今日は、畑違いの偏屈者の言いがかりをひとつ・・・。
机の上に、私のメモ書きが一つ・・・
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「自動車の中で、部品がアートに変わる時」
高級車→トレンドデザイン→工芸品・美術品→アンディーク品または、廃品
大衆車→機能部品→>トレンドデザイン→ボップアート、レトロアート→廃品
→>劣化→廃品
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はて?、そう言えば昔題材ネタにメモったキーワードだったっけ?としばし思い出そうと見てるが、
何を言いたかったのか、我ながら記憶を手繰っていると、部屋に娘が入って来たので、
F:「これ、何を言いたかったんかわかる?」と聞いてみる。
娘:「・・・・価値の源泉、、、存在する意味、、みたいなことなんじゃない?」と言う。
F:「・・ああ!、思い出した、そうそう。 物の存在が、時間を超えて行ける価値の差を考えていたんだった!」んで、逆に心の中で思ったこと
『なんか、娘はやっぱ、俺と感性似てるよな、こんなメモが通じるなんてwww。』と感心しつつ、このメモの行く先はいずれ書くとして(;^_^A
今日のネタは、冒頭写真の時計である。
実は、昨年末に買った仕事時計のシチズンのGPSソーラー時計。
長年、TAGさんの初期のセルシリーズを愛用していたんですが、前回の電池交換時に、次は難しいかも、、というぐらい軸受けの摩耗もあるので、精度は保てないかもです。と言われていた。実際には時刻合わせのインターバルが記憶にないのでわからないのだけれど、1年で3分ぐらいずれる気がしていた。購入時の2倍ぐらいのイメージ。
んで、新幹線に飛び乗る機会も減ったので気にしていなかったのだけれど、逆に超忙しい分刻みで少々不安な思いをしていた。それが昨秋に担当が変わって暇になり、逆にいい機会だから買い替えようと考えた。奥さんはユニセックスのセルシリーズが気に入っていたので、Φ38のこれは女性が付けてもおかしくないので、奥さんの仕事用に。
<今でも気に入っているホイヤーのセル>
で、当方の財力も問題だが、往年のセルシリーズの超絶ベルトは無くなり、代替品が浮かばない。なので、機能重視の国産品に。ここからが偏屈話の本題。
電波時計は正確だけど、他人に「今何時?」と毎回聞いて、自分を合わせる従属性が嫌なので、自立精度を追及したい。機械時計は好きだけど1個趣味で持っててこれで十分。手の細い時分には重くて似合わない上に、メンテナンスが大変。ワインディングも嫌ww。と言う機械時計装着の不適格者なので、ホイヤーもクオーツだったw。で、日本が誇るクオーツでは、年差機種がある。セイコーとシチズンの年差±10秒以下モデル。セイコーは電気を食う不利な太い張りをかっちり動かす哲学で、シチズンはひたすら精度に有利な軽い針で、究極の年差±5秒モデルがある。
これなら、北朝鮮が核で電磁パルス障害を起こしたとしても、1分と狂わず生活できる。全く意味のない2000mダイバーウオッチと同じ嗜好である。ホイヤーがそうだったw。
で、年差5秒となると、電池切れが先に来るので当然ソーラになる。10年で1分狂わないのだから、もはや時刻合わせは不要と言っていいだろう。よしこれだ!、と思い続けて早10年・・しかし、気に入ったデザインと絶対価格に入ってこない。まぁ詰め込まれている技術と究極の個体選別の賜物なので、生産数自体もたくさん作れないし、売れないし(;^_^A
そんな中で、GPSソーラと言うカテゴリーの新機軸が出てきた。正確な時計を持っている衛星電波から「ねぇ、今何時?」と教えてもらう時計ではあるのだけれど、このF150キャリバーは月差±5秒の精度を持っている珍しいクオーツだ。つまり、年間最大1分の狂いに抑える自立性を持ちつつ、さらなる秒精度は仕方ない、衛星に頼るか、、というヤツ。
セイコーのアストロンにならなかったのは、自立精度では、並み居る電波時計と同じ精度しかなかったため、自分を言いくるめることができなかったw。
これは結構、自分的には許せる奴で、まぁ戦争で衛星も攻撃されてしまうかもしれないが、それでも年差1分なら許せるじゃないか、それ以上の精度は原子時計に頼ってもよかろう、、という意味不明な理屈と、失敗したダメ衛星を廃品利用しよう、、と頑張った衛星技術屋さんの発明した準天頂衛星軌道の有効性が示されて、常に日本の上空に衛星が見守ってくれる時代が来る「みちびき2号」の発射もあるし、、と未来少年コナンの、核戦争で失われたソーラー衛星を捕まえて再起動させたロマンも感じるし、、とGPSソーラ時計を買う気になった。
簡単にこの手の時計にある、キーデバイスについてのシチズンのこだわりを紹介すると、なかなか、資料に出ないがオタクな時計屋さんからの聞き伝手なんですが、
①ソーラによるチャージ電池の容量がでかい。これは劣化も見越した選定で瞬間的にモータを回す受信補正時とミリミリ使う運針消費との劣化を抑える意味もあって、一見無限の寿命と思えるソーラ電池は、チャージする2次電池の寿命次第という裏があって、誰も寿命を答えてくれないが、CA<SE<CIの順で壊れないらしい。
(これについては、まだ寿命判定できる年数経ってないので過去の傾向ということになりますね)
②月差±5秒の精度は温度補正回路による。ネットでは出てこないのだけど、雑誌記事で見た記憶では、補正サイクルを2桁ぐらい上げたんじゃなかったかな、もちろんその技術は年差モデルの廉価版でしょう。年差モデルはさらに精度の良いものだけの現物精度の選別を加えて成り立っているが、そこまでは行かないというレベル。
それと、設計のロジックが結構気に入っているのは、エリア受信は機内なり、船なり、国が変わるような移動は瞬間移動するわけじゃないし、手動受信でいいじゃない?。として、時刻のみは10秒程度で衛星をとらえて補正してくれる。そして設計屋がこだわったのが1秒はずらさない、、という精度維持ロジックである。設定は変えられるのだけど、デフォルトでは6日間衛星受信しないと強い太陽光(基本屋外と認知=衛星が上にいるはず)で、約10秒後には受信補正3秒で完了という動きをする。
これは買ってから実際試すと、うたい文句通り正逆同時に近回りであっと言う間に運針する。昔開発機種の選択マガジンが時計回りしかできず、仕様をまとめた私が1秒でも早くとあれこれ知恵を絞っていたのに、制御コンピュータを選定した先輩電気屋さんは、時計回りしかしませんよ、、とあっさり言って大口論になったのを思い出すのだ!。結局バージョン3で電気総入れ替えのモデルチェンジを余儀なくされたんだが、、そんなことまでこれを見てると思い出してしまうw。
で、この自動受信6日間というのは月差±5秒ということから、日割りすると最悪1秒のズレが起きるから、、と言うことだろう。(5秒/30日=0.1666・・秒x6日=0.9999・・秒)つまり、ウイークデーで仕事中は自立で1秒も狂わさず、週末に受信して補正すれば、また仕事は1秒も狂わないという勘定が気に入った。実際にはこれは最悪保証値なので、実際は月差±2秒程度の精度を持っているようだから、週末太陽にかざしてもほとんど誤差は見えない。時計の消耗を考えると、自動受信の頻度は1か月で十分な気がするが、設計哲学上はこれでいい。
超高精度シリンダーのシールでお世話になったイオンプレーティングの窒化処理で試したDLCなんかがケースやベルトにおごられている。今や高級バイクのフロントフォークやショックアブソーバなどのロッドに使われている。黒いベルトはフォーマルにいかがなものかとも思ったが、お葬式には付けないからいいや。この超硬質皮膜は確かに硬いけど、素地の塑性変形を伴うような打痕には堪えないから注意が必要。そういう用途ならステンレスの無垢が味わい深くヤレていいだろうと思う。
さて、そこまで設計陣の思いとシンクロして買いたいな、、と思って現物を見に行くと、セイコーのアストロンの方が少々見栄えがイイ。つまり高そうに見える。それは彫りの深さや、思い切りのいいデザインによるところが大きい。振り返ってシチズンを見ると逆に地味と端正を絵にかいたような、真逆の感性。同じ分野の競合商品でこうも違うのは逆にきちんと差別化しようと言いう表れかも。
しかし、結局飽きないデザイン要素を多く持っていたのはシチズンの方で、予定通りこちらを買いたいと思ったのだが、、、だが・・・。
針が・・・ん?・・・これは・・・。
針の造形は問題ないのだが、加工方法が気に入らない。極わずかだけれど破断面の反射が気になるのだ。ホイヤーやブランド時計でこんなことを思ったことは無い。帰って一度手持ちの時計を総分析したが、海外ブランドの針は断面に加工痕は見いだせなかった。この微細な針を研磨したのか、エッチングによる加工なんだろうか。とにかくそれが気になった。これだけ精緻なメカ満載の世界に誇れる時計を作っておきながら、お客が一番目にする針の仕上げ精度がこれで間違いない設計要求値なんだろうか?。つまり、お店に置いてあった個体がたまたま精度が悪かった製造工程上の問題ではないか?と。
で、シチズンのお客様相談室にメールでダメ元で率直に聞いてみた。
加工法は何ですか?。商品はとても気に入ったのだが針の断面の仕上げが気に入らない。これは個体差なのか、設計上の仕様なのか?。というようなこと。
そうしたら、丁寧な返事が来た。残念ながらPCのSSDお亡くなり事件でメールデータは消えてしまったが、たしか「・・・お尋ねのようなエッチングではなく、プレスによるブランキング加工です。従いまして、お客様が気になった要素は他の個体でも同様と思われます云々・・。 お客様のご指摘の点につきましては、担当部署のほうにお伝えしておきます・・。」というような。
というわけで、どうしても定価20万円のタグを付けた「日本製の時計」がプレス加工という生産性の賜物であるにしても、気になってしまい、「これでは、自分は大枚はたけない。頑張った設計陣には申し訳ないが、こんな要望を聞く耳もって改良されるまで待つしかないか、、、」と一回はその時あきらめたのです。
「残念だけど、これに対する私の対価は○○円ぐらいだな」と。
そして、偶然、そのお値段で売っている店を見つけて買ったわけですが。
<F150キャリバー搭載>
<偏屈な私が納得できなかった針の断面がもたらす光加減>
写真はライトを当てて、わかりやすくしてるので、現物はそこまで目立たないと思います。
誰も気が付かないかもしれんけどね(;^_^A・・・サイレントクレーマーかも知れんね。
そして、話はやっと冒頭に戻るわけです。
モノの価値が、機能性だけであるならば、それは機能の評価で事は済む。一方で時を超えて愛される道具もある。その時間を超越する力はどこに宿るのか?。個人的な思い入れであるならば、レトロな記憶とともに生き残る価値があるだろう。だけれども普遍的な大多数の人にとっての認められる価値を考えるなら、原価であと5千円かかったとしても破断面を均一に光らせるか、均一につや消しにするか、こだわるべきだろう。ソーラウエハーのダイシングを極め、6枚をつなぎ合わせた文字盤の緻密な仕事に唸っている傍らで、私はそう思うのだ。(もちろんシチズンのしかるべき機種はきちんと処理されていて、これで良しと見切った誰かが社内に居るのだ)
日本の製品が品質(機能品質)で、世界に認められる一方で、ユーザが払う対価は低い。
ブランド価値を高める努力をみんなが探しているけれども、その違いをしっかり把握できているのだろうか?。 ショールームでは気づかなかった粗も、ユーザになったらばれてしまう。
目に見えるその部分は「機能第一なのか、コスト第一なのか」そこに感じる技術品としての「品質」を備えたならば、今後もっとユーザは拡大して行くと思うのだが。つまりは商品企画マネージャのコスト配分とターゲットユーザを見下した感を感じるのだ。
FさんのGT-R開発者記事での田村氏に通じるところがあったかな。
リンク先は無料会員登録が無いと見れませんが、結構面白いです、コメント含めて。
レクサスLC500が、その証明をしつつあるかも知れないと大陸での動きに注目しています。