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2013年04月27日

京都新選組と会津藩など幕末史跡巡り(その1・壬生と島原)

この日は、八重の桜の関連で、友人達と京都観光。

壬生寺の門を入って右手の阿弥陀堂の奥が壬生塚と呼ばれる墓所になっています。ここには、芹沢鴨と平山五郎の墓、隊士7名の合祀墓(阿比原鋭三郎、田中伊織、野口健司、奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門、葛山武八郎)、河合耆三郎の墓、近藤勇の遺髪供養塔、同胸像などがあります。
壬生寺・壬生塚 - 1
壬生寺・壬生塚 - 1 posted by (C)pismo

壬生寺・壬生塚 - 2
壬生寺・壬生塚 - 2 posted by (C)pismo

壬生寺・壬生塚 - 3
壬生寺・壬生塚 - 3 posted by (C)pismo

壬生寺は律宗の寺院で正式には心浄光院 宝憧三昧寺といいます。正暦2(991)年三井寺の僧快賢が創建しました。
中興の祖・円覚上人が悪疫駆除のため壬生狂言を始めたことから地蔵信仰が盛んになりましたた。結構大きな寺です。近藤勇の胸像や新撰組隊士の供養塔、芹沢鴨ら隊士の墓などがあります。
壬生寺 - 4
壬生寺 - 4 posted by (C)pismo

八木家は、壬生村きっての旧家で、かって壬生郷士の長老をつとめていました。また、幕末には新選組の近藤勇、土方歳三らの宿所となり、旧壬生屯所として知られています。
建物は、長屋門が東に開き、その奥に主屋が南面して建っています。当家に残る普請願から長屋門は文化元(1804)年、主屋は文化6(1809)年の造営と判明しています。
昭和58(1983)年6月1日京都市指定有形文化財に指定されています。
こちらは前川家と異なり公開されています。
八木家の子孫の方は表の鶴屋という和菓子屋さんをやっています。
奥座敷は芹沢鴨暗殺の場で刀傷が見ることができます。
八木家 - 1
八木家 - 1 posted by (C)pismo

前川家は、新選組の壬生屯所跡の一つです。
古高俊太郎の拷問が行われた東の蔵、野口健司や山南敬介が切腹した部屋などもそのまま残っているようです。
株式会社田野製袋所と個人宅となっているので普段は非公開です。休日は入口を開放しており、土産物店で買い物ができます
前川邸 - 1
前川邸 - 1 posted by (C)pismo

光縁寺は正式には満月山普照院光縁寺という浄土宗の寺院で、知恩院の末寺にあたります。
創建は、慶長18(1613)年頃で、天明の大火により焼失した堂宇は再建されて現在に至っています。
本堂には本尊として阿弥陀如来像をお祀りしています。
当寺の門前近くには、新選組の馬小屋があり、毎日、門前を隊士たちが往来していました。中には新選組総長の山南敬助もいました。
山門の瓦は、山南家と同じ家紋で、当時の住職が22世の良誉上人であり年齢も山南と同じであったことから、山南の紹介で屯所で切腹した隊士達や山南自身、またその後の多くの隊士が良誉上人に弔われ、埋葬されることになりました。
現在も山南敬助、河合耆三郎、柴田彦三郎、施山多喜人、石川三郎、大石造酒蔵、松原忠司、桜井勇之進、小川信太郎、市橋鎌吉、田内知、田中寅三、加藤羆、左側面に矢口健一郎、佐野七五三之助、中村五郎、茨木司、富川十郎、沖田氏縁者の墓など新選組隊士の墓があります。
光縁寺 - 1
光縁寺 - 1 posted by (C)pismo

光縁寺 - 2
光縁寺 - 2 posted by (C)pismo

光縁寺 - 3
光縁寺 - 3 posted by (C)pismo

光縁寺 - 4
光縁寺 - 4 posted by (C)pismo

光縁寺 - 5
光縁寺 - 5 posted by (C)pismo

光縁寺 - 6
光縁寺 - 6 posted by (C)pismo

島原の角屋です。
島原の花街(歌舞音曲の遊宴の町)は、天正17(1589)年に豊臣秀吉の許しを得て、柳馬二条に「柳町」として開設されました。
その後、御所に近いなどの理由で、慶長7(1602)年に六条柳町(東本願寺の北側付近)に移転させられました。この地は、通称「六条三筋町」と呼ばれ、大いに繁盛しましたが、町中では風紀を乱すとのことから、またも寛永18(1641)年に辺鄙な朱雀野(現在の島原)に移転を命じられました。「西新屋敷」が正式地名ですが、その移転騒動が当時の九州島原の乱に似ているとして、「島原」と通称されてきました。
島原は、遊宴の場である「揚屋」と、揚屋に太夫や芸妓を派遣する「置屋」からなる分業制をとっていました。揚屋は江戸吉原においては、宝暦10(1760)年に完全に消滅しましたが、京の島原や大坂の新町では、拡張を重ねて大宴会場へと特化していきます。その特徴は、置屋から太夫や芸妓を呼んで歌舞音曲の遊宴を行ったところで、現在の料理屋・料亭にあたります。大座敷や広庭、茶席を設け、庫裏と同等の台所を備えるところにあります。角屋は島原開設当初から存在していますが、現在の規模になったのは天明7(1787)年の増築後のことです。
島原は公認の花街でしたが、立地の悪さから次第に寂れ、町中にある非公認の祇園などが大いに栄えました。島原としても集客のために、からくり人形を飾った「籠屋」や、太夫による仮装行列の「練物」などの年中行事を行いまし。灯籠を見物した本居宣長は、自身の『在京日記』にその賑わいぶりを記しているが、これも一時的なものに終わりました。
島原は、単に遊宴を事とするにとどまらず、文芸も盛んな町でした。とりわけ俳諧は、江戸中期に与謝蕪村の親友炭太祇(たんたいぎ)が島原に住み込み、「不夜庵」を主宰したことにより、俳壇が形成されるほどの活況を呈しました。
文政元(1818)年には頼山陽が郷里から伴った実母を、角屋南隣の「八文字屋」に案内して、宴会でもてなしました。揚屋が親孝行の場に供されたわけです。
各藩の武家屋敷の大宴会も角屋をはじめとする揚屋が担いましたが、幕末になると、角屋は勤皇派の久坂玄瑞や西郷隆盛、坂本龍馬などの密議に使われました。
またご多分にもれず、新選組の出入りもありましたが、池田屋のような騒動は起こりませんでした。ただし、文久3(1863)年に、新撰組初代筆頭局長の芹沢鴨が角屋で遊宴の後、壬生の屯所八木邸に帰宅後暗殺されるという事態がありました。
明治維新後は、大型宴会の需要がなくなるとともに、足場の悪さもあって、島原の町全体が衰微し、それ以降は祇園が花街の主役に取って代わっていきました。
角屋は、島原開設当初から残る江戸時代の饗宴・もてなしの文化の場である揚屋建築唯一の遺構として、昭和27(1952)年に国の重要文化財に指定されています。
平成元(1989)年には財団法人角屋保存会が設立され、平成10(1998)年度からは「角屋もてなしの文化美術館」として公開されています。
角屋もてなしの文化美術館 - 01
角屋もてなしの文化美術館 - 01 posted by (C)pismo

角屋もてなしの文化美術館 - 02
角屋もてなしの文化美術館 - 02 posted by (C)pismo

角屋もてなしの文化美術館 - 03
角屋もてなしの文化美術館 - 03 posted by (C)pismo

角屋もてなしの文化美術館 - 04
角屋もてなしの文化美術館 - 04 posted by (C)pismo

角屋もてなしの文化美術館 - 05
角屋もてなしの文化美術館 - 05 posted by (C)pismo

角屋もてなしの文化美術館 - 06
角屋もてなしの文化美術館 - 06 posted by (C)pismo

角屋もてなしの文化美術館 - 07
角屋もてなしの文化美術館 - 07 posted by (C)pismo

角屋もてなしの文化美術館 - 08
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角屋もてなしの文化美術館 - 09
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角屋もてなしの文化美術館 - 10
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角屋もてなしの文化美術館 - 11
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ブログ一覧 | ドライブ | 日記
Posted at 2013/05/26 22:34:41

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この記事へのコメント

2013年5月26日 23:04
こんばんは。

ご案内ありがとうございます!
新撰組を知らないかたにも興味が沸いてくれれば幸いです。

私もみな回りましたが、また訪れてみたくなりました。

相変わらず詳細を描写されていまして頭が下がります(^^)

八木さんちの和菓子美味しかったなあ…。
コメントへの返答
2013年5月26日 23:34
こんばんは。
コメントありがとうございます。
新選組の京都史跡と言えば、やはり思いつくのが壬生ですね。
八木家の和菓子は美味しいですね。

プロフィール

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何シテル?   04/30 18:24
ドライブで史跡巡りをやっています。 戦国時代の城・幕末がメインですが、史跡は全般的に好きです。 あとMacやデジタル製品など「新しいもの」も大好きです。
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