その1で述べた自動車メーカは、いずれも巨大で、そのことが中々「ひとつの強固なコンセプト」を作り、そして維持して行くことの難しさを示しているように思います。なので、昨今の欧州メーカは買収によって、ブランドを増やし、買収したヒストリーを独立した個性として傘下を巨大化する方が、得だと考えたように思えます。
今回は、そんな巨大自動車メーカと比べると、ぐっと小ぶりな日本メーカとミスター自動車wになります。
4)マツダ http://www.mazda.co.jp/philosophy/history/
マツダは戦後復興期の自動車御三家の一角でしたが、ホンダが加わり今やホンダにその席は譲ったままですね。その機微は、「ロータリー」と「広島」が大きな分かれ目になったと思います。
当時の方針で、ロータリーに社運を掛けた結果、一時は他社を脅かす存在になるやも知れませんでしたが、結果は
歴史の示す通りです。ロータリーに関しては、先のブログでも述べましたが、コンピュータの発達でシミュレーションによる最適化が数万倍?の精度で積み上げられるようになって、レシプロの熟成は飛躍的に進みました。1980年代の車が、排気ガスにもがいていた黎明期なら、90年代はインジェクションとコンピュータを土台にした時代となり、2000年以降は車両運動性能など、本格的にコンピュータが自動車の脊髄神経となる車づくりになりました。
その結果、自動車メーカそのものよりもデンソー、BOSCHといったキーコンポーネントメーカがその付加価値を大きく握るようになりました。それは裏を返せば、自動車の構成、開発のすそ野がさらに広大となり、自動車メーカ1社の技量では、包括出来なくなったことを意味します。その功罪は、中小メーカでもしっかりした技術マネージメントと評価システムが出来れば、大企業に伍した車が作れる一方で、マイナス面では、誰が作っても同じような車(乗ってもそんなに変わらない)という、自動車の「家電化」に繋がりましたし、賞味期限の短縮は、開発リソースに勝る大手メーカが優位に成りました。次に控えた電気自動車の時代には、それはより鮮明になるでしょう。
ところが揺り戻しでまさに今、気に入ったものを長く使う、目先を変えても愛着がわかないものには興味が無い、といった次なるトレンドが生起しているようにも思います。(この動きをどのメーカがいち早く掴むかで、今後変動が有るかもしれません。昨今のスバルの成長は、そういう志向が表れているようにも思うのです)
古くは80年代、日米構造協議で自動車メーカ毎の下請けピラミッド構造を分断され、今のグローバル化という美名のもとに「アメリカ型経済帝国主義」の餌食になった日本の姿が有ります。その後の厳しい生き残り再編の嵐の中で、ようやく今となっては、マツダが広島という自動車インフラの流通網から外れた地域に根差したことによるマイナス面が、ある程度消える環境変化が訪れたとも感じます。
そう言った大きな潮流のなかで、マツダは経営危機からフォードの傘下に入り、アメリカ流のドライな経営に再生されて行きます。それは日産の多国籍企業化とは違い、日本流(良い意味の職人魂)が生き残されて、企業としてのしたたかさを見に付けて、そして幸か不幸か、アメリカの凋落でマツダはまた放り出されました。そこで、ロータリーイズムはSKYコンセプトに化けて引き継がれたように思います。以前述べた品質工学を取り入れた開発手法がうまく結びついた結果、大きな成果を生み出せたと思います。
一方、私情を交えた見方では小型ハイパワーなエンジンを、あらゆる車に展開した無茶なラインナップ。けれどそのハチャメチャがマツダのロータリーパワーの伝説を生みました。またガスイータの伝説も。
RX-2(カペラロータリー)が兄から譲ってもらった初所有車ですが、当時の横並びでは申し訳ないけれど、ZやスカGのS20エンジン登載車より速かった。実際200km近く出せたと思います。操縦性は冷や汗もので、ひとうねりでとなり車線に飛ぶハンドリングでしたが。けれど、早くにロータリで世界のレースに飛び出して入ったおかげで、井の中の蛙にならずハンドリングを学んだと思います。ロータリが一番輝いたRX-7のシリーズでは、初代セブンはあの質素なリジッドアクスルで、トラクションは乗らなかったけど、直進安定性は当時随一だったと思います。安心して片手運運転で踏み切れた初めての車でした。マツダがヨーロッパ車に範を求めたおかげで、そのハンドリングは非常に楽しく、すわりよりも機敏を旨とし、ドライバーオリエンティッドとした車像が、マツダの作る車像に固まって行ったように思います。これがなんとなく似ているけれど、スバルとは方向が異なるハンドリングの違いだと思います。
また、マイナス面が大きかったかもしれないロータリーの開発は、しかし誰も今だ成しえない「西洋自動車帝国主義」の象徴とも言えるルマンの舞台で、国内メーカ初のそして唯一の、勝利者となります。皮肉なことに自動車に関わる全ての人が、さじを投げた「ロータリーエンジン」でその栄冠を手にしたことは、本当にお金で買えないレジェンドを残したと思います。(国内大手メーカが話題にしたくない功績ですが(苦笑))
マツダの自動車メーカーとしての真価が問われるのは、これからだと思います。巨額の増資をしましたし、世界展開もスタートします。SKYシリーズによって、新たなスタートラインに付いたように思います。そしてちょっと頼りないけれどもとりあえず、目指す車の「方向性」だけは一番明確に持っているように思います。近年出てくる車には迷いが無い。ちょっと個人的ですが、日本に技術拠点を置いて日本的職人魂で車づくりをするマツダには、これぞ日本車(RX-7にはそれが有ったと思います)という境地を開いてもらいたい。
5)富士重工業(スバル)http://www.subaru.jp/about/technology/spirit/spirit.html
スバルは、革新的なスバル360の国民車から、またも革新的なFFのスバル1000を送り出し、レオーネを経て、レガシィへと本当に小さな成功を積み重ねて来たメーカです(サンバーの火が消えたことは本当に残念です)。
大胆なことは何もできなかったけれど、他社に惑わされす頑固に己の強みだけを磨いて来たように思います。常に冒険の出来ない経済環境にあった言うことでしょう。
スバルが持ち続けた財産は、水平対向エンジンとAWDだと思いますが、それは物理的な製造物であり、今後もそれが財産となるのか、わかりません。けれども他のメーカーと違うスバルの強みは「こんな自動車」が作りたいという独自の自動車像が明快な点だと思います。それは華やかで高級で、贅沢な車ではありません。今も変わらずスバル360のような車なのです。当時の時間軸でみれば、極めて技術的価格的ハードルが高い開発だったけど「みんながよろこぶ車の価値を、革新と最高の技術で実現し提供する」です。なので、売られている車の原価構成比で最も割安なのはスバルの車だと思います。言い代えると、販売価格に対して、最もコストを掛けた車づくりをしていると。(ちなみにホンダは車1台に占めるエンジンコストはスバルと並んでトップだと思います)
なので、今後トヨタが強力に生産技術に磨きをかけ、乾いたぞうきんを絞るように、コストカットして来るでしょう。そこでどんな車になって行くのかが、重大な分かれ目のような気がします。無駄に手間を掛けた拘りが本当に何に照らして「無駄」なのか、そこを見誤ると「民主党の仕分け」のようになってしまいます。トヨタが欧州メーカのようにそのブランド価値を認めているなら、「スバルはスバルの車を作り続ける」ように支援して行くことが、トヨタにとっても、車の幅を広げることになると思っています。
これまた私情ですが、今のBLEに乗って本当に感心したのは、今まで持っていなかった評価軸を持たされたことも有りますが、「感動」とよぶレベルの安心、満足を与えてくれたからです。感動はあらかじめ予想した以上の劇的効果を上げてくれないと起こりません。それが、峠を何秒で駆け抜けたとか、雪でどれだけ快走したかというようなスペシャルなステージではなく、仕事帰りの疲れた体で、毎度の夜の高速を帰る時、本当に安心させてくれたことです。スバル考でも、述べましたが、所有したマツダの国産初のフルタイムスポーツAWDのファミリアターボでいち早く高速AWDの世界を体感し、安定性のアドバンテージは理解しましたが、荷重変動に敏感でスピンしたり、AWDの足回りがうまく出来ていなかった。それにフリクション、振動、騒音、燃費とAWDの負の遺産を体験しました。それはスバルも同様だったのですが、やはりあきらめず磨き続けたスバルは、やがてAWDのメリットだけを残して新境地まで到達しました。
現行レガシィで、AWDのネガを体感出来るドライバーは皆無でしょう。また同クラスの装備車両と比較してどうしても10%程度コスト高かな、と思いますがこのフルタイムAWDのコストを考えればバーゲンでしょう。また、スバルユーザの多くが10万キロ以上走り、10年以上乗ることも少なくないのはなぜでしょう?。そこには車の耐久寿命を多分20%ぐらい長く設定しているのではないかと思える堅牢さ、逆にAWDで分散されるために長持ちするのか?、現在私のBLEは10万キロ超えてますが、ショックのヘタリはさすがに高速で感じますが、フリクションやガタといったヘタリはほとんど感じられませんし、燃費も音も変わらずです。
弱みを上げるとすれば、常に井の中の蛙に陥りやすい環境に有りますけれど、自らの核を世界一に保ち続けようとの意思が有って初めて、このメーカをひとつに束ねているような気がします。なので、コスト優先、効率優先志向、に走り、先に揚げたキーコンポなどの要素技術(ハイブリッドだとか、ディーゼルの排気ガスだとか、)の開発、マネージメントリソースの不足にならないかが心配です。
6)メルセデスベンツ http://www.mercedes-benz.co.jp/brand/magazine/story/index.html
これまで述べた国産メーカは、全て工場なり、開発部門なりにお邪魔させていただいた経験が有るのですが、海外のメーカに関しては、このメルセデスの本社工場にお邪魔しただけです。ドイツのクラフトマンシップとはいかなるものか・・の片鱗は感じ取ったつもりですが。
当時W210の生産工場でしたが、モノコックフレームの溶接ラインで、911同様に補強のパッチを手溶接して入る工程に足が止まりました。国内メーカはブランキングで作った板金フレームをスポットで止めて行き、ほとんどフレームが出来上がります。 けれど重要部位の補強にパッチワークの板金を細かく当てているのです。これはほとんど組み上がったモノコックにおっさんが板きれを持って行って溶接します。911のボディーもそうでしたが、補強板が実に多く当ててあります。自動化だけでは出来ないこだわりを感じました。その後は板厚違いのレーザ溶接板金フレームなど様々な技術革新もありましたから、今はどうなったか?。
あと、クラフトマンシップとしては、溶接ラインにいたおっちゃんは、ライン横で煙草をくわえております。その動作も国内で見る動きとは天と地の差で、日本ではチャップリンのモダンタイムスに見えたものが、こちらではのんびりとはいかないが、ゆったりです。私の方を見て自慢そうに、にっこり笑って溶接していたおっちゃんに(メルセデスを作っているという大いなる自負を垣間見た思いでした。実際メルセデスのその工場には、購入したオーナーのおよそ50%ぐらいが引き取りに来ると言うのです。メーカ自体がそれをひとつのセレモニーとして捉えていて、車の生産途中を見ることもできますし、オーナは奥さんと受け取り時に記念写真を取って、満足げに乗って帰るのです。そう言った、「メルセデスに乗ると言うこと」それすべてを商品価値として提供できるように、工場には歴代メルセデスが置いてある博物館があり、また古いメルセデスをメーカがレストアする工場も持っています。
こういう「自動車文化」というレベルまで楽しめるようになっていることに、うらやましく思ったものです。
今ではホンダや、トヨタもヒストリックカーを展示したり、独自に博物館を持ったりするようになり、自社のルーツやヒストリーを大事にブランドづくりをするようになりましたが、西洋と比べるとまだまだです。(これには戦後GHQが過去否定をすり込んだ思想教育の傷跡が垣間見えます)先人の技術伝承に敬意を払えない企業は、60年前後でつぶれるでしょう。それは歴史が証明しています。残念ながら日本には近代産業歴史館自体が貧弱で、その中でも軍事技術がすっぽり抜け落ちています。それが本当に残念です。
補足ですが、この当時でさえ電装品のハーネスにまだギボシ端子が使われており、「ああ、初期不良でトヨタに敵わないのも納得」と思ったものです。トヨタは品質向上作戦で、あらゆる生産車の初期不良を集計し、その大半が電装品関連の接触不良を突き止めました。なのでみなさんおなじみのロック式コネクタ端子が全てに使われ、結果スタンレーとか、デンソーとか、矢崎とかパーツメーカに浸透した結果、日本の自動車メーカの3カ月以内の初期不良は激減したと聞いています。欧州メーカが同じように品質向上したのは、皮肉にも日米構想協議で崩壊させられたパーツメーカが、海外進出して日本製のハーネスを使うようになってからです。
ベンツはブランドなりにその重みを自負しており、まじめで愚直な車づくりはさすがです。安直な小手先の技術には頼らず骨太な進化をしますが、一方で保守的で、革新的なものはそうやすやすとは出て来ません。そこが長所でもあり欠点でもあるでしょう。けれどメルセデスこそは唯我独尊で「我が道こそが自動車なり、、」でしょう。
ハイブリッドや電気自動車の市場が大きくなるにつけ、彼らがどんな車を出してくるのかに興味が有ります。それは、人間との距離を開きつつある近未来自動車」をどう作りこむかに、彼らの「自動車」に対する思いが透けて見えるはずと思うからです。
今回は、防府、太田、シュッツトガルトといった地を訪れた古い記憶を思い出しつつ、書いて見ました。
では、良いお年を!。 これからサンダーバード→新幹線さくらにて熊本に帰ります。