矢掛町は、旧山陽道の第18番目の宿場町として栄え、産業、交通、文化の中心として発展していました。
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全国唯一、本陣(石井家)、脇本陣(高草家)が共に国指定重要文化財となっています。
国指定重要文化財の
矢掛本陣は、当時大庄屋で酒造業を営む石井家が本陣職にあたりました。参勤交代で大名や公家、幕府役人の宿所に使われた屋敷は建築の粋をこらしており、当時の繁栄を現在に伝えています。
本陣屋敷の他、酒造関係の米倉、酒倉、絞り場、麹室などが棟を並べ、裏口には宝永3(1706)年、備中森家の西江原陣屋から移築した裏門座敷長屋があります。
石井家の先祖は、穂井田(毛利)元清の家臣石井刑部左衛門秀勝でその三子喜元が元和6(1620)年、古市より移転したと伝えられています。
石井治部右衛門のころ、大庄屋役を勤め「佐渡屋」と号し、酒造りも行い、近世初頭以来矢掛筆頭の豪商でした。
宿泊した大名は、年平均14家、西中国(萩、石見、安芸)、九州(唐津、肥前、筑前、筑後、薩摩)などの大名でした。
また薩摩から徳川十三代将軍家定に嫁ぐため天璋院篤姫が矢掛本陣にお泊りになったという史実があります。
長屋は昭和47(1972)年、それ以外を昭和61(1986)年から平成3(1991)年の5年間、解体修理を行いました。
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矢掛脇本陣・高草家は旧山陽道の矢掛宿にあり、宝暦6(1756)年、平田屋から分家して東平田屋と称し、寛政期には庭瀬藩の掛屋や藩札場元方を務めるかたわら大庄屋も兼ね「大高草」と呼ばれた旧家で脇本陣になったのは天保の頃と推定されています。
屋敷は約600坪、矢掛宿の中では旧本陣石井家に次ぐ広大なものです。
主屋、表屋、表門、蔵屋敷等その他多くのものが国の重要文化財に指定されている。通りに面した表屋と主屋は天保14(1843)年から弘化2(1845)年にかけて建て替えられた入母屋造、本瓦葺の表屋造りで、前半を店部分として後半を住宅として使用していました。薬医門は明治初年に旧庭瀬藩の矢掛陣屋の正門を買い受けた移築したものです。
昭和44(1869)年、国の重要文化財に指定されています。
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時間の都合もあり、内部の見学は割愛しました。
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2012/02/15 22:27:27