
ケーコの御父さんが脳内出血で倒れたのは、
もう先々月のこと。
激しく狼狽して情報を待ったが、
一命は取り留めたが、
半身の障害が残ってしまうらしい。
遠かろうが直ぐにでも駆けつけようと思ったが、
本人の意思で、当分は面会謝絶。
精神的に、落ち着いてからの方がいいということになった。
そもそもその頃イプ太郎は、廃車寸前の解体状態だった。
そして、イプは組みあがり、
御父さんもかなり落ち着いておられるらしく、
お盆休みにお見舞いに行くことになった。
出発する金曜日は、仕事を昼で切り上げて、
お見舞いの土産を買っていかなくては!
先に秋田入りしているケーコに電話して聞く。
「なぁ、御父さん何が好きかなぁ・・・」
「お父さん好き嫌いが激しいから適当に買ってきたって食べないよ。」
「だから聞いているんだよ。」
「前に食べたのを見たことがあるのは、鎌倉の有名なケーキ屋さんの・・・」
「歐林洞か・・・あれなら確かに食べそうだな・・・。」
「お土産なんかいいから、早く来てよ。頼みたい仕事が結構あるみたい。」
「だからって、手ぶらっつう訳にはいかんだろ。」

去年AEGCさんチから引き上げてきた廃タイヤw
01年製のダンロップ。
2.5キロとパンパンに空気を詰め込んで、東北道をブッ飛ばします。
土日1000円とお盆休みが重なるので、結構覚悟していったんですが、
深夜に出たせいかな?
全くのノンストップ。
650㎞の道のりが、5時間程度で着いてしまった。
あんまり速く着くと怒られるんで、
秋田道の錦秋湖PAで2時間ほど仮眠。
扉の写真は、森の中のようですが、緑陰駐車場と呼ばれる木陰の駐車場で、
峠道で路上駐車するような不思議なスペース。
眠っているとケーコから入電。
「え?・・あぁ・・・もうすぐ着くよって言っておいて・・・。」

秋田は台風4号の影響で、雨が降ったり止んだり。
それでも、一瞬の晴れ間で一気に気温が跳ね上がり、外に長時間居ることが辛くなる。
こんな不安定な気候の中、
御父さんは、20日の予定を大きく前倒しにして、
既にリハビリセンターを退院していた。
しかも、既に自立歩行までしている。
麻痺からのリハビリによる克服は、そんなに簡単なものではないと聞いている。
御父さんは決して軽症な部類ではなかったはずなのだ。
左半身に致命的な障害が残り、
歩けるようになることすら難しいとすら宣告されていたのだ。
もともと胃がんの手術で、胃を全摘出している御父さん。
そもそも身体もそんなに強い方ではないのに、
胃を取ってから尚更痩せてしまった感じがある。
その御父さんの唯一の楽しみが社交ダンスだった。
この間の連休で挨拶に訪れた時には、
昇級の試験があるのだと、不敵そうな笑顔を見たばかりだったのだ。
神はそれすら奪い去ってしまうのか・・・。
ヲレに出来ることは、
御父さんの心が折れないようにと、ひたすら祈ることくらいだった。
ヲレは、もしソレが自分だったらどうだろうと考えてみたが、
とてもではないが、想像も出来ないほどの絶望だ。
ヲレなら世を捨て、きっと出家するんじゃないだろうか。
自分ひとりでは何も出来なくなり、あらゆる事が介護介護。
クルマの運転は愚か、箸ひとつ持てないのだ。
「これ以上無様な姿を晒せるか」
と軽薄な焦燥に駆られ、自己の救済方法を見出せず悶絶するに違いない。
だが、御父さんはもう歩いてしまっている。
激しく痛むのか、片方の目尻に皺を寄せて堪える仕草をみせるが、
杖を突くことも無く、いかにもびっこを引くような動きにならないように
うまくバランスを取ろうとしているのが判る。
みっともない歩き方になってない。
「この強さは一体何なんだ・・・。」
御父さんは一昨日まで入院していたことなど無かったかのような笑顔で迎えてくれた。
お見舞いですなどと言っては、逆に怒られるのではないかという位、
普通にしている。
いや、普通ではないはずだ。
朝晩聞こえるうめき声のようなものは、
苦しいリハビリのストレッチをしているのだと知っている。
見えないところで超人的な努力をしているのだ。
自分が挨拶に来るからそれまでにカタチにしておこうと思ったのか・・・
いや、そんなチンケな目標で終わってないはずだ。
また、ダンスを踏む夢を捨ててないのかもしれない。
いや、きっと実現してしまうんじゃないだろうか。
男の意地とプライドには不可能は無いのかもしれない。
逆に励まされて帰って来た気分だよ。
Posted at 2010/08/17 21:13:07 | |
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