
70年代前半、排ガス規制への対応で各社のDOHCエンジンがリストから消えていきました。
ギャランGTO・MR(1600DOHC)が消え、
ケンメリGT-Rが197台を売り切ってわずか3ヶ月で消滅、
あの2T-Gでさえ生産が一時断念されました ・・・
そんな中、18R-Gはたとえパフォーマンスが落ちても、ありとあらゆる手立てを模索しながら、トヨタはその存続に尽力します。
ツインキャブレターで何とか生き残れないかとした、18R-GU(「U」は排ガス対応)は130馬力。
18R-Gはハイオク仕様(有鉛だよ)は145馬力を誇っていましたね。
最終的には、ソレックスツインを断念し、EFI化135馬力(18R-GEU)に落ち着きます。
画像をご覧ください ・・・
1980(昭和55)年8月登場のカムリ2000GTのボンネットが開いています。
そう、DOHCエンジンはカムカバーが立派なんですよね、OHCに比べると。
この頃のトヨタは、「DOHC」から「ツインカム」って呼ぶようになりましたね(遠くを見る)。
1979(昭和54)年末から日産の「ターボ」攻勢が始まるわけですが、
DOHCエンジンを簡単に諦めた「技術の日産」に対する痛烈な批判広告ととれましたね。
「暗黒の排ガス規制の時代でも俺たちはDOHCを作り続けたんだ!」という、
トヨタのプライドというか意地というか、そのようなものを感じましたね~(遠くを見る)。
あー、もうこの頃は「セリカカムリ」って呼んでないですね(さらに遠くを見る)。
「ビスタ店」なんてフレーズも見つけられますね~(シミジミ)。
「ツインカム王国」 ・・・ よく言うよーって思いますけど、気持ち、わからなくもないです。
ここらへんから「ツインカム対ターボ」という論争が始まりますが ・・・
まぁ、ツインカムが勝ちますよね ・・・
だって、「ツインカムターボ」を出せばいいんですから ・・・ 爆。
Posted at 2014/11/29 04:54:38 | |
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