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2019年03月30日 イイね!

平成を振り返る…私の記憶に残る車たち…その1

平成を振り返る…私の記憶に残る車たち…その1気が付くと今日から4月。そして新しい年号が発表されるそうだ。
そこで平成の30年間で記憶に残る車たちを振り返ってみようと思う。ただ私の場合CMや自分の生活圏内でよく見かけたとか印象に残るものとしてなので悪しからず。

平成元年 
 「NISSAN A31セフィーロ」

 厳密には昭和63年にデビュー。CMが始まったにもかかわらず井上陽水の「お元気ですか~?」が口パクになったことは有名。
ただ、当時トヨタマークⅡBROTHERのスクエアなデザインとは全く違ってS13シルビアの4ドア版とも思えるスタイリングは衝撃的だった。ヘッドライトのデザインもだが、グレードもそれまでのチョイスとは違い、エンジンやサスペンションなどを自分に合わせてチョイスできるのは驚きだった。

「NISSAN RS13/KRS13 180SX」

 この頃は熱心な日産党だったため日産車をチョイスしてしまう。それまでシルビア・ガゼールの両車にあったノッチバッククーペとハッチバックを整理してシルビアをノッチバッククーペ、ハッチバックを180SXとした。フロントは当時の流行のリトラクタブルライト。私にはシルビアよりも180SXの方が硬派に感じるとともに大人びた車に思えた。またCMもバニラ・ファッジの「KEEP ME HANGING ON」、中期はパトリシア・カーズ の「ケネディ・ローズ」は私にはヒット。「一度くらいこんなに車に乗ってもいい」「この車に似合う人がいる」は自分がそうなりたいと何度も思ったことか…結局なれなかった(笑)。

「BC/BF スバルレガシィ」

 この車からRV・ステーションワゴンの流行が始まったような気がする。「GT維新」というキャッチフレーズとロッド・スチュワート『セイリング』はとてもマッチングが良かった。またその後の映画ダイハードのブルース・ウィールスもまだ髪の毛もあって渋かった。車も職場の先輩に乗せてもらったが、1.8ℓでも決して貧弱なところもなく、高級感のある車だったと記憶している。デビュー当時はこの車でWRCに参戦するとは思いもしなかった…。

平成2年
「NISSAN P10 プリメーラ」

 それまで、スタイリングの良い車と実用性の高い車は相反するものと思っていたが、私にとっては両立していたと思う。またご存知の通り足回りも901運動によって優れていたし、当時のイギリスで行われたBTCCのレースでも参戦した。私のあこがれの車だった。ディーラーで一度だけ乗ったことがあったがこの車には縁がなかった。

「MITUBISHI Z15A/Z16A GTO」

 そのスタイリングはまさにスポーツカーだった。私はデビューした時の初期型が一番好きだった。三菱HSXというコンセプトカーの時に確かNEWモデルマガジンXで実車として販売すると知って驚いたことを覚えている。この時代はやはりリトラクタブルライト。後期でのライトは今一つだったように思うがスポーツカーらしい井出達だった。後期になったときだったが、当時の上司がこの車の好機を購入して周囲がとてもおどろいたことがあった。

「MITUBISHI EF系 ディアマンテ」

 この車がデビューしてから3ナンバー車が当時の税制改革もあって販売台数も増加したと聞いている。スタイルはバランスの取れたセダンで「これぞセダン」というイメージがある。また当時の三菱のフロントのライトやグリルが逆スラント(上部から下部にかけて引っ込んだ感じ)しており、それがまた良かった。ギャラン(E31~33)と三菱の当時のセダンはかっこよかった。職場の先輩が熱心な三菱ファンでこの車を購入、乗せていただいた記憶がある。3ナンバーとだけあって高級感と室内が広かったと記憶している。 

平成3年
「トヨタ A101 カローラBROTHERS」

 それまでの端正なカローラからサニーを引き離すべく高級感のあるカローラになった。また、レビン・トレノ・カローラ・スプリンターに1.6ℓの高性能160PS のものや175PSのスーパーチャージャー搭載、また、5バルブDOHCやスーパーストラットサスペンションなど、トヨタの意欲的な車に思えた。同僚のレビンGT-APEXに乗せてもらったが剛性感の高い車に思えた。

「トヨタ L40 サイノス」

 「友達以上恋人未満」のキャッチフレーズでデビュー。自分の中では80年代後半のニッサンRZ-1の再来と期待したのですが、もうちょっと硬派の車であって欲しかったと思った。しかし、結構女性のユーザーが多くてスーパーに駐車している車を見かけた。アルミを変えているのは男性が多く感じた。でもこの手のコンパクトクーペも当分は出てこないように思う。

「ニッサン フィガロ」

 初代マーチをベースにBe-1、エスカルゴに続く第3弾としてデビュー。自分的にはBe-1は凄く魅力的だったが、あまりにも人気が高く遠い存在だっただけにそれ続くパイクカーとして期待をしていたのだが、レトロな感覚は当時の自分には受けなかった。しかし、最近「相棒」で水谷豊氏が再塗装をして使用されたのを見て渋いなと思った。マーチがベースなだけに1.3ℓは欲しかった。

「ミツビシ N#WG RVR」

 ウサギのアニメとコラボのCMが印象的だった。この頃からすでにRVブームが始まっていて、三菱はセダンよりこの手の車がものすごく目立っていた。そしてこの車に230馬力という高性能版もあってセダンやクーペだけが高性能とは言えないと思った。この車のワインレッドやグリーンのカラーの車を多く見かけた。

「マツダ EC プレッソ・AZ-3」

 マツダの5チャンネルでマツダ本店とオートザム店で販売されたクーペ。オートザム店には縁がなかったので印象は不明だが、1.8ℓV6は確かに高級車のような振動が少ない車という印象がある。ディーラーで営業マンと試乗だったのでスポーツができるかどうかはいまいち不明。でも1.8ℓでV6エンジン搭載のグレードは若い自分には贅沢で1.5ℓの方が魅力的だった。しかし、マツダの世界最小排気量V6も…


「ミツビシ CB ランサー」

普通は「エボ!」と思った方も多いだろうが、雑誌ではWRC参戦でエボの話題が上がったが実際、カローラ・サニー・シビック・ファミリアといった当時のコンパクトセダン戦線にあってV6はインパクトが強くマツダが2ℓ以下で開発したのもすごいと思ったが、これからのファミリーカー戦線ではスポーツ性や燃費だけでなく高級感のある高性能エンジンも投入されるのではと思った。三菱はランサーだけでなく、ミラージュ(5ドアHB)も投入していてRVブームにも乗ってRVだけでなく、セダン系でも車種も多岐に広がった。

「ホンダ BB プレリュード」

それまで5ナンバーだったプレリュードが3ナンバー2.2ℓになって登場。以前のプレリュードは「ボレロ」「地下室のメロディー」といったちょっと大人びたCMだったが若者に訴求するためか「Comig up」というテンポの曲に変わった。ウィキを見るとスペシャリティクーペからスポーツクーペにコンセプトの変更があったからだそうだ。またアイルトン・セナもCMに参加。クーペとしての復権を狙ったのだろうか。試乗はしなかったが、ディーラーで運転席に座ったことがあった。未来的なメーターも驚いたが、やはり水平方向に広がったインテリアは横幅の広がりを感じさせた。

「マツダ FD RX-7」

 説明は要らんでしょうね。この年ルマン優勝。

平成4年
「トヨタ TCR エスティマ エミーナ・ルシーダ」

 これもNEWモデルマガジンXで「子エスティマ」として盛んにスクープされた。実際デビューしてからかなり周囲に購入する人も多く、ミニバンブームの先駆けではないかと思う。室内もとても広く、5ナンバーでありながらも窮屈さはなく、のちに販売される、タウンエースノアなどよりもずっと快適だったように思う。あれだけ売れていたにもかかわらず、初代で終わったのも珍しい。

「トヨタ ST19# カルディナ」

 レガシィツーリングワゴンに対抗すべく、投入されたステーションワゴン。濃いグリーンとシルバーのツートンカラーのものを多く見かけた。レガシィとともにバンではなくステーションワゴンという車の認知を高めたと思う。CMでは佐野元春が一緒に走っていたっけ…。BTCCではこのセダンが参戦してたと思う。

「トヨタ AE100 カローラセレス・スプリンターマリノ」

80年代にカリーナEDをさらにカローラクラスで実現したという感じの車。自分的にはプリメーラが起こしたセダンの実用性重視のコンセプトが本流と思っていたのだが、トヨタのカローラBROTHERの広げた方に少々驚いた。 それはこの年カローラFXもモデルチェンジして位からである。EDと似て車高は低く、ピラードハードトップでスタイリッシュだった。個人的にはRVブームの中でトヨタがセダンでの抵抗した感じのある車だった。

「スバル GC/GF インプレッサ・スポーツワゴン」

 WRXは凄く衝撃的だったが、買えないので諦めた(笑)ミドルグレードがなぜか100psしかないのも魅力が薄れてしまった。スタイリングはとてもオーソドックスで好みだっただけにWRXとの差が大きく、ミドルグレードをもう少し力を入れてほしいと思った。ミニレガシィという位置づけならと何度も思った。

「ニッサン K11 マーチ」

 初代後半にスーパーターボが設定されたので期待したのだが、むしろしっかりと開発されたことでコンパクトカーの本流となって欧州での地位を確立したと思う。欧州で対抗できるために足回りやパッケージに力を入れている分スポーツグレードは不要だったのだろう。また女性を意識したことで職場でも女性が良く乗っていた。後期ではミニワゴンやコラボした車もでたが、やはり10年販売できたのは基本がしっかりして位からだろうと思う。

「ニッサン JYP32 レパードJフェリー」

 デビューした時に、「違う!」大声で叫んだことを覚えている。あぶない刑事で覆面パトで活躍した先代のクーペ路線からソアラに白旗を上げて本来の4ドアの変わったのだろうけど、その尻下がりルックは合わん!と思ったものだ。当時の日産の混迷の一つだろうと思う。すでに開発陣が市場を読めなくなっていたのは間違いないだろうと思う。

「マツダ CA ユーノス500」

マツダも5チャンネルの販売で混迷していたが、デザインはそれらのセダンの中でも秀逸だったというのはご存知の通り。RVブームの中でセダンのすばらしさを訴求できたのではないかと思った。マツダがもし5チャンネルにしなかったら、この車は売れたのではないかと思う。しかし、デビューもしなかったかもしれない…。

平成5年
「ダイハツ GS201 シャレード デトマソ」

 ダイハツのデザインは私に時としてぐっとくる車を出してくれる。この前のシャレードより洗練されてより都会的なHBとしてデビューした。わかりやすいHBの形なのでほしいと思ったけど…購入に至らず。

「スバル BD レガシィ ツーリングワゴン」

2代目レガシィ。デザイナー、ブーレイによるこの顔つきはとても好きだった。乗ったことはないけれど。この車が後に280psになったことでなおさら魅力的に感じた。というか、当時のPSのグランツーリスモ2で一番使った。しかし、現実世界では見るだけだったが…

「ニッサン S14  シルビア」

デビューした時にイメージが変わったと思った。のちに現在のような形でファンが増えるとは思いもしなかった。幅広でS13のままでいいのではと思った。これはスカイランと同じように周囲の車と同様に3ナンバー化されて肥大したと雑誌で書かれたこともあった。前述のレパードと同じように日産に何かおかしいと思ったモデルの一つだった。

「トヨタ ST202 セリカ」

お!と思った。この面構え、アルピーヌ・ルノーA110 に似ている!と模型雑誌でも取り上げられた。またモータースポーツ誌ではWRCに向けて精力的に試験走行している様子が取りだたされて「白鳥」と言われていた。同僚にも女性で真っ赤なSSⅡを購入している人もいてうらやましいなと思った。

「マツダ オートザム DB レビュー」

「丘を越えて♪ 会いに行こう♪」のアイドルのCMで有名になった。また大きなプロレスラーが番組の企画で運転したとかしなかったとか…。試乗に行って意外に室内が広かった記憶がある。でも欲しいとは思わなかった。

「マツダ CBAEP ランティス」

これもCMのCDがあって買った。やはりHBがかっこよかった。特に当時のWRCに参戦していたフォードエスコート コスワースを模したか テーブルウィングとも言われたリアウィングがなかなかかっこよかった。またセダンは滑らかなスタイリングで癖がなく、すっっきりしていたが、リアコンビランプが特撮ヒーローのサンダーマスクに似ていて今一つに感じた。当時の親友がセダンに乗っていて剛性と言いハンドリングと言いとても良い車だと思った。

平成6年
「トヨタ L5# カローラⅡ」

小沢健二の「カローラⅡに乗って」がCMとコラボされヒット。個人的には無味乾燥のようなデザインに感じてしまい、トヨタもコストダウンしているなと思った。先代の方が流麗でかっこよく雅子妃も乗っていたっけ…。それに比べて‥・残念ですから♪。

「ニッサン B14 サニー」

「23Mile SUNNY」というキャッチフレーズだった。トラッドサニー(B12)のデザインを継承せずにサニーらしさを追求したようなデザインだった。サイドからシルエットにするとかなりかっこよいところもあった。しかし、グリル、ヘッドライト…サニーらしいところがはっきりすると今一つ。乗ってみてもコストダウンがはっきりとわかってB13よりも重厚感がなく外の音の入力が大きく感じた。リアにマルチリンクビームという新型のサスペンションを採用していた。やっぱB13がいいよ。

「ミツビシ DE FTO]

日産の低迷期だったのでとても魅力的に映った。またATでもMTのように操作できるINVECS‐ⅡとMIVECエンジンの組み合わせは正直欲しいと思った。でも買える値段ではなかった。シルビア、セリカ、プレリュードはスペシャリティクーペだったがスタイリングだけでは売れないジャンルになった。

「ニッサン RKNB14 ラシーン」

「ドラえもん」と一緒にCMが流れた。RVブームに合わせてデビュー。形式でお分かりのようにB14サニーがベース。スクエアなデザインはあまりにも工夫を感じなかったが前年のモーターショーで好評であったから販売に至ったという。これも女性にも人気があって同僚が乗っていた。助手席に乗せてもらえなかったが‥‥。(笑)

「マツダ CG カペラ」

先日他界した萩原健一氏のCMで国内専用車としてデビュー。マツダが販売不振になって急遽開発したという。ショーケンの真面目な雰囲気(ドラマの役柄)が醸し出したイメージが良かったのか街中でも結構よく見かけた。

「マツダ BH ファミリア」

それまでのファミリアの中でセダンがとても流麗なデザインだった。半面なぜかHBのNEOはいまいちで途中でオーソドックスなスタイルに変更された。マツダのデザインもこの時期おかしくなっていたかもしれない。エンジンは先代から継承された1.5ℓでも高出力のものがあって1.6ℓは不要だと思った。

平成元年から平成6年を振り返ると、段々とバブルがはじけて車自体もコストダウンされデザイン的にも今一つの車が多くみられたと同時にRVの勢いがだんだん増して、ミニバンなどブームの下地もできてきたことがわかる。まだ残り25年完結できるかな…。
画像の出展
https://www.favcars.com/
Posted at 2019/04/01 01:09:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | 雑感 | クルマ
2019年03月24日 イイね!

マツダの車名の再編成を考える

マツダの車名の再編成を考えるもうすぐ国内発表も間近なMAZDA3だが、さらに先日発表された新型SUVのCX‐30は車名についても今後のマツダの方向性をいろいろ考えられるとあってネットでも様々に取り上げられている。
だいたいは「30」は一時的という意見。あるいは刷新していくという二つに分かれているようだ。

その中でWebCGの記事は、私もなんとなく納得ができると思った。つまりSUVラインアップの再構築というものだ。

確かに今まで
デミオ=MAZDA2
CX-3
アクセラ=MAZDA3
CX-4
CX-5
ロードスター=MX-5
アテンザ=MAZDA6
CX-8
CX-9

というラインアップだ。これは今まで出荷国ごとに車名を変えていたものを数字などを使用して統一化してきたわけだ。
しかし、RX-7 、RX-8 といったネーミングもあったわけでこれらをさらに明快なネーミングにして再構築するというのも納得がいく。
つまり従来のラインアップ、つまりセダンやHBについて社名の後に一桁の数字で、SUVについては社名・CX-二桁の数字としたいのではないかというのがWebCGの記事である。
 
そうなるとまず、デミオもアテンザも名称は変更されるだろう。
つまり、HB・セダン系は
MAZDA2
MAZDA3
MAZDA6
となるはずだ。
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これにより一桁になることによって車種もさらにセグメント別に分けられると同時に、空き番ができることでFRクーペを命名することも簡単になってくる。
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また、
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 SUV系はFRアテンザベースのCX-5をCX-50にしてセグメントもラージクラスに昇格、コンパクトクラスのスタンダードにCX-30、クーペSUV系としてCX-4改めCX-40、そしてデミオベースにBセグメントのCX-20とすればかなり整理されてくる。
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また、CX-8、CX-9もそれぞれCX-80、CX-90にすればマツダのラインアップもSUV系も車種を広げられるわけだ。

下手をするとスポーツ色の強いモデルはまた「MX」を使用することも可能だ。しかし、現在のマツダの規模では車種を広げることは難しく実際はそこまで車種を広げられないだろう。
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いずれにせよ、CX-30の成功次第によってマツダのSUVのラインアップがどうなるか、カギを握りそうである。

Posted at 2019/03/24 22:59:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | mazda | クルマ
2019年03月23日 イイね!

みんカラ:週末モニターキャンペーン【ブレンボ製ブレーキディスク】

Q1. ブレンボアフターマーケット製品(パッド・ローター)をご存知ですか?
回答:はい、よく存じております。

Q2. ブレーキ部品に対して何を求めますか? Ex.制動力、ダスト量 etc…
回答:緊急時の制動力(停止までの距離が短くなること)ダスト量もやはり低めが良いかと思います。

この記事は みんカラ:週末モニターキャンペーン【ブレンボ製ブレーキディスク】 について書いています。


※質問項目を変更、削除した場合、応募が無効となる可能性があります。
Posted at 2019/03/23 17:50:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | タイアップ企画 | タイアップ企画用
2019年03月21日 イイね!

CX-3を運転した印象

CX-3を運転した印象嫁のCX-3のステアリングを初めて握った。
今までほとんど運転させてもらえなかった(洗車の時の移動だけ触れました)のが、今日は特別というか諸事情があって隣県まで高速道路を運転することができた。今回はそのインプレッションである。

ディーラーで試乗した時にもそう思ったのだが、運転席がデミオ・アクセラより高めのポジションのため、ロールはあまりしないのだがデミオ・アクセラの方が気持ちよく運転ができる。この辺は好みだとは思うが長年、セダンやHBを運転してきた私には低いほうが好みだ。自分にはCRプレマシーに近い印象だ。視界はデミオと変わらず、サイドはドアミラー付近にピラーがないためすっきり感があって視界にあまり閉塞感はなかった。またドアミラーが大きめなことから後方からの車両の確認もしやすいと思った。
また口径が 18inホイールはまだ足回りも渋いのか、ときおり段差があるとそのショックは大きめに感じた。

しかし、高速ではその印象がガラッと変わるのだ。1.8ℓに変更されたエンジンは4人乗車であっても決して非力さを感じない。スペックこそ1.5ℓとあまり変わらないのだが、むしろ余裕さえ感じるのだ。また、すこし、早めの流れで走行していても、全くマイナス面はなく、継ぎ目のショックも全く感じない。むしろ頼りがいのあるハンドリングで高速道路でコーナーが続く曲路でも速度をあまり落とさずとも走行ができるのは非常に安心感があった。

静粛性はやはり鉄板の厚みの変更やガラスの厚みある分、かなり良い印象でアクセラよりも静かに感じるほどだ。室内の狭さはライバルに劣るとはいえ、4人フル乗車した場合、大柄な男性が4人となると、確かにきついかもしれないが、嫁(約155㎝)が運転、私(約178㎝)が後部座席であれば、あまり狭さを感じない。後部座席のリアアームレストとドアのカップホルダーが長距離移動では飲み物を置けるので重宝である。またアクセルを大きく開いてもリアにマフラーからの音は気になるほどではない。
マイナスになるのは背もたれがもう少し倒れていたらと思ったが、大きなマイナスにはならない。腰も痛くなかった。うとうとしながら寝ていてもあまりきついとは思わなかった。厚めの座面も印象を良くしている一つの要素だろうと思う。

高速主体であったが、燃費は20㎞/ℓを下回ることはなかった。
全体的な印象はデミオやアクセラはスポーツ性も兼ねることができ、そのエキゾーストノートもドライバーをその気にさせるのだが、CX-3はスポーツ性よりも高速道路を一定に移動できるツアラー的要素がかなり大きいと思う。一般道の曲路を走行するよりも高速道を走行するほうが気持ちよいと思った。
だから、嫁は私にステアリングを簡単に譲らないのかもしれない。
Posted at 2019/03/21 20:30:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | CX-3 | クルマ
2019年03月07日 イイね!

CX-30よ、お前はいったい何者だ?

CX-30よ、お前はいったい何者だ?ジュネーブモーターショーで突然姿を現したCX-30。
CX-3のFMCの予想を覆してファミリー層にターゲットを置いたと思われるコンセプトで大人4人がゆったり座れることを前面にだしてきた。
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私はかねがね、クーペライズされたモデルとして予想をしてきたがそうではなかった。

後部座席を重点に置いたモデルということは、やはりCX-3がそのコンパクトが故、前席に重点を置いた結果、他メーカーモデルの後塵を拝したことになったからだと思われる。
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ヴェゼルにしてもC-HRにしても後部座席はCX-3よりも広い。これらに対抗すべく、次期CX-3を開発を行ったはずだ。それがこのCX-30としたら、では、いったいどのような経緯で開発されたのだろうか?
ここから予想であるが、当初CX-3に投入したのはきっとCX-5の下位ポジションとして意味があったはずだ。しかし、販売が始まるとCX-5より小さいモデル「ジューク」の出現により急激に市場は拡大した。Dセグメントに近いCX-5とデミオベースのBセグメントのポジションの間には隙間が大きくなった。
そこでCX-3の開発終了後、ライバルと互角に戦えるベース車両としてMAZDA3を選択。
これによりライバルとほぼ互角の室内の確保ができた。
しかし、その結果、CX-3の後継にしてしまうとCX-3のスペシャリティー性を終焉させるにはもったいない。SUV系を充実させるにはCX-3のポジションは維持してCX-5の直系をCX-30 にしてCX-3は存続させた方が持ち駒とすれば、他社よりも有利である。そこでCX-3の後継モデルとして開発したものの、本来のスタンダードなCセグメントSUVとしてCX-5の直系モデルとして誕生したのではないか?
そして、販売台数から見ればCセグメントよりコンパクトなBセグメントの方がさらに拡大できる。
すると
スペシャリティー(前席重視)なCX-3 
         独身の人、あるいはダウンサイザー あるいは通勤車
大人4人 CX-30 (MAZDA3/アクセラのポジション)
         子供がまだ巣立っていないファミリー層
プレミアム性のあるCX-5  
         アテンザクラスやレクサスや輸入車を選択する層。
3世代のファミリーCX-8
            アル・ヴェルやエルグランドを選択する層
  
他のメーカーに例えるなら
 CX-3・・・・・シロッコやポロ
 CX-30・・・・ゴルフ・A3
 CX-5 ・・・・パサートやA4

といった感じではないだろうか。

CX-3のポジションは今後、どうなるだろうか?
SUVは今までサイズでの違いが価格の違いでもあったわけだが、結果的にはどのメーカーもスタイリングは似通ってしまってきた。それではマツダのモデルは埋没してしまう。
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そこで他の乗用車と同じようにピラーを寝かせスタイリングを変えることで他メーカーにないSUVモデルをマツダは提案した。
その先駆けとなったのがコンセプトモデルの「越」でありCX-4ではなかっただろうか?
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そこでこのCX-4のボトムポジションとしての役割を果たすのではないだろうか?つまりスペシャリティー性の強いモデルとして今後はデミオベースでFMCを果たすのではないだろうか。

では、最後にネーミミングはなぜ、30だったのだろうか…。
3とするとこのモデルはコンセプトが違う。しかし、CX-3とCX-5を埋める重要なポジションである。しかし、CX-4はスペシャリティー性の強い車であってCX-5の直系とは言えない。結果的に間を取る形で二桁にしたとも考えられる。

いずれにせよ、
今後はこのCX-30はCX-3よりも、よりMAZDA3/アクセラと同じポジションで重要な役割を果たすのではないだろうか。
しかし、マツダはさらにもう一つのSUVを計画しているという。それは一体…?さらに新しい謎が増えた。

Posted at 2019/03/07 21:15:06 | コメント(3) | トラックバック(0) | CX-30 | クルマ

プロフィール

「そんなこともあるのね。https://l.smartnews.com/CMBFv
何シテル?   05/01 06:48
妙にこだわりのあるへんなやつですがよろしくお願いします。あまりうまくしゃべれません・・・・人付き合いが下手です。泣 最近、突然フォローの申請をされる方がおられ...
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アカデミー 1/72 F-22 ラプター 製作記 (Academy 1/72 F-22 Raptor building report)  
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愛車一覧

マツダ CX-3 2代目 嫁の3 (マツダ CX-3)
2代目のCX-3 パワーアップされているだけに燃費は少し伸びないかもしれません。
マツダ プレマシー マツダ プレマシー
この車でも10万キロ突破したいなあ・・・・
マツダ CX-3 嫁の3 (マツダ CX-3)
嫁の車
日産 シルビア 日産 シルビア
オヤジの車を乗り回していました。
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