろいろの由来があるだろうと思います。

おそらくは、孔子およびその一派の人々は非常に理想家でありますから、卑近な意味における実際家からみると、迂遠にもみえたのでありましょう。殊に良心の鋭敏な人はとかく内省的ですから、ともすれば恥づるところ、畏るるところが多い。実際家のように鉄面皮にやれないことが多い。そういうことから、道徳にこだわって一向役に立たぬというふうに見えたのでありましょう。即ち卑俗な見地から、本当に聖人君子の心を解しないで、そういう低級な嘲笑的な意味の使い方が起こったのでありましょう。

また一方、修養とか学問とかいうことを聖人君子のような大力量を持つ人でなくて、実際に弱い人間がやりやすい。これは情けないことでありまして、どうもこの学問とか修養とかいうことは烈々たる気風を持っている者がやらなければならぬことであるにもかかわらず、君子の心境を解するあたわずして放たれた卑俗な批評が当たるような繊細(かぼそ)い君子が多くなる。しかし、このような者は本来、君子とはいわないのであります。けれどもそういう者も多かったことも想像されるので、そういういろいろな関係からこの「儒」という文字が悪い意味に使われていたと思うのであります。

今日でも、「君子」だとか、「人格者」だとか、「精神家」だとかいう言葉が往々にして俗用され、あるいは嘲笑的に使われるということは、この当時と大差ないようであります。それでありますから、ニーチェという人は非常に憤慨しまして、「善というものは、およそ力あらんとする意志、力を欲する意志より出なければならぬ、強くなければならぬ、およそもろもろの弱きより出(い)づるもの、これを悪というか」とまで叫んでいる。「善は強くなければならぬ、同情する、相憐れむというようなことは唾棄すべき奴隷道徳であって、士君子は獅子のごとく強くなければならぬ。獅子的意志を持たねばならぬ」こういうようなことを叫んでいる。実はニーチェ自身が非常に弱い人でありますから、自らの持つ烈々たるこの理想精神に実際に自分の性格が堪えないで、ついに発狂した人ですけれども、叫ぶところにはすこぶる教えられるところがあります。





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