
あの日からようやく2年。
ちょうどこんな陽気だった気がする。
毎日毎日、テレビの報道を見ては涙が止まらなかった。
自然の驚異の前には、人なんて為す術もないけれど、それでも僕らは自然と共にあるしかない。
自然のあり方には、常に結果があるだけだ。
偏った繁栄を許さない相対性理論こそが自然の摂理。
それを憎むのも自由。
慈しむのも自由。
でも、みんなが憎んでいるのは本当は自分たちであり、人のありかたなんだと思う。
もっとこうすれば良かったね、
自分がこうしていなかったら・・・、
誰々がこうしたから、
何か判りやすいもののせいにしないと、やってらんないからね。

「僕たちはもっとこう出来た筈」とか・・・
高々ニンゲンに何ができると言うんだ、神様にでもなった積もりかな。
人はやっぱりおこがましいと思う。
でも、達観せずに憤り、次はきっとうまくやるって・・・それがひとなんだと思う。
そうであって欲しいとも思う。
自然はそれを静かに見守っているだけ。

午後2時46分からの一分間、裏山の高台で黙祷しました。
防災のスピーカーからも、市から黙祷を促す放送が流れていましたね。
僕はたまたま今日は仕事じゃなかったんだけど、みんなも黙祷したのかな。
ちょうどあの日の夜も、この裏山から停電で真っ暗の街を見下ろしたっけ。

人生や運命には「たら・れば」は無い。
自然と同じくして、厳しい結果のみに基づいて積み重なっていく。
だからこそ尊く、片時も気が抜けない。
どれだけレールを引っ張ってお膳立てをしたところで、いつまでも安心できる保証された人生などありえないのだ。
人の強さとは、どれだけ蓄えたかではなく、
いつでもゼロから立ち上がれる鋼のこころ、
自分が何を成すかではなくて、どうあるべきかなんだと思う。
自然は無駄に蓄えたりしない、
その時その時を精一杯生きるだけ、あるべき姿でいるだけだ。

科学と資本主義の風で育った僕らは、なかなかそういう概念にたどり着かない。
物質至上で、どうしても一時間幾らだとか考えてしまう。
それでも、人は忙しく生きていかなければいけないからね。。。
でもね、暖かい春の訪れが本当に人にもたらすものは何なのか、
たまには木漏れ日の中でゆっくり考える時間があってもいい。
春は必ずみんなのもとに平等に訪れるのだから。
いち早い被災地の復興をお祈りしています。
Posted at 2013/03/12 03:13:16 | |
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Nature's | 日記