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ピズモのブログ一覧

2014年10月26日 イイね!

秋篠寺・法華寺

秋篠寺は、宝亀7(776)年、光仁天皇の勅願により、薬師如来を本尊と拝し僧正善珠大徳の開基により造営され、次代桓武天皇の勅旨に引き継がれ平安遷都とは,時を同じくしてその完成を見ました。ただし、草創に関しては宝亀以前当時秋篠朝臣の所領であったと思われる当地に既に秋篠氏の氏寺として営まれていた一寺院があり、後に光仁天皇が善珠僧正を招じて勅願寺に変えられたと見る説もあります。
保延元(1135)年、兵火により講堂他数棟を残すのみにて金堂、東西両塔等主要伽藍の大部分を焼失しました。
現存する本堂は、旧講堂の場所に位置し、鎌倉時代の再建によるものです。
愛染明王、帝釈天、不動明王、薬師如来、日光菩薩・月光菩薩、十二神将、地蔵菩薩、五代力菩薩など数多くの仏像を拝観することが出来ます。
中でも伎芸天は、頭部乾漆天平時代、休部寄木鎌倉時代による極彩色立像で瞑想的な表情、優雅な身のこなしで古くより美術家文芸家等の間にも広く讃仰者を集めている像です。
宗派は、当初の法相宗より平安時代に真言宗に転じ、明治時代に浄土宗に属しましたが、昭和24(1949)年、単立宗教法人となりました。
秋篠寺 - 01
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秋篠寺 - 02
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秋篠寺 - 03
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秋篠寺 - 04
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秋篠寺 - 05
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秋篠寺 - 06
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法華寺は、聖武天皇御願の日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后御願に成る日本総国分尼寺として創められた法華滅罪之寺で、女人道場「法華寺御所」ともいいます。
平城宮の東北に位置し、平城京左京一条、いま奈良市法華寺町の一廓に築地をめぐらして南大門を開いています。
天平17(745)年5月、藤原不比等の邸宅跡を、光明皇后が先帝のため改めて伽藍としたもので、皇后宮を宮寺としたのがはじまりです。従って草創以来朝野の尊崇を集め、天平勝宝元年には詔して墾田一千町歩を施入せられ、大同年中には駿河、美濃、上野、武蔵、越後、伯耆、出雲その他に寺封五百五十戸を持つなど、天平の大伽藍にふさわしく堂宇もまた金堂、講堂、東西両塔、阿弥陀浄土院と荘厳のかぎりを尽くしていました。
しかしながら時勢とともに寺運ようやく哀え、中世の記録は定かではありませんが、叡尊興正菩薩の再興、さらには豊臣秀頼公の外護、徳川氏の寺領二百二十石寄進などがあったとはいえ、旧来の寺観を失って今日に及びました。
貞明皇后が、大正12(1923)年に本尊御宝前に菊御紋章入り御燈籠一対が御献納され、大正15(1926)年5月には祈願仏を当寺へ遷座し、以来門主は日夜、御祈願しています
境内史跡指定建築物は南大門と本堂、鐘楼の三棟で、いずれも桃山時代に再建された重要文化財です。
本堂は慶長6(1601)年、豊臣秀頼が淀殿と共に片桐且元を奉行として 再建した四注造・本瓦葺・桁行七間梁間4間で、勾欄の擬宝珠や本尊須弥壇の銘文により、当初は講堂であったことが判明しています。向拝の蟇股・手挾の豪華な絵様彫刻に、桃山建築の精粋をうかがうことができます。
先年本堂の解体修理が行われた際、天平創建当時の礎石や古い柱根が発掘されています。この古い礎石は、鐘楼の地下からも発見されています。
鐘楼の東北、別の廓内にある「から風呂」は、本願光明皇后が千人の垢を流したという由縁を伝えており、現在の遺構は慶長年間に修理されたものです。
なお南の築地外にあった横笛堂は、現在境内に移されています。滝口入道との恋に破れてこの寺に入り、髪をおろして仏道修行に明け暮れた雑司横笛が住んだ古跡と伝えられています。
本堂の北に続く本坊書院は京都御所の庭を移築したと伝えられる庭園で、史跡名勝になっています。
(パンフレットなどより)
法華寺 - 01
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法華寺 - 02
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法華寺 - 03
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法華寺 - 04
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法華寺 - 05
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法華寺 - 06
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法華寺 - 07
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法華寺 - 08
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法華寺 - 09
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法華寺 - 10
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法華寺 - 11
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法華寺 - 12
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法華寺 - 13
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法華寺 - 14
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法華寺 - 15
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法華寺 - 16
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法華寺 - 17
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法華寺 - 18
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法華寺 - 19
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法華寺 - 20
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法華寺 - 21
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法華寺 - 22
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Posted at 2014/11/02 22:21:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年10月26日 イイね!

大和文華館と松柏美術館

大和文華館は、奈良市学園前の閑静な住宅街に位置する美術館です。昭和35(1960年)、近畿日本鉄道(近鉄)の創立50周年を記念して開館しました。
昭和60(1985)年には、美術研究所を併設、辰野金吾によって設計され、明治42(1909)年に建築された奈良ホテル・ラウンジの一部も移築されて文華ホールと名付けられました。
開館50周年の平成22(2010)年には、耐震補強やバリアフリーを目的とした改修工事が行われました。
蛙股池をのぞむ高台にあり、文華苑とよばれる自然苑が周囲にあります。1月から10月まで四季折々の花が来館者を楽しませてくれます。
今回は、特別展「酒井抱一 ―江戸情緒の精華―」が行われていました。姫路藩主酒井雅楽頭家に生まれた抱一は、琳派の絵師として知られていますが、絵画だけでなく書、俳諧など大名家出身でありながら、文化史に名を残した希有な人です。
大和文華館 - 01
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大和文華館 - 02
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大和文華館 - 03
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大和文華館 - 04
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大和文華館 - 05
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大和文華館 - 06
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大和文華館 - 07
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大和文華館 - 08
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大和文華館 - 09
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大和文華館 - 10
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大和文華館 - 11
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松伯美術館は、上村松篁・淳之両画伯からの作品の寄贈と近畿日本鉄道株式会社からの基金出捐により平成6(1994)年3月に開館した美術館です。
上村松園・松篁・淳之三代にわたる作品を展示しています。
「松」は、松園・松篁両画伯の名前と、美術館所在地である故佐伯勇近鉄名誉会長旧邸の庭に植えられている百数十本の松から、「伯」は、画伯の伯と佐伯氏の伯あるいは邸内の茶室の号、「伯泉亭」に由来しています。
松柏美術館 - 01
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松柏美術館 - 02
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松柏美術館 - 03
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松柏美術館 - 04
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松柏美術館 - 05
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Posted at 2014/11/02 22:19:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2014年10月24日 イイね!

たつの市新宮町の城めぐり

この日は、たつの市にある城山城に行きました。
城山城は嘉吉の乱で知られる赤松満祐が、幕府軍を迎え撃った大きな山城です。
登山ルートはいくつかありますが、馬立古墳群の姥塚古墳から登りました。
馬立古墳群は新宮町を代表する古墳群の一つで、この谷底平野一帯には32基の古墳がほぼ完全な状態で残っています。
この古墳群は6世紀後半から7世紀にかけて当時の農民の作った墳墓であると言われています。巨岩を巧みに積みあげた玄室と呼ばれる埋葬のための部屋と、通路にあたる羨道からできていて、埋葬が終わると羨道の入り口は石を積みあげてふさいでいます。
これを閉鎖装置と言いますが、再び死者がでたときは、この装置を外して横から出入りが可能なので、このような古墳は横穴式石室古墳と呼ばれています。 この時代の古墳には、死者があの世(黄泉の国)で生活に困らないように多数の品々を埋納することが特徴です。町内の古墳からも、須恵器と呼ばれる焼き物や、馬具、武器類、首飾り、金メッキをした耳飾りなどが出土して、当時の生活や埋葬の様子が分かります。
北側の山神社の近くの尾根の先端には、姥塚と呼ばれるひときは大きな古墳がありますが、古墳時代後期(6世紀後半)の円墳です。墳丘は二段築成で築かれており、直径18.5m・高さ6mの規模をがあります。
内部主体は片袖式の横穴式石室で、ラッパ状に開く羨道部と正方形に近い玄室(3×3.6m)からなる。玄室の壁面は極端な持ち送り構造をもち、高さ3.8mのドーム状の天井(穹窿型石室)を形成しています。
これは当古墳群の中心的存在で、おそらく村長と呼ばれる村の有力者が葬られていると思われます。この古墳は石室の平面が方形で、壁面は天井に近づくにつれて次第に内側にせり出しドーム形をしています。こういった石室は穹窿式石室と呼ばれ、大陸にその祖形がみられますので、渡来人の墓ではないかと言う人もあります。当古墳からは、子持ち壺など須恵器や玉類の出土が知られ、当地域の首長墓等からよく出土する装飾脚付壺が見つかっています。
なお、馬立にはこの南側の山麓沿いに、さらに6基、8基、19基の支群があり、計65の古墳が確認されています。
(現地説明板より)

姥塚古墳 - 01
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姥塚古墳 - 02
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姥塚古墳 - 03
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姥塚古墳 - 04
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姥塚古墳 - 05
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姥塚古墳 - 06
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姥塚古墳 - 07
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登城ルートは景色が良く、また、色々な史跡も・・・
城山城馬出ルート - 1
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供養碑 - 1
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供養碑 - 2
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蛙岩 - 1
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亀岩
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亀の池 - 1
亀の池 - 1 posted by (C)pismo

水争い遺称地 - 1
水争い遺称地 - 1 posted by (C)pismo

奥宮神社(井関三神社) - 1
奥宮神社(井関三神社) - 1 posted by (C)pismo

奥宮神社(井関三神社) - 2
奥宮神社(井関三神社) - 2 posted by (C)pismo

城山城(きのやまじょう)は標高458mの山上に位置する山城で、奈良時代の古代山城と室町時代の中世山城が同じ場所に立地しています。
古代山城の遺構は主に西斜面に残っており、石塁や「門の築石」と呼ばれる門礎等があります。「門の築石」は唐居敷と呼ばれる形式のもので、同形のものが日本では山口県の古代山城「石城山神籠石」にあるものだけです。
室町時代の初めには、播磨・備前・美作の守護であった赤松則祐が文和元(1352)年頃から20年以上の歳月をかけて築きました。「教王護国寺文書」・「東寺百合文書」に築城についての記事があり、付近の荘園から人夫が徴発されたことが分かります。
則祐の後、城主は義則、満祐、義雅と移り変わり、義雅の時の嘉吉元(1441)年「嘉吉の乱」がおこりました。「嘉吉の乱」で足利六代将軍義教を謀殺した播磨守護赤松満祐は、追討軍に攻められ、城山城で自刃し赤松一族は一時衰退します。
赤松氏衰退とともに、城山城は約百年間廃城となり、その後出雲から播磨に侵攻してきた尼子晴久が天文7(1538)年から天文9(1540)年まで城山城を使用しました。
現在、城山の山上には郭・空堀・土塁等の城の遺構が残っており、城内からは中国製陶磁器や備前焼が採集されています。
城山城は県下唯一の古代山城として、また播磨屈指の中世山城として大変貴重な遺跡といえます。
(現地説明板より)
城山城 - 01
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城山城 - 02
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城山城 - 03
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城山城 - 04
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城山城 - 05
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城山城 - 06
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城山城 - 07
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城山城 - 08
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城山城 - 09
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城山城 - 10
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城山城 - 11
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城山城 - 12
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城山城 - 13
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城山城 - 14
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城山城 - 15
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城山城 - 16
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新宮町の中心部には新宮陣屋があります。
新宮藩の藩祖池田重利は本願寺坊官の下間氏の出身ですが、母が池田輝政の姉という関係から池田家に仕えるようになり、その才智と武勇が認められ、慶長18(1613)年に主君と同じ池田姓を名乗ることが許されました。
その後、大阪夏の陣の軍功により摂津に領地を与えられて大名となり、後に播磨へ1万石で移封され最初は鵤(太子町)に陣屋を置きましたが、近隣の龍野・姫路藩本多家との争いが原因で寛永3(1626)年に陣屋を新宮に移しました。
寛永8(1631)年に重利が没した後は、二代重政・三代薫彰・四代邦照と続き、寛文10(1670)年に邦照が継子を残さず病没したため廃絶となりますが、本家岡山・鳥取藩主の奔走により弟の重教が三千石の新規旗本に取り立てられました。その後、池田家は明治まで旗本として存続し、幕末には頼方(十二代)が奈良奉行・勘定奉行・江戸町奉行となり活躍しています。
当時の絵図によると陣屋の南北(元町一帯)に家臣の屋敷が配置されており、こころん広場のある所は家老水谷氏の邸跡です。
(現地説明板より)
新宮陣屋 - 1
新宮陣屋 - 1 posted by (C)pismo

新宮陣屋 - 2
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香山城は香山村西方の山麓(通称:備後屋敷)に位置する香山氏の居城です。
香山氏は系図によりますと鎌倉時代からの香山荘地頭職の家柄で、建武年間頃(1334~1338)に秀清が香山城を築城したと伝えられ、嘉吉元(1441)年で城は一度落城します。
その後文明3(1471)年に秀氏が城を再興しますが、羽柴秀吉が宇野氏(山崎・長水城)を攻めたときに城主秀明は宇野氏に属し、香山城は秀吉軍の黒田官兵衛に攻められ、天正8(1580)年4月27日に落城します。なお、司馬遼太郎の「播磨灘物語」には官兵衛初手柄の城として香山城が登場します。
香山城の遺構は大歳神社を挟んで、北郭(南北170m・東西250m)、南郭(南北220m、東西120m)に分かれており、いずれも外郭を石塁が取り巻き、縦横に石塁と堀が走り、その中を雛段造成して多数の郭群を複雑に配置しています。郭群には城門・井戸・犬走り・泉池等の諸施設があり、備前焼の甕や茶臼等も見つかっています。
香山城は近隣には例のない総石垣で築かれた特異な縄張りをもつ大規模な中世山城といえます。
(現地説明板より)
香山城 - 01
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香山城 - 02
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香山城 - 03
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香山城 - 04
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香山城 - 05
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香山城 - 06
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香山城 - 07
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香山城 - 08
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香山城 - 09
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香山城 - 10
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香山城 - 11
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香山城 - 12
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この日の疲れは、しそう よい温泉で癒します。
しそうよい温泉 - 1
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しそうよい温泉 - 2
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Posted at 2014/10/28 22:30:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年10月12日 イイね!

川西市郷土館と黒川ダリヤ園

川西市郷土館は、銅の製錬を業としていた旧平安家住宅を利用して、昭和63(1988)年11月に開館しました。
平成2(1990)年11月には、川西市内の小戸地区にあった洋館の旧平賀家住宅を移築復元しました。旧平賀家住宅は、平賀義美博士が大正7(1918)年に猪名川沿いの川西市小戸に建設した、イギリスの田園住宅の形式の住宅です。
平成7(1995)年11月には、青木・平通両画伯記念館として、ミューゼレスポアールをオープンしました。
平成22(2010)年2月には、平通画伯のアトリエを再現したアトリエ平通をオープンしました。故平通武男画伯及び故全子夫人の意向を受け、ご遺族よりアトリエのあった川西市花屋敷の土地・建物の売却益及び遺品が川西市に寄贈されました。この建物は、それをもとにアトリエを再現したものです。
旧平安家住宅では、一色八郎氏のコレクションである箸の展示室を鉱山資料展示室とともに公開しています。
旧平安家住宅と旧平賀家住宅は、国の登録有形文化財です。
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黒川ダリヤ園は、川西市内北部の「にほんの里100選」にも選ばれた自然豊かな黒川地域にあるダリヤ園です。
ダリヤの町として知られる山形県川西町から同じ名前ということもあり、平成13(2001)年にダリヤの球根の寄贈を受け、平成16(2004)年に川西市最北部の黒川の地を本格的なダリヤ育成地として選び、黒川ダリヤ園としてオープンしました。地元の農家で組織する「黒成会」が「黒川ダリヤ園」を運営しています。
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Posted at 2014/10/27 21:54:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2014年10月04日 イイね!

伏見稲荷大社

この日の最後に、伏見稲荷大社を訪れました。
伏見稲荷大社は、全国に約三万社あるといわれる稲荷神社の総本宮で、宇迦之御魂大神を主神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神を祀る神社です。
和銅4(711)年に秦氏が稲荷山上に創祀し、後にこの地に社殿が造営されたといわれています。仁寿2(852)年の雨祈奉幣以来、朝廷から度々、勅使が遣わされ、五穀豊穣、家業繁栄の神として庶民の深い信仰を集めました。
古くから山全体が信仰の対象とされる稲荷山には、清少納言も詣でたことが「枕草子」に記されており、願い事が「通る」という意味から、多数の朱の鳥居が奉納され、今日に至っています。約1万基の鳥居は、千本鳥居といわれ名所となっています。
応仁の乱で焼失した本殿は、明応8(1499)年に再建された後、幾度かの修造を重ね、現在は重要文化財に指定されています。
また、御茶屋は後水尾院から拝領し、当社に移建された御所の御殿で、これも重要文化財となっています。楼門は、豊臣秀吉が母の病気平癒祈願が成就したため寄進したものです。
また、江戸時代の国学者荷田春満は、伏見稲荷神社の社家出身です。また、平成26(2014)年のトリップアドバイザー「外国人に人気の日本の観光スポット」調査では、1位を獲得しています。
この神社の素晴らしさを体験するには、本殿にお参りするだけでなく、千本鳥居をくぐって稲荷山を回るべきだと思います。体力は使いますが、眺望の良い所や、先人達の稲荷信仰について感じることができます。
伏見稲荷大社 - 01
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Posted at 2014/10/27 00:01:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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