旧海軍司令部壕は、昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われて います。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵士が収容されていました。
沖縄方面根拠地隊のあった場所で、昭和20(1945)年6月13日午前1時戦いに利あらず、遂に海軍少将(死後中将に昇進)大田實司令官は「大君の御はたのもとにししてこそ 人と生まれし甲斐でありけり」の辞世の句を残し、将兵と共に壮烈な最期を遂げ、沖縄戦における海軍部隊の組織的戦闘は終わりました。
また、大田司令官が自決の直前「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」で締めくくる海軍次官充てに発信した電報は広く知られています。
戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45(1970)年3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。
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これで、今回の沖縄史跡めぐり紀行は終了です。
沖縄県の歴史には疎いのですが、現地を訪れて改めて勉強になりました。沖縄県の現在抱える諸問題も、琉球王国からの歴史を学んでこそ、理解できると実感しました。
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ドライブ(レンタカー) | 日記
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2013/05/07 22:48:53