8月6日、広島に原爆が投下されてから72年が経ちました。
犠牲となられた多くの御霊に、謹んで哀悼の意を表します。
また、世代を超えて被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に心からお見舞いを申し上げます。
写真は、2007年2月に広島へ行った際に撮影しました。
ここには、有名な「安らかにお眠りください 過ちは繰り返しませぬから」の碑があります。
この碑が象徴している主語の無さが、核兵器廃絶の最大の障壁を表しているのではないかと、毎々思います。
この過ちを、原爆を投下したアメリカとするなら、分かり易いです。
戦後、東京裁判で問われた罪として、虐殺があり、南京大虐殺やフィリピンでのバターン半島死の行進にかかわった司令官等が罪に問われております。
それを罪に問うなら、アメリカのこの行為は、戦後を見据えた核兵器開発の実証実験での大量虐殺行為以外の何ものでもなく、二度と、こう言うことはしません…と誓うべきです。
しかし、勝てば官軍
原爆投下により終戦を早め、本土上陸作戦を行った場合の犠牲を出さずに済んだ…なんて言う寝ぼけたことが、平気でまかり通っています。
当時の日本は、海外からの物資の輸送は、勿論、国内の輸送ですから困難な状況で、継戦能力は既に喪失していたと言えます。
外交音痴と言われても仕方がないおめでたさで、ソ連に和平の仲介を打診する等、方向性はともなく、幾つかの国を通じて、交渉チャンネルを開こうとしていたことは事実ですが、これも戦後の日教組教育では、無かったことに捏造され、天皇が最後まで戦って死ねと命じていたなんて言う話しに置き換えられます。
主語の話しに戻して、日本とするなら
サイパン・グアムが落ちた時点でさっさと降伏していれば…
もっと極端な話しをするなら、負ける戦争をした過ちは…なんて言うのも、平和云々、実際に勝てるか否か等々を別にすれば、文法としては成り立ちます。
アメリカが…日本が…のどちらでも良いのですが、それには、まず、どうして戦争に至ったのかを冷静に分析する必要があります。
経緯を分析する際、必ず平和論者と言う方々は善悪論を持ち込んできますが、善悪論は主観的で立場が違えば善も悪、悪も善になることを忘れています。
善悪論を持ち込んだ瞬間、論理的な思考が停止し、真相を分析する機会を失う、つまり、真相が明らかになると困る方々の妨害工作のように思えて仕方がありません。
国連での核兵器廃止条約をなぜ日本が賛成できないのか?
極論を言えば、日本だけが核兵器を保持・管理する考え方もありなはずです。
そう言うことを含めて、まずは善悪論を持ち込まず、物事を整理することが必要ではないかと思います。
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Posted at
2017/08/10 01:55:10