明王院は、山号は北嶺山又は安曇山、天台宗の寺院です。
地名を冠して葛川明王院、又は息障明王院、、葛川息障明王院、葛川寺ともいわれます。
平安時代初期に、比叡山延暦寺で近江国浅井郡出身の僧相応が回峰行の道場として開きました。葛川の三の滝で祈念していたところ、飛瀑中に生身の不動明王を感得し、自ら刻んだ不動明王を安置したことに始まると伝えられています。
相応が始めた回峰行とは独特の行で、100日間、1日30km、夜中に比叡山中などを走るというものです。
中世の葛川は明王御領と呼ばれ、青蓮院及び無動寺の支配下に置かれていましたが、鎌倉時代以降、定住化した住人が政所の寄合を中心に惣寄合を強化し、行者講中の世話役の常喜、常満家が成立します。
葛川への参籠は鎌倉時代末期以降の様子が伝えられ、行者は6月の法華会と10月の法華会に7日間参籠し、その間に自ら参籠札に日付、名前、参籠回数を書くことになっていました。聖俗の隔たりなく多くの人々が参籠札を納めていて、足利義満、義尚、日野富子などの参籠札も伝えられています。
本堂、護摩堂、庵室、政所表門の他、石垣、石塀、石段を含む境内地9,500平米が重要文化財に指定されています。
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地主神社は、明王院の鎮守で貞観元(859)年、相応和尚の創立と伝えられています。
祭神は国常立命で、この地の地主神である思古淵明神も祀られています。
思古淵大明神を祀っています。
現在の本殿は、文亀2(1502)年に建てられた滋賀県内で唯一の三間社春日造です。
幣殿も同じ文亀2(1502)年に建てられ、形式は桁行一間、梁間一間向唐破風造の檜皮葺で、中世の幣殿建築は類例も少なく、いずれも重要文化財に指定されています。
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ドライブ | 日記
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2015/04/28 21:34:00