ツイッターにこの店が正式に閉店したとの情報が。
10代の頃散々お世話になったお店であり、大変残念であるとともに少し言いたい事もあるので書き留めておきます。
ネットで拾った20年くらい前の新聞記事(だと思う。一部修正)です。関西地方で広く知られた大盛りの食堂ではありました。10代の頃は味より量。腹持ちが良くて本当に有難いお店でした。私個人は上記の御二方に随分お世話になった記憶です。
当時から口コミでともだちを連れて行ってびっくりさせるようなお店ではあったのですが、いつしかマスコミで紹介されるようになり(KBS京都の電車双六みたいな番組で森脇健児が紹介した頃から?)、他府県から過度な期待に胸を膨らませてバイクでやってくるような聖地になってしまったのでした。なお悪いことにあとを継いだ方があまり接客には向いていない感じで、いつしかネットで酷く叩かれるようになっていました。個人的には客が食べ物をオモチャにしてしまった感もあって、どっちもどっち。三方損(だれも得しない)みたいな感じで閉まってしまったのは少し残念な気もします。(あくまでも私見です)。とはいえ晩年のメニュー、チキンエスカロップは食べたかったなぁ。
さてそのくらいにして、タイトル写真を撮りがてらにそこら辺を散策。
大き目の画像にしましたが、これは古地図で明治45年版ですから100年前のものです(笑)。これを見ながら歩きます。
解説しますと、まず赤で示した道は江戸時代の旧東海道です。
画面左上端にある「ばば」駅が現在のJR琵琶湖線膳所駅になります。ここで鉄道は二股に分かれて琵琶湖側は浜大津港に行く旧本線、山側は旧逢坂山トンネル(鉄道記念物)の方に登っていきます。当時は峠の駅という感じでありました。(元々東海道線開通以前は滋賀県内は湖上路で馬場駅はスイッチバック駅でした)馬場駅から北に延びる道路が半世紀後の「ときめき坂」ですね。京阪電車石坂線(大正時代)、茶臼山のふもとを鉄道と並走する国道一号線(戦後すぐ)がまだありません。湖岸道路なんか埋め立ててからですからさらに最近です。
膳所町の文字の膳と所の間に見える鳥居が膳所神社、中学校は膳所高校、師範学校は現滋賀大附属小中学校に相当します。膳所城址はそのまま。その近くの刑務所は現在団地になっています。
黄色で示した膳所神社と馬場駅を真っすぐに結ぶ道路(完成時には膳所新道と呼ばれたらしい)に興味があり歩いてみました。ちなみに美富士食堂は膳所神社にほぼ隣接しています。

膳所神社ではイベントが行われていました。

「成瀬」の作家さんもときどきひょっこり来られるそうな。膳所高校前の久保書店

(家の前に三角の土地がある事に注意)
昔はこの道沿いには本屋さんや商店が沢山あったのですが全部すたれてしまいました。最近になって趣味でやってるような食べ物屋さんが少々。ただ休業日が多い。
面白いのはこのあたりの道沿いの土地境界は総て道に対して斜めになっています。後から強い権力にて無理矢理道路にしたのではないかと推測します。結局旧膳所市街と峠の駅までの最短路を鉄道開設前後に急いで作ったのではないかと推測するのですが、、、。

わりと元気のある風呂屋さん。

膳所駅前でお昼。たこ焼き屋の上の階にあるカフェ。Belle Equipe。ここにも成瀬の宣伝が。

940円ランチ。おいしかった。
歩いてみないとわからないことが沢山ありますね。
追記)この駅には数奇な経緯があって、馬場→大津→馬場→膳所と何度も名前を変えつつ明治時代には峠越えの大きな機関庫があったり、大正10年から昭和9年までは旅客を扱わない貨物駅だったり。大津市と膳所町が合併した昭和9年に膳所駅と言う名称と旅客扱いを勝ち取ったとか。さらに
名古屋急行電鉄の駅ができる予定だったとか、色々面白いです。
Posted at 2024/10/20 14:52:32 | |
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