
一日は保育園の入園式でした。
息子はもうすぐ7ヶ月。
ちょっと早くて申し訳ないけど・・・
嫁も仕事を持っているからね、春の募集で早々に入れることになりました。
待機児童が多すぎて、0歳児枠で入っておかないともう入れないんじゃないかと思い、苦渋の決断ではありました。
しかし、希望のところに入れて良かった・・・

割と近所にある、里山を丸ごと庭にした保育園です。
市外からも応募があるという人気の保育園ということだったので、
殆ど期待していなかったのだけど・・・
聞いたこともないような高倍率を縫って、見事第一希望合格。
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無事入園式を迎えました。
滅多に着ないスーツを引っ張り出してクリーニングに出し、
嫁の働く店で髪を整えて、この日に備えました。

どこかの北川景子似のお母さんに見つめられちゃってるじゃん。

式の最中だからね、あんまり遊ばないの。。。

そうかと思えば電池切れか・・・
我が息子ながらきれいな顔してるな。
キツネや鹿を庭に飼い、
靴も履かさずに裏山を駆けまわらせたり、木登りをさせたり、
多少の怪我をしたっていいんだって。
小さいうちから自分の身をもって、危険なことや正解を見つけさせていると、自然と大きな怪我はしないんだって。
英語の教師を呼んで横文字覚えさせたり、
頭脳テストなんかを頻繁にやって、子供に点数をつけたりもしない。
やるべきことを教えるんじゃなくて、自分で考えさせるという方針なんだと。
スバラシー。
モンスターペアレンツが監視する最近の過保護な教育施設とは、一線を画しているようだ。
教育とは何か。
という点では、ほぼ賛同できる内容だ。
今の若い子たちはゆとり世代を通り越して、さとり世代とか、草食系男子だとか言われて、
ちょっと軟弱そうな雰囲気がある。
相手の気持ちを深読みして、先回りして波風立てないように振舞うんだと。
考えられるリスクは全て、計算しながら避けながら生きていくってことか。
驚きも感動もなければ、心の波風も立たないってことだろ。
相手を傷つけない。
自分も傷つかない。
優しさゆえなのかも知れないけれど、何とも味気のないつまらない日々ではないだろうか。
だからなのか、恋愛すらしない人が増えている。
今の20代~30代の若者で恋人がいない割合が、男性6割女性5割だと・・・
お互い余りまくっちゃってるじゃんか。
何でもかんでもスマホアプリで済んじゃうもんだから、
現実世界でのやり取りが面倒になっちゃってるんだろうか・・・。
たくさんの情報が常にリアルに入ってくる時代になったから、リスクに対する深読みにリアリティがあり過ぎて動けなくなっちゃってるんだろうな。
告白して振られる可能性とかを、アプリで計算してるんじゃないだろうか。
自殺者が年間3万人と言われている日本。
東日本大震災の犠牲者より多くの人が、人生に絶望し、自らの命を絶っている。
小学生までがその辛い決断を実行に移している。
みんなそれぞれの事情があるのだろうけど、
何も命まで絶つことはない、というケースも多くあるはずなんだ。
きちんと計算しながら、うまくやってきた筈の人生。
だけど、必ず思い通りにならないのも人生。
そんなの当たり前の事なのに・・・
自分の人生の歯車が狂い始めてしまった!と発狂寸前。
出口や解決策を見つけることもなく、
自分のこころの闇へ、奈落へ落ちていってしまう。
先回りばかりの生き方をしてきたので、あまり困ったことがない。
困ったり、間違ったりすることに慣れていないのだ。
ああ・・みっともない、これではみんなに顔向けできない・・・
こんなにどうしようもない私は誰にも必要とされないだろう、もうダメだ・・・
などとなる。
精神的な自己回復力が、脆弱化を辿っているんだと思う。
可哀想だが、少し気持ちが弱いと言わざるを得ない。
過保護に育てられたゆとり世代と呼ばれる人たちが大人になり、その自分たちの子供に、
正しい危機管理を教育してこなかったツケではないだろうかと、ヲレは思うのだ。
決められた幸せのレールを策定して、そこから外れない前提でギリギリまで親がサポートする教育。
失敗すれば相手のせい、誰かのせい、国のせい。
そんな教育が、個々の多様性を制限し、
驚きも感動も精神力もない人間を設計している気がする。
先のことが解ったり、打算ばかりする人生ほどつまらないものはない。
人の本当の強さは、ぶつかった困難を自分の力で克服して初めて
培われていくものだと思う。
子供の頃なんて、いっぱい失敗して、いっぱい間違えて、たくさん謝ったほうがいいんだよ。
時には逃げることもいいと思う
でも、いつか必ずその場所に戻って、自分なりの決着をつけなければ、一生の禍根になるだろう。
自分が過去に置いてきた沢山のそういうものを、
ひとつづつ片付けていくことそのものが、人生というものなんだ。
死ぬほど厳しい局面を迎えても、諦めなければ人は必ず突破口を見つけられる。
自分の中の古いものを壊して、新しいものを受け入れる、そして生み出していく。
我慢だけで切り抜けられる事なんて、この世にはないから。
それが平気になるように、自分が変わっていけばいいんだよ。
多少怪我したっていい、けんかしたっていい。
詰まらないこだわりに縛られて世界が狭くならないように、たくさんのものと出会って、色んな経験をして欲しい。
そんな思いを、我が子にも言わずして伝えられたらいいな。

まぁ、基本的に能書きはブログだけで、実際は足で稼ぐことしかできないヲレ。

子供の洋服が足りないんで、午後から買い物なんだけど、
美術館の公園がきれいだからちょっと寄り道だ。

近所の桜でもこれだけ楽しめる。
日本全国桜だらけの国だからね、気張って遠足しなくたってお花見は全然出来る。

息子は入園式で緊張したのか・・・寝ちゃってました。

買い物しながら、居酒屋ランチしたり、カフェでお茶したり、
休憩ばっかりになっちゃった。
お父さんもお母さんも流石に疲れました。。。

・・・。

・・・・・。
あげないよ。
お前はまだ見るだけだよww
桜咲く眩しい門出。
僕と君は、気持ちも装いも新たに、スタートを切ったんだ。
薄紅色の木漏れ日の向こうに、また新しい未来が待っているんだね。
わからないことだらけの明日には、沢山の可能性が詰まっているよ。
インプは何も変わらないね^^;