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2010年05月24日

歴史の道・神君の伊賀越え(その2・甲賀〜伊賀)

紫香楽宮は、天平12(740)年の「藤原広嗣の乱」を契機に平城宮を離れた聖武天皇が天平14(742)年に造営を開始し、天平15(743)年には「大仏建立の詔」がこの地で発布されました。天平17(745)年には廃都となり大仏も東大寺で建立されました。
この丘陵の遺跡は大正15(1926)年に国史跡「紫香楽宮跡」として指定されましたが、発掘調査により、宮殿跡とされた礎石遺構が東大寺の建物配置に類似することや、山城国分寺跡と同范瓦が出土することから寺院跡であることが判明し、甲賀寺跡であると推測されています。しかし、東大寺の規模と比較して面積で三割弱にすぎず、狭小であることから「甲賀宮国分寺」と称される寺院であるという説もあり、現状の遺跡をどう解釈するか今後の検討課題であるとされています。
紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 01
紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 01 posted by (C)pismo

紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 02
紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 02 posted by (C)pismo

紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 03
紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 03 posted by (C)pismo

紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 04
紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 04 posted by (C)pismo

紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 05
紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 05 posted by (C)pismo

紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 06
紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 06 posted by (C)pismo

紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 07
紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 07 posted by (C)pismo

紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 08
紫香楽宮跡(甲賀寺跡) - 08 posted by (C)pismo

小川城の築城時期は不明ですが、一説には嘉元3(1305)年に鶴見氏によって築城されたとの伝承がありますが定かではありません。
長享元(1487)年頃、多羅尾光紀は鶴見成俊を攻撃し、小川城は多羅尾氏の城となりました。
天正10(1582)年の本能寺の変の際、徳川家康が三河へ帰る途中、多羅尾光俊は家康を小川城へ迎え、甲賀の武士団の協力により御斎峠を越え伊賀の柘植へ向かいました。
多羅尾光俊は、文禄4(1595)年に豊臣秀次事件に連座し領地を没収されたため、小川城は廃城と
なりました。
多羅尾氏は関ヶ原の戦いの後、家康に召し抱えられ、天領代官をつとめ、明治維新までこの地を再び治めました。
小川城 - 01
小川城 - 01 posted by (C)pismo

小川城 - 02
小川城 - 02 posted by (C)pismo

小川城 - 03
小川城 - 03 posted by (C)pismo

小川城 - 04
小川城 - 04 posted by (C)pismo

小川城 - 05
小川城 - 05 posted by (C)pismo

小川城 - 06
小川城 - 06 posted by (C)pismo

小川城 - 07
小川城 - 07 posted by (C)pismo

小川城 - 08
小川城 - 08 posted by (C)pismo

浄顕寺は山号は清龍山、浄土宗の寺院で多羅尾氏の菩提寺です。
鎌倉時代初期に法然上人が美作国へ下向する時立ち寄って植えられたと言う菩提樹の樹があります。
境内には十王石仏があります。
徳川家康が本能寺の変の後本国に戻る伊賀越えの際に、一体を駕籠に乗せて自分の身代わりにしたそうです。
浄顕寺 - 1
浄顕寺 - 1 posted by (C)pismo

浄顕寺 - 2
浄顕寺 - 2 posted by (C)pismo

浄顕寺 - 3
浄顕寺 - 3 posted by (C)pismo

浄顕寺 - 4
浄顕寺 - 4 posted by (C)pismo

浄顕寺 - 5
浄顕寺 - 5 posted by (C)pismo

多羅尾代官陣屋です。
多羅尾氏はこの地を治めていた豪族ですが、文禄4(1595)年に豊臣秀次事件に伴い領地を没取されますが、その後許されて多羅尾に居住しました。
慶長5(1600)年の関ヶ原の戦い後、本能寺の変の後の伊賀越えで支援したこともあり、徳川家康より1500石を与えられて、寛永15(1538)年に多羅尾光好は天領の代官となりここに屋敷を築き明治維新まで世襲代官として続きました。
この陣屋は「多羅尾代官所」・「信楽御役所」と呼び、多羅尾氏の歴代の代官は四日市市(三重県)の四日市陣屋も代官を兼務し、近江・伊勢・播磨などで5万石ほどの天領を納めていました。
現在も子孫の方が在住だそうで、敷地への立ち入りは出来ません。
入口に説明看板が建っていました。
多羅尾代官陣屋 - 1
多羅尾代官陣屋 - 1 posted by (C)pismo

御斎峠は、標高630m、多羅尾の東方にあり、近江国甲賀郡と伊賀国(滋賀県と三重県)の国境にあります。
御斎峠の名の由来は、鎌倉時代に臨済宗の高僧夢窓国師が伊賀三田の空鉢山寺へ来られた際にこの峠で村人が接待(斎)をしたことに由来しているそうです。
本能寺の変の際、徳川家康が堺、枚方、宇治田原を経て伊勢に逃れる際も多羅尾光俊父子に警護されこの峠を越えたと言われています。
この峠は眺望が良く、伊賀地方や奈良金剛の山々が遠望できます。
御斎峠 - 1
御斎峠 - 1 posted by (C)pismo

御斎峠 - 2
御斎峠 - 2 posted by (C)pismo

徳永寺は浄土宗の寺院です。正式には、平庸山無量寿院徳永寺といいます。
元々は現在地の西側にあったそうで、永禄、元亀年間(1558〜1572)に現在地に移転しました。
本能寺の変の際の伊賀越えの際、徳川家康一行がここで休息したと伝えられています。
家康は礼として葵紋の使用を許し、寺領を与えました。
現在でも葵紋が使用されています。鬼瓦には立葵紋が使用されていますが、これが元々の家康の紋所といわれています。
徳永寺 - 01
徳永寺 - 01 posted by (C)pismo

徳永寺 - 02
徳永寺 - 02 posted by (C)pismo

徳永寺 - 03
徳永寺 - 03 posted by (C)pismo

徳永寺 - 04
徳永寺 - 04 posted by (C)pismo

まだここから加太越えをして伊勢に入るわけなのですが、この日はスタートが午後だったこともあり、今回の伊賀越えをたどるドライブはここまでとします。また機会があれば・・・
ブログ一覧 | ドライブ | 日記
Posted at 2010/06/24 07:16:34

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