今日も雨である。やっと梅雨らしくなった。しかしこの雨は異常だ。昨日もちょっと遠出をする機会があったが、冠水しているところもあった。最近の雨は温暖化のせいかかなり、ひどい。
そしてあの日もこんな雨で、いつもより梅雨が長くなっていた。
今から26年前。私は北海道の函館でラーメンを食べながら、日本新党の細川首相の指名を様子をテレビで見ていた。
ところが、突然場面が変わるとこちらの地元のアナウンサーが、テレビ局の周囲が洪水で大変なことになっていることを伝え始めた。
日にちは遡り、7月31日。職場の同僚と飲み会の約束をしていたのだが、ものすごく雨が強いことから、どうするかを窓を眺めながら電話で相談をしていた。いつも川の堤防が見えるのだが、この日は堤防に消防車が数台止まり、消防士が監視していた。
その横を、ビニール車庫と思われる青いシートが流れていくのが見えた。時折水しぶきも見えた。いつもと違う。同僚に今日の飲み会をやめようと話を終えたころ、マンションの非常ベルが雨による故障で鳴り始めた。
階下の様子が気になり始め、車だけでも職場においてこようかと思った。職場までは歩いて20分ぐらいの距離である。そうは遠くないし…。階段を降り始めると自分の車の回りが水が来ていて水位4㎝ほどあった。
車を出そう。しかし、このマンションは主要道路から低いところにあり、一番の近い道は、ちょっとした雨でも冠水するところだった。左に行くとその近道。右は遠回りだが、平坦で主要道路と同じ高さになるところで合流する。右だ。
ところが右側も冠水していた。近くの畑も水が来ていた。「ええい、ままよ~」ミッションのサニーで走り始めたが、程なく、エンジンがストールするような感じになり回転数が落ちてきた。しょうがないので思い切って踏み直しらたら、回転が上がり復活。この水たまりも脱出。結局職場にはおけず、近くの公民館で非難することになった。既に4世帯ほどの家族が避難をしていた。そして、この日山手の方で土砂崩れで犠牲者が出た。
8月3日 以前から計画していた北海道旅行に出た。翌日の午後には帰宅することができたのと、それまでの間、大きな交通の乱れがなかったからである。
そして8月6日の夜。その惨状を知ることになった。翌日奇跡的に空港が再開して特別機が用意され、羽田から帰宅することができた。晴れていた。愛車のヘッドランプは水が半分ほど溜まっていた。フォグランプは錆が吹きでいていた。
帰宅の報告を両親に伝えようと実家に向かった。しかし、幹線道路は完全に遮断されていた。特に自分から普段よく使用していた海岸の道路はあちこちで崩れ、大変なことになっていた。
40分で帰宅できるところを3時間かけて実家にたどり着いた。両親の自宅周辺は全く被害はなかった。しかし、この年は台風や大雨で大被害をさらに起こした。幹線道路の復旧も時間を要した。
嫁はこの洪水を起こした、河川の横を走る国道で通勤していたそうだ。しかし、7月後半から水位が道路付近までというのはよく見られる光景だったそうだ。
8月6日も、週に1回の習い事が歓楽街のオフィスで行われる予定だったそうだ。しかし、近隣の道路が冠水したため、欠席をすると連絡をしたそうだ。
あれから26年。
もし、飲み会に行っていたら…
もし、あのときに車のことに関心が行かなかったら…
もし、車がストールしていたら…
もし、北海道へ行く飛行機が出なかったら…。
もし、北海道に行かずに、あの海側の道で実家に向かっていたら…
もし、特別機が出なかったら…
もし、嫁もあの日習い事をしに行っていたら
紙一重とはいうが、今ここにいる自分たちが偶然の積み重ねであることに気づく。
今年の梅雨、犠牲者が出ないことを祈りたい。
Posted at 2019/06/30 08:43:54 | |
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