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2014年09月27日 イイね!

モノづくりに寄せた心の旅路 

モノづくりに寄せた心の旅路 みん友さんのブログを読んだら、なんとなく書きたくなったので、つらつらと。
(ストレスなのでしょうかねぇ、こんなこと思うのは)
 

子供の頃から好奇心旺盛で色んな機械をバラしては壊す、良く居る子供の一人だったでしょうか。今は分解しても、目に見えるメカニズムで完結する機械は乏しく、電子機器やソフトウエアこそがモノづくりの表舞台の感もあります。 それゆえ幼少の頃のインスピレーションと具体的な創造過程が今の若者に育つのか、いくらか心配な気もします。(ドイツではマイスター制度も含め、企業内に昔ながらの工程を学ぶ伝承設備がありました。昔ながらの測定方法と、最新のレーザ測長を併用して記録を残してたりします)

個人発明家でモノをつくるなら、ひたすら理想追求の設計を志向しつつ、しかし通常は資金の制約をうけるでしょう。企業におけるモノづくりもマーケティング、企画段階での外殻を決められた後、ターゲットコストと持ち得る技術リソースの範囲で、あれこれ各部署と調整という戦いを経て、なんとかましなものを世に問いたい、、と苦戦するものです。

ところがそれは、与えられた要求の中であっても「こうあるべきだ」との理想、あるいは思い込みによる「理想像」との相対化によって、初めて葛藤がうまれ、妥協と言うバランス取りをしてなんとか産み落とされて行きます。そのような葛藤を経ず、ヒラメで生まれたモノには魂は宿らないでしょう。

開発に向かう姿勢は、その対象物の置かれた環境(競合状況や自社のポジション、経営的状況などなど)により様々ですが、幸いにして私は複数のパターンを経験させてもらうことが出来ました。若い時分からは相当変節してきたように思います。


若い時は、単純ロジックで実力も有りませんから

①「要求仕様をいかに実現するか」で精一杯

とは言いながら、既にある方法論で作るなら、それは既にあるメーカに任せりゃいいじゃん。
人類のリソースの無駄使い、企業の独善的な、顧客不在の無駄な争い・・・
なんて考えるもんだから厄介者扱いだった気がします。これは所属する企業文化にも因るでしょうね。

F1みたいに、「性能の絶対値を追いかけるあまり、操作運用が犠牲になる」 結局機械は全自動無人メンテナンスフリー、、なんてことを実現しない限り「人が動かす」という原点を見失うと、「あれ?ここ凹んでますね。」とお客様に聞くと、「ああ、従業員が蹴ったんですね」と、そんな機械になっちまうw。

次に
②「そもそも要求機能は正しいか?」
とマーケティングに難癖をつけ、それじゃあと自分で市場調査し、要求そのものを創り上げ、そこからそれを実現する機構を考案し作る。今度はシンメトリカルな歪ゼロを目指すよりも、メンテナンス容易な、片持ちアンバランス構造。しかしそれでも精度を崩さないのが遠回りだけど技術と言うものだろう。。なんて思えるようになる。見る目の審美眼が変わった頃。
自然は神様の法則どおりなので、極めて美しい。しかし人工物がそれをそのまま真似ても勝てない。そこに人間が居て初めて完成する形だと美しく見えるようになる。


次にバブルは崩壊し、コストダウンが花形に。安かろう悪かろうの中国製さえ、早く末端貧乏人にまで恩恵を与え得る、、という正義によって、人間の作った「模倣はダメよ」のルールなんぞ飛び越えて10億の民に分配される。液晶TVやCD、DVD、携帯電話、そう言ったものは「モノづくり」の日本人の職人的感性からは、思いも至らない。確かに修理が必要な時期には、陳腐化している技術だからね。

顧客の声を聴いたアンケートなんぞ、マーケティングでもなんでもない。2つの強力な意思だけが商品開発を決める
A)売れた商品が、良い商品
という流通、ブランドなぞに物言わせた物量作戦で技術を飲み込む強者の戦略。
消費者は、売れてるからには良いものだ、、というステレオタイプの自分で指針を持たない分野の商品は、おおむねこうやって買われている。

B)顧客の声の矛盾を突いて、解決提示の出来る新技術商品
広いトランクがほしい、、というアンケート結果で、オーバハングのでかい無駄に大きな車が誕生する。すると「こんな取回しの悪い、カッコ悪いの嫌だ」などと拒否られる。
買ってくれた「実需」を調べず、「売り込みたい」守銭奴が会社に蔓延するとこうなる。しかも売れなかったからといって彼らは責任なんてとらない。いわく「そりゃ、デザイナーの実力の無さ、それでも売れる車にするのが君の力だろう?」なんてねw。
それゆえ、人間を知る優れた設計者のある種独善で作る商品。

売れるのは大体、このいずれかですね。



③「顧客要求の実現は、客のこうならいいな、という要求とは違う」
と見えている結果ではなく、不満の原因にさかのぼって解析しなければ、真のニーズなんて見えてこない。もしそれが見えたなら、イノベーション実現手段を探し求め、複雑な(それでも相当単純化したつもり)機械を未完成なデバイスで何とか達成してみた。ところがそれは時代に早すぎた。周りの誰もが、気が付かない変化は、これまた商品価値がわからない。

売れるためには一歩でなくて、半歩先ぐらいが、ちょうど良いと気が付いた。
さて、世の中は失われた20年。選択と集中の時代。何のことは無い、あれもこれもと、敷き詰めた「要望」の結果を、「儲かるものだけ」に絞り込んでみただけで、なんだ、お客も困らないじゃん。。と無駄なセグメントバカのわがままに気が付いた。

さてそれではと、、こうあるべきなモノづくりなんて出来ないサラリーマン達によって、ありとあらゆる妥協を重ねて、果ては一体誰がこれを望んだのか?と意味不明な最大公約数商品が生まれてくる。そういった場合も多々あるけれど、今はこの程度なら、買い換えなくてもいいんでない?、とたいして購買意欲も掻き立てられないから売れない。 「これが有ったから買った」というような強い共感を得られなければ、物は売れない時代ではなかろうか。それ以外は100均的な商品に埋め尽くされてしまうから。



設計者の葛藤で、もっとも厄介なものは、共感できないコンセプトの設計だ。特に私の場合は冒頭、若き頃からの変わらない部分に関わるからですね。それもいざ作るとなれば、ありったけの知恵を絞ってなんとか最善に持って行こうとする職人魂は有るのだが、時と場合によってはそれが仇となるのだ。本来普通だったらすぐダメになるはずの商品が、総力戦で売れてしまう。営業、その他関わる全てが一生懸命汗をかく。そして一番ダメージを受けるのは大事な顧客だ。しかしお客様も「まぁ、可もなく不可も無くだ」程度であれば許せるが、やはり根本的に筋が悪いものはどうしようもない時が有る。下手に職人があちらこちらで死力を尽くすと、ダメなものまで生きながらえてしまう。

だからこそ、コンセプト段階での間違いは徹底論争すべきであるけれど、往々にして政治的御前会議で終わってしまう。サラリーマンは与えられた命題を一生懸命こなす忠義を求められるだけ?なのだろうか。永遠に尽きない課題。


戦前、堀越技師はゼロ戦を作ったが、軍部の描いた戦略に沿った要求仕様に基づいて作られた。その中で、①単座戦闘機でありながら行動半径1000キロを超える航続距離(南方での洋上制空戦闘が有ったから)②当時の単翼機としては破格の旋回性と高速性。(そもそもこの要求事態が卓越したパイロットの技量と、消耗を頭に置かない「覚悟」ありきの戦術ですが、そうでもなければ優位差を埋められない事もわかりきっていたでしょうが、そういった良かれの無理が積み重なって悲劇になるのは民族性かもですねぇ)

この無茶な2つの要求を満たす答えが、氏の究極のこだわりで作った「軽量化」であります。限られた栄エンジンの出力で要求を達成するためにはこれしかなかったと考えられます。

結果、防護性能ゼロ、究極に工数の掛かる製造構造、材料歩留まりの悪い流線型デザイン、、、といった設計図が生まれました。つまり堀越技師は、軍要求に忠実に私見を挟まず猛進した結果生まれたのがゼロ戦。また、後の大東亜決戦機と言われた疾風のエンジン誉を作った中川氏(のちのスカイラインの始祖)は、与えらえた条件の中で2000馬力級の小型軽量エンジンを要求され、危険を承知で敢えてコンロッドメタルにケルメットを使って当時としては一段高い面圧で設計した。そうでなければ要求を満たせなかったからです。しかしこれが仇となって実際に使われる場面では、劣悪なオイルと低オクタン燃料で、トラブル続きでした。

まぁ、開戦前の日本が、開戦後どういうインフラ状況になるか、それを踏まえていれば、そもそも開戦には踏み切らなかったかもしれませんが、設計屋は結局与えられた命題を達成することがまずは第一義で、個人的に「将来こうなるから、、こうしておかないと・・」みたいな見通しは往々にして無茶な高望みの要求仕様の障害になるため、ひっこめざるを得ないのです。
けれど、これが往々にして悲劇の始まりです。


ですから、「想定された条件だけ」という普遍的な物差しで「モノ」が評価されるなら、それは古き良きルネッサンス時代の「アートとテクノロジー」分かれる前の芸術品として設計出来たのでしょうが、私的には「払った対価」として評価される機能、性能、を含めた「満足」を実現したいと思うのです。するとそこでは理性を離れて「感動」といった情緒換算された評価軸が無いと、測れなくなってしまいます=金儲けしか頭にない人はこれだと換算出来ないのです。「それは儲かるのかと?」(^_^;)。


美しいゼロ戦は武器ではなくアートであって、好きな設計者であるクルト・タンク博士はフォッケウルフの生みの親ですが、大量生産が可能でメンテナンス容易、そこを優先させた上で、性能を出しました(つまり武器だから)。日本のような軍の要求仕様の出し方だったのか知りませんが、メッサーシュミットとの比較競争で有りながら、彼独特のあるべき要求を満足させた結果、軍の評価試験で思いのほか優位な「結果」を残します。そのような、設計者の思想が発揮できるだけの軍に柔軟性があったのかもしれません。ゼロ戦は開戦前から累計で日本最多の1万機が生産されましたが、、フオッケの代表作A-8はおよそ1年足らずで8000機以上も生産出来ました(直線基調で、生産性優先)。(フォッケのエンジンはBMW、ゼロ戦の栄は中島飛行機(後のスバル(プリンスも))で因縁の対抗心が(笑))。

モノづくりはその「作ること」が主役ではなく、「何を実現させるのか」という目的に有ります。職人としては刀剣の刀鍛冶のように己一人の魂でひたすら技を神(物理法則)とぶつけて対話して行きますが、その刀の役割には無関心です(恐らくそこは人に委ねているから)。
ですから、モノづくりの対象の規模にも、その役割にも寄りますが、コンセプト設計と現物設計の両方があり、双方を一人でやれる「モノづくり」が幸せですね。


ここで本題に戻るのですが、モノづくりの本質は、究極「人類幸福への貢献」だと考えます。するとどうしても「人類の幸福とは何ぞや?」となって、結局自分に判断できる「私の幸福」という極めて私的な範疇の物差しによるもので考えざるを得なくなるのです。

そこにはサラリーマンとしての「糧」の制約が有ります、けれどその中で出来る範囲での自分の信念としての軌道修正を織り込みながら、日々奮闘??、最近は無駄なものは作らん方が良いんでない?なんて思う今日この頃。

個人的なモノづくりの心情としては

①既にあるものは作る必要はない。(画期的に良くなるならその限りではないが)
②いざ作るとなったら、出来るだけ完成された技術を寄せ集めて、実現できていない性能を出す。(未知の技術=品質未完成な技術と思え。ゆえにそれを抱えて未知の性能にチャレンジするのは研究か趣味であって、商品開発ではない)

③高度なパッケージングに知恵を絞ると一石三鳥の設計が出来る。けれど少し要求や条件が変わると、1つが全てをダメにするので、高度な設計要求は途中で変わらないことが条件。

④バランスは静的だけで見るのではなく、動的状況で見る。そして無負荷中立をどこに収めるか注意する(運用環境の範囲を見極める)。

なんて事を思います。


設計気質にも0を1にする人と、1を2にする人、2を10にする人、それぞれ持ち味が有ります。けれどサラリーマンはそんな視点で適材適所に配置されません。民主主義は個人主義に比べて著しく非効率あるいは、超えられない壁が有ります。日本では0を1にする人は恵まれません。
2を10にする人が重宝されます。けれど、開発資産の時差を評価できない組織は、肥大化とともに衰退が避けられないのは、東西を問わずのようですが。


尚、このブログはフィクションが多数含まれたたわごとであって、わたしの仕事などとは全く関係ないことをお断りしておきます(^_^;)。色んな人々との交流から聞いたことですよw。

リタイヤしたら、こずかいの範囲で創りたいモノを創ってみたいです(頭に有る設計図を具現化して)。
Posted at 2014/09/27 20:29:25 | コメント(2) | トラックバック(0) | 雑感 | 日記
2014年09月25日 イイね!

ちょっと面白い対談でした。

ちょっと面白い対談でした。時々、中身に応じて買っているモータファンイラレですが、今回元ランエボX開発者で有名なS氏が試乗してあれこれ、評してスバル開発者と対談するという企画。


どれどれ、、と読んで見ると「なるほどねぇー」と色々感じるところあり。


以下は モーターファン・イラストレーテッド Vol.96「駆動系再考」 立ち読みして(^_^;)の感想です。
(S氏の発言は私の記憶で要旨を書いてるので、正確ではないかもしれませんが)


いわく
①S4のハンドリングは、インフォメーション不足、AWDなのにスタビリティも希薄な感じ、、

だそうな。これは、ある意味私の感想とも一致するけど、いま時は低燃費志向でタイヤを無駄にトーイン着けてグリップさせないので、そもそも希薄。基準としているレベルが不明だがエボXと比較しているとしたら、そらそうでしょうね、前後にLSD入ってるもん。・・・とおもったら

「STIは良い」

と。やはり前後のLSD差でしょうとの推論でした。
追記)ちなみに、今回のWRXはハンドリングの応答性を高めるために、リアトーインを付けて即リアのヨーが出るようにした、との話がありましたね。そのかわりAWDはストロークでのジオメトリステアが出るのを嫌うため、そこは変わらないようにした(たぶん、インかからアウトと言うように、ストロークにって、逆相を跨がないようにしたと思われます。)

いわく
②ハンドル切ってアクセル入れてくとS4は早めにプッシュアンダー、STiは少ないがDCCDを弱めるとさらにアンダーは減った。
そりゃ乗り方が。。。ここで、ランエボ乗りの違いがはっきり出てる。コーナでリアが出るようなヨーモーメントが出ていない状態で、アクセル踏んでいけばアンダーになるのが自然。それがアクセル踏んで曲げて行けないAYCの先進性に付いて来てない、、と言いたいようだ。 これは実は非常に大きなポイントだと思った。

ランエボXがドカンと踏んで、コーナ入ったらすぐにハンドルで決めてアクセルで引っ張り出して曲げて行く乗り方。これがもたらす先は、よりハイパワーとよりハイグリップなタイヤ。でひたすらタイムを削る「速さ」の追求である。モータスポーツなら正常進化。けれど・・・。

リッターSSが高性能でひたすら高性能化して行って、高額化、消耗、維持費、、と気合が入らないと疲れる方があたまをかすめる。そして市場は萎んでゆく。 ランエボ自身は三菱の経営的な要因が大きいだろうが、それだけでなく車自身の方向性にも原因が有るような気がする。

スバルは、机上の理詰めもあるだろうが、最後は人間の気持ちよさ、違和感のなさを優先してるのだろう。それが「安心、安全」を外さないスバルの哲学だろう。



③トルクベクタリングと言うからには、ブレーキ制御の疑似LSDでお茶を濁しちゃいかんでしょう。

そりゃ確かに、加速勝手のタイムを削る走りにはブレーキ制御のトルクベクタリングではだめだろう。けれど、そもそもそれの作動を期待した走りは、公道の走りでは違うのではないか?。スバル開発陣の言葉で、あくまでも破たんした走りを補助する、、というスタンスを私は支持するなぁ。

物理法則のフィードバックによる自然な体の反応、、、この範疇に通常の車は留まるべきだろうと私は思います。 ポルシェが再び1線を越えて、リアステア、電子制御ブレーキによるトルクベクタリングなど、「誰でも【勝手に】速く」・・・に走ることで、間口は広がるけれど、ポルシェを駆る楽しみは減ってしまう。。その対極にマツダのロードスターが居ますね。


と言うわけで、両社の違いが良くわかる対談でした。


興味をある方はぜひ、購読して消費拡大にご協力ください(笑)。このような記事を書いてくれる雑誌は貴重ですから。

追記2)ちなみに私自身はランエボも好きです。この車に詰め込まれたメカニカルエンジニアリングと制御ロジック(4輪トルクベクタリング理論でのヨー制御)を、よくもまぁメーカが許して開発出来たもんです。エボXなど作るだけ赤字なぐらいコストが掛かっていると思いますし、駆動系に詰め込まれたメカは世界に誇れるものだと思います。

Posted at 2014/09/25 20:26:34 | コメント(3) | トラックバック(0) | 雑感 | クルマ
2014年09月21日 イイね!

変速機の違いに見る車との対話の差

変速機の違いに見る車との対話の差この記事はみん友のタッチさんの、たまにMT車に乗って思ったこと。。。について書いています。
(長文注意)


最近、ダウンサイジングターボの良く出来た車や、低速トルクとレスポンスのいいクリーンディーゼルターボの高級車に乗ったせいで、4気筒でもなめらかだし十分なものだよね。。と言い聞かせ、、と思う一方で、低燃費で実用性十分なパワー&トルク。 それが非常に良くできたシャシーに乗っかり、高級感あるインテリアに包まれると、それはもう十分に素晴らしい車であります。何も言うことはない、、ハズではありますが、その一方で今乗っている黄昏の大排気量多気筒エンジン(と言ってもたかだか3L/6気筒ですが)の気持ち良さ。

何か物足りない、その差はエンジンとの対話ですかねぇ、、ということはトランスミッションの存在も大きいよねぇ、、となり、また面白いネタを掘り起こす人が居て、、「ああ、あんなことも考えたよなぁ」とまた深淵に引きずり込まれるのですwww。


さて「MT運転の楽しさ」について私的意見ですが車(バイク)を楽しむことの中に、「エンジンを楽しむこと」という章立てが組み込まれている人、それも非常に大きい山場として、、、なんて人の駆け抜ける喜びの中身において、ATとMTの違いはどう認知しているのか?。また考えてみました。

実はATにおける「これじゃ、向こう側に行けない」感は、MTがエンジン回転数制御型モード運転にドライバーの意識が切り替わるから、、と過去のブログで書いていたわけですが、その中でもシフトレバーを動かすこと、、が重要ではなく、私の場合は「クラッチ」操作が「意識のスイッチ」になっていると書きました。突き詰めればシフト操作自体は機械がやってくれても全く構わないのです。

そして、変速行為を「トラクション制御」の意識と置き換えて述べられてる、タッチさんの考察には、まったく全面的に賛成です。頭の中では何速に変える、、と言う意識よりも、「次のコーナにはこのぐらいのトラクションが必要なはず」と未来予測思考に対して、無意識化で手足がそれを実現するように動いたにすぎません。なので、「この次はこうしたい」制御を人馬一体となって実現するAT制御システムが出来れば、MTは要らなくなるのでは??、ということを考えたこともあったのです。そしてそれが通常は「有意差の核心」だと思います。
それで、話は終わるはずです。

ですが、それだけでなく「クラッチの存在」(しつこい(^_^;))が重要なことに確信も持っているのです。

タッチさんが述べられているような、手足が勝手に動いている・・・つまりそれこそが車との一体化、AT化によって自立型自動車となり、ハンドルと加減速入力のみで走りが成立するのに対して、MTはクラッチの介在により非自立型自動車であり、ドライバーが動力をつないでやって、初めて動き出すわけです。この「意識」がきっと大事なんだろうと私は思っているわけです。なので以下は、多分極めて個人的な自身に限った感想だと思いますが、一応述べてみたいと思います。

リンクしていただいた 一連の「MTとATの違いを考察する」を書いてた当時、情報伝達経路の違いをブロック図にしてあれこれ考えていたんですが、PCの中から出て来ません(先日死んだHDDの方にはいっていたのかなぁ)。ので割愛しますが(汗)。(走りの組み立てに実は寄与していないクラッチ操作の左足運動だけが、これら神経回路とは別の系統に属すると考えられました)。

車を走らせる運転操作の思考回路と手足の運動回路にあって、ATはハンドル、アクセル、ブレーキ、パドル操作と、どれもがいわば同じ次元のスイッチ(アナログ的ではあるものの)操作であり、目的意識は前後左右の「G」変化やグリップ限界のみに有るように思いました(に対してクラッチ操作は単に機械工学上の未熟事項であって、ドライバーが「機械の頼みを聞いてやっているようなもの」に過ぎないので従来から雑誌評論などでも過小評価というか、考察の対象にすらなっていませんでしたが。)

なので、タッチさんが指摘されたATとの違いは、その先の変化に合わせた予備行為をしてくれない「変速制御」に不快感というか、不満足感を感じるから、、というのはひとつの答えだと思います。実際、これは非常に大きな違いであるし、ストレスの差になっていると思います。ですから、この違いによって、積極的にドライバーがトラクションの期待値を求めようとして運転すると、従来AT任せだった「意識」が切り替わって、「ドライバー自身が主体性を持って運転する=ドライビングプレジャーにつながる」というこの違いには大いに賛同してます。私自身も、それを知る機会が実は有って、ATでも積極的にマニュアルモードを使った事件が有りました。それは会社の同僚のWRXのSPEC-Cに峠で付いて行ったときです。

(補足話)
『こんな車に峠で付いて行こうとすると、3速ホールドなんてもんじゃ全くダメで、2-3-4を駆使しないと立ち上がりで付いてゆけない。ところがこのATはシフトチェンジに時間がかかってまるでダメ、、だけれど911で覚えた突っ込み前変速完了の原則を使えば、ブレーキングをシながらシフトダウンを入れておいて、ハンドルを入れる時点では変速を終わらせておく時間さえ確保すれば、これはヒールアンドトウなどしなくてもいいので、微妙なブレーキングに集中できて意外と楽。ただしトルコンの介在感でタイヤのトラクション感は伝わってこないのだけれど、一応ついてゆけました。この時ばかりは、マニュアルシフトをばかばかしいとは思わず、無意識に「手が動いて・・・」となって楽しいのでした。

その時同僚は「レガシィって、結構速いんですね、それATですよね?」と驚いてましたが、「もちろんATだけど、マニュアルシフトで走ったよ(笑)」と。

つまり、自分の意識の中で、必要に迫られると、面倒なこともやらざるを得なくなり、結果の反応が良ければ、それに嵌ると(^_^;)。、一人で流していると、そこまでの必要性が喚起されないと言うことなのでしょう。』


これがMTの場合は、必然的にやらざるを得ませんから、「自分から動かして」ますから予測制御も出来るし、ミスも起きるし(笑)、となります。ですが、自業自得と言うか不快感はブーメランですから脳内で折り合いがついて納得できる?。だから余計なストレスを感じずに、満足度が高いのか?。いわば自動的に積極的疑似バトルモード(この場合は己が追求するゴーストとの戦い(笑))をやっていることによって、実はATでもMT的なエンジン回転数制御型運転に意識転換することは可能だと思いました。


しかしながら、そこにはかなり強い「外圧」が掛からないと、安楽なATモードに意識は流されてしまう。2つの変速機構の違いが生み出すドライバー心理の違いという元の結論に戻ってしまうのでしょうか?。


私が思っているのはこの論点とはすこし違って、さらにオタクな、私固有の生理的な感性だと思いますが(しかし、エンジンいじりしている人にはこの傾向は強いと思いますが・・・)

例えばこの違い。
A)近未来、スマホアプリのように生体端子が取り付けられた頭にスマホの意思伝達アプリが起動する。するとドライバーの加減速欲求がどうなのか、ブルー(冷静)、レッド(興奮)、ホワイト(無関心)、、なんて感じで伝わり、これを拾って、CVTが燃費と加速の折り合いモードを変化させる。するとドライバーはいつでも思った通りの加速を(車の能力の範囲で)得られる実に気持ちいい走りが実現する。その時、人の気持ちを汲取った車に私はこう、問いかける「どうして俺の気持ちを止めてくれなかったんだい、その先にパトカーが君のアイサイトでは見えていただろうに・・」と文句を言う(^_^;)。
人はどこまで行っても、自分に都合のいい自分が好きだ。

B)制限速度ちょい下の速度で前のトラックにつかえたスポーツカーが居る。さっさと抜いてしまえばいいのに、と思いつつ、車の中を除くと、携帯片手に何やら頭を振っている。「こりゃダメだ、」と思うが早いか足と手はクラッチ、シフトレバー、アクセルとパクパク動いて、タコメータだけが4000回転まで跳ね上がるがGは変わらない。そのまま前方の状況を見極めて、車間を取る。そして、後ろを見て頭にオールグリーンランプが点くや、ウインカーをだし、アクセルを踏んづける・・・
と言った行動で車を操って走るとき、車はまさにドライバーの能力拡大スーツとしての道具となっています。人馬一体とは異なり、自分が能力覚醒したアスリートの感覚。どこまで行っても車の中に、意思を委ねない。

私はバイクに乗っている時はまさにこのAパターンで、バイクは鉄馬で「必要なトラクション」が得られるところに無意識的にシフトし、人馬一体という2つの人格の融合的快感を得ているようで、パドルだけであれば完璧です(クラッチレスで可)。ところが私の場合、自動車は人馬一体ではなく、自身の強化パーツというか、モビルスーツ的?なBパターンのようなのです。


このような考えがうろついて、つまり「私の場合は」ですが「自動車側に自立判断を委ねる」ことにどうも拒絶反応が有るようなのです。もちろん仕事モードでの走りならむしろ逆で「俺は寝てるから、着いたら教えてくれ!」とでも言いそうです(笑)。 ところが自分自身がスポーツアスリートで、ランナーズハイみたいな気持ちになりたいと潜在意識が渇望しているとしたら、全ての艱難辛苦は全て自分のモノとして受け入れ、その上での最大成果(自分の思い通り)を得ようと言う行為になるのだと思うのです。

その時、「クラッチ」(また出た!)の存在は大きくて、つまりエンジンという動力源(物理運動の拡大増幅装置)を自分側(車ではない)に持っている意識を確認させるのがこの”クラッチ”の存在なのだろうと思うのです。故に全自動操縦モードであっても、心臓部分を寝ているドライバーから借りて、動き回るようなイメージであり、ドライバーとしては、「寝ている間に「自分の活動限界」を引き出されては気持ち悪いわけです。

何言ってるか、わからなくなりましたね((^_^;)。

うまく表現できませんが、全自動運転自動車に乗って、「目的地まで行ってくれ」という将来地図は、AT自動車の未来とつながっています(だからスバルはCVTなのでしょう、しかし以下の私の主張部分が彼らにはわかってないかも、あるいはだからMTはSti?脱線www))。

一方、MT自動車の場合はどこまで行っても動力源をドライバー(私)が握っている感覚を持つことが出来、そのことこそが、MT運転の「核」なのではないかと思っている次第です、なのでシフトレバーやパドルをマニュアルで動かす2ペダルも、もしATモードが無かったら分類的にはMTに属するんでしょうが、色々意識を試してみた結果、自分が認めている「MT」とは、実はエンジンを自分側に置いているかどうか、つまりクラッチ操作権を自分が握っているかどうか、に因るのだと言うのが今の持論です。(Aの話であえてCVTとしたのは、クラッチの概念が無い機構だから、よりイメージが合うと思ったからです)

なので、ドライバー側が必要と感じる「トラクション」を常に用意する無自覚なシフト操作が有ったとしても、それは究極アイサイトの発展した人工知能が予測し、ドライバーの気持ちとシンクロしたとしたら、それは実現するかもしれません。そうすると改めて気が付く違いは、「エンジン」を車側に置いてくるのか、ドライバー側に持っているのか、の違いと言うことになりはしないか、という考察です。

逆に見てみると、結局私の言う「MT変速自動車」の定義は「エンジンのトルク(ご機嫌領域)を常にドライバーが(自分が)操っている車のことのようなのです。

だから、車を選ぶとき、たとえATであっても「エンジン」の官能性にことのほか、執着してしまうのかも知れませんね。エンジンの個性自体が、自分の分身、変身願望そのものなのかも。これはエンジンを組んで、あれこれチューニングして一喜一憂していた性なのかもしれません、初めて組んで火が入って回り出したエンジンは、本当に生き物のように感じて感情移入して来たからです。なのでエンジンが無表情な電池やモータのようなものであったなら、そこまでの車に対する刺激は感じないものだったかも、とも思います。


話は発散しましたが、昨今の出来のいい省エネの「トルクの井戸」型エンジンと良くできた快適なシャシーに乗っていると、高い満足感を得ている一方で、何かしら抜け落ちた「何か」郷愁のようなものを感じる気がする理由は、それがまるで心が宿っているかのような、情緒豊かな「エンジンの叫び」が聞こえなくなってしまっているからではないか、、、などと(^_^;)。
思う今日この頃。

以上
Posted at 2014/09/21 22:20:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | チューニング独り言 | クルマ
2014年09月17日 イイね!

BRZの救世主?なるか、気になるサスキット。

BRZの救世主?なるか、気になるサスキット。
面白いもんで、本家にとっては嫌なパーツの登場かもですねwww。

スバルのBRZは登場した時から、昔乗ってたSA22Cこと初代RX-7に非常に似た車だと感じて、親近感も高い車でした。


当時改造して乗ってた仕様が差引あるけど車重およそ1000kg。WBは2400mmにエンジンはサイドポートチューンの13B(推定スペック180PS/トルク22kg・m程度の48ダンドラのロングマニ仕様)

対してBRZはRAで車重1190kgに200ps/20.9kg・m。WBは2570とやや長いけど。

トルクウエイトレシオがBRZは50を切れないけれど、この付近のスペックにとても気持ち良い領域が有ることを知っています。ここからパワーを上げててゆくと、どんどんやんちゃなブイブイ車になりますが、残念ながら癒しのクルーズをするには何もかもが刺々しい、ということに。 ブリッジやぺりは刺激的で、それはまた違った楽しさが有りますがいつでもどこへでも出かけれる鉄馬には少々無理が有ります。ユーノスロードスターがロングセラーであるのも、結局サーキット使用者で無い限り、車と過ごす移動時間に、「ゆっくりでも楽しい」を無くさないことが重要だと考えています。


さて、前置きが長くなりましたが、そのBRZ(トヨタ86)用に社外のサスペンションキットが発売になるようです。もちろんこれまでもあったわけですが、私が注目したのは今回、その欠点と思っている部分に手が入ったからです。

固めて行ってスポーティ、なんて言う走りで楽しむには問題なかったでしょうが、上記に上げた、峠と峠をつないでドライブが楽しめるためには、いかになめらかにクルーズ出来るか、綺麗な荷重制御で旋回できるか、といった大人の走り(単にもうろくしただけとの指摘(^_^;))。

先にS4やレヴォーグでこれ以上上質を求めるとどうしてもフロントサスの仕上がりが気になる、、といった視点を述べてましたけど、BRZは「どーしたんだスバルよ!」というフロントサス設計になっていました(冒頭写真)。当たりが付いていない新車の試乗とはいえ、コーナでの旋回荷重時にフロントサスの沈み方にはなめらかさが無く、これじゃあねぇと言った記憶が有りました。(過去のBRZ試乗記

ビルシュタインのサスキットは以下の写真のように、そもそもストラット長さが取れず、シリンダ長さが取れません。なので、現状肯定でストロークを縮め、固めて、ヘルパースプリング入れて、チューブ剛性を倒立ロッドごとごつくして、、、、と。サーキット走行だと負荷が高いので無理やり動くかもですが。。。


そのような、GTカーとするにはアキレス腱ともいえる構造のフロントサスペンションですが、今回発表されたショーワのキットには、その設計的怠慢にメスを入れて有りました。

まず、BRZはAWDをやめた構造ながら、フロントナックル部はドライブシャフトが通る構造になっています。これは、インプレッサからの流用、改修、または将来AWD化の布石?かわかりませんがそういう構造に見えます。これに従来からのストラットシリンダーを取り付けるわけですが、真意は不明ですがT社から、「何が何でもボンネットフェンダーラインを低く!」とのお達しで、車幅と切れ角、水平対向エンジンの縛りで、なんとスバルでは見たことも無い直巻きスプリングのスラストキャンセルオフセットの無い取り付け構造。他のスバル車を見る限りこんなものは初めてなので、上記の噂も真実だろうと思うわけです。
やむなくやっているオフセットキャンセル配置(古くはBMが特許持ってたような??)


これに対して、下の写真のショーワのシリンダーはこのドライブシャフトが不要なことを利用して、スラットシリンダーを下方に延長突き出した形にしています。これで60mmも長さを稼ぎ、ロッドベアリングのスパンをおそらく30%以上は稼いでるのでは?と思います。ガイド長さの延長は相当効くはずです。加えてチューブの肉厚も増やしてると言うことは、やはり剛性が足りないと言う裏返しでもあります。



さらにセットされるスプリングは高応力の荒巻タイプで軽量化し、そのエンド処理はテーパ当たりで、ロッドに曲げがかかるようになっているようです。これはストラットにかかる曲がり応力をキャンセルするように取り付けるはずです。車高はわずか10mmダウン程度で、目いっぱいストロークは犠牲にせず、ばねレートもフロントが柔らかめのようで(動く足になったから?)。

私が興味を持ったのは、いわばスバル、トヨタラインとは異なるホンダとかと付き合いのあるショーワがこれを出したところです。これ、設計屋から見たら「嫌がらせか!」と思うほどのダメ出しじゃありませんかwww。

私は、この足ならBRZの中古買って付ければ、相当気持ちよく乗れそうだと思った次第。



【SPK、SHOWA TUNINGの「SPORTS Evolution-極-」に86/BRZ 6速AT車用を追加 】
以下引用
>このSPORTS Evolution-極-を装着すると、純正状態から車高がフロントで約10mm、リアで約15mm低くなるほか、肉厚化されたフロントダンパーケースによって耐久性が向上。また、路面からの入力や車速の変化、ステアリング操作などによって発生するダンパー内部の作動周波数ごとに減衰力を自動的に変化させる「SFRD(Sensitive Frequency Responce Damper:周波数応答式可変ダンパー)」を採用。さらに微小ストローク領域におけるフリクション特性の最適化と乗り心地の向上を目指した新しいダンパーオイルを使い、さまざまな状況で乗り心地と操縦安定性を両立させている。

 このほか、86/BRZは基本設計のフロントストラット長が短く、横力に対する作動性で不利なレイアウトになっているとの分析から、SPORTS Evolution-極-ではフロントストラットの下端を60mm延長。この60mmのうち、45mmをベアリングスパンの延長、15mmをSFRD構造の組み込みに利用し、フリクションを大幅に低減させている。このダンパーに組み合わされるスプリングは、スプリングレートがフロント35.0N/mm、リア44.0N/mmとなる。
Posted at 2014/09/17 20:32:24 | コメント(6) | トラックバック(0) | チューニング独り言 | クルマ
2014年09月16日 イイね!

1泊ツーリングでNUDA4台集合

1泊ツーリングでNUDA4台集合3連休は後半2日を使って、ツーリングに行って来ました。

東京の知り合いの友人合わせて3名と、NUDAミーティングで知り合いの4名(うち1人は愚息ですが)の7台ツーリングでした。(息子は初日のみ参加でかわいそうに、ほとんどビーナスラインを登って一服して、すぐに翌実仕事のため帰還しましたがw。)

愛車を撮る息子


日曜は相当な月光仮面が出動しており、大漁だったのかも。

当方らは無事、アクシデントも無く満喫できました。

富山から岐阜に降りるときは12℃。 松本市内の渋滞は34℃、んでコテージに着いて、夜は8℃
バイク乗りには寒暖の差が激しく、ウエアに気を使います。私は寒い方に振っておけば、暑さは何とかなる、、との方針でインナー抜いた冬用で出かけて正解でした。

唯一の渋滞だった松本市内(暑かったけど、30分ぐらいで抜けれてよかった)
帰りは避けて、岡谷からショートカットで伊那まで高速で時間稼ぎ。





貴重なNUDA900Rの4編隊


美ヶ原にて


珍しく2日間共に快晴恵まれ、とても気持ちよく(穴場)を走れましたw。
もう2本目のタイヤが終わりかけです。(6000kmだよ、あと1000kmはもってほしいな)
Posted at 2014/09/16 22:26:37 | コメント(1) | トラックバック(0) | バイク | 日記

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結構おやじですが、若いつもりです。 バイクとクルマの二股恋愛です。 交流のある方は、基本「見たよ」代わりにイイネ押します。 その他は、文字通り、イイネ...

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