
「もしかしたら・・一応病院に行ってきます。」
秋田にいる嫁さんからラインで連絡を貰ってから、実際に生まれるまでに2時間を要しなかった。
実質、病院に着いて直ぐ入院と言われてから、1時間弱で分娩が済んでしまった。
次男が誕生したのだ。
仕事帰りにメールを見て、家に帰る頃には生まれてしまったのである。
相変わらず早い・・・。
急いで向かわねば、という予断が発生する余地すらなかった。
長男の時も3時間程度で早かったが、更なるラップタイムを更新した形だ。
普通は「頑張ってくれ」とか「無事健康な子が生まれますように」とか祈ったりするシーンがどっかにあるもんだけど、ほぼ皆無であった。
いち早く子供の顔を見たいもんだが、退っ引きならない仕事が翌日に控えており、
どうしたもんかと迷う・・・
分娩に何時間も掛かっていて、嫁も現在奮闘中とでも言うのなら、
何が起こるか判らないので、GCで全力で向かったと思うけど・・・気がついたら無事に分娩は完了していたのである。
「明日仕事が終わってからでいいか・・・。」
翌日、帰省の支度だけして朝からGC8で動く。
いちにち成田での仕事だったので、そいつを片付けた段階で直接秋田へ向かった。
もう夜7時を回っていたと思う。
いつもなら、首都高速から普通に東北自動車道だが・・・成田からだと、東関道富里あたりから乗ることになる。
どうやら、北上すると空港の先で圏央道の切れ端が始まっており、西に向かって弧を描きながら常磐道へ連絡しているようだった。
今回調べるまで全く知らなかった。
常磐道で北上し、仙台の先で東北道と連絡するのが最短ルートに思えた。
しかし、何の嫌がらせなのか・・・圏央道も常磐道も片側一車線区間が異様に多く、遅いクルマが1台でもいると延々追い越せない
有料低速道路であった。
イライラしつつも、
「急いだって仕方がないぜ」自分に言い聞かせながらハンドルを握る。
仙台まではずっとこんな感じなので、気持ちばかり焦っても仕方がない。
日立を過ぎ、中郷SAを過ぎたあたりで、そういやガソリンが少ねぇな・・・高速道路上のどこかで入れないとなとは思っていたんだけど、燃料計が最後のひとメモリを割り込んでいる。
次のGSのあるサービスエリアで給油かな、と思いつつ・・
次もない、
次もない、
ん、ヤバくないか?
次はどこだろう・・・
Google先生に聞いてみると、先ほどの中郷SAを最後に次の南相馬鹿嶋SAまでの区間約120kmはガソリンスタンドがない事が判明しました。
多分あとまだ50kmはあるな・・・。
更にもう結構走ってしまっていて正直あと30kmは走れない感じだ・・・。
次のスタンドがあるサービスエリアまで辿り着かないことが走行中に判明する。
「どうしよう・・・怖い。。」
こんな田舎の片側一車線の高速道路でガス欠とか、トラックに突っ込まれて炎上の絵しか浮かんでこない。。。
モモのステアリングを握る手がびっしょりになっている。
冷静になれよ、途中のインターで降りて一般道に出ればスタンドなんて幾らでもあるだろ。
過去の
横浜町田ICのランプでのガス欠立ち往生を、思い出して戦慄している自分に言い聞かせる。
あれはループの立ち上がりライン上で動けなくなり、本当に青ざめたのだ。
次の出口で一般道に出ればいいだけのこと、慌てんじゃねえよ。
急いでグーグルマップにリクエストした最寄りのスタンドを目指す。
土地勘がなかったヲレは、この時既に重大な過失を犯していることに気付いていなかった。
実は既に詰んでいたのである。
常盤富岡インター下車。
海側の国道に出ればスタンドのマークが幾つもある。
無駄な寄り道だったが、高速でガス欠じゃ洒落にならないからな・・・。
両側が田んぼの一本径を海側に走らせる。
この先の信号と、線路を越えたらもうすぐ国道6号線が有るはずだ。
しかし、田舎で深夜とは言え、やたらと街中が暗い。
というか、真っ暗ではないか。
民家も街灯も明かりが全く点っていない。
不自然なほど生活感がない。
道路も汚く、砂利や埃だらけといった感じだ。
「何なんだここは・・・。」
スタンドの発見のことばかり考えていたヲレは、漸く自分の置かれている状況を理解し始める。
結局その先の信号機の所で、直進方向は交通規制のゲートで通行止めになっていた。
「この先帰宅困難地域につき通行止」
「帰宅困難地域・・・しまったぁ・・・。」
慌てて外気導入だったエアコンを内循環に切り替える。。

そこはもはや人間が住むことすら許されない「死の町」と言われている処だった。
こんなエリアでガソリンスタンドが営業してるとは思えない。。
もう、緩いコーナーでもガス欠症状が出る程に燃料が枯渇していた。
まずい事になった・・・
原発による深刻な被曝エリアの中核でガス欠などとは、痛恨の極みである。
そもそもこんな所に長時間居ていいのだろうか・・・。
どの位走ればスタンドが営業している街に出られるのか想像もつかなかった。
ましてや深夜11時とかである。
また僕は、これまで経験したことのない新たな戦慄に震えていた。
あと5キロも走れないだろう。
このまま無闇に走り回っても、人気のない真っ暗な市街地の隅で立ち往生するだけだ。
最善策はいったい。。。
冷静に判断すると、常盤富岡ICに戻ることだと思った。
そこまでなら走れる。
兎に角、明かりが灯っており人が居るところに行きたかった。
そして、JAFにガソリンを持ってきてもらおう。。。
それしかないと思った。
何だか外で待つのが嫌だった。
まさに読んで字のごとく目に見えない恐怖というやつだ。
何しろ、福島第一が近すぎる。。
真夜中の青山霊園のど真ん中でJAF呼ぶ方が、よっぽどマシだと思った。
待つこと1時間程で、サービスカーが到着した。
30キロ先の、南相馬からの出動なのだという。
「こんな処ですみません・・・」
申し訳なくなって、サービスカーにおっちゃんに謝ってしまった。
いいですいいです、慣れてますから。
そう言うと、手早くハイオクガソリンを給油してくれました。
同じようなパターンでガス欠寸前になり、ここでJAFを呼ぶというケースが結構多いらしく、三日前にも来たのだという。
そりゃそうだよな・・・
インプレッサみたいにリッター10キロも走らないクルマじゃ、ガソリン満タンで500キロは走れない。
そのうちの120キロメートルとか・・・
最低でもタンクに1/4以上入ってないと走りきれない距離である。
中郷SAの手前くらいで、「ここが最終スタンド」位の看板を出して欲しい所である。
何しろ、土地勘がない所では気を付けないとな・・・。
て言うか・・・もう余程の事がない限り、もう常磐道は使わないだろうな・・・。

常磐道の原発前後区間では、等間隔でまるで気温でも表示するかのように放射線量の表示がなされている。
時間あたり0.4マイクロシーベルトだとか、0.9マイクロシーベルトだとかの表示が続く。
それが果たしてどの程度のものなのか、全く実感がわかなかった。
しかし・・やはりと言うか、第一から最も近い双葉から浪江へ向かう区間での表示が、4.2マイクロシーベルトと最も線量が高かった。
まったく正直な話である。
詳しくは知らないが、自然界にも放射線は存在する訳で、太陽嵐とか天然鉱石、ラジウムやラドンなどからも放射線は出ている。
微量な放射線量であれば、それによって傷ついた染色体は回復するが、回復時に癌を抑制する因子をより多く出すようになるので、少しは被曝した方がいいという仮説がある。
それがラジウムだのラドンだのという温泉施設の健康論に由来するのだが、実はその根拠に関しての証明性が全くなされておらず、何とも言えない。
自己責任でどうぞと言う他ないのが現状だそうだ。
放射線がない世界というものがそもそも存在しない訳で、多いか少ないかというゆらぎの中で生活している訳ですね。
日本の法律だと年間1ミリシーベルトを超えないようにという配慮があるようです。
1ミリシーベルトは1マイクロシーベルトの1000倍。
毎時4.2マイクロシーベルトと言うことは、ずっと同等の空間線量だと仮定して1年間で、
4.2×24×365=36792μSv/h
ミリシーベルトに直すと、36.792ミリシーベルトということになる。
実際の値はこれに多くの係数を掛けなければいけないのだろうが、
何れにせよこの表示板付近では自然界の40倍近い放射線量が存在するということであり、当然住んではならない、入ってはならない、という扱いになる訳である。
これから新生児に会いに行こうという人間が、まったく言語道断の極致である。
JAFのサービスマンにガソリン代と敬意を払って、いち早くこの場を離れます。
それはいいけど、今日はなんだかGCの調子が悪い。
なんかエンジン音が変だし、パワーもない気がする・・・何時からだろう。
ガス欠が怖かったので、かなりの区間を回転上げずにおっかなびっくり走っていた為気がつかなかったけれど、給油をしていざ全開と思ったんだけど、何だかかったるい。
パンチがなくて明らかに遅い。
ううむ・・・またエアフロとかノックセンサーとかかなぁ・・・
何か極端に点火遅角してるか、リタードしてるようなフケの悪さだ。
ミスファイヤ気味なのか、ボロボロと不等長サウンドのような排気音が復活している。
プラグが一本飛んだのか??
水温も油温も正常、というか低すぎるくらいだ。
取り敢えず高回転まで回るし、ブーストも1.3キロまでは掛かる。
若干燃費も悪い気がするが、何だかかったるいという以外は問題なさそうだ。
途中、サービスエリアでプラグコードの嵌りや、各配管、下回りの目視点検を実施するが外観上の不具合は見つからなかった。
ただ、アイドリングに於いても排気のボロボロ音と、未燃焼ガスが濃いような臭いが若干ある。
緊急を要する感じではなさそうなので、取り敢えず無視。
向こう数日間普段の足として使えれば良い。
次の南相馬鹿嶋のサービスエリアで満タン給油をして、仙台の先での東北道接続を目指します。
仙台さえ過ぎてしまえば東北道区間はもう幾らもなくて、古川インターで降りてしまい鳴子温泉から国道108号線に入り湯沢へ方面へ。
山岳路の超高速区間で圧倒的なショートカットを図ります。
北上IC→秋田道→湯沢横手道と廻るよりも30分以上の短縮が図れるのだ。
ただ、秋田の山岳の外気温は11月下旬で既に0度付近。
エンジンを労わっているので、回転は上げられない。
インプレッサみたいな4駆は、思い切って突っ込めないとアンダーでしかないので、
ヌルヌルとフロントばっかり逃げて走りにくい。
抑えると逆に危ない。
エンジンを回さずに車速だけ乗せていくというのは、思いの他危ないものだ。
(じゃあゆっくりいけばいいのに・・・)
山間にボロボロと不調なエンジン音を響かせながら、深夜のひんやりとした夜気を切り裂いていくボロGC8インプレッサ19万キロ。
兎に角数日は堪えてもらいたい。
病院に到着したのは深夜の2時頃だった。
どうせ子供は新生児室なので、寝ている嫁が病室にいるだけだ。
長男の時のように、ストレッチャーを準備してくれていて、到着して直ぐ眠ることにした。
昨晩の生まれたという報告から殆ど眠れていなかったので、限界だった。
泥のように眠った。

翌朝、お義母さんが長男を連れてきてくれて、一緒に赤ん坊と対面した。
ううむ、健康そうでしっかりとした顔つきをしているな。
顔も、長男が生まれた時とそっくりである。
長男も自分の弟という事が理解できるのか、すっかりお兄ちゃんの顔をしている。
たかだか2歳でも、概念を超えて肉親の愛情というものが備わっているようである。
人間というのは不思議だ。

自分から頬ずりとキスをして、カワイイと言った。
そうだよな、可愛いよなぁ。
ヲレの子供だし、お前のおとうとだからな。
こういった愛情表現を、子供は一体どこで学ぶのだろうか、
学ぶというよりは、自分がされてきたことをまた誰かにしてあげようというだけの事なのかも知れない。
何も判らない子供だなどとぞんざいに扱ったら、とんでもない事になる。
こういうのを見るとよく判る。

この晩ヲレは、スチームを使って念入りに洗車をした。
洗車というより除染である。
警戒区域で跳ね上げた多くの夜露が付着しており、不愉快だった。
こんなクルマで退院のお迎えに行くわけにはいかないだろう。
神経質というひとも居るかも知れないが、好きに言うがいい。
新生児の扱いというものには、神経質過ぎるということがないのだ。
そもそも神経質の塊のような嫁が許さないだろう。
長い方の水洗い洗車ボタンを押して、必要以上に下回りの泥を流した。
エンジンルームも丸ごと水で流した。
その水が排水口に落ちて、そのまま下水へ落ちていくのを見てまた不愉快な気持ちになった。。。
今回は初日以外は、嫁さんの実家で寝泊りをした。
もちろん長男が居るからである。
6年前に、脳梗塞で麻痺を残してから大変な思いをしているお義父さんたち。
子供の世話を全て任せる訳にはいかない。
2歳、3歳なんてのは最も手が掛かるのである。
ヲレであっても、一日相手にしていたらクタクタになるものだ。
月曜祝日の連休と繋げたとは言え、会社には無理を言って2日ほど余計に休みを貰った。
5日あれば退院まで居られる筈である。
なんとかカタチになるな・・・。
日中は、長男と一日病室に居る訳にもいかないので、極力連れ出して遊びに行った。

幾らお兄ちゃんと言ったって、まだ2歳だからね。
まだまだ甘えたい盛り、きっとジレンマがあるはずだ。
つまらないプレッシャーを押し付けないようにしないとな。
遠慮して我慢なんてしなくたっていいんだぜ。
「あれに乗りたい。」
建機置き場の脇で止まれ止まれと言う。
しょうがねえな・・・ちょっとだけだぞ。
ああいう建設機械は大体鍵だけ外して、扉なんて鍵閉めないもんだ。
ちょっと拝借しよう。

小松か・・・。
HE(ユンボ)とかホイールローダーの操縦席にのせてやる。
スティックやハンドルをカチャカチャと楽しそう。
もうすぐ雪が降るだろうからね・・・
ホイールローダーにチェーンをまいたり、除雪用のブレードを付けたり、雪寒車の準備をしてあるね。
まもなく秋田は雪に閉ざされます。

退院前日、長男の時と同じように黄疸で軽く引っかかってしまった。
光線療法というやつです。
酷い値が長引くようだと退院も流れてしまうけど、そんな心配は杞憂でした。
翌日、予定通り母子ともに退院。
インプレッサで、長男と一緒にお迎えに行きました。

長男はキッズ用のチャイルドシートに格上げ。
大人に近づいたような気になるのか、小僧も満足そうです。
とにかく全てが無事済んだ・・・。
ずっと天気が悪くて寒かったけれど、子供と二人の時間が沢山取れて良かった。
食事を食べさせて、散歩をして、一緒の布団で寝て。
腕枕で寝ている息子が、うわごとで笑ってるのを見ていて幸せな気持ちになる。
「弟が出来て良かったな。」
何だかその時に初めて涙が零れた。。
本当に良かったな。
翌日には仕事なので、夕方には嫁の実家をあとにする。
この日から強烈な寒波が到来していて、街には冷たい雨が降っていた。
鳴子までの山越えが心配だった。
流石にまだスタッドレスタイヤは履いてきていない。

案の定、雨は雪に変わっていた。
水っぽいのでなかなか積もるまではいかないが、降り方だけは吹雪の様相である。
このまま降り続けたらヤバイな・・・
早めに山越えを済ませて高速に乗らないと。

山はうっすらと積もり始めている。
今日がラジアルタイヤで平気でいられる最終日だったのかも知れないな・・・。
水っぽい雪が路面でジュルジュルと言い始めた峠道を、ボロボロ言わせながら下っていく。
山を下りきっても雨ではなくミゾレだった。
再び古川から東北道に乗る。
仙台を過ぎたあたりから、再びの吹雪に見舞われてしまった。
高速道路の通行量でありながら、うっすらと雪が積もり始める程の吹雪。
視界不良になる程である。
そんな抑えのドライビングが功を奏したのか、不調であるはずのGC8でも古川から無給油で帰宅。
ガス満で450キロ近く走ったな。(それでも9キロ/L位しか走ってないが。)

何が悪いのか・・・帰ったら早く直さないと。
小僧が幾つになるまで乗っていられるかな。