この日は京都の西山(大原野周辺)をハイキングです。
大原野神社は祭神として、奈良の春日大社と同じ建甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売大神の四大明神を祀っています。
当初は桓武天皇の皇后である藤原乙牟漏(おとむろ)の意によって藤原氏の氏神として長岡京に勧請されましたが、嘉祥3(850)年、文武天皇が外祖父藤原冬嗣の奏請により神殿が建てられ、京都の守護神としてこの地に祀られたものです。
平安時代の中期には藤原氏の隆盛とともにその氏神として大きな地位を占め、天皇や皇后の崇敬も厚く、官祭である大原野祭には勅使が派遣されていました。
藤原氏の皇后や中宮の参詣が多く、紫式部も中宮彰子について参詣しており、また紫式部は、父藤原為時の任国である越前(福井)で、雪の日野山を見ながら小塩山を思い出し「ここにかく日野の杉むら埋む雪 小塩の松に今日やまがへる」(「紫式部集」)と詠っています。
「源氏物語」「行幸」では、冷泉帝が大原野行幸を行い、京の人々が見物に訪れるなか、玉鬘や六条院の人々も車を寄せて行幸を見物している。物忌で同行しなかった光源氏は、帝からの歌に応えて「小塩山みゆきつもれる松原に 今日ばかりなる跡やなからむ」と寿ぎました。
また、伊勢の斎宮や加茂の斎院にならって当社にも斎女がおかれていました。しかし、応仁の乱後は社運が次第に衰え、祭儀も途絶えがちになり、社殿は荒廃しました。現在の春日造総檜皮葺の本殿は慶安年間に再建されたものです。
境内には奈良の猿沢の池を模した「鯉沢(こいざわ)の池」や古歌に多く詠まれ大伴家持が愛飲したという「瀬和井(せがい)の清水」と呼ばれる名水があります。
(現地説明板などより)
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Posted at 2012/12/10 23:36:12 | |
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