この日は、
京都国立博物館で開催されている「桃山時代の狩野派 永徳の後継者たち」を訪れました。平成19(2007)年に同博物館で開催された特別展覧会「狩野永徳」 の続編ということで楽しみにしていました。永徳没後、関ヶ原の戦いから大坂の陣へ、豊臣から徳川へと激動の時代に永徳の後継者達も時代の流れに翻弄されました。そして、江戸時代も狩野派は御用絵師として活躍を続けることになりました。狩野派の絵画も魅力的ですが、そうした時代の流れとからめて絵画を見るのも勉強になります。
絵画も有名な宇和島の伊達博物館が所蔵している「豊臣秀吉像」や高台寺所蔵の「高台院像」「小早川秀秋像」など著名な作品がたくさんあり楽しめました。
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養源院は、山号は南叡山、浄土真宗遣迎院派の寺院です。戦前までは天台宗の寺院でした。
文禄3(1594)年5月、豊臣秀吉の側室淀殿が、父である浅井長政の追善のため長政の二十一回忌に秀吉に願って建立しました。
長政の従弟で叡山の僧であつた成伯法印を開山とし、長政の院号を以って寺号としました。
その後程なく火災にあい焼失し、元和7(1621)年徳川秀忠が夫人崇源院殿(江)の願により伏見城の遺構を用いて再建したのが今の本堂です。
以来徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀っています。
伏見城落城の折の鳥居元忠以下の将士が城を死守し、最後に自刃し血で染められた廊下の板の間を天井としてその霊を弔った「血天井」や、俵屋宗達の襖絵や杉戸絵、太閤秀吉の学問所だった牡丹の間には狩野山楽が牡丹の折枝を散らした襖絵、左甚五郎の造った「鶯張廊下」などがあります。
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宝泉院は天台宗の寺院で、長和2(1012)年大原寺(勝林院)の僧坊の一つとして建立されました。
柱と柱の空間を額に見たてて観賞する額縁庭園が美しい庭園です。
庭園を見ながら左京区一乗寺の若狭屋の和菓子とお抹茶をいただけます。
天井には鳥居元忠などが自刃した伏見城落城の時の廊下板を天井にした血天井があります。
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ドライブ | 日記
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2015/04/22 21:55:32