次は、越後で著名な山、弥彦山周辺です。
昨年、与板に行った際に、登山靴と杖という姿で与板城に登った際、地元の方に「山がお好きなら是非に」と勧められた山です。
ただ、今回は時間の都合上、弥彦山には弥彦山スカイラインで車で登ってしまう計画になってしまいました。
まず訪れたのが
彌彦神社。
彌彦神社(いやひこじんじゃ、やひこじんじゃ)は、弥彦山を神域とし、越後国開拓の祖神・伊夜彦神を祭る越後国一宮の神社です。
永禄7(1564)年には、上杉輝虎(謙信)がおさめた自分の戦いの「義」を明らかにした願文が今も彌彦神社に残されています。
現在の社殿は大正5(1916)年の再建です。
新潟県道29号吉田弥彦線にある大鳥居は、昭和57(1982)年に上越新幹線開通を記念して建てられた、高さ30mの大鳥居です。
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黒滝城の築城時期は定かではありませんが、鎌倉時代末期小国氏一族が在城していたそうです。
天文14(1545)年、黒田和泉守秀忠が出雲崎の新山城とこの城で長尾晴景に反抗し、天文15(1546)年晴景の弟長尾景虎(上杉謙信)に討ち取られました。
謙信は、後任に上杉家の重臣山岸出雲守光祐を城主としました。
後に山岸秀能、村山慶綱らが城主となりました。謙信が没した後の後継者争いの「御館の乱」では、山岸氏はは景勝方に味方しました。御館の乱後、直江兼続は「深沢弥七郎(後の山岸尚家)」を当城の山岸家に入れ城主としました。
景勝の会津移封で山岸尚家も同行し廃城となりました。
現在は黒滝城址森林公園として整備されており、主郭近くまで道は狭いですが車で登ることが出来ます。
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弥彦山スカイラインを走り、弥彦山頂上付近に到着しました。
眺望も良く、なかなか良い雰囲気です。
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越後平野を一望する霊峰、弥彦山(標高638m)の山頂にある
御神廟は、山頂に祭られる彌彦神社の御祭神の御廟(奥宮)のことです。
御祭神である天香山命は、国土を平定された神武天皇より、越後地方の開拓の勅命を受け、越の国の野積浜(現在の長岡市寺泊町野積地区)に上陸されました。
そこで早速漁民たちに海水を焚いて塩を作ることや、網や釣針を用いて魚を捕る術を教えられ、さらに弥彦に宮居を定められてから越後を平定し、さらに住民に稲作をはじめ諸産業のご指導をされたと伝えられています。
千年以上も昔から、弥彦神社は越後一宮として「おやひこさま」の敬称で親しまれています。
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天神山城(てんじんざんじょう)は小国氏(大国氏)の居城です。
仁平3(1153)年、源頼政の弟小国頼行が天神山に城を築き嫡子宗頼を住まわせたのが始まりといわれています。
その後、安元2(1176)年、小国頼継(頼連)の代から天神山城を居城としました。
戦国時代、小国氏は上杉謙信に仕え、小国頼村は天文23(1554)年の川中島の戦いに参陣、永禄3(1560)年、小国重頼は北条氏康との戦いで武功を上げました。
御館の乱の後の天正10(1582)年、上杉景勝の命により直江兼続の弟樋口与七が養子として小国氏を継ぎ、小国実頼となりました。天正15(1587)年には、景勝の使いとして上京し秀吉と謁見し、その際小国から大国に改め大国但馬守実頼と改めました。
慶長3(1598)年、上杉家の会津移封により大国実頼も会津に移り、445年続いた天神山城も廃城となりました。
岩室温泉丸小山公園、岩室神社付近から登城できます。
城跡は空堀、土塁、石塁などよく残っています。
王子製紙元会長で大国実頼の末裔にあたる大國昌彦氏の揮毫による石碑が本丸に建てられています。
平成21(2009)年の大河ドラマ天地人・第27回「与六と与七」の天地人紀行で「兼続の弟・大国実頼(新潟県新潟市)」として紹介されました。
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松ヶ岳城 (松岳山城、松嵩山城)は、岩室神社の裏にそびえる標高174mの松ヶ岳(松岳山)にある山城です。
詳しい実態や来歴は不明ですが、恐らく小国氏(大国氏)の居城天神山城の支城として機能していたと考えられています。
岩室神社からと天神山城からハイキングルートが通じています。
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岩室神社は、弘化2(1854)年、神明社、十二神社、諏訪社、稲荷神社の5社を神明社の地(現在の岩室神社)に合祀して建立されました。
松岳山城の登城口にあります。
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次は、新潟市郊外の城めぐりです。
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ドライブ | 日記
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2010/05/08 21:14:28