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2015年05月02日 イイね!

養老渓谷

養老渓谷養老の・・・なんて言うと居酒屋を先に連想してしまうもんだけど、自分らが今回訪れたのは千葉県に実際にある渓谷。
居酒屋のモチーフは岐阜の「養老の滝」だけどね。

メジャーでもマイナーでもない独特のスポットである。
聞いたことはあるけど、実際に行ったことはない。

なんて人が殆どだと思う。


いつもの春の桜旅の相棒だが、
今期は舞台公演でなかなか自由にならず、今年は異例の早咲きだったこともあって桜を断念。

例年通りくらいだったら、東北にでも行けば丁度いいハズだったんだけどね・・・


ちょっとどっか行きたいな~という事で、前夜まで案を出し合って・・
ゴールデンウィークの最中、もっとも渋滞の影響が少なそうなアクアラインで千葉県へ行くことに。

木更津から一時間も走らないくらいの山の中に、突如現れる不思議空間


それが「養老渓谷」である。




道すがら、立派な御神木を抱える神社に足を止めてみる。
幹の太いケヤキであった。

樹齢数百年であろうか、左右に大きく張り出した梢が強い日差しを遮ってくれている。

暫しの静謐に時間が止まったようだった。



千葉ってのは不思議なところだ。


祖母の家が千葉市にあり、小さい頃によく連れて行ってもらったもので、ゆかりも深いのだけど、

一言で言うととっても田舎。



行けども行けども同じ風景で標高の高い山が殆どなく、小高い丘陵地がずっと内陸まで続いている。
郊外の里山と田んぼ・畑が延々とどこまでも続いているといった感じで、
山深いと言えば山深いんだけど、大自然といった趣はない。


どこまで行っても、「いや~、来たなぁ~」といった感慨は押し寄せてこない。


まぁ、DISってばかりのように聞こえるかも知れないけど、自分はこの風土がとても好きで、
等身大の郷土感みたいなものがとても気持ちがいいのだ。

ホタルにカエルにキリギリス。


みたいなね。


茂原にあるサーキットにもよく行ったもんだけど、行くまでの道のりが楽しかったりする。
「千葉」って感じなんだよなw






可愛らしい養老渓谷駅。
小湊鉄道ではやはりというか、suicaやPASMOなどは使えないみたいです。

今回も当然ヴィッツで来てるんだけど、電車で来たら遠いんだろうなぁ・・・


最近はやってないけど、鈍行でトコトコ行く旅も好きなんで、悪くないかもなぁ。
お座敷列車とかで駅弁とか食いながら旅したいな~。




旅館街の合間にあるキャンプ場の駐車場に駐めて、
2時間程度で廻れるというハイキングコースを散策してみることに。

いま思えば散歩コースといった感じかw



養老温泉があるということだったんだけど、温泉???
と少々疑問だったんだ。

それなりの山もないのに火山や温泉など出るものか。
湯けむりもうもうといったイメージは千葉には皆無ではないか。

湧水をチョロチョロながしている手洗い場のような所があって、それは確信に変わった。

薄い泥水のような茶色く濁った水が出ている。


「これは鉱泉だ。。。」


山梨の増冨だってちゃんと温泉とは言わず、鉱泉と謳っているではないか。
沸かしの鉱泉だってちゃんと効能はあるのだから、
正々堂々正直に勝負してもらいたいと、堅いことを思ってしまっただ い である。






とても天気が良かった。
真夏日と言える気候で、裸で川遊びをしている子供がたくさんいました。


川面が谷の深いところにあり、
川の流れも緩やかなこともあって波立ちが殆どない。

鏡のようになった水面に対岸の新緑が映り込みとても美しかった。


藤やヤマツツジが五月の日差しに映えている。








何だか独特の渓谷美であった。

普通であれば、深山幽谷に清冽な沢水が迸り、半袖では肌寒いような透き通った風が吹き抜けているのが渓谷のイメージであるが・・・

関東ローム層を侵食しながらゆっくり流れてくる溜池のかんがい用水には、鯉や小鮒がゆっくりたゆたい、新緑の広葉樹林の光る枝葉が水面に乱反射して汗ばむほどである。


ここは既に初夏であった。





不思議な形をした素掘りのトンネルを一瞥すると、ちょうど折り返しと言った感じで、山向こうをぐるりと回って帰ってくる塩梅だった。

そこから先は殆どが只の車道で、特に見所もなくハイキングコースと言った趣はない。

今となっては、同じ道を引き返すくらいがちょうど良かったように思う。



温泉街のハイキングコースを後にして、最大の見所といえる粟又の滝へ。

通称「養老大滝」である。


そして、異世界への入口はこんな所に存在した。



滝入口の門のような所があるんですが・・・何だかおかしい。
初めて来て足を止めない人は居ないんじゃないだろうか。






奇妙な手彫りの木像群
手彫りというよりも、流木の形状をそのまま生かした彫刻とでも言うのかな、

やたらとおっぱいを強調していたり、鮮やかに着色がなされていたり、薄気味の悪い艶めかしさの誇張にひたすら目を奪われる。。。


なんだかこわい。



これは一体何なんだろう・・・あまり見ていると毒気にやられそうです。



肝心の滝はこのていたらく・・・。

渇水期で溜池から水を流していないんだろうか。
書き入れ時なんだから、連休くらいダムから流せばいいのに・・・なんて余計な心配までしてしまいます。


やっぱり紅葉シーズンがメインなのかな~。



楓の大木が両岸にせり出している所を見ると、恐らく紅葉シーズンは壮観でしょうね。

きっと凄まじい人出でごった返しているのに違いありませんが、
真っ赤に染まる養老渓谷が、水鏡に燃え上がるように反射するのでしょう。



関東でも最も遅い11月下旬が紅葉の最盛期ということでした。



最後に相棒に撮ってもらった写真がきれいで、
リバーランズスルーイットみたいで何か良かったな。





そして帰り道、またまたちょっとした巨樹に寄り道。


「賀恵渕」のシイと言って、君津市の天然記念物です。
樹齢は5~600年というスダジイは、太く隆々横に伸び、独特の樹様を呈している。


見た瞬間に、「ああ、神様なんだな。」そう納得せざるを得ない存在感がそこにはあった。




桜のオフシーズンは、こういった巨樹を巡って回るのもいいなと思ってしまいました。



魅惑の房総紀行






Posted at 2015/05/08 02:33:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | far away | 旅行/地域
2014年11月16日 イイね!

追憶のユーシンロッヂ

追憶のユーシンロッヂ仕事仕事、子育て子育てで、ヲレの時間はほぼ皆無。

ま、それは初めから承知の上ですが・・・やはり、何事も両立してこそ一流。
季節を愛でる余裕もないんじゃ、この先大成もしないだろうと自分に言い聞かせ、
ちょっとしたトレッキングに行くことにしたんだ。


ぺったんこ組山岳部の連中には大体声かけしたんだけど、殆どがNG。
まぁ、年末も近いし仕事も忙しいだろうから仕方がないけどね、

久々にクネ太郎とのタンデム旅となった。


最近はお互い子供も小さいし、
ヲレも土日となく忙しくしてるせいで、クネとはあまり遊べてないな。。。

昔は朝まで一緒に走って、お互いどっちかの家に泊まって、
日曜日はダラダラDVD見たり、車弄ったりして遊びすぎだよって位だったもんだけど、
仕事や家の事が忙しい年齢になってしまった・・・

もう少し落ち着いたら、そんなゆとりを取り戻したいもんだ。




まぁ予定としては、丹沢の塔ノ岳辺りをヤビツからピストンする日帰りガッツリコースで行こうと思ってたんだけど・・・ヲレもちょっと日頃の疲れがあったことと、クネも自信がなさそうだったので、紅葉を観ながらのゆっくりハイキングに切り替えました。


丹沢湖に流れ込む玄倉川。
この非常に清冽な沢を10キロ程遡ると、国民宿舎ユーシンロッジがある。
現在は休業中なのだが、知る人ぞ知る紅葉のメッカであり、
秋になると多くのハイカーが訪れて、赤や黄色に彩られた丹沢の錦秋を楽しんでいる。

鍵付きゲートがありクルマで入っていけないので、
半舗装の川沿いの道を、てくてくと片道10キロ。
河原や、ユーシンロッジの庭で持参したお弁当を食べて、また10キロを歩いて帰るのが定番だ。

高低差は400メートル。
ゆっくり歩いても片道3時間半って所で、にわかでも子連れでも大丈夫だ。

だがしかし、道程には途中で折れ曲がった照明の無い長いトンネルなどがあり、懐中電灯などがないと漆黒の闇になるなど、野趣に富んだスポットも存在する。

神奈川の外れとは言え、高速を乗り継げば1時間とちょっと。
こんなに近所に、想像もできないほどの深山幽谷が存在するのだ。



ちょうど紅葉が最盛期だったと思う。
多くのハイカーが目標を同じくしていた。

都会では人が多過ぎて、近所でも挨拶など忘れてしまうが、
山では笑顔で挨拶し合うよ。

本当はみんないい人たちなんだから。






大小8つのトンネルが有り、ポタポタと冷たい雫が首筋に落ちてくる。

来月四十路になるクネが奇声を放ったり、変なテンションになっている。
きっと仕事のストレスとかが半端じゃないんだろうな・・・


「もう来月40なんだから少し大人しくしなさいよ。」

と冷やかすと、再びどこから出しているのか解らないような奇声を出した。
30メートルほど先のカップルが振り返ったりしていました。





美しい紺碧のせき止め湖や、趣のある素掘りのトンネル。
これらは実は、小学生の頃に見覚えのある懐かしい記憶である。

30年位前かなぁ・・・


その頃に通っていた美術教室の課外授業として、丹沢に登山というのがあったんだ。
保護者同伴で一泊の旅行だった筈だが、

世田谷育ちのヲレには大冒険だった。








今考えてみれば、山登りなんかロクにしたことのないウチのちっこい母親が、
同伴とは言え、靴やらザックやら、道具を全部揃えていきなり山小屋泊の丹沢縦走である。

大変だっただろうな・・・。

でもヲレは、その記憶があったから自然に興味を持つようになったし、
美しいと感じるこころねになった。


やはり子供の頃の記憶が全てなんだなぁ、そんな風に思う。


この橋を渡ればユーシンロッジがある。
流石に懐かしいと思うほど覚えてはいない。

ただ、川の水が冷たく透き通ってきれいだったこと、
水遊びが楽しかったこと、
トンネルの中が真っ暗で怖かったことなんかを覚えている。


ウチのチビが3歳くらいになったら連れてこようかな。

きっと忘れられない冒険になるだろ。





ユーシンロッジ到着。
明るい庭先でみんなお昼にしています。

自分たちは河原でご飯にしようかね。



先ずクネのカップラーメンから作ってあげようかな。
普段はあまり食べないインスタント麺。
でも、キャンプや山登りだと無性に食べたくなるんだよな。


あれ、ちょっと待って。









あれ。









炭酸水じゃねぇか!
いろはすスパークリングw

コーヒーやラーメン用に水を持ってくる約束なんだけど、
まさかの炭酸持ってきちゃったのかよ・・・。

ヲレも1リットル位しか持ってきてないし、参ったな~。




取り敢えず、コイツでラーメンを作ってみることにしましたwwwww
変にみかんとかりんごの味付きじゃなかったので、炭酸飛ばしたら只の水でしょ。

でも、どれくらいで炭酸って抜けるんだろ・・・。

写真はまだ沸騰していません。
炭酸水を火にかけると、沸騰したような泡がぼこぼこと激しく出るので、いつ沸騰したのか判らないです。
なんかバーナーの火もやたらと弱くて尚更判りにくい・・・。



結局、湯気が出るあたりで沸騰に切り替わったようで、
何の問題もない、只のお湯になってしまった。

ラーメンも普通に出来ましたw





帰り道も、長い長い真っ暗闇のトンネルを抜けて帰ります。




古い友達と、くだらない話をしながら一日ハイキング。
これはこれでなかなか楽しい。



「40かぁ~流石にもういい加減只のオッサンだよ、いよいよ終わったな!」

「だいちゃんだいちゃん・・・自分もスグだし。。そのクダリ、10年前に全く同じことやってるから・・・。」

「30ってもう10年前なのかよ・・・。」

「多分10年後にも同じこと言われるよ・・・。」

「もう50かよ、終わったなみたいな。」

「還暦でも言いそうだな・・・。」




バカ話しながら、玄倉まで到着~。
何だかんだ一日中歩いていたので結構な運動量だね。

クネもいい運動不足の解消になっただろ。


大昔もここからバスで帰ったのは憶えてるな~。
18時台がすっぽり無いので、17時30分発が実質最終と言ったバス停である。


クルマで帰れるのはラクチンだな・・・

なんて思っていたが・・・
よく考えてみると、土日の夕方に神奈川の西側に居るって事がまず問題で、
東名使おうが、小田厚使おうが、246使おうが、大渋滞は不可避で、
只でさえ夕方は混むのに、紅葉シーズンの最盛期が大渋滞に拍車をかけている。


いつもならヤビツ峠で相模原までショートカットが一番速いのだが、
秦野まで行くこと自体が既に厳しそうだった。

相当遠回りだけど、止まらずにずっと走り続けられる帰り道が一つだけあるよ。
御殿場側へ小山町まで下って、三国峠から山中湖、道志みちで戻るルート。


これしかないね。


三国峠も懐かしいな・・・ドリフトのメッカだった峠で、10年位前にクネとよく通ったけど、
前走ってたクネのGCがエンジンブローして終わったんだよな。

ローダーで取りに来たっけ。





色々懐かしいッス






Posted at 2014/11/29 02:25:37 | コメント(3) | トラックバック(0) | far away | 旅行/地域
2014年08月13日 イイね!

北の最高峰へ

北の最高峰へお盆は嫁の実家へ里帰り。

なんですが、嫁は一足先に新幹線で帰省。
自分は若干仕事が残っているので、数日遅れで帰ります。


ギリギリまで凡雑な業務を済ませて、一日だけ近所の幼なじみと山登りをしてきました。



「日光白根山」 2578メートル 
日本百名山のひとつ。
奥白根山ともいわれ、草津の白根山とはまた別の山である。
日光火山群の最高峰であり、関東の最高峰でもある。
関東以北にこれより高い山はなく、以北最高峰とも呼ばれている。



早朝7時過ぎより登山開始。
家を出たのは午前3時である。

大型台風通過後の不安定な天気図の中、この日のこの地域だけが不思議と晴れ間を見せてくれた。



雨上がりの宝石を横目に、深い森林から始まる登山道を行くのである。



一時間半も登ると、小さな山上湖に出た。
弥陀ヶ池(みだがいけ)という。

箱庭のような美しい景観である。





木道の奥にそびえるのが、目指す奥白根山である。
れっきとした成層火山であり、 独峰らしい広い裾野が威風堂々としている。


公平も久々の登山に、豊かな気持ちになっているようだ。



森林限界を超え、ゴツゴツした岩場を超えていくだ い 。
急激に険しい本格登山になる。




とても景観のいい登山で驚いた。
人気の山なのも頷ける。

大半の登山客は、ロープウェイで山頂近くまでアクセスするルートを取るが、今回私たちは、標準7時間という若干長めの、丸沼スタート五色沼周回コースをとっているので同胞は少ない。


山頂には、老若男女を問わず、多くの登山客で賑わっていた。
火成岩である安山岩のみで構成される山頂はゴツゴツと積み重なっており、足場が悪い。


気温は22度であった。
日差しがなければ半袖では過ごせないであろうヒンヤリした風が吹いてくる。



スタート地点である丸沼、菅沼、中禅寺湖と男体山も見える。
通ってきた弥陀ヶ池、これから目指す五色沼も見渡せる。


非常に稀有な、美景観を誇る山頂であると感じた。

関東以北はあまり攻めた事がないので、大収穫である。







ダイナミックな夏の登山という趣を、存分に感じることができる。



名前は判らないが、高地のカミキリムシだろう。


エメラルドグリーンに輝く五色沼。
福島の五色沼ともまた違う。

秋の彩りの中で、見事な「五色」を見せる美しい山上湖である。

湖畔まで降りて昼食を摂ったり、昼寝をしたり満喫させてもらった。
しかし、かなり道程が増えるこのコースは割と閑散としており、2時間近く湖畔で過ごしたが、数組のパーティとしか遭遇しなかった。

ゆっくり歩いても、暗くなる前に帰路につけるいいコースだと思うのだが。



君はすぐに判るよ、アサギマダラだよね。
大きくて立派な蝶だよ。

日本では高原でよく見かける蝶ですが、
海を渡って何千キロも旅をする不思議な蝶なのです。

国蝶にもノミネートされたことがある格式の高い種類です。




時間的に余裕があったので、無理して膝などを痛めることもなく、
適度な疲労感で無事登山を終えることができました。

帰ってから少し休憩したら、夜のうちに高速に乗って秋田へ向かわなくてはならないので、
疲れきって帰るわけにはいかない。

大きなダメージを残さないように温存しながらの山登りでしたが、満喫できましたね。






とても美しい登山でしたよ。



まるで手品のようなケルン
Posted at 2014/08/23 03:09:56 | コメント(3) | トラックバック(0) | far away | 旅行/地域
2014年07月21日 イイね!

弾丸トレッカー

弾丸トレッカー梅雨が明けたと思ったら、尋常ではない熱波が列島を襲っていますね。
皆さんも熱中症などは大丈夫でしょうか。

レーサーの度重なるイベント催促猛プッシュに圧されていた僕は、
この辺で一発!キツイ登山でおとなしくさせとこうと思い、八ヶ岳を計画していたんだけど、ワンゲル部レギュラーメンバーが軒並み来られずで、レーサーとタンデムで行くことになりました。


来られなかった連中には悪いけど、来月あたりでも行く予定なので、そこでみんなで登れればいいかな。


自分も随分行ってないので、身体もなまっちゃってる感じ。
リハビリがてら、ガチなの逝っとこうという訳です。


梅雨明け初日であった事もあって、山側はまだちょっと不安定が残る。
出がけには曇り(場所によって小雨)、
昼前には晴れ間が見えるが、また午後はちょっと怪しくなる予報だった。

行きの高速ではちょっと降られたが、登山口では曇ってるものの降りそうな雰囲気はない。
これは登ってる最中に晴れてくるパターンかな。


という訳で決行です。


それはいいけど、初っ端から行程に誤算が・・・

予定の登山口(美濃戸山荘)までは、車道があるという話だったのだが、ノーマル車高の乗用車がやっと通れるという起伏の大きい未舗装路。

僕のイプ太郎では、しこたま下回りを打ちまくって残念な事になる悪寒。。。

大事をとって、舗装路が来ている一段下の駐車場(美濃戸口)から歩くことに。



往復で2時間にもなるロスタイムが確定した。



しっとりとした空気の八ヶ岳山麓。
とても涼しい。

登り始めで標高1500メートルはあるので、下界とは10度程の温度差があるだろう。


この日、麓の甲府などは35度に迫る勢いだった。



割とメタボは抑え込めているというレーサーだったが、
それでも70キロ近くある体重に、足の筋力が悲鳴を上げているようだった。


キツそうだな・・・。


僕はというと、
肩の怪我の入院のあと、夏風邪をこじらせて肺炎寸前にまで衰弱し、痩せていた。
61~62キロあたりで基本的に動かない筈の体重が、56キロにまで減退。

登りがスイスイ行ける。



「やっぱ登りは軽量マシンですね・・・。」



レーサーが後ろで呟いていた。



高原の植物特有の、フラボノイド系のフィトンチッドに満ちている。
こういった森の香りは雰囲気だけではなくて、実際に殺菌作用などがあるらしい。


癒されるというのは、もっと物理的な部分なのかもしれない。




八ヶ岳の三男坊「阿弥陀岳」を横目に、主峰連なる稜線へのバッファエリアである行者小屋に至る。
これまでも結構キツかったが、ここが入口なのだ。


「なぁレーサー、これがヤビツ峠だったら、ここはさしずめ蓑毛ってトコロかね。」

「ホント、勘弁してもらいたいですよ・・・。」




しかし、それはあながち嘘でもなかった・・・。

長く険しい地獄の急登攀が待っていたのである。
地形図上で、ここまで等高線の幅が狭い登山道を、これだけ長い距離でクリアした事があっただろうか。。。




富士山だってもうちょっとジグザグ登っていくもんだけど・・・
鎖にしがみつかないと登っていけない岩場の急傾斜を、ほぼ直登である。

お地蔵さんも、傍らで見守ってくれている地蔵尾根。


ここを登り切れば、赤岳から横岳への稜線上に出る。



稜線上へ出た。

「地蔵の頭」である。
バックに見えるのは次峰「横岳」今回の目的峰である。
そのまま北上して、硫黄岳を辿り、来た道とは別の沢から美濃戸口へ戻る工程だ。


主峰「赤岳」を踏んでいきたい衝動に駆られるが、逆方向。
帰還が難しくなるので、今回はここから見るだけ。

やっぱフラッグシップは風格が違うなぁ・・・。


また、隊を組み直して挑む所存である。



地蔵尾根を下っていく人々。

ここは下りの方が厳しいだろうな・・・
しがみつきながら下りるのは、足場が見づらいからね。



格好をつけているけれど、まだ半分も来ていないのである。
本来は目指すピークで食事をしたいものだが、既に午後を回っている。

晴れているのも今だけかも知れないので、食事を摂ってしまおう。




いつも色々下調べをして、これが美味いあれが美味いと凝った料理を作るレーサーだが、
面倒くさがりな僕は、いつも塩ラーメン、もしくはチキンラーメンにチーズを入れて、おにぎりで食べるだけである。

こんなんでも、山で食べると最高なのだ。



さてさて、天気も怪しくなってきたところで横岳を目指す。
ここも殆どが鎖場で、巨岩奇岩の間をよじ登っていく。


八ヶ岳きっての難所であろう。





深い雲の中に突入しましたが、
そこは、絵に書いたような高山植物の花畑になっていました。







遂に横岳登頂。

横岳は、赤岳から硫黄岳へ向かう縦走ルートにある岩場の総称で、
横岳という峰自体は存在しない。

奥の院と呼ばれるピークが横岳とされている。


標高は2829メートル。
八ヶ岳の二番峰である。


あいにくの景色が残念ではあるが、崩れる覚悟はしていたので、
嵐に見舞われなかっただけラッキーと思っている。

余りゆっくりしている時間は無さそうなので、程なくして出発。



高山植物の女王、コマクサが見頃を迎えていた。

盗掘や登山者の足に荒らされないようになのか、高圧電流のネットが張られていました。



やがて、切り立った岩場は形を潜め、平たい石が敷き詰められたなだらかな登りに差し掛かる。

霧の中に大きなケルン(石積みの塔)が等間隔に出現し、
硫黄岳への登山道を示唆してくれていた。


濃い霧の中での硫黄岳登頂である。


レインウェアを出すか出さないか、迷う程度の小雨が降っている。
大丈夫かな・・・そのまま行こう。


ここからは直滑降というくらいに、一気に麓まで下るだけ。

雨などすぐに止んでしまう筈である。




厳しかった・・・軽く膝をやったかも知れない。

上りは消費でしかないけれど、下りは消耗という感じがする。
ペース配分を間違えると、確実に足を痛めてしまう。


日帰りで時間がなかったことと、テント泊の縦走ではないので明日のことを計算に入れない全力下り。


ホントにくたびれたな・・・。
テン泊や山小屋泊だったら、明日活動出来ないやりかただったな。。。

自分の限界を探るにはいい山行だった。




美濃戸口へ帰還する頃にはすっかり暗くなり、ヘッドランプを点灯させながら下りてきました。
自販機の前で一服と、計画の確認。


レーサーはなにやらスマホのアプリで、いろいろと計測していたようで・・・
驚愕の事実が発覚。


地図上の平面距離で21キロメートル以上も歩いてしまっていました。

しかも、ギザギザした尾根を登ったり下りたりの繰り返しで、累積の上り標高が、3300メートル以上!
富士山の一合目から頂上目指すより登っていましたね・・・。


足が棒になる訳だ・・・。

一息ついてホッとしたら、寒くもないのに身体がガタガタ震えて焦った・・・
緊張が解れたら、ショック症状のようになってしまったみたいだ。


それだけ過酷だったんだろうな。



厳しかったけど、高い充実感のあるいい登山だった。


今度は晴れた日に、硫黄岳から赤岳まで縦走ってのをやってみたいね。
赤岳あたりで一泊して二日に分けようw






次はみんなも来いよ!



Posted at 2014/07/26 20:46:06 | コメント(5) | トラックバック(0) | far away | 趣味
2014年05月02日 イイね!

手術入院顛末記

手術入院顛末記五月連休の直前、急遽肩の手術で入院が決まってしまった。


診察による骨折の発覚が、ずいぶん遅れた事が原因なんだけど、連休直前ということでその先生も首を捻る。

場合によっては、自然療法(何もしない)も有りだというんだけど・・・痛みが残ったり後遺症が残る可能性が高いという。
連休前だから面倒なんだろうな、とは思ったけど・・(^^;;
いやいや・・自分にとっては、連休前だからとかそんな場合じゃなく、どんな予定をひっくり返したって完全に修理したいです・・・一生の問題なんで。


という積極的なアピールの末、なんとか月内の30日に手術を取り付けました。


先生は元々東京医科大学の准教授らしく、
現在は医師不足に悩む地方の赤字病院に力を貸すべく、派遣医師として茨城の鹿島労災病院で副院長として尽力されている方だった。
週に一回だけ、診察の手助けで多摩の病院にいらっしゃっているらしく、
それでたまたま診てもらえた事が不幸中の幸いだったんだと思う。

手術となると、茨城の病院でないといけないので、
・・・で、どうする? という話だったのだ。

行きますとも行きますとも。
手術だけの話なんだから、千葉でも茨城でもどこでも行きますとも。



28日からの入院。
祝日を挟んでいるせいで、入院が一日早まってしまった。

人生初の入院生活が始まったのである。


これまで、手術だ入院だなんてのはただの一度たりともない。


「先生、結構厄介な手術なんでしょうか・・・。」

「症状を把握するのが難しいだけで、手術自体は訳ないよ。」

「でも全身麻酔なんですよね。」

「実際、やっちゃえば1時間ちょっとじゃないかな、ちょちょっとやって直ぐだよ。」


なんだよ~、手術なんて初めてだからちょっと構え過ぎたかな。

検査のために前入りして手術。
あとは、術後の経過診ながら数日入院するだけでしょ。


これまで忙しくしすぎてたから、強制的に一人で過ごす休暇をポンと貰ったようなもんかな。
iPadとか、読んでなかった文庫本とか持っていこう。

京極夏彦の百物語シリーズ、読みかけのがあったな・・・。



怪我人のくせに、割り切りすぎて逆に楽しみだったり、呑気なもんである。
まぁ、アトで大恐慌に陥るわけだけど・・・。


鹿島労災病院は、茨城県神栖市の一番銚子寄りに位置した海岸線にほど近い大型病院だった。
自動車で行くと、下道を走る時間が長く、地図で見るより遥かに遠い。

電車バスでうまく乗り継いでも4時間という。


関東の最僻地ではないだろうか。


肩の手術ということだったので、公共の交通機関も考えたんだけど、
先生ですら、クルマで来た方がいいよ~と仰る始末。


「最寄りの駅からすら、すんなり来られないからね・・・、オートマでしょ?」

「マニュアルなんです・・・。」

「マニュアルか・・・。」

「無理してクルマで来ない方がいいかも・・・。」

「・・・。」



まぁ、昔にちょっと左手を怪我したときにも、右手でシフトチェンジしてた事があるし、
電車バスで4時間の凡雑さを考えたら、クルマ以外の選択肢はなかった。


入院当日、川崎からアクアライン経由で向かったのは失敗だったかも知れない。

大型連休初日ということもあり、首都圏を高速で抜けるのは危険な気がしたからなんだけど、
多少渋滞しても、首都高湾岸線から東関道を抜ける方が早かったかな。


木更津から千葉の山の中を縦断して、茂原を経由して九十九里。
四時間近く掛かってしまった・・・。

渋滞は全然ないけれど、タラタラと下道だけでいくのは思いのほか時間がかかったな。



行きだけは嫁が一緒に乗ってきたので退屈はしなかったけど、
保育園の時間もあるので、結局すぐ帰すことになってしまった。。

四時間も掛かったからな・・・


やっぱり時間というものは、金やスピードで買うものだなと改めて思ったのだった。



手術前の29日は、お菓子を沢山買ってクネがお見舞いに来た。

ちょうど祭日だったこともあるけれど、まさかこんな関東の最果てにまでわざわざ来るとは思っていなかったから少しびっくり。

嫁さんと娘は、海に寄って海岸線に置き去りにしてきたという・・・。

別に、連れてくればよかったのに。


クネは昔から、自分にとっての大事なものを、他の事と一緒くたにしない所がある。
別に、角が立ちそうな事でもなさそうなことでも、計画的に分けていく。

ヲレなんかには判らないけれど、誰かに気兼ねして言えないことがあったり、気遣いを両立できなくて、どちらかを蔑ろにすることがあったら嫌なんだろう。


細かい性格だな・・・


しかし、脱臼の手術くらいで、こんな所まで来るなんてな。

友情を超えた何かを感じるな・・・。



他愛も無い話をしただけで、30分程で帰って行ったけど、
何ていうのかな、義理堅いというのとは違う。
義理だけで来られてもヲレは多分返せないから。

肉親に向けたそれに近い。


あたりまえのように来る。



日中寝過ぎてたり、何もしていないこともあって全然眠れない。
手術前夜は、ひたすら本を読んで過ごした。


手術に対する怖さはもちろんあったけれど、とても漠然としていたので、
不必要にうろたえはしなかった。


いたずらに怖がったって怖がらなくたって、どうせ避けることは出来ないのである。

ギリギリまでのんびり過ごして、気がついたら終わってたってのが理想だった。



手術前、点滴が始まった。
前夜から飲み食いが禁止されていたので少し喉が渇いている。

前のオペが押しているらしく、予定の時刻になっても手術室が空かなかったが、
30分遅れくらいで看護婦さんが呼びに来る。


手術台までは自分の足で歩いて行った。


普段見慣れない物々しい設備や機材が並んでいた。
やはりどきりとした。
これから切り刻まれて、骨をドリルで穴あけしたり金具で留めたりするのだ。

強がって考えないようにしていただけのハッタリ根性が、本当に観念した瞬間だった。


二三人くらいでやるもんだと勝手に思っていたんだけど、
七八人だったかな、思いの外スタッフが多くて逆に縮み上がる。

二トリルゴムの手術グローブを着けた両手を、肩くらいの高さで中空にかざす仕草は、ドラマなんかで見るそれと一緒だった。


自分でも滑稽だと思う程、深々とお辞儀をして"よろしくお願い致します"と言った。


手術台に促され身体を固定されると、透明のマスクを装着された。

"これが麻酔なんだっけ"と思いながら、二回目まで大きく吸い込み、
三回目までに意識を失ったと思う。




手術後1~2時間で目は覚めたと思うけど、
余りの術創の痛みに身体も気持ちも萎縮し過ぎてしまい、翌日の朝くらいまでの殆どの事を思い出せない。
夜中に一度だけナースコールを押して、痛み止めを追加してもらった事だけは覚えている。

辛かったな・・・


あそこまで痛いもんだとは思っていなかった。


ボキリと折れてしまっていた肩甲骨はチタニウムのボルトで貫通固定され、
それだけだと強度的にイマイチなので、鎖骨も橋渡しでプレートでつないで補強。

肩の中は金具だらけになってしまったからね・・・




ちょっと身じろぎするだけで、体の芯から響くような激痛が走り血の気が引いて、震えが来る。
ショック症状に近い状態になり、体温が上がってしまう。


肩って色んな神経や、靭帯、筋肉が複雑に集中してるから、手術はやっぱり痛いらしい。


次の日の夕方くらいでやっと痛み止めが効くようになってきて、
いつまでも続くかのように錯覚した苦しみの無限ループから、漸く抜け出せた。


なるほど・・・手術とはこういうことか・・・



その翌日、手術から二日後には予定通り退院しました。

MT車を自分で運転ですからね。
もう少しループ脱出が遅れたらちょっと厳しかったな・・・




折角こんな所まで来たのだから、真っ直ぐ帰ってしまうのは勿体無い・・・
などと思ってしまうヲレ。

クルマの運転もやっとな病み上がりのくせに、根っからの旅猿が疼いてしまうのだ。


よしよし、ちょっとだけ・・・犬吠埼だけ観て帰ろう。



銚子の駅前の通りを行くと、程なくして線路を渡る。
その先の畑の中の長い一本道を走り切ると、犬吠埼はすぐだった。



入院中の窓からは、殆ど灰色の空しか見えなかったけれど、
久しぶりに突き抜けるような晴天に。


真っ青だなぁ。


こんな日にクネを連れてきてやりたかったな。





外洋からの波濤を受けて白波砕け散る荒磯というイメージでしたが、この日は穏やか。
風光明媚という言葉がふさわしい素晴らしい見晴らしでした。




白亜の犬吠埼灯台と、郵便ポスト。



各地で真夏日を記録したこの日。

砕け散った波飛沫は、そのまま水蒸気の粒になって熱気と共に崖を駆け上がってくる。
Tシャツ一枚でも汗ばむほどの陽気でした。





岬の風景です。

何だか、三浦半島と雰囲気が似てるかな。




さてさて、暗くなる前に帰りたいからね、出発しないと・・・


利根川ののどかな水郷ラインをゆっくり抜けて、香取市の里山の脇道をはいってゆく。

馬頭観音のある分岐を曲がる。

起伏のある土手を越え、鎮守の森の木陰を抜けたら、インターまでの県道に出た。

五十年くらい変わっていなさそうな里山の風景が、そこかしこにあって、
いちいち立ち止まってしまいたくなるのを堪えて走った。






また来てゆっくり廻って、写真でも撮りたいな。


手術入院の帰りであることも忘れて、すっかり旅気分になってしまったよ。


右手シフトチェンジでヒール&トゥw


Posted at 2014/05/04 01:53:26 | コメント(12) | トラックバック(0) | far away | 日記

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だ い です。空白が二つですw 板金塗装と整備をちょこっとかじってマス。
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