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2010年08月18日 イイね!

AZ-1・ビート・カプチーノ、ドリフトの競演

AZ-1・ビート・カプチーノ、ドリフトの競演グランツーリスモ5(GT5)の発売日が11月3日と決まった。いよいよカウントダウン、ということで、グランツーリスモPSPである。
Amazonでの評価には厳しい意見が多いが、私はそれほどとは思わなかった。確かにレースなどでクレジットを稼いでクルマを買うだけ、と言えばそれまでだが、恐らくPSP版は正にそのためだけに存在している。

と言うのも、PSP版はどうもGT5の下準備のために存在している感があるからである。PSP版のマイカーデータやクレジットはGT5に引き継げる。つまり、PSP版でクルマとクレジットを増やしておいて、GT5を入手した時に最初から好きなクルマで楽しめるようにしている、と考えれば、クレジットを稼いでクルマを買うだけである理由が理解出来るのである。

と割り切って購入したPSP版だが、実は結構ハマっている。

最も大きな理由は、写真にある通り、影だけとはいえドライバー視点で自車が表示されるようになった事だ。PSP版・GT5とも、画面が16対9のワイド固定になった事で自車の表示が可能になったのだと思う。

自車表示は調べて分かっていた事だが、購入して初めて知った楽しさが、ワンメイクレースとドリフトトライアルである。

グランツーリスモ4までは、(ごく一部の例外を除いて)異車種とのレースだった。即ちクルマ自体に性能差が有った。PSP版でも異車種とレース出来るが、ワンメイクにすれば敵車(AI)も自分と同じクルマであり、純粋に腕の勝負となる。この方が、自分の運転がAIに対してどう劣っているかがはっきりと分かり、より腕を磨こうという気になれる。

ドリフトトライアルも、ゲームならではの楽しみといえる。実際にドリフトなどしてはタイヤもクルマも傷めるし、失敗すればガードレールに激突である。だが、ゲームならクルマを傷める事もないし、接触してもダメージはない。
今までのドライビングゲームは、ほとんどがタイムとの戦いだった。そうでないものも一部あったが、シミュレーション性が低く殆どアクションかシューティングゲームとでも言えそうな位である。
今回、ドリフトに限られるとはいえ、時間とは異なる評価基準を持ち込んだことは高く評価したい。

と前置きが長くなったが、動画はそのドリフトトライアル。AZ-1ビートカプチーノの平成ABCトリオでタヒチ・メイズを走ってみた。特に意識してドリフトに持ち込んだ訳ではないので、意図すればもっと得点は上がるだろう。



こうして見ると、3車の違いが結構良く現れている。特に特徴的なのはビートで、回頭性が良くドリフトが持続しない。つまり、ちゃんと曲がってしまう。これは、カプチーノのDVDで、スラロームをビートの方が遥かにスムーズにすり抜けていた事とも一致する。
ちなみに、コペンは普通に走ると殆どドリフトしない。FF車なのだから当たり前で、これも違いがきちんと現れている。

とにかく、タイムを気にせずカプチーノで普通にタヒチ・メイズを走っていれば自然とクレジットが溜まっていくものだから、このところずっと走りっぱなしである。それも、ドリフトに失敗した時のブーイングや、成功した時の盛大な拍手が走りに花を添えてくれる。

GT5にはPS3が必要で、当分入手できる目処はないから、それまでPSP版でマイカーとクレジットをひたすら溜めておく事にしよう。
Posted at 2010/08/25 23:00:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | グランツーリスモ | 趣味
2010年08月16日 イイね!

御巣鷹の尾根 訪問記

御巣鷹の尾根 訪問記群馬県上野村の、日本航空123便墜落現場である御巣鷹の尾根を訪問した。先に墜落の原因について記事にしたので一度現地を見ておきたかったのと、救助の可能性について考えるために墜落時刻頃の様子を知りたかったからである。

まずは写真の慰霊の園を訪れる。ここには、身元が判明せず荼毘に付された遺体片、四百数十が納められている。上野村のほぼ中央、国道299号線の近くにある。慰霊の旅の出発点である。遺体の損傷の激しさについては、群馬県警の身元確認責任者、飯塚訓氏の『墜落遺体』が詳しい。数字だけ記すと、検屍総数は2,065体、うち五体満足な遺体は177体、身体の部位が特定出来たものは680体である。

慰霊の園から御巣鷹の尾根登山口までの距離が、事前には分からなかった。今、Googleマップで見ると、約20kmと結構離れている。動画では制限速度通りに走って約30分で到着しているが、これはカプチーノだからであって普通車であればもう少し時間がかかると思う。動画を掲載するのは、どれだけ奥まったところかを知るためである。私自身、これ程奥まっていたとは想像もしていなかった。



登山口から御巣鷹の尾根までは、案内図の通り道程800m、高度差180mある。数字だけだと大したことないように感じるが、実際はかなりきつい。案内図の右上までが沢に沿った緩やかな上りで、そこから尾根まで急傾斜を這うように登っていく。
案内図の水飲み場付近。この沢がスゲノ沢で、この沢の奥で生存者4名が発見された。
沢を離れて登る頃から、周囲に写真のような小さなお墓が目につくようになる。各遺体の発見場所である。ちなみにこの写真は特定の人のものではなく、航空安全祈願の地蔵である。
途中に古びた案内板があった。図で左に突出したところが御巣鷹の尾根の昇魂の碑、右下の橙色の部分が生存者の発見されたスゲノ沢である。
遺体発見場所には記号(座席番号)が付され、このような道標があちこちに立っていた。
急な傾斜を登り切って、御巣鷹の尾根の昇魂の碑に辿り着く。この辺りに機体の胴体部分が激突した。フライトレコーダーによると、機体の傾斜は右に131.5度、下に42.2度、速度は約488km/hである。
このような激しい衝突だったため、機体前方から中央にかけての乗客は、写真のHからBの範囲に広く散らばって発見された。また、この範囲は激しく炎上しており、遺体の損傷は凄惨を極めた。一方機体後部は写真のAの部分を谷に添うように樹木をなぎ倒しながらS地点(スゲノ沢)まで落下した。このため激突の衝撃が吸収され、スゲノ沢で4名の生存者が救出された。なお生存者の証言から、墜落直後はこの辺りに更に数名の生存者がいた事が分かっている。

昇魂の碑に辿り着いたのは19時11分。墜落時刻18時56分の約15分後である。この日は半月に近い月が出ていて、周囲の地形がかろうじて判別出来た。なお、墜落した昭和60年8月12日は日没が18時48分、月の出が0時12分だったから、月明かりもなく周囲はもっと暗かった筈である。

航空自衛隊の救難ヘリV-107が現場に到着したのは20時42分。現場は23時頃まで炎上していたようだから、スゲノ沢は陰となって見えず、仮に自衛隊員が救助に降下したとしても、生存者は発見出来なかったと思う。実際、翌日夜が明けて周囲が明るくなってからでも、最初に生存者が発見されるまで6時間かかっている。まして闇夜ではまず不可能であろう。

また、炎上による激しい上昇気流の中、ヘリから隊員を降下させる事も不可能だったと思う。炎の上に降ろす訳にはいかないから周囲の燃えていない所となるが、どこも急な傾斜で、前後に2つのローターを持つ大型のV-107では、接近するのも危険である。実際、生存者を収容したのは墜落の翌日、焼け野原となった後の尾根であり、発見されたスゲノ沢ではない。沢から尾根まで生存者を運び上げている。つまり、日中であっても沢に降下することは出来なかったのである。

事故を扱う多くの書籍が、自衛隊が事故直後に救助活動を行っていればスゲノ沢の生存者をもっと救出できた筈、と記しているが、現場を墜落時刻頃に訪れた私の考えとしては、残念ながらそれは不可能だったと言わざるを得ない。

ただし、21時頃に米軍座間基地のUH-1ヘリが降下しようとしている。UH-1はV-107に比べて遥かに小さいから、危険ではあるが燃えていないスゲノ沢の斜面に降下出来た可能性はある。米軍ヘリに救助中止、帰還の要請をしたのは日本側だが、恐らく現場を見た自衛隊ヘリが生存者なしと判断し、二次災害の恐れのある米軍の救助活動をやめさせたのではないかと思う(実際、現場を最も早く視認した米軍C-130輸送機の副操縦士は「生存者がいるかどうかは疑問」と横田基地の管制に報告している)。

事故現場は多くの方が亡くなった場所であり安易に立ち入るべきではないが、現場に行って初めて分かること、教えられることも多い。今回、時間が遅いこともあって昇魂の碑から上やスゲノ沢には行かなかったが、いつかもう一度訪れることができればまた教えられる事もあるのではないか、と考えている。
Posted at 2010/08/24 11:13:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 航空 | 旅行/地域
2010年08月15日 イイね!

2010年(第68回)木崎湖花火大会 おねがい☆関係協賛

2010年(第68回)木崎湖花火大会 おねがい☆関係協賛今年も木崎湖で「おねがい☆ティーチャー」「おねがい☆ツインズ」関係協賛の花火が打ち上げられた。例年、縁川商店木崎湖キャンプ場など、有志の団体が協賛して打ち上げていたのだが、今年は個人からも協賛金を募った。結果、何と456名もの協賛を得て、大会プログラム中唯一「超特大」の付く花火となった。



来年もまた、大輪の花が咲く事を願っている。
Posted at 2010/08/17 10:48:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 萌え | 旅行/地域
2010年08月15日 イイね!

チャイルドシート使用せず、抱いていて死亡

チャイルドシートを使用しなかったために1歳児が死亡する事故が松本市で発生した。
死亡した子供は後部座席で義母に抱かれていたそうだが、抱いていた義母は胸の骨を折る重傷。ドライバーは軽傷だったそうだから、義母はシートベルトもしていなかった可能性が高い。

遺族には鞭打つようで申し訳無いが、これでは子供を犠牲にして義母が助かったも同然である。軽い接触事故でも、子供は投げ出され前部座席など車内に激突する。まだ骨も充分に固まっていない乳幼児は、脳や内臓などを損傷する可能性が高い。もし子供を抱いている人がシートベルトをしていなかったら、抱いている人の衝撃を吸収するクッションとなって押し潰されてしまう。
報道では抱いていた義母は看護師だそうだが、命に対する意識がこの程度でよく看護師が出来るものだ。

ミニバンの車内で子供を自由に遊ばせている車に良く出会う。もし事故になれば、子供は車内を飛んで前部ガラスを突き破り車外に放り出される(敢えてミニバンと限定したのは、乗用車であれば前部座席に激突して前部ガラスまでは飛んでいかないからである)。これも、子供を殺そうとしているも同然の行為である。

私の親友で最近子供が生まれた夫婦がいる。子供が生まれる前に、チャイルドシートを購入した。生まれた児を病院から連れて帰る時にチャイルドシートが必要だからだそうである。子供が嫌がるからチャイルドシートをしない、と言い訳する親がいるが、生まれた時からチャイルドシートをしていれば子供はそういうものだと思って泣いたり騒いだりはしないものだ。

チャイルドシートをしない親は、自分は事故には遭わないと思っているのだろう。安全に対する意識がその程度では、事故に遭う・事故を起こす可能性はむしろ高い。そういう親は免許取消で一向に構わないのではないだろうか。
Posted at 2010/08/16 13:20:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 交通安全 | クルマ
2010年08月15日 イイね!

世紀の遺書とBC級戦犯裁判

世紀の遺書とBC級戦犯裁判世紀の遺書』という本がある。初版は昭和28年昭和59年再版)、編者は巣鴨遺書編纂会。外函の装丁は東山魁夷、書籍の装丁は中村岳陵、いずれも無償で引き受けられたという。世界各地で行われた戦犯裁判において処刑された人たちの遺書である。
極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)のA級戦犯は有名だが、戦犯にはこの他にB級、C級がある。誤解されやすいのだがこれは訴因の重さによる区別ではなく、種類による区別である。A級は平和に対する罪で、この罪名で裁かれたのはドイツ戦犯を裁いたニュルンベルク国際軍事裁判、日本の極東国際軍事裁判しかない。
B級、C級は通常の戦争犯罪で、捕虜虐待、民間人殺戮などである。B級は主に戦時国際法違反、C級はそれ以外だが、厳密な区別はなかったため、まとめてBC級戦犯と呼んでいる。

BC級戦犯裁判の実態を知る人はあまり多くないであろう。『世紀の遺書』は、それを知る貴重な資料である。長野県の公立図書館では県立長野図書館にしかないようだったので、借り受けて読んでみた。2週間で読み切れるものではなく全体の3分の1程しか読んでいないが、巻頭の中国法廷における刑死者の遺書からして、凄まじい。ほぼ全員が無罪、冤罪、無実の罪、と記している。
特に目についたのは、赴任する前に隣の部隊で起きた事件の責任を問われて刑死したもの、事件当日別の部隊・場所に居た事が立証されているのに刑死したもの、である。後者にはいわゆる「百人斬り競争」で刑死した向井敏明少尉、野田毅少尉の2名が含まれている。
この他では、フィリピン法廷、オランダ法廷などで、冤罪による著しい刑死者が出たようである。
BC級戦犯の刑死者は計908名にのぼった。

写真はBC級戦犯の一人、岡田資(たすく)中将を描いた映画『明日への遺言』。岡田資中将は、名古屋大空襲の際に捕虜となったB29の乗員を戦時国際法違反(民間人殺戮)の実行犯として軍事裁判を経て処刑した。これが捕虜虐殺にあたるとして、BC級戦犯に問われて刑死した。主演は藤田まこと。亡くなる2年前、最後から2本目(主演としては最後)の映画である。ちなみに最後の映画は『ラストゲーム 最後の早慶戦』。こちらも戦時中、学徒出陣を目前に控えて、何とか最後にもう一度早慶戦を行わせてやりたい、と努力した人たちを描いた作品。藤田まこと氏が、晩年何を考えていたかが伺われる2本である。
Posted at 2010/08/15 10:23:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | ニュース

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N-ONEは私、エブリイは妻が乗ってます。制限順守、のんびりまったり楽しんでいます。

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