早々に後編にまいります。勿体ぶってイイね!を稼ぐような歳でもないし。
後編は2000年9月で突然幕を下ろします。
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後編
9)第二章S8クーペがやってきた。
鈴鹿サーキットでの試乗
試乗会がAHSMという贅沢な体験の結果、S6クーペは下取りになってしまいました。私は今でもエスロクが好きです。エスハチはエスロクに比べて造りが雑な印象があります。しかしながら何と言っても各ギアの伸びが良い。まず感じたのは鈴鹿サーキットがひとまわり小さくなったような気がしたことです。それは当時の私にはあまりにも魅力的でした。
しかしリジットのエスハチというのは速いことは速いがリアサスのロードホールディングは悪い。多分ストローク不足なのでしょう。このためヘアピンでのインリフトによる失速も激しい。社長は納車時には全塗装を勧めたが、やっぱりLSDが欲しいなぁ。結局外観は現状渡しのLSD付き、S6ステアリングギアボックスを組み込んでもらって、お値段の方はバブル期でもあり現在の相場よりちょっと高いくらいでした。
この車、前のエスロクと比べあまりにも外装が汚かった故、両親には大変不評で、ある時などは正座させられて
「お前は絶対に名古屋の自動車屋に騙されている!」
と説教されたことがあります(笑)。
10)遠征開始
やっぱり立つなら真ん中が良い(1994年5月、ビスタランド大豊にて)
S800はフルシンクロなのでシフトダウンも楽。早速旧車ジムカーナへとエントリーをする事にしました。名古屋、広島、高知、、、、、、。
覚えているのは、
○「気分はジムカーナ」(オーツタイヤ主催名阪SL)
:初参加ブレーキ不調
○タイムトンネルトライアル(愛知県城西自動車学校跡地)
:クラス優勝
○JokeSpeed主催ジムカーナ(グリーンピア三木駐車場)
:新旧ごちゃまぜ40台くらいで総合5位だったかな?
○ホンダワンメイクスジムカーナ(名阪SL,鈴鹿南コース)2回
:旧車クラス優勝とA車両ブービー(GA2競技車両20数台にやられた)
○広島ヒストリックモーターカーニバル(みろくの里)
:クラス6位(これはテレビ放映があったらしい。またOT誌に激しい水しぶきの走行写真が掲載された)
○オートシロー主催旧車ジムカーナ(高知県 ビスタランド大豊)
:クラス優勝
○フォーミュラードラテクレッスン(2&4主催 名阪SL)
○クリスマスイブイブジムカーナ(同上)
:クラス優勝
等々
他にもスピマイアタック(雑誌主催のタイムアタック)
AHSM鈴鹿走行会
某ディーラー主催ジムカーナ
等々
購入後数年は殆どトラブルフリーで、路上で困った記憶がありません。そういえば右フェンダーの穴、薄いアルミ板とリベットで大胆に補修、「飛行機みたいだろ?」と嘯いていたのですが、あるイベントで若い人に
「ここにバッテリーが入っているんですね!!」
と真顔で訊かれて返答に困った事がありました。すみませんトヨタ2000GTじゃないです。
この時期になると自宅に持ち帰るトロフィーを見る度、両親の「あの名古屋の自動車屋、、」云々はトーンダウンしていったのでした。
11)エスハチRE!
スクランバザール(またですか)に「S800レーサー ロータリー FRPボディー 価格80万応談」という記事が出ていたので兵庫県のオーナーに即電話。現物を見せてもらいに行きました。置場所のことはともかく二度とないチャンスだと思ったので。
現物は大きなガレージにひっそりとしまわれていました。持ち主は60年代にACコブラを所有していたという趣味人を父に持ち、自らもレースをされているそうでした。S8でロータリーというと、岐阜でダートラに出ていた車、あるいは現在関東にある車(あるいはこの2台は同一かもしれません)が知られていますが、これはそれとは異なります。車体は総FRP、,関東のJで製作されたものと思われ、RJ用のエンジン、サニーのホーシング、ダイハツP5のホイールという化け物でした。持ち主の弁では「パワーがありすぎて乗りにくい。」ということでした。また「きちっとセッティングを出して結果を出してくれる人に譲りたい。」とおっしゃってました。
この話、欲しかったのですが肝心のセッティングを出してくれる筈の社長が首を縦に振らず結局没になってしまいました。社長が言うには「どういじっても良いタイムは出ない。もし乗りこなせるドライバーがが居るとすれば日本に3人くらい。タイムの出ないレーシングカーには何の価値もない。」との事でした。
この車を煮詰めるには重量配分の修正と4WD化が必要だったのではないか?と私は考えます。それでも今考えると惜しいことをしたと思います。結局もう一人名乗りをあげていた方がいて、その人に売却されたそうです。その後この車が新オーナーの手でイベントを荒らしまわったという話は聞きませんし、欠点は今なお克服されていないのかもしれません。
時は流れて最近偶然にもこの車を発見しました。兵庫県の旧車ショップのHPに写真が乗っています。実はずっとエーモンの社長が持っていると思っていたのですが聴き間違いであることがこの時判明しました(これヒント)。
12)スズキキャラ購入
エスハチREを諦めて以来、もう少し現実的に自走で競技に参加できる車を探す事にしました。エスの練習台にするためにはサイズの小さい後輪駆動。始めに考えたのはカプチーノ。オープンにもなるしね。ただし当時は中古でも高く、これを購入してジムカーナ車を作るには予算不足でした。そんなときAZ-1が不評なままで製造終了。ジムカーナ関係者は当初からAZ-1に目をつけていたらしく、社長からも強い勧めが。そして当時不人気で投売りをしていた(今では信じられない事だが)ので結婚前のどさくさに購入する事を決意。中古の状態のよい物(OEM版のスズキキャラ)を購入しました。
購入以降ジムカーナに傾倒していくことになります。三重県の軽自動車のショップ、トータルチューンワークス(TTW)主催のジムカーナにエントリー、さらに普通車に混じっての公式戦参加や練習会へと進みます。とはいえ結婚、転勤、子供の誕生等もあって、フルエントリ-という訳にはいきませんでした。良い成績を残せたわけでもありません。
だが一方でエスの活躍頻度がだんだん減ってきている事には、当時夢中だったので気が付きませんでした。
この時期の事についてはAZ-1ファンのサイトである「世界最小のスーパーカー(笑)AZ-1のページ」にも寄稿していますのでそちらを参照ください。
13)9月の思い出
この頃になると深刻なジレンマに陥っていました。キャラを通じて知り合った軽自動車モータースポーツの連中がホントに良い奴ばかりで(最高のメンバーだと今でも胸をはって断言できます)、そちらに顔を出す一方でエスに乗る機会がめっきり減ったのでした。また仕事では単身赴任になり、赴任先での足にジムニーの旧車(LJ20)を購入した、というのもエスから遠のく理由になりました。酷い時には2ヶ月に一度程度にまで使用頻度が減り、車の調子もイマイチになっていく悪循環。これではイカン!ということで2000年の9月初旬のAHSMに出ようと決心し夏ごろからちょくちょく乗るように心がけていました。少し前からの持病であるキャブの不調は直らず時折回転落ちが悪くなります。
その年のAHSMは天候に恵まれ例年どうり日曜早朝にはパドックに大集合。しかし出走前の点検にてラジエーターから冷却水が漏れているのを発見。量は大したことは無いのですが大事を取って出走を断念する事に決めました。パドックに車をしまうと社長がやってきて「せっかく来たのだから走ったら?ラジエーターキャップを外して圧を逃がして、水を足しながら、、、、」とおっしゃる。
いわれるままに水を足してコースイン。水温計に注意しながら2周走っては水を補給、これを繰り返す。なんだかんだで2時間楽しく走れました。
この年は幸いクラッシュも無く社長の積車は空いたまま。そこで私の車を積んで帰ってもらってキャブとラジエーターの修理をお願いすることになりました。私は滋賀のes氏のビートで最寄の駅に送ってもらう事に。なんだか段取り全てがうまくいったような気がしました。
翌月曜日は曇天。湖北の職場(単身赴任)で夜まで仕事をし、宿舎に帰る頃には激しい雨が降っていました。
翌火曜日の朝、天候は雨。いつものようにテレビをつけて身支度を始めると
「東海地方に未明から集中豪雨、堤防決壊にて大水害」
というニュースが。見れば駅のホームの高さまで水に漬かっている。場所は名鉄下小田井駅、、、、、、、、、、、、。
いつも車を取りにいく時に降りる駅ではないか!
一瞬にして全てを悟りました。なぜなら下小田井駅と名岐オートとは目と鼻の先、しかも勾配のない平坦な道、、、、。
当然その日は仕事が手につきませんでした。
昼頃になって鈴鹿の青木屋のSさんに連絡がつき「店はダメみたいですよ。社長は無事ですが。とにかく店に近づくことさえ出来ないらしい。」と言われる。
水が引くのに丸一日半かかったそうです。この水害は東海大水害とネーミングされ連日報道されていました。あとで聞いた話ではこの間社長はお店と預かった車の修復の段取りを必死で考えていたそうです。その結果、まず預かった7台の車のエンジンから水分、泥を除き錆がまわらないようにするのを優先したそうです。
9月15日祝日、陣中訪問に行くもあまりの混乱と疲労困憊、おまけに当方の準備不足もあって、かえって邪魔をしに行ったような結果に(ごめんなさい)。すでに私の車は社長の実家に避難され分解が始まっていました。私は一部電装品を分解し、自分の家に持ち帰り洗浄することにしました。かえって足手まといの結果だったかもしれませんが、そうせずにはいられなかった気持ちも察してください。
なおこの一件の写真はありません。一説では私のクーペの「STP」のステッカー半分まで泥水に沈んだ報道写真かTVニュースが存在するそうですが定かではありません。
14)おわりに そして 夜明け前
在りし日の名岐オート。オレンジのツナギが社長(パノラマカメラで撮影)
両親には
厄年だからしょうがないと言われました。
このとき私には水没S8クーペと前述の書類なしS6オープンとそれまでに集めた沢山の部品が残りました。
そしてそれよりもずっと大切な「エスを通じて知り合った沢山の人々」がいました。
数日間じっと考え、考え、考えて社長に電話しました。「僕の車の修理は一番最後でいいです。落ち着いたらもう一度そちらに伺います、、、、、、、、。」と。
結局S8クーペは再び公道復帰する事はありませんでした。空白の2年の始まりです。
この話はここで終わりです。最後まで辛抱強く読んで頂いた事に感謝します。なにぶん昔のことなので記憶違いや誤った記述があるかもしれません。また道路交通法等を逸脱した記述があるかもしれません。昔の事と笑ってお許しいただければ幸いです。
おまけ)エスハチクーペでの主なトラブル
ブレーキ不調(ジムカーナ会場)→走行自粛し帰宅→マスターシリンダーを宅配にて交換
セルモーター不調(ジムカーナ会場)→押しがけで帰宅→予備部品に交換
クラッチ切れ不良→自走可だったので名岐オートにて車検時に修理
電気式タコメーター破損→原因はプラグコード→機械式ストックに交換
キャブ不調→吹き上がりに問題ないので放置
燃料計不調→ストックのS6用と互換性なし、だいたい判るので放置
ラジエーター水漏れ→AHSM会場だったので積車で名岐オートへ。
2000年9月12日未明 水害にて水没
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最後まで読んでいただき感謝しています!