
タイトルは2008年の写真。遺品整理の頃。
10代の頃に鉄道写真を撮っていたとはいえそれは一時期だけで、その後私は写真とは縁のない生活をしておりました。一方の両親はといえばその後も写真道楽を続け、父親が他界したときには20台以上のカメラが放置されていました。遺品整理ででてきた中版カメラ、ゲテモノから動作確認。35mm一眼レフは後回し。たくさんありましたしね。
キヤノンは10台くらいあったかな?なんとなく新しいものから順番に処分(進呈)していきました。私にとって思い出がなかったからかもしれないです。
技術的に興味津々だったぺリックスをヤフオクで入手。5000円で酷いジャンクをつかまされたのでやむなく分解とニコイチに挑戦。最初のフイルムの出来栄えを見たときは感動しました。2010年の6月でした。
この経験から子供の頃欲しかったマイナーで安い一眼レフを次々とヤフオクで購入。キヤノンとは全く違う味わいがありました。ミランダには特に嵌ってしまいましたが良心的な実用品としてはトプコンユニがお気に入り。すべて父親の死後に買ったものです。
とはいえ、
基本は国産一眼レフ廉価版
オートフォーカスは×
ワインダー、モータードライブは×
電子シャッターは基本×
できれば機械式、要するにコンピュータなしを原則にしています。
そしてたとえ完動ではなくても「写真がしっかりとれる」ものだけを手元におくようになりました。
ミランダはメカ的に面白かったですね。左から絞りレバー連動テレプラス、M42アダプタ、シャッターボタン延長で自動絞り化する望遠レンズ。高級機並みにペンタプリズム交換ができます。
こうなってくると向こうからやってくるカメラもあり。試写が楽しみになったりします。
AL-1は電子式ですがベンチマークとして使っています。
単4乾電池駆動なので水銀電池仕様のカメラの露出計補正や無限遠の怪しい古レンズの動作確認などにも使っています。
マウントアダプタが深入りを助長。
ペトリはホントろくなものがなくて、実は嫌気がさしてきて趣味が終焉を迎えておりました。手触りはわかったけど写真の取れない物件が続きましたし。修理屋泣かせといわれていましたしね。大枚はたいて修理するようなカメラでもないし。
5年くらい前の事かな。
それがコロナ禍でのステイホームで再びいじるようになったわけです。
たまにファインダーが死ぬのでフイルムを入れられなかったこいつが復活
これが直ったのが大きかったなぁ、、、。露出計なし完全機械式というのもうれしい。ペトリV6
みんカラが復活のきっかけになるとは夢にも思いませんでした。仲間ができました。
このままニコン沼に突入しかけたのですが、、、、ちょっと冷静になろう!
で、来シーズンですが、ちょっと新規購入を控えて、この中の数台にフイルムを入れてみようと思っています。
フイルム1本消費に一年かかる所謂「カレンダー状態」でもいいですから5台くらいに一斉にフイルムを入れて気分に応じて持ち歩くようにしてみようかと、、、、。
と、考えてその5台を選ぼうとして自分のコレクションがとんでもない状態になっていることを思い知り愕然としているところです。←いまここ。
Posted at 2020/12/30 09:44:37 | |
トラックバック(0) |
銀塩写真 | 日記