黄瀬川近くの
八幡神社は、主神を応神天皇とし、比売神・神功皇后を祀る神社です。
創建年代については不明ですが、治承4(1180)年、源頼朝が富士川の合戦時にこの地に陣を置きこの時勧請したもの、または湯川の小河泉水神社に鎮座していた八幡神社をここに遷座したものなど様々な説があります。
本殿の左後ろ側に頼朝と義経ゆかりの対面石があります。
治承4(1180)年10月、平家の軍勢が富士川のあたりまで押し寄せてきたとき、鎌倉にあった源頼朝はこの地に出陣しました。
たまたま奥州からかけつけた弟の義経と対面し、源氏再興の苦心を語り合い、懐旧の涙に暮れたといわれています。
この対面の時に、兄弟が腰掛けた二つの石を対面石といいまs。
また、この時、頼朝が柿の実を食べようとしたところ、渋柿であったのでねじってかたわらに捨てました。すると、後に芽を出し二本の立派な柿の木に成長し、この二本は幹を絡ませねじりあっていたので、いつしかねじり柿と土地の人は呼ぶようになりました。(説明看板などより)
平成17(2005)年の大河ドラマ「義経」の第15回「兄と弟」の義経紀行で「対面石」として紹介されました。
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戸倉城は戦国時代に北条氏綱が築いたといわれています。
現在は駿東郡清水町にありますが、かつては伊豆国に所在していました。
伊豆、駿河の国境を守る城で、狩野川を活かした要害の城でした。
永禄11(1568)年から元亀2(1571)年にかけて駿河に攻め込んだ武田信玄と北条氏は、この戸倉城で戦っています。
また天正8(1580)年、武田勝頼は沼津三枚橋城に本拠をおいて戸倉城を攻撃しました。北条方の城将笠原新六郎政尭(政晴)はよく城を守っていましたが、天正9(1581)年武田方に寝返って城は武田方のものとなりました。
天正10(1582)年、武田氏の滅亡と共に戸倉城は再び北条氏のものとなりました。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原城征伐が始まると、北条氏は戸倉城を捨てて韮山城へ退いたといわれています。
現在は、本城山公園となっており、主郭部は山頂広場となっています。城主の居館は龍泉寺内にあったそうです。
(説明看板などより)
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ドライブ | 日記
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2012/01/04 20:32:16